Piano Music Japan

シューベルトピアノ曲がメインのブログ(のはず)。ピアニスト=佐伯周子 演奏会の紹介や、数々のシューベルト他の演奏会紹介等

ピアニスト 鈴木弘尚 その1(No.1576)

2008-08-05 20:43:40 | ピアニスト・ブレンデル&グールド
 私高本が「避けて通れない道」がいくつかある。その「1本の道」について本日号で書く。この大ピアニストを批評すること無しは「批評家高本秀行」は存在しない。このピアニストとの(わずか数週間であった)最初の出会いが私高本を「音楽評論家」への道を志望させた。そして、それまでの「36年間の人生観を全部ひっくり返してくれた」大恩人である。「音楽評論家 = 私高本」はこれまでに評価されて来てはいないが(爆
今後認められることがあるならば、その起爆剤となったのは(岡原慎也でも、川上敦子でも、佐伯周子でもない)鈴木弘尚である。1995年の秋、相当寒かった記憶があるが、単に私高本の体調が悪くて寒かっただけかも知れない。しかし、この瞬間を境に「日本国際音楽コンクール」は消えてなくなってしまったのである。 それまで支援して下さっていた企業 = KDD とか 東京新聞 が経営基盤に何かしら問題が発生したのだろう。私高本の近所では「電話交換手の家庭がリストラされた」ってな会話があった記憶がある。


 鈴木弘尚を知ったのは「最終回日本国際音楽コンクール = 1995年」である。1次予選から卓越した技巧を聴かせ続けてくれ、最高の演奏をしたにも関わらず、本選に進めず落ちた。


 当時の資料を振り返って見よう。

  1. 高円宮憲仁親王
  2. 河野洋平外務大臣
  3. 遠山敦子文化庁長官(← 今年の『新国立劇場芸術監督』クビのすげ替えで超有名になっている新国立劇場理事長!)
  4. 青島幸男東京都知事
  5. 江戸英雄第6回日本国際音楽コンクール会長
  6. 金平輝子東京都歴史文化財団理事長
  7. 市原博KDD社長
  8. 安川加寿子第6回日本国際音楽コンクール運営委員長

の名前(とお言葉)が掲載されている。今も(疑惑を抱えて紛争しながら)全力で走っている人もいれば、既に鬼籍に入った方もいらっしゃる。
 この皆様のおかげで、実行されたコンクールである。


 この当時の私高本は「音楽評論家になるんだ!」の意識が(過剰に?)高く、ピアノ部門の全演奏を聴いた。どんなに夜遅くなろうとも「審査結果発表の瞬間」も立ち会った。(今では無理だ。体が持たない。頑張り過ぎると、死ぬ可能性80%かも)


 1次から素晴らしかった鈴木弘尚は、(第3次まで全て素晴らしかったのに)第3次で落ちた。私高本は「音楽コンクールは、音楽を聴くだけで審査されるのでは無い」事実をその瞬間に知る。「音楽の友」と「音楽現代」に(当時の青臭い)渾身のFAXを送り、その後「音楽現代」にて評論家として登用される。カネにならないことも実感できたが(爆
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