ぴか の観劇(芸術鑑賞)日記

宝塚から始まった観劇人生。ミュージカル、ストレートプレイ、歌舞伎、映画やTVドラマ等も書きます。

07/09/30 「ヴェニスの商人」東京千穐楽グレゴリー・ドーラン賛!

2007-10-01 23:59:48 | 観劇

「ヴェニスの商人」を舞台で観るのは20027/28に東京グローブ座で“子供のためのシェイクスピア”シリーズで観たのが初めて。次は2004年10/28に劇団四季自由劇場(いずれもプログラムに挟んだチケットで確認)。日下武史シャイロックがそれはそれは見事で、作品もシャイロックの悲劇という仕上がりだった。
さて今回はシャイロックを市村正親がやるというのでしっかり千穐楽をGET。銀河劇場へはりんかい線の本数が少ないので時間がかかる。こけら落とし公演に一度行って今回が1周年記念公演だし、チケット代も高いのでなかなか手を出しにくい劇場だ。
2007年8月17日~9月30日 天王洲銀河劇場
演出=グレゴリー・ドーラン(RSCアソシエイト・ディレクター)
翻訳=河合祥一郎
有名な話なのであらすじなどは省略。
ウィキペディアの 「ヴェニスの商人」の項はこちら
主な配役は以下の通り。
アントーニオ=西岡徳馬 バサーニオ=藤原竜也
ポーシャ=寺島しのぶ ネリッサ(ポーシャの女中)=佐藤仁美
シャイロック=市村正親 ヴェニスの公爵=団時朗
ジェシカ(シャイロックの娘)=京野ことみ
ロレンゾー(ジェシカの恋人)=横田栄司
グラシアーノ(バサーニオの友人)=小林正寛 ほか

「開演前のロビーのカーニヴァルを観ないと損」というあちこちのブログにあったので早めに家を出たがなんとか雰囲気を楽しめる程度に到着。仮装をした出演者たちがロビーを歩き、楽隊が音楽を奏でている。仮面をつけた女装?(「ドラクル」の吸血鬼マリーのような前スリットがお腹まであるスカート。でも胸は透け透けで男という主張あり)の衣裳がすごいので撮影。
舞台はまさにカーニヴァルの時期のヴェニス。そうしたら西岡徳馬アントーニオがさきほど撮影した女装と同様の拵えをした3人の中のひとりとして登場してきてびっくり。舞台の上でバスローブ姿に着替える。しかし黒い網タイツはそのまま。そこに藤原竜也バサーニオが飛び込んできて甘えかかる。ん?この関係はもしやそういう説もあったおホモだち関係としての演出ではないか!アントーニオが若いバサーニオに惚れこんでパトロンになっている関係ね。これなら年の差の友人関係という謎のキャスティングも納得というものだ。

そこで納得できてしまったので、展開がどんどん腑に落ちる。若い恋人が長くアテにできそうな富豪の女に惚れられて結婚する気になっている。それを応援してくれと言われれば自分は年だし応援せざるをえない。急いで必要な金のために普段は忌み嫌っている異教徒ユダヤ人のシャイロックに借金を申し込まざるをえない。借金のかたは身体の肉1ポンドという理不尽なもので、愛するバサーニオのために悔しさ・怒りを押さえ込む。ただの借金なら友人のために保証人になるのは理解できる。しかしいくらこの二人の友情が深くとも命をかけるということがずっと理解できなかったのだ。「愛」のためなら命をかけてしまうのも深く納得。

日下武史シャイロックはキリスト教徒のユダヤ人への差別に対する怒りと悲しみを深刻に訴えてきた。今回の演出はそこまで重くしない。気になったのがキリスト教徒側の出演者たちがバンバン唾をはきかけるという演出。これは日本人にはかなり違和感があるのだが、きっとこういうレベルの行動が実際にあったのだろう。これは見ていて差別するキリスト教徒の側の愚かしさを強調しているように思えてきた。差別はされる方も哀れだがする方も哀れなのではないか。そういう悲喜劇としてシャイロックの姿があるように思える演出だった。
シャイロックが理性をふきとばして、当初はそこまで本気とは思えない人肉裁判を起こすように追い込められる過程も説得力をもっている。娘が自分を裏切り、宝石などの財産を持ち出して異教徒と駆け落ちしてしまったことへの怒りと悲しみ。その鬱憤は長期にわたるユダヤ人差別への悔しさに火をつけて、その怨みを晴らすために借金の倍返し、10倍返しの申し出も断ってしまい、最後には文無しになって命をとられぬ条件にキリスト教への改宗までさせられてしまう。その悲喜劇!!これを体現するシャイロックには、飄々とした軽みも迫力のある怒りも表現する幅のある市村正親はまさに適役だった。

舞台装置は奥に海面と空の大きな画面。変化するように見えたがまさに水の都ヴェニス。左右の建物に入る入り口には上下させて閉じる橋が扉となっている。こんな風に水の中に石の建物が建っているんだろうなぁ。石畳のような模様を描き込んだ厚いアクリル板のような床面が面白い。
そして衣裳が不思議だった。中世のヴェニスなのに純然たるコスチュームプレイではない。女性や家来などは時代物のコスチュームだが、主な男性の役が現代のスーツ姿なのだ。そういう人物も仮装する時はコスチューム。RSCの最近のシェイクスピア劇の写真などで斬新な衣裳と装置の舞台をよく見るが、さすがにRSC演出家のグレゴリー・ドーランだとまず思った。ただの古典劇ではなく現代に通じる舞台にしている意気込みが伝わってくる。

ジェシカとロレンゾーはカーニヴァルの仮装の人々に紛れて駆け落ち。厳格な父の元で育ったジェシカが親を捨てるまでの恋をしているという姿を京野ことみと横田栄司で無理がないと思える。激しい恋とはそんなものだ。ここでまず1組目のカップル誕生!
若いバサーニオに一目惚れした年増の美女ポーシャ。富豪の父の遺言により金銀鉛の箱のどれかに彼女の絵姿を入っているのを見つけ出した求婚者でなければ結婚できないので婚期が遅れているようだ。賢い女性なのに父の遺言に縛られるという女性の差別もしっかり描きこまれている。
放蕩の挙句に自分の財産を使い果たし、パトロンに甘えているバサーニオにしては賢い選択の結果、ポーシャを手に入れて2組目のカップル誕生!!ドサクサにバサーニオに同行していた友人がポーシャの女中ネリッサと結婚を決め、3組目のカップル誕生!!!
ところが愛を失った男アントーニオは命まで失おうとしていた。その男がどうやら婚約者の愛人だったことに気づいたポーシャの複雑な感情を寺島しのぶが好演。お嬢様の一途な恋愛は単純に成就しないのだ。機転を利かせて男装して法学博士になりすまし、人肉裁判の助言のために登場する。この男装場面の少年のような身体の動き。その表情の豊かさにふっと父・菊五郎の表情が重なったりもした。
最後に報酬として指輪を取り上げるのは、婚約者に愛人がいたことに対しての嫉妬をこめたこらしめの行動なのだ。そういう解釈だと自然で無理がない。

裁判の場面もポーシャが肩肘を張って頑張っている風の演出が新鮮。最後の決定打をひねくり出すにはあわてて法律書をめくって根拠となる条文を探し出したりしている。とても躍動感にあふれている。ただの賢い年増女にしないところも憎い。こうして一生懸命、愛するバッサーニオのために頑張り、自分の価値観を見せつけ、元の男に戻らないように頑張るポーシャは愛おしい。
シャイロックの足元にぶちまかれる3000ダカットの倍返し?10倍返し?の金貨が効果的だった。シャイロックがアントーニオの命をあきらめて返金ですまそうと言い出したのをポーシャが封じ込め、グラシアーノたちが金貨を拾い集めてしまう。そのシャイロックの惨めさがよく出た。最後に地ならしの道具のような物で舞台と客席の間に設けた部分に落としてしまうのもうまい(十日えびすの賽銭スペースを連想)。シャイロック自身にはあまり過剰な無常感を漂わせないで退場させる。
3組の恋人たちには幸福な結末が用意され、ロマンチックムードは盛り上がる。その代表バッサーニオ・ポーシャに駆け寄ろうとして思い直すアントーニオ。「もう俺のものじゃない」というような表情。バッサーニオ・ポーシャはシルエットになっていき、西岡アントーニオが去るところにスポットがあっての終幕。こんなにせつない幕切れになるとは予想もしていなかった。まさに「ヴェニスの商人」の主役はアントーニオだったのだ。

プログラムを読んでいくと、シェイクスピア自体も若い男を愛したようだし、演出したグレゴリー・ドーラン自身もゲイであることを語っている(RSCの看板男優がパートナーとのこと)。だからこそアントーニオとバッサーニオの関係の演出がとてもナチュラルなのだ。愛には男だとか女だとかいうのは関係ない。しかしやはり同性どうしの関係には社会の少数派であるせつなさがある。
愛の甘さ、せつなさ、人間社会にある差別などの辛さ哀しさ愚かしさ、それでも生きていく逞しさ。21世紀の私たちに相通じている。シェイクスピアの脚本の奥深さにも唸るが、この味わい深い演出に感動!!まさにグレゴリー・ドーラン賛である。

そのグレゴリー・ドーランに蜷川「タイタス・アンドロニカス」イギリス公演の時の夜のパブで出会った大川浩樹。せむしで3枚目の役のランスロット・ゴボー役に大抜擢。私は市村正親リチャード三世の時のケイツビーから注目の人だが、抜擢に十分応えている。頭の左右にカーニヴァルの天使と悪魔の仮面をつけての「ジキル&ハイド」のような独白の長台詞の場面もたっぷりと見せてくれた。知恵は足りないが逞しく生き、黒人召使女を孕ませたりもする。ここにも差別がさりげなくみせられるが、こんなことは今もどこにでもあるよなぁと受けとめる。

さて男からも女からも惚れられる若くて魅力的なバッサーニオの藤原竜也。まぁそうでしょうねぇと思う。さらにモロッコ大公や老人の求婚者役では思いっきりコメディ芝居をはじけていた。藤原竜也は先輩役者に囲まれて成長していっているようだ。
東京千穐楽のカテコは楽しかった。楽隊が音楽を鳴らすとキャストが身体を動かし、市村正親はテヴィエの手を挙げた振りで踊り出してしまった。ご挨拶も市村、藤原のお二人。「兵庫・大阪公演も頑張るのでよろしく」というようなことだったと思う。
しかし、今回はなんといっても西岡アントーニオのせつなさにやられて胸キュン状態の私であった。さらに反芻するとアントーニオとシャイロックの共通性が見えてきた。いずれも愛する者を失った辛さを噛み締めて生きていかねばならないのだ。その二役を西岡徳馬と市村正親がやっていたんだなぁと思い返す。

さらにさらにキャストをよく思い返すと蜷川シェイクスピアで活躍した顔ぶれがズラズラ並んでいることも思い当たる。RSCの演出家も蜷川幸雄も現代に突きつけてシェイクスピアを上演し、それを体現する素晴らしい役者の面々。チケット代高かったけれど、こんなに堪能できたんだから御の字だったことを噛み締める。

10/7追記
当初、初めて観た「ヴェニスの商人」を劇団四季と書いていたが、その前に観た“子供のためのシェイクスピア”シリーズのプログラムを本日発見。この時の印象が同じシリーズの他の舞台と紛れていたようだ。お詫びして訂正するm(_ _)m