ぱたの関心空間

関心空間と徒然なるままに。

銀河鉄道の父 @ イオンシネマ久御山

2023-05-22 00:26:13 | 映画感想
宮澤賢治の父、政次郎の話。
なんだけど、妹のトシすげぇ、って話でもある。
そして、当の賢治はバカ息子(をい!)。

数十年前。
高校受験の時に面接があった。面接の想定問答でよくある「尊敬する人物」に宮澤賢治と答えようとするのは、賢治の話が好きな盛岡在住の中学生ならまぁフツーの事でしょう?
そこでマジメな中学生パタくん、作品が好きなだけではなくその人となりも好きになって高校受験に備えようと考え、図書室で彼についての本を読んでみた。そこに書かれていたのは。。。。。
とても尊敬できるような人物ではなかった( i _ i )。

あぁ、フォローしておかなくちゃ。
まぁ、賢治はぶっちゃけ尊敬できるような人物とは言い難いのですよ。趣味にのめり込む。宗教にのめり込む。お金も無心してつぎ込む。
おまけに家業は継がない。親からすれば間違いなくバカ息子である。
でも一方で真面目に奔放で純粋で人間臭い。
尊敬できる人物ではないけれど嫌いにはなれない、いやむしろ好感が持てるし、ある意味羨ましくもある。

さて、映画。



そんなわけで、宮澤賢治作品が好きな儂ではあるけれど、父との関係についてさして考えたことはなかった。だから、父親を主人公にこんな映画ができるというのはちょっと意外でもある。まぁ、でも賢治の放蕩息子っぷりから考えればこういう父親像もわからないではない。
そして何より、父が主人公ではあるけれど、宮澤賢治の人物像をわかりやすく示してくれる映画でもある。

ストーリーの中で政次郎は子供を二人失くす。トシと賢治。
逆縁だ。
親にとって、自分の子を先に見送るということがどれだけ辛いことか。自分自身が子を持つ親として想像に難くない、と言いたいところだけれど、想像を超える苦しみを予期し、その前で足踏みしている感覚でいるというのが正直なところ。その苦しみを想像するだけで気が狂いそうな気がするほどなのだ。

そしてここの描き方。
トシの時には誰もが頭の中で永訣の朝を感じる。
「曲がった鉄砲玉」のように「あめゆじゅ」をひと椀掬う賢治。
そして、賢治の時には雨ニモマケズをそらんじてみせる政次郎。
胸に迫る。

賢治の創作の全てがトシにあったのではないか?と思わせるような作りだけど(実際のところはどうなのかわからないけれど、まぁ賢治はシスコンという話もあるし)、葬儀の時に葬列から離れていて荼毘に付す時には太鼓を打ち鳴らしながら南無妙法蓮華経と大声で唱える賢治とか。
トシへの想いと同時に、宗教の狭間で感じるジレンマと、世間体への気遣いとかそれができない不器用さと、それを抑える選択肢を持てない正直さと。そしてそれを飲み込む政次郎と。

ただ、タイトルにもあらわれているように、父の話だからか母の存在が薄いのが気になる。
何か自ら主張をしたのは、最後に体を吹くときだけか?
まぁ、時代、と言えばそれまでなのだろうけれど。

菅田将暉が演じる宮澤賢治はなんというか、そういうダメだけどにくめない賢治というのをとにかく好演している気がするな。
彼のことを最初に見たのは「ちゃんぽん食べたか」だと思うんだけど、毎回違う俳優さんかと思ってしまう。

最後のシーン。
賢治とトシがジョバンニとカンパネルラか?
それとも政次郎を含めて沈没した船に乗っていた3人か?
でも、明るく和む感じはなんだろうね。
悲しいけれど、その悲しみさえも包括した先にある「ほんたうのさいはひ」か?
こたえはもちろん出ないのだろうけれど。

この映画でだってそこまで描けているわけではないけれど、賢治の中にある(と儂は思っている)広大な宇宙に、今でも儂は惹かれるのだ。

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