ぱたの関心空間

関心空間と徒然なるままに。

「ファルージャ 〜 イラク戦争 日本人人質事件…そして」@ T・ジョイ京都

2014-01-07 22:41:58 | 映画感想
2004年にあったイラクでの日本人人質事件で拘束された高遠菜穂子さんと今井紀明さんのその後と今を取材した映画。

まず、ワルクチを(^^)

題材が絞りきれていない感じがちょっとしました。
テーマにしたかったのは、彼らの10年なのか、あの事件の事なのか、現在のイラクの事だったのか、アメリカが引き起こしたイラク戦争の問題だったのか、それとも事件に関わった日本と日本人の責任の問題だったのか。

逆に言えば、絞りきっていないからこそ、そんないくつもの問題を一つの映画に盛り込めたとも言える。いや、ぶっちゃけ、ここに問題はそんだけてんこもりなのだ。しかも、ほとんどの日本人が忘れかけている大事な問題が。

イラク人質事件と言えばやっぱりその後に巻き起こった「自己責任論」
あの時の居心地の悪さはいったいなんだったんだろう、と考えて思い当たったのは正月3日の早々にあった新幹線ダイヤ混乱の最中にあった、「子連れやお年かさの人を空いてるグリーンに乗せてあげればいいのに」発言へのバッシング。

いや、これだけではなくって、最近ネットでよく見るバッシングにそんな居心地の悪さを覚える。

もちろん、様々な意見があるのは構わないし何かがあった時に議論があるのは健全な事だろう。
だけど、ここで感じるのは、面識がない当事者に向かって正義を振りかざし、相手の都合関係無しに論を吹っかけ、その多くが相手を否定するかのような発言をする事への違和感。もっとはっきり言えば、罵声を浴びせる人が多い事への嫌悪感である。最近はやりの言葉で言えばヘイトスピーチだ。
それは議論でもなんでもない。

なんだろうね。
儂が発言者に感じるのは「羨み」「妬み」である。
なんだかしらないけれど、ちょっとエラそうな事を言う人やっている人を叩く事によって、その鬱屈した気持ちを晴らすような感じなんじゃないかと想像している。ネトウヨとかね、そんな感じやん。

自己責任というか、危険な状況にのぞむ時の自らの責任というのは勿論否定はしない。
例えば、富士登山に何の準備もせずに登ろうとして遭難してしまう人はやはりダメだと思うわけだけど、んじゃぁイラクに行った彼らは、当時自己責任論の中で言われていたように無防備で興味本位にホイホイ戦地に行っちゃった呑気な困ったチャンなのか?って事だ。
ちゃうやろ。

アメリカが強硬姿勢で攻め立て、その下で国際社会からの支援に見放され、困窮に陥るイラクの人たちを支援する目的でこの危険な場所に身を投じた人達だ。それ相応の準備がなければ逆に行けるわけはないし、不十分だったと言われれば結果としてそうだっただけであって、どれだけ周到であれば十分かなんて意味のない話。
そもそも、彼らは自衛隊が行っていなければ、誘拐され人質になる事もなかったのだ。(<ココ大事なとこ)

それは、誘拐犯たちのメッセージに明確だ。

実は今回映画を見て驚いた。
犯行グループが三人の解放声明の中でこんな事を言っていた事を知らなかったから。いや、覚えていなかっただけかもしれないけれど。

「われわれの独自の情報源を通じ、当該日本人(人質3人)は、イラクの人々を助けており、占領国への従属に汚染されていないことを確認した」
から、解放するのだ、と。

犯行グループの方が帰国後バッシングに染まる日本人なんかよりよっぽど3人の事をわかってくれているし、よっぽど情がこもっているような気がしてしまう。
また、声明の中でこんな事も言う。

「われわれは、日本政府が拘束された3人の人質について、自国民の生命を軽んじる評価を行ったことを強い痛みを持って聞いた。これにより、われわれは、日本政府に代わって日本国民の生命を守る完全なる正当性を与えられた。」
日本政府は彼らの命を見捨てたのだ。そして、変わりに自分たちが彼らの命を守るというパラドックス。
「日本政府は、自国民への最低限の尊重の念を持ち合わせていないようだ。いわんや、日本の首相の発言を拒否するイラク国民の生命を尊重するだろうか。われわれは、この政治家は、自国民とその意思を尊重せず、戦争犯罪者ブッシュに仕えていると確信している。」

誘拐犯は、少なくともその行為を儂らの物差しで測れば明らかに犯罪者である。
が、どうだ?
この声明文に大きく頷き、感心してしまう。よくよく同胞の要請に応えて人質解放を決定し、日本人の立場まで慮ってくれている事に感謝までしてしまいそうな儂がいる。
それをうけて、今度日本国内では「自作自演説」だって。
日本人とはかくも心の根の醜いものか。

そして、今井さんの「自己責任というのは死ねということ」という言葉にハッとする。なんの補足もなくこのままポンと出て来たのでビックリした。
ビックリしたというのは、その瞬間儂は「そこまではゆーてないやろー」と思ったのだ。でも違う違う。もうその言葉は他のヘイトスピーチとともに彼らを責め立てる言葉として使われており、人によってそこまでの意図があろうがなかろうが、結果としてそこまで追い詰める事になってしまっている。その想像力が自分にも欠如していた事にさらに驚かされたのだ。
それだけ追い詰める言葉を平気で口にできるというのは何なのか?
時に言葉は暴力でもある。いじめの問題なんかでもそうだが、無自覚に相手を傷つけるその言葉が相手を追いつめ時には死に至らしめる事に気づけない、相手の立場でイメージできないという想像力の欠如というのが、この日本人の醜さに繋がっているのじゃないだろうか。

なによりも哀しいのは、社会の模範であって欲しい(無理か?)政治家が自らその論調をリードしているというその罪深さ。
けれども例によって例の如く、政治家の誰一人としてその罪を償う事はない。ごめんなさいの一言も言わない。悔しいかな。

でも実はあの時、事務所に寄せられたのはバッシングのFAXより激励の方が多かったのだと知る。
ちょっとほっとした。

監督のカメラは高遠菜穂子さんを追ってファルージャの病院に入る。
そこでカメラに写るのは、次々に先天性異常(つまり奇形)をもって生まれる新生児たちの姿。
内臓が飛び出ていたり、顔がさけていたり、発育が明らかにおかしかったり。
医師は言う。実に15%の新生児が先天性異常を持って生まれるのだと。この数字は明らかに2003年以前とは異なるのだと。
生まれても数時間しか生きられない子どもは少なくないという。それでも、その数時間、泣き声をあげ呼吸をし、必死で、、、まさに必死で生きようとするこどもたち。彼らが命と引き換えに訴えているのは何なのか?考えろ、日本人よ(儂のことだ)。

2004年。
ファルージャはアメリカからの猛攻撃を受けた。その時の遺体の異様さはいろいろなところで伝えられている通り。
白燐弾や、劣化ウラン弾が使用され、多くの人がその被害者となったとも言われている、そしてその影響がこんな風に出ているのではないかと。勿論、アメリカは認めていないけれど(確か。。。)。医師は濃縮ウランの影響が出ている、と映画の中で言っていた。

この新生児〜ファルージャの戦闘の遺体での映像(儂は先にネットで見ていたけれど)は初めて見る人にはかなりショッキングなものだと思う。
あんなふうに生まれてくる子供たちがいるなんて。
あんなふうに殺されてしまう、そしてかつて生きていた人間があんなふうになるなんて。
#映画の中では顔一面に蛆がわいたり、死後膨張した遺体の映像が流れます。
でも、それはイラクでまぎれもなく起こっている事の一端。

実はていのいい生体実験なんじゃないの?なんて思ってしまう。
そもそも化学兵器の使用を認めないアメリカ。
しかし、明らかな健康被害の顕在化。子供たちの奇形だけでなく劣化ウラン弾の影響とみられる病魔に冒されてる人も多くいる。まさかとは思うが、データとってほくそえんでたりしないだろうな。原爆投下後のABCCの例だってある。
福島も実はそうなのかも。いや、さすがにちょっとイヤな想像だな、止めよう。

忘れてならないのは、日本はイラク戦争を支持したのだ、という事実。たとえ、個人的に反対していたとしても、国としては参加していたわけだ。
#世界はいちいち個人単位でなんか話を聞いちゃくれない。
高い確率で生まれる先天異常の子供たち、今でも続くその悲劇の責任はわたしたち日本人にもあることを。

日本はこの責任から逃れられない。
明らかにイラク戦争で日本は加害者側だった。そして、そのイラクはまだその混乱の中にあり、2014年が明けた早々だというのにまた新たな戦闘が行われているというニュースが飛び込んでくる。

あれから10年。
イラクの事なんてすっかり忘れた気になっている人も多いかもしれないけれど、新生児の奇形だって続く戦乱だって、今の話なのだ。今もまだイラクは日本が加担した戦争の為に平和とはほど遠い状況に置かれているというのに。日本はその責任に知らんぷりなのか?

そうだ。
この国は見事に無責任な国なのだ。何しろ「自国民の生命を軽んじる」国なのだから。

イラク戦争の口実は大量破壊兵器。アメリカは、これは無かったと、あれは間違いだったと明言した。
間違いが元でさんざんぱら迷惑をかけておいて、日本はちゃんとイラクに、イラクの人たちに謝ったのだろうか。罪滅ぼしに平和を取り戻す為に、何か策を講じているだろうか?
イギリスなどはこのイラク戦争の誤りについて徹底的な検証をしていると聞く。
日本は真っ先にアメリカを支持したにもかかわらず、検証する事もなければ謝罪する事もない。

いつだってそう。
そもそもこの国のエラい人たちはいつだって最終的に責任を取る事は無い。
時の首相、小泉さんはどう責任を取った? 自己責任と言った政治家たちは謝罪の一言でも口にしたか?

答えは否。

元内閣官房副長官補だった柳澤協二氏が明かす。
自衛隊派遣は政治的なものだと。
日本人がこぞってバッシングしたのは、イラクの為に献身的につくそうと考えていた三人の個人だった。そして人道支援だと称してイラクに行っていた自衛隊は実は派遣も撤退も政治的な判断だったという逆説。
#勿論自衛隊のサマワでの活動は復興に貢献したのだろうし、それはそれで評価されてもいいけれど、形としてそうだよ、ってこと

ここに横たわるのは日本人に突きつけられたとてつもなくでかい宿題である。
だが、残念ながら儂も含めた多くの日本人はこの宿題を忘れてしまっていた。

イラク人ジャーナリストは言う。
「日本人は戦争を忘れようとしてる」
「日本がアメリカのイラク攻撃を支持してくれてむしろ良かった、日本がアメリカに追従する国だと明確になったから」

日本は特に中東では他の先進国とは違う形で信頼を得られる事が多々あったと聞く。
それは一つには平和憲法を掲げ、他国を武力攻撃する事が無い国だという事。
加えて、文化的に(歴史的宗教的に侵略を繰り返して来た)も西洋キリスト文化と一線を画しているという事。
これは日本の国際社会における大きなアドヴァンテージだった筈だ。(ナンバーワンよりオンリーワン、ってやつですか?)

残念ながら、今この国は、この有利な地位を自ら捨て去ろうとしている。
日本が世界中からそっぽを向かれる日はそう遠くないかもしれない。

「ファルージャ 〜 イラク戦争 日本人人質事件…そして」@ T・ジョイ京都の画像

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NolenNiu-de-Ossi@梅田AKASO

2014-01-04 08:53:00 | ライブレポ
長岡京ソングラインで儂の「あんてにゃ」に引っかかったユニット「NolenNiu-de-Ossi(ノレンニゥー・デ・オッシ )」さんのワンマンショウに出かけました。
儂の18歳の誕生日に♪

ソングラインで二度聞いただけなので、実は曲もどんな人らかもほとんど知らないのよね。
取り敢えず、ピアノ&アコーディオンとギター&三味線のボーカルデュオ。
三味線が入っていることから想像できるように、多分に日本的な旋律とかが特徴の曲調。
って感じか。

そんなわけで音源ひとつ持っていないので、曲名はわからず。
ひとまず、ライブ中に曲名を言ってくれたものだけメモがわりにアップしとくデスよ。

・百日草
・小松囃子(ゲスト阿部一成さんの曲)
・冬に咲く花
・ナマスナマステ
・襖に目玉
・雪の原(阿部一成さん篠笛ソロ)
・決めた(2番目に新しい新曲)
・旅の歌(ってタイトル?1番ん新しい新曲2日前に楽譜を渡したそうな)
・弾指刹那
・夜明け前の譚詩曲

会場はテーブルびっちり出して着席仕様。
ゆったり聞きましょう、的な感じ。お客さんの年齢層も高めやし。うみゅ、儂が期待していたのとはちょっと違うかな。

基本生楽器(上記したものの他はマンドリンに篠笛パーカッション、その他はエレキギターを何度か使用)での演奏なのでテンポのいい曲でも、まぁ落ち着いて聴く人は聴くわけですね。
っつーても、半分以上はやっぱり聞かせる曲なのかな、そもそも。

この人たちの音楽はしかし正直言ってとっつきにくい。
いや、とっつきにくいからこそ儂も引っかかった、とも言えるんだけれども。
突然変わるテンポ感、変拍子に不協和音に加えて和音にはのらない歌。

よく言えば、ぼーっと聞き流せるような、そーゆー退屈な音楽ではないのだな。
ただ、曲を知らないとガンバって聴くことになるのでちょいと疲れる。。。いや、適度な緊張感を持って聞くこととなる(と言っておこう)。

そもそも、(おそらく意識されている)和風な音作りというのが普段儂等にあまり馴染みのない感じでもあるので、曲をちっとも知らない人(儂)にとって、その雰囲気に慣れるところで一つハードルがあるのかも、って感じがします。

でもそれだけに歌詞の日本語がしっかりと聞こえる感じとか、早口で聞き取れなくても日本語の語感の面白みとかが感じられるところとかはちょっと他では味わえない感じかな。唯一無二ってやつか。

欲を言えばこれは!って感じで心底気に入れる曲が欲しいところです。
奇をてらった感じ(で儂好み)の曲は結構あるんだけどね〜。

会場にて念願の音源をげと。
一般発売は1月8日。とる子さんがAmazonに感想を、五つ星で!と盛んにゆーてはりましたが、さて。。。


NolenNiu-de-Ossi@梅田AKASOの画像

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