Piano Music Japan

シューベルトピアノ曲がメインのブログ(のはず)。ピアニスト=佐伯周子 演奏会の紹介や、数々のシューベルト他の演奏会紹介等

信用できる評論家の資格は? 2(No.1970)

2012-01-07 19:05:51 | 批評の批評

信用できる評論家の資格は?


 本日も「私高本自身」の批評について「批評の批評」を語る。昨年「最もきちんと批評が書けた公演」の1つの

2011.11.24 オペラくご「ドン・ジョヴァンニ」批評


について述べる。リンク貼っておいたので、まだ読んでいなくて興味ある方はご覧下さい。


 ご招待頂いた公演なので、事前に「できる範囲」で準備をする。昨日号で述べたように「オペラDVD」を観る趣味は無いので、CDを探す。幸い ベーム指揮盤があった!(購入しないで済むので乏しい懐が痛まないで済んだ。)特にこだわりの無いオペラは1つ納得できるCDが手持ちになればその後は(懐が寂しいので)買い足さないのが「オレ流」である(爆

オペラくごの「チラシ」を読むと「レシタティーヴォは省略する」と記載


がある。

モーツァルト自身が「レシタティーヴォ採用オペラ」と「レシタティーヴォ【不】採用オペラ」で終生迷っていた事実


を真っ先に思い出した。「ドン・ジョヴァンニ」はレシタティーヴォあるが、その後作曲した「魔笛」は無いからなあ。時代が下って

ロッシーニがまだ生きていた時の「セビリアの理髪師」公演についてフォルテピアノ(だかチェンバロだか)が「うるさい」の記述あり


を思い出す。私高本も演奏によっては「チェンバロうるさいなぁ!」と感じたモーツァルトオペラ経験あり。チェンバロは音量が ヤマハ や スタインウェイ のコンサートグランドピアノのようにバカでかいワケでは無い(爆

チェンバロやピアノは「平均律」でしか調律できないので、弦楽器と『絶対に』純正和音が『合わない』ことが耳障り


なのだ。「ピアノ大好き人間 = 私高本」が聴いてさえも、モーツァルトオペラでは不快に感じることがある。チェンバロ奏者以外の多くの人が感じていることと推定する。(チェンバロ奏者は仕事を失うから感じるワケないわな)

 この「調律」と言うのは、(聴衆の皆様が思っているよりも)デリケートな問題で、「純正調」と「平均律」では全く「聴いたら誰でも違いが解る」ほどの差がある。「それなら、チェンバロ(ピアノ)を純正調に調律すればいいじゃん」とお気楽に考える方も多いが、それは全くの誤り。

モーツァルト「ドン・ジョヴァンニ」は『ニ短調が基本調性』だが遠隔調にも転調する瞬間があり、「純正調調律したチェンバロ」では聴くに耐えない


に陥るからだ。CDセッション録音などでは、「部分録音」を重ねて、その度に調律し直すことも可能。(した録音があるかどうかは興味無いので調査したことありません><)


 私高本は猫頭なので、字幕無しで大丈夫な「モーツァルトオペラ」は、「後宮からの誘拐」「フィガロの結婚」「ドン・ジョヴァンニ」「コジ・ファン・トゥッテ」「魔笛」の5作品のみ。「皇帝ティートの慈悲」でさえ字幕無しでは全く「ワケわからん」状態。シューベルトオペラでさえ、字幕無しで理解できる可能性を秘めている(実際に観たこと無いからわからん)のは「アルフォンソとエレストレッラ」「フィエラブラス」の2作品だけ。必死になって「英語字幕」で何度も繰り返し観たからだ。(う~ん、DVDはやっぱ「効果大」だわ!)独語が理解できているワケではない(泣


 ・・・で、手持ちのベーム指揮盤を聴いた。バシバシ飛ばして聴いた。序曲も第2主題が終わった辺りで「次」。

勿論「レシタティーヴォ」は全部飛ばして聴いた


 モーツァルトオペラ聴くのに「レシタティーヴォ期待」の人なんているハズも無いし、まして

服部譲二 は「レシタティーヴォカット」明言しているじゃないか!


 「曲の進行」を確認する。確認できれば次に飛ばす。何をしたか? と問われれば「曲順の確認」である。交響曲ではほぼ皆無なのだが、オペラでは、演出次第で「曲順が入れ替えされる」は日常茶飯事。何せ、前2回の「オペラくご」は聴いていないので、服部譲二 が「どのようなモーツァルトオペラ観」を持っているかは全く見当が付かない。多くのヒョーロンカならば、ここらで「GP見学の申し入れ」をするのだが、私高本は「本番公演の感銘度最優先」で申し入れはしない。(痩せ我慢かも知れないが)

 気になる箇所(脇役の箇所中心)をCDと楽譜で確認して演奏会場に足を運ぶ。本番が開幕した!


オケの「編成」を「序曲」で数える



 アホみたいに思えるかも知れないが最重要なこと! 「東京アンサンブル」のオリジナル編成は小さいからだ。「5型」だった。これだと「弦楽器は核メンバーだけ」と推察。次いで

古今亭志ん輔の「話芸」を「レシタティーヴォの代替」として注目する。「オペラくご」の「売り」だし


 都響の「売られた花嫁」公演でスカなトークを聴かせやがった大馬鹿アナウンサーとは違い、

古今亭志ん輔 は「オペラ全体」を理解した上で『モーツァルトのオペラの雰囲気』を壊さないように「江戸っ子口調」で語ってくれた


ことが印象深い。

おそらく、服部譲二の解釈が骨格から爪や髪の毛の先々まで行き届いているから


だ。いやー、私高本には「これは無理」です、はっきり。
 歌手陣も良い。「お隣の駅 = 初台」の新国立劇場の「ドン・ジョヴァンニ」でも、ここまで「細やかな気配り」は無かった。少なくとも2回聴いた記憶があるのだが、3回だった鴨(涙

 演奏会前日は、「モーツァルトのニ短調」に浸るために、「ピアノ協奏曲 K466」(グルダ + アバド + ウィーン・フィル)「弦楽四重奏曲 K421」(アマデウスSQのモノラル盤)を聴いた。直前にはオペラの場合、聴くことは少ない。(所持しているCDが少ないので別録音を聴くことが出来ない、が原因と思われる)


 ・・・てな「工程」を経て、上記批評を「深夜から明け方」まで(おそらく焼酎呑みながら)「きょほほほほほ」などの奇声を挙げながら書いたハズである。「近所には住んで欲しく無い人」だよな(爆

(続きはまだあるよ、自分の「批評の批評」だけで終わらせるワケないだろが(爆)

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