ぱたの関心空間

関心空間と徒然なるままに。

「阿武隈共和国独立宣言」(村雲司)

2014-06-25 14:35:05 | 読後感想など
最後はファンタジーになってしまって小説としては物足りなさを感じるけれど、考えさせられる事だらけ。一つのブレイクスルーの形のアイディアとして考えるのはあってもいい。実現は難しいとしても、日本人に突きつけられているものはそれだけ切羽詰まった物だ。

自分たちの生存と未来を守るために、「国」を棄てる、という発想は、今の日本ではかなりリアルな感覚だと思う。しかし、その為に自らは滅びの道を選ぶというのはなんとも悲しすぎる。でも、それ以上の解はやはり無いのだろうか?

そして、国のありよう。安全保障についてリアルに考える。本作中では否定的だけど、阿武隈共和国の安全保障策はありなんじゃないだろうか?無主物なんだし(笑)。

使わずに済むのであればちょっとしたブラックジョークで済む。が、ちょっとでも共和国に害をなさんとすればたちまち牙を剥く。でもその種を振りまいたのは他ならぬ日本国。なんという皮肉。おどけながらも相手に途轍もない抑止力を発揮する。虐げられた者に許される最高の安全保障。

そうだ、井上ひさしの吉里吉里人でも、この点で最終的にしくじったんだっけな。あれは金の隠し場所だったな。ここを考えると明らかになる国家の本質的な怖さ。

そんなに単純じゃないことは承知で言うが、究極的な民主主義の帰結は独立にあるのかもしれない。今、儂ら必要な事は「故郷の山河を棄てろと国が強要するなら、国を棄ててもいい(長老)」という覚悟なのかもしれない。

ヤバイな。危険思想だな(^^)。

『遺言』原発さえなければ@京都シネマ

2014-06-22 00:27:45 | 映画感想
フォトジャーナリスト豊田直巳さんと野田雅也さんによる、東電原発事故から2年余り、放射能によって著しく汚染された飯舘村の人々を中心に追いかけたドキュメンタリー。

もっと詳しい情報はHPに任せて(^^)。
ちょっと考えたことなど。

上映時間なんと225分!
昔見た園子温監督の「愛のむきだし」が237分だったから、儂が見た映画では2番目の長さです。
休憩も入るから4時間弱の長丁場。森達也さんは、「原発の映画でこの長時間で安いわけでもない、見に来るなって言っているようなものだよ」と宣ったとか(^^)。まぁ、ふつー怯むよなこの時間映画館の椅子に座ってて、って言われたら。

でもね、愛のむきだしの時もそうだったんだけど、長時間だという事には当然理由があるし、結論を言えば結局どっちの映画も時間の長さを感じさせなかった、っていうのは正直な感想ですよ。

儂のクダラナイ分析。

原発事故が起きてから三年。撮影期間で考えても二年。
数字で見ると大した時間じゃないように感じられる人もいるかもしれないけれど、あの事故の影響を蒙って故郷を追われた人たちにとってはどうだったかってことを想像してもらったら良いと思うんですよね。
映画自体が「第一章〜第五章」という構成になってだいたい時系列になっている内容を見てもらえばわかると思うけれど、事故が起こって、汚染されて、情報に翻弄され、無念のままに故郷を後にして、までいな暮らしを奪われて、みんなバラバラになり、ついに命を断つ人が出るまでに追い詰められ、それでも想いを繋ごうとする人たち。
2年という時間の中で起こった出来事を2時間に収める事は出来るにしても、時間とともに変化していく人々の気持ちを感じるにはとても足りない時間なんじゃなかろうか。いや、勿論4時間でも十分だとは思わないけれど、けれどもその時間の重みとともに気持ちの変化を感じられるかもしれない。

福島の人達に突きつけられた苦しみに少しでも近づく為の4時間。

もう一つの特徴はナレーションも音楽も無し。
淡々と福島の人達にカメラを向けて追いかける。ただそれだけ。
共同監督の豊田さんが長谷川健一のうちで飲みながら泣いちゃうシーンとか、フツー映画に入れちゃダメだろ、って思うんだけど、対する長谷川さんもグダグダだったり、素なんだよなー。

そこにあるのは飾らない、素の福島の人たちの姿。

それはね、決して特別な「被災者」じゃないんだ、っていう事でもある。
自分たちとなんらかわらない地続きの土地で、自分たちとなんらかわらないたくさんのおっちゃんおばちゃんにーちゃんねーちゃん子供たち。その人たちの身の上に起きている事は絶対的に人ごとではないんだよ、っていう事を感じてほしいなと思う。

映画のタイトルは「遺言」

自殺した酪農家の菅野さんが堆肥小屋にチョークで書き残したメッセージが頭に思い浮かぶけれど、それだけじゃないのかもしれない。
というか、それだけにしてしまったら勿体ないんじゃないのかな。

ラスト近くでは新しい農場を手に入れ酪農を再開しようという酪農家たちの姿がある。
人は希望がなくては生きていけない。この映画が最後に映し出すのは希望であり、それでもこれからも福島を生きていかなくちゃいけない私たちへの「遺言」なのかもしれないな、と思います。

今を生きるとは、過去を感じ、今を見据え、未来の希望の為に生きる事。

それが、この「遺言」であると。

ええ、まぁ、儂の取るに足らない解釈です。

近くで上映があれば是非
http://yuigon-fukushima.com/theater/

『遺言』原発さえなければ@京都シネマの画像

『遺言』原発さえなければ@京都シネマの画像



大野松雄音の世界@龍谷大学響都ホール

2014-06-01 23:57:00 | ライブレポ
えと。
三ヶ月前のお話です(汗)

αステーションでやっている大友良英さんの「JAM JAMラジオ」をきいている。Podcast版でだけど。

Podcast版だから音楽は聴けない。音楽が聞けない音楽番組というのもなかなかどうしたもんか、ってところだけど、特殊音楽紹介番組(違?)ということで、儂の知らない音楽の話が満載だし、大友さんが言うように気になったらネットで検索かけりゃぁ結構な確率でヒットするし、何より大友さんの話が面白い。

そんな番組で紹介されたのが、この大野松雄さんという人。
京都シネマで以前上映された「アトムの足音が聞こえる」という映画は、気になってはいたけど見逃してしまった映画の一つだ。その映画は彼を追いかけたドキュメンタリーだった。

大野松雄さんはアトムの足音を作った人であり、宇宙の音を創造した人なのです。
御歳83歳!

また、この企画自身は昨年開かれる予定でしたが、直前に大野さんが倒れてしまって1年越しの開催となった曰く付き。

たまたま日が空いて行けることになってしまった以上はいかない手はないと、いそいそとアバンティホール(なんと懐かしい!大学一回生の時に定期演奏会で行って以来だ!!!)へ出かけたわけです。

ところで、何を演るのか?

プログラムは音響作品と即興演奏とトーク。

まぁ、正直言って、私には未踏(聴)の世界でありました。
オープンリールに電子音、そしてターンテーブル。ピコピコのヒュー、フワンフワン。みたいな。
表現力ないな、儂は阿呆の子か。

まぁ、あたりまえの事とはいえ、リズムを打つ物のない音の変化の波。素直に音を楽しめれば良いのだろうけれど、どうのっていいの?みたいな戸惑いがね、あるわけですよこれが。なんだろうな、思うに音に乗って楽しむ事に慣れちゃってるのかもなー、だからどう楽しんだら良いのかがよくわからない。。。(苦笑)

大野さんが言うように、セッションすれば予想できない展開、そういうのを楽しむのはジャズと同じなのかな。

大口さんがピアノで入ってきたり大友さんがターンテーブルでセッションしたりすると、やっぱり音に色がついて、それはそれでちょっと読めない展開にちょっとわくわくするのなー。

しかし、大野さんのトークは、JAM JAMラジオでも聞いていたけれど、飄々としてそれでいてなんとも破天荒で面白い。
単純に楽しむという意味では、こちらの方を楽しむ比重の方が大きかったかな、いやもうめっちゃ失礼な話やな(苦笑)。
なんか演奏している間は、もうがんばって聞いてた感じ。なにがどの音なのか、なんの音なのか、どんなサウンドなのか。めっちゃ一生懸命やったもん(苦笑)。

そんなわけで、大野松雄さんの生々しい音の世界を間近に体感できた事は非常に貴重な経験であることだけは疑いないでしょうね、うんうん。

#ちゃんとCDも買ったし、お勉強(?)しないと

http://www.af-plan.com/oto/


大野松雄音の世界@龍谷大学響都ホールの画像

大野松雄音の世界@龍谷大学響都ホールの画像

大野松雄音の世界@龍谷大学響都ホールの画像