ぱたの関心空間

関心空間と徒然なるままに。

すずめの戸締り @ T・ジョイ京都

2022-11-11 09:49:17 | 映画感想


実は期待した感じではなかった(悪かったという意味ではないので、念の為)ので、感想を上げるのはやめよう、と観た直後は思っていた。
の、だけれど、思い直した。

思い直した理由は、東日本大震災がモチーフにあったからだな、やっぱり。
(なので、自分の中で作品に対しての特に深い考察とかは実はできておりません。悪しからず。え?いつもできてない?あ、これは大変失礼しましたf^_^;)

考えてみれば、新海誠さんはここのところの三作で続けて災害を描いている。
「君の名は」では隕石の衝突だったし、「天気の子」では洪水?だった。
ただそれは、それ自体がテーマというよりは物語の装置として使われているという感じ?

でも、今回は違う。
東日本大震災を直接経験し、親を亡くしその傷を負ったまま成長したすずめが主人公であり、
物語の中核をなす禍々しいミミズそのものが日本を襲う災厄の元凶であり、ひたすらそれを閉じ込めるという話。
前の2作がラブストーリー色が強かったのに対して、(いや今回だって一応ラブストーリーだけどさ)災厄を封じ込める、という大きなテーマが中心にあったなと。

儂に思い直させたシーンは、すずめが見る荒廃した常世。
単に荒廃しているのではない、建物の上に船が乗っていたりするのをみればわかるように、あれは明らかたに津波の跡だ。
そのリアルさは被災した人たちのトラウマを呼び起こすのではないか、と心配してしまうほど。

でも、すずめの心に残っていた傷をリアルに表現したとは言えるのだろう。
これは、すずめの心の傷を癒す物語でもあるのだろう。

地震の話をするのに、要石とはまたどストレートなものを持ってきた。
まぁ、それは良い。
ダイジンの気まぐれさも、神の所業としてわからなくはない。
まぁ、それも良い。
閉じ師の位置付けがようわからんが、まぁ、それはそれで良い。

物語としては面白いと思う。

でも、現実的に科学的に考えてしまう。
(ここからツマラナイ話です、すいません)

現実の地震はミミズの所業ではないよね、後ろ戸が開いたから、ではないよね。

仮にミミズを抑えて地震も抑えているのだとしたら、そのミミズとは地殻に溜め込まれたプレートの歪みの事であろう。
そのミミズは抑えれば抑えるほど(適度なガス抜きをしなければ)どんどんエネルギーを増大させる事になる。
ミミズを閉じ込めるというのは次の地震をより巨大なものにしてしまう、という危険性を孕んだ行為のように思ってしまったのだけどそれでいいのだろうか?
。。。野暮な勘ぐりですかね。

さて、
儂が気になったのは東京で東の要石が外れた時の東京に住まう人たちの描写だ。
当然だけど、誰もミミズの存在に気づかない。
それは、地震の危険性が日々近づいているのに、それへの警戒を蔑ろにしてしまっている(地震への備えには個人差があります)儂らの無防備さを殊更強調しているように感じたのだ。

もちろん、いつ来るかわからない地震に対して四六時中警戒して、険しい顔つきでいるなんてできっこないし、それはそれでおかしな話である。
でも、事が起これば人は後からいつでも思うのだと。その前日に、その日の朝に、いやその直前までその当たり前が崩れ去る事など全く想像できなかった事への苦々しさを。

終盤近くで、おそらく2011年の3月11日の朝に交わされたであろう(そして、二度と交わされることがなかったであろう)たくさんの人たちの他愛もない「行ってきます」「行ってらっしゃい」の会話。
なかなかに辛いシーンだったけど、その当たり前で気にもとめないワンシーンが実は当たり前ではなくってとてつもなく大切な瞬間であったことを、儂らは何度も何度も繰り返し思い出したいのだ。
それはまた、今この瞬間のことでもあるかもしれないのだから。

ミミズを封じる事とは関係ない(と思うのだ)けれど、戸締りをするときにその場所にかつていた人々の言葉を聞いているよね。残留思念なのかな。
あれもやはり大事な事なのだろうと思う。
思い出の場所なのに、廃墟となったそれと共に思い出もだいたい忘れ去られていく。
忘れることも確かに必要なことではあるのだけれど。

でも、何かの拍子に思い出すことだってできるのだ。


一番大事な事は
「儂らは忘れっぽい」
って事である。
しかも、とてつもなく忘れっぽいのだ。

いきなり何を言い出すやら。

でも、本気で言っている。

儂らはあの11年前に震撼したあの瞬間の事を
人によっては27年前の阪神淡路神戸の惨状を
もしくは新潟や熊本、北海道、いや日本全国でかつて起きた地震の事を
あの時の感覚や考えた事を、ともすれば綺麗さっぱり忘れて日常を過ごしている。

違うで。
それがアカンとは儂は思っちょらん。
「忘れっぽい」って事を認めよう、と言っているのだ。
「忘れっぽい」から、あの感覚を「思い出そう」、と言いたいのだ。

だから、この映画を観る価値がある、と思うのだ。

この国は災害頻発国。殊に地震。
この国の地下には蠢くミミズが存在する。
いつ、そいつが災厄を引き起こすかはわからないのだ、儂らはあまりにのほほんとしすぎていて、それに気づく事はできない。
でも、いつかまたそいつが暴れる日が来る。

「たくさん人が死ぬよ」ダイジンに無邪気に言われて、腹が立たないかい?
できるだけたくさんの人を死なせないためにも、儂らは何度でも思い出そう。

要石は頼りになるかもしれないけれど、要石はひょっとすると気まぐれな猫かもしれないのだ。
神頼みには限界がある。
っつーか、神頼みはそんなに当てにならないって、毎年初詣に行くみんなだったら経験的に知っているだろ!?
(いやー、流石に罰当たりな発言だな。。。苦笑)

儂らが儂ら自身の為に。
忘れて、また思い出す。
何度でも。



<追記>
映画館で渡された↑コレ。
今読んだら、ちゃんと「震災で母を亡くしたヒロインの成長物語」とか書いてあるし、三つの柱とか書いてあるのも儂の見方と合致してた。
なんだよ、儂、ちゃんと映画のメッセージを受け止められてるんじゃん。よかったよかった。