Piano Music Japan

シューベルトピアノ曲がメインのブログ(のはず)。ピアニスト=佐伯周子 演奏会の紹介や、数々のシューベルト他の演奏会紹介等

1955年ライブ録音「カラヤン指揮ルチア」スカラ座ベルリン公演(No.1872)

2011-06-06 20:20:01 | 1949-1957のマリア・カラスの全て
狂気のシリーズ「1949-1957のマリア・カラスの全て」の第2回。遅れていたCDも届き、必要な音源は全て聴いた。「ルチア」「ノルマ」「椿姫」は怒濤の勢いで書けるかも。

ワーグナー発言「ドニゼッティのオケ=大きなギター」を実現してしまった「カラヤン指揮&演出」の「ルチア」


 「カラヤンは大指揮者である」と大概の人は思っている。私高本もこれまでは思っていた。「カラスのルチア」を聴くまでは(爆
辛口評論家=永竹由幸 でさえ、基本的には誉めているから、購入して聴いて見た。聴いて愕然、「こんなに歌いにくそうなマリア・カラスは、1949-1957 でこれだけ」である(藁

1955年スカラ座ベルリン引っ越し公演:カラヤン指揮&演出 + マリア・カラス主演 の ドニゼッティ ルチア


は「一大イベント」であったが、謎の多い公演でもあった。特に「ワケがワカラン」ことが、「スカラ座の合唱団員は連れて行ったのに、オケはベルリンRIAS管弦楽団を起用」したことである。ワーグナーの楽劇演奏するワケではないので、12型程度を連れて行けばいいだけ。(チェロとかコントラバスを別にして)特に飛行機や列車で「別料金」取られるような楽器もないんだよなあ > ワーグナーがバカにした程度のオーケストレーションだし(爆


 カラヤンは EMI初録音セラフィン指揮「ルチア」フィレンツェ歌劇場1953年盤を聴いて、カラスとの共演を熱望した。「ミラノ・スカラ座でカラスの初上演時に。カラヤン自身の演出で!」と。
 当時カラヤンは「ミラノ・スカラ座のドイツ物担当指揮者」だった。1本くらいはいいか、と思ったのだろう、翌1954年1月に早々に実現した。今度は「ベルリンにミラノ・スカラ座ごと持って行ってお披露目する!」と言って連れて行った > オケを残して(爆


 録音を聴いて見た。

  1. マルチマイク録音(8本か16本か32本かはわからなかった!)


  2. マリア・カラス の「フォルティッシモ」で音が割れている


  3. リミッターは不使用


  4. 「モノラル時代のライブ」としては「分離が信じられないほど良い」が「不自然な音」である



 「マリア・カラスのルチア」は腐るほど録音が残っているが「カラヤン指揮」が最もスカ。さらに言えば、共演の男声陣も「声が固くなる」が実情。どんな棒でどんな演出だったのだろうか? 「音が割れた」原因は間違いなく「ゲネプロで音量設定して、リミッター掛けなかった」が原因だろう。そのおかげで「伸びやかな声」が聴けるのではあるが、アリアのあちこちでガンガン、マリア・カラス の声が割れまくっているのは「良い録音」なのか? 私高本の耳には「スカ録音」にしか聞こえない。「マリア・カラスのアリア」が割れていれば、全く価値無いだろう。2000円弱損した気分だ(泣

「ドニゼッティのオペラ」は、ソプラノやテナーのソロに身を委ねて、伴奏を付ける、が基本中の基本


である。カラヤンはこれを破ったのである(爆
 「オレ様が振れば、ドニゼッティ でさえ、 後期ヴェルディ か プッチーニ みたいになる!」

 ・・・と信じて、テンポを遅くして、(カラスだけでなく、全員の歌手ソリストを)歌い難くして、歌唱水準を落とした上に、ゲネプロでの小声の歌唱に合わせて「マイクレベル」して「本番の音量拾えない」演奏を記録したのね(爆

カラヤンの指揮では「大きなギター」にしかならなかったドニゼッティ「ルチア」の壮大な記録


がここにある。「ワーグナーのドニゼッティ観」を舞台で再現したのである! アホだね


カラヤンは演出で何を表現しかったのか?


  カラヤンは「自己顕示欲が極めて強い」ことは有名。死ぬまでオペラ演出を続けようとしていたが、評判になった作品は1つもない。当たり前か?(爆
 「カラヤンのオペラ演出の歴史」はよくワカラン。それほど「カラヤンのオペラ」に興味が湧かないから。「ルチア聴いたら2つ目聴く気が失せた」だから。しかし、気を取り直して、カラスの「蝶々夫人」と「イル・トロヴァトーレ」は聴いて批評書くから安心して下さい。
 「ルチアの演出」って、あまりにも評価高いモノがあるのだろうか? 第3幕「狂乱の場」でルチアが狂いまくって、2回の3点Es延々と伸ばせたら、場内がブラヴォーの嵐になって。演出は誰も覚えていない、のが普通。特に悪い演出に私高本は当たった記憶が無い。「ダンボールのフィガロ」とかで、場内騒然「ブーイングの嵐」の経験はあるが。

 つまり「普通に演出したら、ルチアだけがブラヴォーの嵐」になる「プリマドンナオペラの典型」なのだ。高い声に自信が無いと回避したりする。すると場内は「しょぼーん」。お通夜のようになる。私高本は「3点Es狙ったが落として、ブーイングの嵐」には出会ったことは無い。自信が無いソプラノは役を受けないからなあ。
 演出家は、ルチアが最大に『受ける』ためだけに演出する。予算が無いと第3幕「狂乱の場」以外は信じられない安普請を見せられることもある。ほとんど全部「布製」なんてのもあったが、ルチア役が3点Esを決めてくれたので、場内は「ブラヴォーの嵐」だったこともある。

主役を強引に「ルチア → 指揮者」に変更する為「狂乱の場」の1回目の3点Esをオクターブ下げさせるためだけのカラヤンのクソ演出


  1953年のセラフィン指揮「カラスのルチア」EMI初録音盤を研究したカラヤンは考えた。「狂乱の場」は全体が有機的に繋がっていて、途中で「ブラヴォーの嵐」が来てはならない。そう、チャイコフスキー交響曲第6番「悲愴」第3楽章の後に拍手が来てはいけない、のと同等に考えたのである、マジで。実演では大概の指揮者は「悲愴」を振る時には

  1. 左手を背中に廻して「聴衆に手の平を見せて」拍手を制御する
  2. アタッカで第4楽章に突入する

のどちらかを行う。
 チャイコフスキー交響曲第6番「悲愴」では説得力ある手法を、ドニゼッティ「ルチア」に応用したのがカラヤンの演出。

カラヤン演出「ルチア」第3幕「狂乱の場」の工夫一覧



  1. (フルートとの掛け合いになる)カデンツァの最後の3点Es を「楽譜通り」2点Es に落とさせる


  2. 直前の2点B でトリルを禁ずる


  3. アタッカで後半部に入り、「聴衆の拍手(&ブラヴォー)」を禁止する



 『演出家カラヤン』の狙いは見事に成功し、それは静かな静かな「聴衆の反応」が待っていた。「新国立劇場で同じ演出」したら『演出家登場と同時にブーイングの嵐確実』である。あぁ、ベルリンでもあったかも。「カラヤン登壇」まで、拍手が残って録音されてないからわからん(爆


 ここで改めて記述しておかなければならないことがある。

ミラノ・スカラ座が「セッション録音」する時はオケは舞台上、「ライブ録音」する時はピットの中


である。
 東京でわかり易く説明すれば、東フィルが「定期」で演奏する時は「ステージ上」、新国立劇場オペラで上演する時は「ピット」である。音響は全く違う。どちらが好みかは聴く人次第。私高本は「オペラならばピット」が好み。この辺りは人に拠る。「ピットだとゴモゴモ」しているし、「ステージだとバランスがオケ寄り過ぎる」傾向にある。
 ・・・で、ミラノ・スカラ座であるが、普通に考えて「ライブ録音」は放送局などに許しても「ピットの中にマイクをツッ込んでのマルチマイク録音は許さない」だったと思う。理由は「1957年までのマリア・カラス録音に1本も無いから」だ。おそらく「西ベルリンのオペラハウス」も同じだったろう。だからこそ、極めて不自然な「放送オケがピットに入ってのミラノ・スカラ座引っ越し公演」になった、と私高本は推察する。わずか2年後の1957年の「ミラノ・スカラ座ケルン引っ越し公演」ではオケも連れて行っているではないか! 2年でそんなに西ドイツの経済状況が良くなったのか?(爆

 ちなみに1955年のカラスは、「絶頂期」と評する人が多い。直前のライブ録音が 1955.06.29 セラフィン指揮「ノルマ」、直後のライブ録音が 1955.12.07 ヴォットー指揮「ノルマ」ミラノ・スカラ座シーズンオープニング初日。どちらもカラスの声は万全。カラヤンが足を引っ張ったことは歴然だ!
 ちなみに、「カラスとカラヤンの顔合わせは以下の5回

  1. 1954.01.18 - 02.07 ドニゼッティ「ルチア」ミラノ・スカラ座 7公演
  2. 1955.07.28 - 08.06 プッチーニ「蝶々夫人」ミラノ・スカラ座 録音
  3. 1955.09.29 - 10.02 ドニゼッティ「ルチア」ミラノ・スカラ座ベルリン引越公演 2公演
  4. 1956.06.12 - 06.16 ドニゼッティ「ルチア」ウィーン国立歌劇場 7公演
  5. 1956.08.01 - 08.09 ヴェルディ「イル・トロヴァトーレ」ミラノ・スカラ座 録音

 見ておわかりのように、ルチア以外は舞台で共演していない。1957年6月にウィーン国立歌劇場「椿姫」公演が告知されたがキャンセルされた。カラヤンは、「マリア・カラスを利用してルチアで好き勝手した」が、「蝶々夫人」「イル・トロヴァトーレ」のどちらも共演しようとしなかった。カラスは、「蝶々夫人」はシカゴで1回上演しただけで他に録音は残っていない。「イル・トロヴァトーレ」は他にも録音あるよ(爆
 さて「ルチア」に戻ろう。結論。

「セラフィン と ヴォットー」の指揮 > 「カラヤン」の指揮


である。


カラス(s) ドニゼッティ「ルチア」ミラノ・スカラ座ベルリン引越公演 カラヤン指揮&演出 1955.09.29



  1. カラスの歌:☆☆☆


  2. 指揮者  :☆☆


  3. 共演者  :☆☆☆


  4. ライブ感 :☆☆☆☆


  5. 録音   :☆☆☆


  6. 歴史的意義:☆☆☆☆☆


  7. 舞台初演日&場所:1952.06.10 メキシコ


  8. スカラ舞台初演日:1954.01.18(カラヤン指揮&演出)




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