七月の「四の切」競演が話題だったが、国立劇場の音羽屋型での歌昇の狐忠信は観る事ができなかったのはちょっと残念。
さて、海老蔵の「四の切」は今回も澤潟屋型だが、猿之助の指導は受けていないらしい。海老蔵が音羽屋型をしないのは共演することの多い菊之助に「そっちは任せたぜ」という感じなのだろうか(笑)市川家の弟子筋の猿之助がここまで完成させた澤潟屋を宗家の御曹司が継承することの方が話題になる。また、宙乗りなどのケレンが海老蔵の体育会系の身体能力と面白いことをやりたいという志向にマッチしているのだと推測している。
昨年3月歌舞伎座「川連法眼館」の記事はこちら=前回の海老蔵の「四の切」もリンクあり。
今回の配役は以下の通り。
佐藤忠信/源九郎狐=海老蔵
静御前=玉三郎 源義経=門之助
川連法眼=寿猿 妻飛鳥=吉弥
駿河次郎=薪車 亀井六郎=猿弥
川連法眼の妻飛鳥が黒い髪で出てきたことにまず注目。白で見慣れていたが年の離れた妻の設定にすれば黒でもおかしくないわけだ。吉弥は夜の部も姥の白鬘なので好ましい。寿猿・吉弥で二人の会話がきっぱりしていて次の場面も楽しみになる。生締の鬘で登場する本物の佐藤忠信の海老蔵がまことにカッコいい。相対する門之助も実にいい義経だ。2004年7月の「修善寺物語」の頼家がとてもよかったが、こういう御曹司の役がハマる役者は貴重だ。
そこに忠信を同道した静御前の玉三郎が登場。忠信が先に対面をしたことをなじる台詞「ハテ、まんがちなお人じゃなぁ」も玉三郎の静がしゃべるととてもしっくりするのは、玉三郎にして初めて静御前としての誇り高さを感じることができたからだと思えた。そして同道して感じた腑に落ちないことを思い出す台詞も然り。小袖の違いで同一人物ではないと見破る台詞も赤い旅衣での「吉野山」があると本当に納得がいった。文楽では旅衣の下に赤い衣が覗くので矛盾がないのだ。玉三郎静の台詞は、キビキビとすすんでいくので、緊迫感があるのがさすがだ。
薪車の駿河次郎が猿弥の亀井六郎とともに呼び出されて並ぶのも満足。
初音の鼓を打って登場する忠信は「吉野山」とは違う小袖を着ているが、これはもうご愛嬌(笑)鬘も鬢の毛を両脇に長く垂らしている。登場から思いっきり狐モード。
さて要チェックの狐言葉。高い音遣いが不安定な海老蔵、前回はあまりのオカマ風声にずっこけたが、今回は進歩がハッキリみてとれた。
鼓になった親が「早や帰れ」と言っているから帰るが「お名残惜しかるまいか」と嘆く源九郎狐の親を乞う純な気持ちのいじらしさ。涙を流しての熱演には、特に海老蔵贔屓でない私でも心を動かされた。これは義経が法皇ご下賜の鼓を与えるのも無理がない。
悪法師との立ち回りもなかなか楽しい。床上に玉三郎静と門之介もいて絵面に極まるのが実に贅沢。そして最後のお楽しみの源九郎狐の宙乗り。三階の鳥屋に向かって全身を欣喜雀躍させている。満面の笑みがまた海老蔵ではというはじけ方。思わず宙乗りのすごい笑いの舞台写真を一枚買い足してしまったくらい(^^ゞ
七月歌舞伎の昼夜貫くキーワードは「純心」とみた!!夜の部の記事でその辺も書いていくつもりだ。→書きました!
「玉三郎座頭の七月大歌舞伎を貫いたもの・・・」
写真は、歌舞伎座の「七月大歌舞伎」の垂れ幕。
7/26昼の部①「鳥居前」
7/26昼の部②竹本のみの「吉野山」
7/31千穐楽夜の部①「夜叉ヶ池」
7/31千穐楽夜の部②「高野聖」魔人の純心