Piano Music Japan

シューベルトピアノ曲がメインのブログ(のはず)。ピアニスト=佐伯周子 演奏会の紹介や、数々のシューベルト他の演奏会紹介等

NHK交響楽団第1994回定期公演2023.10.26批評(No.2771)

2023-10-26 23:56:39 | 批評

ブロムシュテットにあって、尾高忠明にない"subito"


  「ブロムシュテットのブラームス」も聴きたくて、今回からN響B定期年間会員になった私高本。去年の「ブロムシュテットのシューベルト」が素晴らしかったからである。
 ブラームスは、「シューベルト交響曲第6番以前の全6曲を世界初出版した ブライトコプフ旧シューベルト全集交響曲1888年版の校訂者」である。ブラームス交響曲第3番作曲後のことであるが、作曲時もシューベルト「未完成」「グレート」には大きな影響を受けており、ベートーヴェン、シューマンと並ぶ偉大な先達だったのである。
 「ブロムシュテットのブラームスが聴きたい」でチケットを購入した私高本。指揮者がN響正指揮者=尾高忠明 に変更になっても「チケット売ります」はしなかった。聴いた。

「ブロムシュテットのブラームス像」とは全く異なる「尾高忠明のブラームス像」


  尾高忠明は、ブラームス交響曲第3番で「必ず音が滑らかに聴こえるを最優先」する。具体的に言えば

尾高忠明は "subito" を絶対にしない。必ず、クレッシェンド or デクレッシェンド する


  これは「音楽を滑らか」にするのがメリット。だが、デメリットは無いのか? ある。

隣り合う「ソナタ楽章の第1主題と第2主題の対比」やスケルツォ楽章の「主部とトリオの対比」が不明瞭になる


である。
極めて不明瞭であった > 尾高忠明のブラームス。

第2楽章と第3楽章を アタッカ で演奏したのも、「不明瞭感」を増加させた。この日は収録無しだが初日公演はいずれ放映されるので、読者の皆様はご自身の耳と眼でご確認下さい。

尾高忠明 は、"subito forte" を前半のベートーヴェンピアノ協奏曲第5番「皇帝」では十全に振っていた。ピアニスト=アンスネス のピアノに合わせたのである。「ブラームス交響曲の滑らかさ=尾高忠明の解釈」である。

 尚、小室敬幸の曲目解説は「ソナタ形式」を全く理解していない極めて低迷な文章であり、ベートーヴェン「皇帝」はモーツァルトのピアノ協奏曲を模範とした典型的なピアノ協奏曲が理解出来ないバカ頭なので、2度と読みたくない。アンスネス + 尾高忠明 + N響 の名演を打ち消す印象を残す。こんなバカを起用しないで欲しい。
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