ぴか の観劇(芸術鑑賞)日記

宝塚から始まった観劇人生。ミュージカル、ストレートプレイ、歌舞伎、映画やTVドラマ等も書きます。

07/10/04 渡辺×小日向「ミザリー」

2007-10-06 23:58:59 | 観劇

ご贔屓の市村正親の主演作品で観ていないもので観たかったと思う作品を追っかけるシリーズ第2弾?!CDが出ているものはそれを聞いてイメージを膨らませている。それもない作品は別キャストの舞台を観て空想することが楽しみとなる。
第1弾の「エクウス」を8/3に劇団四季で観た時の感想はこちら
あとは「M.バタフライ」を観たい(映画では観たけれど)が、日下さんが元気なうちにやってくれないかなぁ。四季では下村尊則がやりたいって言っていたように記憶しているが。
「ミザリー」は1998年に白石加代子×市村正親で日本初演。「怖かった」という評判だけきいていた。eプラスの得チケ情報が出たので怖いのは我慢して思い切ってチケットGET。新宿コマ劇場地下のシアターアプルも初体験!

【原作】スティーブン・キング 【脚本】サイモン・ムーア
【出演】渡辺えり(アニー役)、小日向文世(ポール役)
あらすじは以下の通り。
幕開けはポール・シェルドン
大衆小説の「ミザリー」シリーズでミリオンセラー作家になったポール・シェルドン。幕開けは「ミザリーの子ども」の授賞式。
次の場面はもうポールはベッドの上に横たわっていて目覚めたところ。次の作品を山荘にこもって書き上げて出版社に届けるために車を走らせていたのに嵐の中で崖から転落してしまったのだ。近くに住む元看護婦のアニーに救われていたのだ。
昏睡している間にポールが誰かを知った彼女。目覚めたポールに「ミザリー」シリーズの熱狂的なファンだと名乗る。ポールは足を骨折していて動けない。アニーにエージェントなどへの連絡を頼むが一向に迎えが来ない。
カバンの中の新作に目を通したあたりから狂気の片鱗を見せ始める。「ミザリー」シリーズとかけ離れた内容が許せないという。ポールはその原稿に火をつけることを余儀なくされる。怒りに支配されると虐待などに及ぶアニー。買い物先からペーパーバックスとして発売された「ミザリーの子ども」を読んだアニーは逆上。ポールは大衆小説ではなく、書きたかった現代小説にとりかかるために主人公ミザリーを死なせてしまっていた。
アニーはポールにミザリーは死んでいなかったという続編「帰ってきたミザリー」を書かせるために監禁を続け、意に添わないことをすると怒り狂って数々の拷問を加える。
アニーの気分はくるくる変わり、ポールは機嫌を損ねないように必死の努力を重ねる。アニーは可愛い女の顔を見せたり、母性を見せたりもするが、怒りをコントロールすることができない。それは自覚もしているようだ。怒りに任せて口走る言葉の中でアニーが看護婦の現職時代に老人や赤ん坊を死なせて裁判になって有罪にならないまま放免されている狂人だということがわかる。ポールは何とか脱出を謀ろうとする。アニーが買い物に出ると車椅子に乗って家中を探索し、中毒にされている鎮痛剤を探し出したり電話が壊れていることを確認したり。その様は滑稽だし、アニーの帰宅の音で緊張感が高まってハラハラしたりするので、観ている方もドキドキハラハラさせられるわけだ。

部屋を出ている回数の質問にポールが嘘をついたことでアニーが激怒。ついに片足を切断されてしまう。その後のケア付きだが自由度はさらに奪われてポールはついに観念。「帰ってきたミザリー」も一章ずつアニーの検閲を受けながら執筆も真剣なものにならざるを得ない。しかしながら作品が完成した時にはアニーがポールと無理心中をはかりそうだという気配がみえてくる。
ついに完成した最終章の原稿をアニーに渡し、その隙をついてアニーの首を絞めるが失敗。二人のバトルはいつまで続くのかと思われるところで幕。
ん?その後があったのだ。冒頭の場面と同様の「帰ってきたミザリー」の授賞式。彼はスピーチの中でこの作品を入院中に書き上げて売れ行きもいいからもう小説は書かないかもという。体調の質問に義足の調子もいいと答える。そしてこれからを一緒に過ごすパートナーを紹介する。それは白いナース姿のアニーだった。

狐につままれてしまった。この結末はなんなんだ?!この場面があることで救いがあるような、よく考えるともっと怖いような不思議な結末。
最初の自動車事故で本当にまともに入院していて足も義足になっていて、献身的に看護したアニーという看護婦と一緒になったのか。それとも究極の殺し合いの果てにポールがアニーに二人で生きていくことを約束したことで解放され、その約束を実行することになったのか。前者は夢物語にして終るし、後者はもっと底の深いホラーとして終る。
なんかどっちでもいい気がしてきて、二人芝居の二人の役者さんたちの愛嬌いっぱいのカテコで幸せな気分になってしまった。買わないつもりだったプログラムも買ってしまった。
2005年でこの二人で初演した際には、1998年版と違ったバージョンの脚本がサイモン・ムーアから届いたのだという。ということは白石×市村バージョンとずいぶん違っているようだ。最初のバージョンは怖い怖いままで終ったのかもしれない。

渡辺えりは渡辺えり子の「子」をこの公演からとって改名(美輪明宏のすすめによるとのこと)。「ロープ」が初見だったが、今回のアニーはまさにハマリ役と思える。そのふくよかな身体が可愛くて狂気に走るとその大きな身体は恐ろしい圧迫感に変わる。「私を怒らせないで」という叫びも怖いというよりは本当に怒りをコントロールできない病気のつらさからくる叫びに聞こえた。
小日向文世は舞台では初見。映画では「阿修羅城の瞳」や「HERO」で観ているが、この飄々とした感じがいい。二度の離婚歴あり、妻も友人もいない孤独な男が誰からも真剣に探してもらえない大衆小説家という軽い感じにぴったりだ。
この孤独感もアニーの狂信的ではあるが深い愛情でくるまれる生活を選び取った可能性があることを感じさせた。
とにかく白いナース姿の渡辺えりの可愛さといったらなかった。これならば身を委ねたくなるかもしれないと思えてしまう。映画「シャル・ウィ・ダンス」で初めて注目した時のような感じがした。逞しく憎らしくそして時々可愛い年増の女役には本当に貴重な女優だと思う。

原作や映画は知らないが、この舞台版の「ミザリー」はこれはこれとしていいと思った。怖く終る作品って私は嫌いなのだ。得チケで観ることができてラッキーだった。全国各地で公演があるので、怖いからと敬遠しすぎないでいいよ!とお伝えしたい。

写真は今公演の公式サイトよりチラシの画像。公式サイトはこちら
2000年の白石加代子×市村正親の舞台の「イタルの深夜勤務」さんの感想はこちらずいぶんと演出とかが違っている。やっぱりもっと怖く仕上がった舞台だったようだ。