Piano Music Japan

シューベルトピアノ曲がメインのブログ(のはず)。ピアニスト=佐伯周子 演奏会の紹介や、数々のシューベルト他の演奏会紹介等

傲慢なカラヤンのカラスへの態度(No.2696)

2023-05-24 11:33:43 | 1949-1957のマリア・カラスの全て
カラスとカラヤンは、1954年「ルチア」初共演後、翌1955年は下記の通り共演した。

1955.07.28 - 08.06 プッチーニ「蝶々夫人」ミラノ・スカラ座 録音
1955.09.29 - 10.02 ドニゼッティ「ルチア」ミラノ・スカラ座ベルリン引越公演 2公演

「蝶々夫人」は評判を取らず、どこの歌劇場からも引きが無かった。
「ルチア」ベルリン公演は、凄まじい録音割れを産んだことは、1955年ライブ録音「カラヤン指揮ルチア」スカラ座ベルリン公演(No.1872) - Piano Music Japan 記載通り。「オペラ歌手気質」が全く理解出来ていなかったバカなカラヤン。だがめげない。翌年

1956.06.12 - 06.16 ドニゼッティ「ルチア」ウィーン国立歌劇場にてミラノスカラ座引越公演 7公演 5日で7公演=土日昼夜2公演


を実現。尚、オーストリア放送局ORFは、「ミラノスカラ座がウィーン国立歌劇場に引越公演」なのに録音放送しなかった。前年のベルリン公演の放送を知っていたからであるw
直後に

カラヤン ウィーン国立歌劇場常任指揮者就任


となった。「カラスをウィーン国立歌劇場に招聘」のおかげである。

「帝王カラヤン」呼称はウィーン国立歌劇場常任指揮者就任以降




就任前にEMIと契約を結んでいた

1956.08.01 - 08.09 ヴェルディ「イル・トロヴァトーレ」ミラノ・スカラ座 録音
となった。この時だろう、カラヤンからメネギーニに「カラス1957年6月ウィーン国立歌劇場ヴェルディ:椿姫 出演打診」が来た。既に「ウィーン国立歌劇場次期シーズン発表後であり、カラス=椿姫告知済み」であった。2月前に、5日で7公演=土日昼夜2公演であり、ニューヨークのブロードウェイミュージカル並みの酷使である。カラスが愚痴をメネギーニに言ったのは当たり前。メネギーニは「ギャラを上げて欲しい」とカラヤンに回答した。


それっきり連絡は無かった。
1956年ウィーン国立歌劇場シーズンが9月に始まってしまった。既に告知していた1957年「椿姫」カラス出演キャンセル、連絡無く。
1年経過
1957年ウィーン国立歌劇場シーズンが9月に始まってしまった。告知にカラス出演無く=連絡無く。

カラヤンがウィーン国立歌劇場常任指揮者である限り、カラスがウィーン国立歌劇場登場は有り得ない


カラスはウィーン国立歌劇場で歌ったが、ウィーン国立歌劇場管弦楽団とは共演せず、ウィーン国立歌劇場合唱団と共演せず、である。
ミラノスカラ座は「カラスでシーズンオープニング」を1956年12月7日も1957年12月7日も実行したが、カラスの心は晴れなかった。
そして、カラスは「運命の1958年1月2日ローマ」を迎えてしまった(泣
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