ぱたの関心空間

関心空間と徒然なるままに。

CANTA! TIMOR@かぜのね

2010-07-31 20:13:40 | 映画感想


ソウルフラワーユニオンのツイートで紹介されていた映画の上映会があったので行ってきた。

「CANTA! TIMOR」

名前だけからして、東ティモールの映画だなー、という事しかわからず。それでも行く無謀な儂。
ほとんど思いつきで行ったのだけど、いやー、参った。
実は要予約だったり、行ってみたら、どこそこのNPOやってます、みたいな人とか、どこそこの大学でほにゃららの活動していますとか、んー百キロ歩いていますだとか、なんだかすごい人たちが集まっていて、あたしゃ場違い感丸出しで恥ずかしかったわいな。

これまた、後でわかったのだけど、今回はまだ試写会なんだって。
のはー、いやー、ちゃんと確認せんと、すんませんっすんませんっ。こんなのんぽりな儂を受け入れていただきありがとうございます、って感じです。
#まぁ、別にぱんぴーが行っちゃけない訳でもないのだろうけど。。。

まぁ、そんな感じなので、あんまり内容とかにも触れるわけにはいかないのだけれどもね。

むむむむ、、、どうしよう。
そんなに簡単に感想言って、ハイ終わり、なんていうシロモンじゃぁないんだな、これが。

でも簡単に映画の内容を(苦笑)

映画の中心にいるのはヘルデール・アレックス・ロペスという、東ティモールのミュージシャン。
フォークギター一本抱えて、常に子どもたちと歌う彼が話のとっかかりだ。
監督の広田奈津子さんが、東ティモール独立の式典で出会った「星降る島(オーマルシーラ・オーウルシーラ)」という曲を通してみる東ティモール。インドネシアによる侵攻の為に、3人のうち1人の割合で虐殺されたという東ティモールの人たちの、戦いと今を追うという内容。

映画の内容的にはそんな感じだけど、、、、
どんな感じやと思う? そういう映画?

東ティモールは、四半世紀もの間インドネシア軍の侵攻を受け、人権を蹂躙され、多数の犠牲を出した上でようやく2002年に主権を回復する。日本でも大きく報道されたけれども、1999年の独立を問う住民投票で、独立が決まった直後のインドネシア軍の侵攻の酷さも凄まじく、この時には家々の9割は焼かれたと、映画は言う、それはたった10年ほど前の出来事でもある。
重ねて、二十数年に渡るインドネシア軍による虐殺や酷い仕打ちの数々は映画の中でいやという程触れられる。生々しい証言、実際に拷問された体、ドキュメント映像。

どう?
暗く、重たい雰囲気の社会派映画!?
そう思うな、と言うのは無理だよね?

確かにテーマは重い。内容的に辛い部分も多い。目をそむけたくなるようなシーンも出てくる。社会的な映画である事は間違いない。

なのに。
なのに、なんだか明るいのだ!この映画!

はじける子供たちの笑顔。
大地を踏みしめ踊る人々。
独立の立役者であるシャナナ・グスマン大統領でさえ、どっかの陽気なおっちゃんやん!

音楽をテーマにしているという点も大きいのだけれど、それだけじゃぁない。

虐げられ、踏みにじられた人々。
彼らが語るのは、辛い思い出でや肉親や友を亡くした悲しみではあっても、うん、違うのだ。

それは辛さや悲しみではあっても、自分を谷に突き落とした上に剣を突き刺していった、インドネシア軍兵士に対する憎しみでも、国際世論の高まりにもかかわらず、インドネシアの東ティモール侵攻を熱心に支持した日本への恨みでもないのだ。
「恨んでないし、憎しみもない。」 驚くほど明確に否定する彼ら。

「そんなん、日本のカメラを前に気取ってるだけちゃうん?」
そんな穿った見方も出来る。
そんな事を言うのはカメラに映る一部の人なのかもしれない。
#コーヴでも触れたようにそういう事ができるのがドキュメンタリーだし。

しかし、そんな風に断ずるには、あまりにも彼らは純粋に見える。

結論付けるには早急だと思うけれども、彼らの考え方の根底には土俗の民間信仰の存在があるようだ。
何度か出てくる、東ティモールの人々が語る精霊の話は、日本で語られる妖怪話と同じだよね。悪さをするやつもいれば助けてくれるのもいる、とか。夜にふらふらしてたらさらわれるとか。
日本でも昔から語られる森や大地と言った自然に対しての畏怖の表れと何ら変わる事がないのだけど、すっかり近代化ナイズされ、そんな話を鼻で笑うようになってしまった日本人と違い、彼らは今もその隣に暮らしそして信じ、それを自分たちの力にしているのだ。
ダンスにかぶれていたグスマン大統領でさえも!
二十年余りの戦火の中でも、実際に森に助けられた経験と、最後には独立を勝ち取ったという事実が、その大いなる存在を確固たるものにし、だからこそこれだけの困難をこうむりながらなお、憎しみや恨みを乗り越え平和を希求する勇気を彼らに持たせるのかもしれない。

憎しみや恨みは報復やテロを生み、悲劇を加速させるだけで何も生み出しはしない。

聡い人ならもうみんな気付いている、こんな当然な事だけど、その当然な事をするのがどれほど難しい事なのか。それも皆わかっているから、なかなか言えない事でもあるのだ。
ましてや、人々がそれを血肉化するなんて、どれだけ難しい事か!

が、しかし、
それをいとも簡単にやってのける文化がここにあるとしたら?
世界はオバマ君の核兵器廃絶宣言に期待するよりも、この文化の知恵を研究し、学習し、修身する事の方がなんぼか世界平和に近いのではないだろうか。

日本はかつて、インドネシアの東ティモール侵攻を多くの国が非難した時も、一人インドネシアを支持し続けた。油田の利権の為ともいわれる。直接軍に手を貸したわけではないけど、日本の円借款がインドネシアにでかい顔をさせた事は間違いないのであろう。その犠牲者が東ティモールである。
しかし、その事実を知りながら彼らは言うのだ
「ここで起きた事はヒロシマ・ナガサキと同じ。同じ痛みを知っている日本だから、これから一緒に平和を作って行きたい」
さぁ、我々はどう応えるべきか。
どうして、自分たちの恥を素直に認めてその声に応えないでいられるものか?

難しい事じゃぁないのだ。なにしろ

「世界中に、戦争をしたい人なんていません。武器を売りたい人たちをのぞいて」

その通り!
おおお、なんと簡潔に物事を言い当てるのだろう!

目を覚まさなあかん。
戦争につながる全ては武器商人(とそれに連なって利益を得る政治家やらなにやら)の宣伝工作でしかないのだ。
踊らされて戦争に協力し、駆り出され、死んでいく愚かな一般大衆は何も得る事は無い。残念ながらね。賢い武器商人たちだけがウハウハするだけさ。
賢くなろう。大丈夫、私たちには大地の精霊がついている。
簡単な事さ、怨まない。憎まない。

宗教の定義をね、ちゃんと考えなおさなくちゃいけないと思うのだ。
所謂きちんとした宗教じゃなくても、元から人々に根差した(便宜的に使うけど)土俗的な宗教観というのはもっと、重視しても良いのではないかね、やっぱり。
現代の日本人だって、そう考えたらちっとも「無宗教」なんかじゃないんだよ、やっぱり。

「ティモール・ロロサエ」
東ティモールの人たちは、自分たちの国をこう呼ぶ。
「ティモール・陽が昇る場所」という意味なのだそうだ。

そして私たちの国は「日本(ひのもと)」。
かつて聖徳太子は「日出ズル処」と呼んだとか。

東ティモールなんて、馴染みがないから遠いところのように感じる人も多いだろうけど、なんだろうこの共通の感覚は。彼らの考えている事にこんなにも共感できる不思議。根源的な部分で繋がっているかのような安心感なのか。

文化人類学的にどうのとか、難しい事はわからんけど、どうやらどっか根っこでつながっている彼ら、兄弟のような国の平和を願い、それと同時にこの日本も含めた世界の人々の平和のために出来る事を考えるのに、何か問題ある?

お国はどうやら東ティモールにあまり積極的にではないみたいだけど。。。。
まぁ、おエラ方が自分たちの利権の為に考えてる事なんてさ。
そんなもん知らないねー☆

Love sofa presents アルケミースタジオ 10周年アニバーサリー@心斎橋CLUB QUATTRO

2010-07-25 00:10:00 | ライブレポ


もーねー、曲とか全然覚えてないよぉぉぉぉ。ひょぉぉぉぉ。

というわけでアバウトれぽ☆。

ホントは前の週にBIG CATであった SKA FEVER に行きたかったのだけど、大人の事情によりポシャって、でもうずうずしてたところに飛び込んできたこのイベント。
ドベ犬出るやん!SAKEROCKも出るやん!
というわけで、急遽行く事に。

以下、出演順んっ!

・SAKEROCK

一番の目当てはサケロックとドーベルマン。
まさか、トップバッターで出るとは!たかをくくって、開演10分後クアトロ到着(泣)
「京都」をちゃんとした曲として聴いたの初めて。
アルケミースタジオにまつわる辛い思い出話(サウナでモテちゃった話と、高速で事故った話)を。
いいなぁ、ハマケンハマケン、MCぐだぐだ、とろんぼーんうまうまくん☆

・杉瀬陽子

今回は2ステージ制。
ほへ?あの狭いクアトロで!? はい、その通り、奥の三角コーナーでね。
ピアノ弾き語り。

・BLITZ AND SQUASH BRASS BAND

ノンストップのニューオリンズサウンズ。
かっちょいい。

・奇妙礼太郎

なんかちょっと前からこの名前をよく見る。正確には「奇妙礼太郎トラベルスイング楽団」ってのでクレジットされているイベントがあって気になっていたのだけど、今日は弾き語りソロなのね。脱力系ポップスだけど、脱力しすぎでは?バンドでもこんな感じだったら。。。どうしよう。

・しゃかりきコロンブス。

最近はしゃかりきコロンブス。での活動がメインなんですか>サンデーカミデさん。
サンカミさんには悪いけれど、彼が前面に出てくるユニットはちょっと苦手な儂。

・Az catalpa

だから、AZUが、「またA.S.Pの活動も近いうちに...」って言わはったのにちょっと期待。あぁ、BOWLING NO.9でもいいよぉ。
今回は弦ベと。渋め濃い目にじっとりした感じの大人なAZU。

・DOBERMAN

フロアのカラーが変わる(笑)
チケ取ってから新しいアルバムが出ていた事に気付く。まー、けど関係ない、関係ない。踊れる踊れる。
「朱い太陽」ではじめて「朱い太陽」終わり、汗かきました。ちょっと満足。

・Sugami

初見。誰だろう、と思ったら「A Hundred Birds」にも参加されている人?
視線がズルい感じのする女性で、歌よりもそっちの方がなんだか印象深い(苦笑)

・韻シスト

最初ちょっとだけみて会場を後に。。。

会場を出る時に、「再入場できませんけどよろしいですか?」と言われる。
いやいや、ゆーても韻シストで最後やーん!と思っていたらシークレットがあったらしい!

・BAGDAD CREATIONS

って誰?
と検索かけたら、BAGDAD CAFE THE trenchtownの事!?くー、なら残っておくのだった(悔)
シークレットなんて書かんといてくれ~(涙目)
やーん、BAGDAD CAFEって、10周年なんだねー。

ちうことで、多少の後悔を引きずりつつもたのしめた一日。
明日の糧に、音楽は必要です。はい。

THE COVE@京都シネマ

2010-07-09 14:35:28 | 映画感想
ここ数日、テレビなどでも話題にされることの多い「ザ・コーヴ」
見てきました。



まず、この映画が問題にしているのは「イルカ漁」ですね。
もちろん、クジラ類のうちのイルカ、という位置づけだからクジラ全体やIWCの問題に言及することもあるけれど、基本的に映画が主張したいのはイルカの事に限定される、としておかないと、ただでさえややこしい問題が輪をかけてややこしくなるかなと。

いろんな問題があるのは承知だけどねぇ、思っていたよりも(?)、立派な映画でしたよ。映画としては見ごたえありました、うん。
「こんなんドキュメンタリーちゃう」っていう意見もあるようですが、いやいや、充分ドキュメンタリーでしょ。いちおう実際にあった事を追っているのだから。作成者の意図が入らない映画じゃないとドキュメンタリーじゃないなどと無茶な事を言う人もあるようですが、そんなんあり得へんというのは。以前「靖国」を見たときに書いたとおり。問題とするのがその手法についてなら話は別だけど。

因みに儂は、映画を見た後でも「捕鯨」には賛成だし、鯨の肉も好きですから食べます(って、年に一回食べられるかどうかっつー程度なわけですが)。

そんな前置きをしつつ、映画の事。

論点は2つかな。

一つは(場合によっては人間以上に)知的生物であるイルカを虐殺している事についての告発(<ここでの表現的な異議申し立てはあるにしても、ちょっと許してね)

もう一つは、捕獲したイルカの肉を鯨肉と偽装して販売している事と、イルカ肉に含まれる有機水銀の危険性に対しての告発。

まず、一つ目。
たとえば、「知的生物であるイルカを殺して良いのか?」というレトリックは、捕鯨問題でも繰り返されてきたもので、んじゃぁ、(知的生物ではないと暗に彼らが言う)牛や豚はいいのか?というように、動物に優劣をつけることについての問題と、鯨だけでなく猿食文化とか犬食文化とか、多くの異なる食文化にとって多分に感情的なものになってしまう問題、基本的にはそれだけでは既に議論にならない幼稚なものだと思っていた。突き詰めると最後には肉食はすべからく問題になり、果ては、植物まで(生きているのだから)食べられなくなる。行きつくところは絶食による自死だ(あ、極論ですよん)

が、どうなのだろう、
そうとも言い切れないのかもと映画を見て思うようになったのだな。
映画に出てくるリック・オバリー氏は「わんぱくフリッパー」(うん、儂も見てたなぁ)で、イルカの調教を担当していた人で、10年間イルカ調教の第一人者として活躍しながら、その後40年近くは逆にイルカの捕獲や調教に反対し、イルカを解放するためにかなり過激な活動を続けているという人。世界中のイルカショーではイルカはストレスに苛まれ、餌には胃薬がつきもの(あ、その話はどっかで聞いたことがある)。人間の欲望の為に、知的なイルカは苦しめられていると主張する。
また、この映画の告発に参加するフリーダイバーや、インタビューを受けるサーファーたちは、イルカをコミュニケーションを取れる生き物だとして、感情的にイルカにコミットメントする
成る程、彼らにとってはイルカは意思疎通のできる友達であり、牛や豚は意思疎通が出来ない家畜でしかない。

明確な線引き、それは意思疎通できるかできないか。か?。
たとえば、イルカと人間が完全に意思疎通出来るようになったとしたら、それでもわれわれはイルカを殺し、その肉を食べることが出来るのだろうか?と考えたら、強ちこういう考え方で反対することを感情的だ、と切り捨てるわけにもいかないなぁ、と思いいたる。まぁ、牛や豚は最初から意思疎通できるわけないさ、なんて思っているから安心してこういう事が言えてしまう残酷さがあるわけだ。(ゴメンね>牛さん&豚さん)。
#「家畜人ヤプー」では日本人は家畜だから、白人は日本人を食べることを当然と思うのだな、あ、これは余談

しかし、彼らをしてもこの映画の中で、伝統的なイルカ漁に反対するとか、イルカビジネスそのものを糾弾するというような主張を強くしているわけではない。
主眼はそこではなく、まさに映画のタイトルでもある「入り江」での「虐殺」についてである。んと、感情に訴えるのがメインの作りなんですね。
入り江に追い込まれたイルカたちは銛で突かれ殺されていく。「一頭も逃さずに」と強調したところから読み取れるのは、本当にそれだけの(年間2万余頭もの)イルカを獲る事が必要な事なのか?という問題提起だ。

そもそも入り江は何故かくも厳重に関係者以外の出入りを禁じているのか。
これに関しては、かつてシーシェパードが漁に使う網を切るという行為があって、他者の立ち入りを厳重に禁止するようになったという経緯はあるのだけど、映画では触れられないし、それを差し引いても異常に見える。ふふふ、この先には何かあるにちまいない、うーん、映画的な期待感をそそるにぴったりな舞台装置ではあるまいか。
日本人的な感覚からすれば、この入り江の中での(映画でも最終的には盗撮され、スクリーン上で公開されてしまう)情景はやはり残酷に映り、反捕鯨団体の格好のターゲットにされると懸念されたから、(シーシェパードの事もあって)先んじてそーゆー輩が入らないようにしよう(悪く言うと隠匿しよう)、ってな感じなんだろうけど、それが、逆に映画で撮影される事で良からぬ事をやってるという印象バリバリになってしまったというジレンマ(苦笑)

>浜の人たち(漁師だけでなく役場や警察までグルになって)は悪い事をしている
>悪事が露見しないように、厳しく立ち入りを禁止
>中では残酷なイルカ漁
>イルカを年間2万頭獲っているという事実、印象が悪いだけではなく、多くの日本人にも知られたくない秘密
>イルカの肉を鯨の肉と偽装して販売しているという秘密、その1
>しかもイルカ肉には有機水銀が多量に含まれているという秘密、その2
>それでもイルカ漁に賛成ですか?アナタ。

というのがだいたい映画の流れかな。どうわかりやすい?

さて、ここまでが、映画のみから受け取られた印象。

問題とされるべきなのは物事の信憑性と、妥当性、それから演出の問題である。

面白いのは、IWCでの日本の活動を揶揄したり、プロパガンダの話をしたりするのだけれど、それが同時にこの映画自体だって完全なプロパガンダでしょ?という事を想起させること。
最近、目から鱗が落ちた表現なんだけど、「政治とは、何が正しいかではなく、何を正しいと思わせる事が出来るかだ」なのだと。
わかっている人も多いと思うのだけれども、特にIWCなんてのは、この政治ショーのとてもわかりやすい例ですよね。そこで話し合われる内容は、何が正しいか、ではなくまさに、何を正しいと思わせるか。それをアピールするために国からNGOまでこぞっての大プロパガンダ大会。如何にデータを加工し、如何に世界の感情に訴えるかを競うゲームの場ですよねぇ、言ってみれば。
そんな指摘をするという事は当然この映画もそれを狙っているものであることは容易に想像がつく。

たとえば、肉の偽装について「太地町はそれに対して水産庁の調査によっても、そのような事実はないと」しているし、イルカの水銀の含有量2000ppmについても「調査結果にはバラつきがありイルカ肉すべてが高い数値であると限」らないと注釈をつけている。自分達に都合のいいデータだけ取り上げてそれだけを示すのは、情報操作の常套手段だ。日本の上映では最後に上記のテロップがつくが、諸外国の上映時には当然つかない。言ってみれば日本は言われっぱなしよねぇ。
ちなみに鯨類に含まれるPCBと水銀のデータと厚生労働省の見解2000ppmなんてどこにあんねーん!?

IWCでは、中南米の国なんかに対して、あからさまに日本が金を出して票を買っているというような感じで表現されて、いたが、これについても、明確に否定する報道がされていたように記憶している。
まぁ、勿論、日本は多く後進国に対して政府開発援助もしているわけで、それで小国の票を買っていると言われてもねぇ。。。
#資金援助によって作られた施設が生かされていない件はまた別件

また、イルカは年間2万頭漁獲されていると繰り返されているが、太地で獲られるのはそのうち1割にも満たないらしい。一番漁獲量が多いのは岩手の沿岸部。そーいえば、それも昔聞いたことがあるような気がするな。太地町をあげつらうのは何故か?
#それはスケープゴートとか象徴とか置いた方が攻撃しやすいし、運動は盛り上がるし♪

水産庁の職員が、「現在は、イルカをなるべく苦しめない(?)をしている」と主張してるが、隠し撮りした映像では、銛で突いてる姿だけが映り、職員の主張には説得力が感じられない。たとえ、それが正しくても、主張が弱められて見えるのだ。

ところで、思い至ったのだけど、イルカも鯨類なのよね?体長で区別している程度らしい(wikiにそう書いてた)。ならば、イルカを鯨肉とするのは、問題?なの? にゅにゅにゅ? 
同じくwikiのつづきでJAS法上では、「ミンククジラ」「イシイルカ」などと表示する必要がある、が単に鯨肉として市場に出回る事もあるようである、としている。
軽く検索かけたけど、実際のところどうなのか資料になるようなページが見つからない。

儂的には、有害物質が問題ないとなれば、おいしければ食べたいというのが正直なところなのでね。鯨でもイルカでもかまわないかな。 イルカ?うん、かわいいけど、ブタだってかわいいもん!でも食べるもん!
#そーいえばイルカって「海豚」だ!

そして、なんつったって演出の問題。

オープニングから、サスペンスドラマ?と思うような音楽、そして、白黒反転させた映像が流れる。うごめく人々はまるで悪の組織の構成員かと見紛う怪しさ、築地に横たわるマグロは異様さ満点そしてマグロに鉈を振り下ろすシルエット、きゃぁ~~ジェイソン
。いやいや、かわいい筈のイルカちゃんまで、とても恐ろしいですけど!!!オープニングからしてこれである。
太地の町に入ると、常に尾行される撮影隊、警察や町を挙げて監視されているとアピール、そして乱暴な言葉で粗雑な感じで荒々しく撮影隊を妨害する漁師たち!うわー、なんか嫌な感じの町~!って思うでこれ。

なんでも、撮影隊はこういう映像を撮るために漁師さんたちを何かと挑発していたという話を聞いた。そこらへんはどっかにきちんと書かれているわけではないから若干信憑性に欠けるんだけど、でも本当に映画のように警察と町が彼らに張り付き、漁師たちも敵意をむき出しの悪感情があったとしたら、深夜とは言えあんな風に撮影に及べるものだろうか?なんか不自然に思えて仕方なかったのだが。

そして、「日本人も知らないイルカ漁の実態、これで伝統と言えるのか!?」に繋げる街頭インタビュー。インタビューなんて、それこそ都合のいいとこだけ切り貼りできる、世論を誘導するのに最適な手法の一つなわけですよ、これが。
#まぁ、イルカ漁については(儂も含めて)本当に知らなかったというのは偽らざる事実なんだけど。。。(苦笑)

映像の最後に、血に染まった入り江が映っているが、これがなかなかにショッキングな映像。太地町の漁協は「海が血で染まるような方法の漁は今はやっていない。」と言っている。じゃぁあれは何?殺すために流したのではなく、その後の血抜きだ、というコメントもどこかで見たけれども、映像でみるインパクトの強さは覆すのが難しい。

しかし、うだうだ言ってもどうしようもない。編集されて世に出てしまえば、見る人にとってはこれがすべてであり、それこそが真実なのである。
これは映像化する狡さ。

ずるさ?強さか?

映像に映っている以上は真実であり、その一つ一つは間違いなく起こっていた事実を捉えている以上、ドキュメントであると言われればそうなんだと思う。たとえ、仮にその直前に撮影クルーが挑発していたとしても、乱暴に撮影隊を追い払っていたのは紛う事無く事実なのだ。そう、問題は編集の仕方である。フィルムの切り貼りによっていくらでも映像は変えられるのであり、これこそ、映像メディアが持っている最強の武器なのではないかしらん。
意味ありげに「車がついてくる」と言って駐車場の車を映せば監視されているようだし(実際されてたんだろうけど)、IWCの会合に出席している森下さんのニヤリとした表情は悪だくみをする悪の首領のようだし。
本編中でも築地市場のマグロの競りが出てくるけれども、我々日本人やしマグロだとわかるけど。どうなんだろう、イルカの話をしているのに、なぜあそこで築地のマグロを出した?早回しで流される映像は、次から次へと床にぞんざいに並べられては消え、大量に垂れ流されているイメージ、イルカもそんな風にぞんざいに扱われているかのようなイメージを演出したのではないか?

メディアリテラシィ。
多少でもそう言った映像のトリックとか、レトリックの罠とかを気にしていないと、ついつい見逃してしまう事というのはとてつもなく大きいのだ。
映画を見ている観客がみんなそんなに用心深く映像をみているだろうか?
今回の報道で穿って見がちな日本ならまだしも、そんな情報のない世界で、である。

ちなみに、映画に対して、どのような態度をとっているのか、ちなみに和歌山県が見解を載せていました。が、水産庁とか太地町、同町漁港では特別なコメントは見えず。流石に小さな町でそんなんでけへん、とか頷けますけど。
たかが商業映画に目くじら立てるなんてとか、ナンセンスな相手にまっとうに対応する愚とか、まぁそういう考え方はあるんだけど、どうだろう。だからといって、反駁しなくてよいものだろうか?これは、プライドとか正義の問題じゃなくてね、そう、これも政治の問題。

訴える相手は、別に制作会社や国ではないのだ。映画を見る一般大衆にむけてである。
鯨保護運動は、鯨の歌声からはじまった。そう、民衆への働き掛けは文化的に心情に訴えかける事でかなりの効果を上げるのだ。その点で言えば、残念ながらこの映画は大変優れた映画なのだろうと思う。
「正しくない事を、正しいと思わせる」事に長けた、プロパガンダ映画。それがわがもの顔で流布しているなんて、ちょっと悔しい。。。ぐらいでは済まない事になるのでは、と危惧するんだけどどうだろ。

ベストの方法は対抗して映画を撮ることなのだけどな。。。。
C.W.ニコルさんの「勇魚」とかどうだ? <うーん、読んだの20年くらい前だから、内容全然覚えてないけど(をい)

おそらく、イルカ漁に問題がないわけでもないのだろう。
たとえば、2万頭というイルカが年間獲られているのなら、そのイルカはどこでどう使われているのか?鯨肉とされていないのであれば、イルカ肉としてはたして流通しているのか?答えは出ていない。

私たちがもっと関心を持つ事で、実際のイルカの利用価値もわかるし、鯨の問題だってきちんと議論できる。国民が鯨の事に無関心なのに、国はIWCで捕鯨の再開を訴えることはできない。

問われているのはやっぱり我々の態度なんだろうな。

見放題2010@梅田界隈

2010-07-03 14:38:31 | ライブレポ


雨だよ雨。 まぁ、梅雨ですから。あたりまえです。
が、梅田についた時点で靴ぐちょぐちょ。
こういうときクロックスとかいいんだろうな。

さて、「見放題」というイベントである。
有志運営スタッフによる、インディーズ中心のライブサーキットイベントです。
7箇所のライブハウス、52組のアーティスト。

去年も、行きたいっ!とは思っていたのだけど行けず。
ミナミホイールの時の関連イベントも、行きたいっ!とは思っていたのだけど行けず。
そして今回ようやく参加。

では、レポという名の備忘録です。

12時ちょい過ぎ、umeda AKASO到着。



チラシ多いなぁ。嬉しい(*^_^*)。<嬉しいんかいっ
ツレオススメの「長岡京ソングライン」のチラシとかも入っているのよね。<今回と出演者のカラーがかぶるイベント、今年も行きたいねぇ。

そんなわけで一発目

 >海老沢タケヲ @umeda AKASO

最初から聴かせる。
はじめて見た印象はガタイのいい兄ちゃん。が、ええ声している。ブルージーなんからポップスまで、余裕余裕。そして茶目っ気。なんでこの人がオープニングアクトなの? しかし、めっちゃエエ感じで会場を温める。良い感じのスタート。イベントの空気にマッチした感じなんだろうな、これが。

そしてスタート、本編。

 >井上ヤスオバーガー・アベ&ジョニーwithガンちゃん @umeda AKASO

井上ヤスオバーガーさんは、名前は知っている。あ、姿も知っている。でも曲は聴いたことがなかった。曲は聴いたことがないのに、なんだかこんな感じだろうなぁと思った通りの雰囲気。きっとねぇ、歌っていなくてもその体から発するものがあるのではなかろうか、この人の場合。なんだか、海老沢タケヲさんからの流れから、アットホームな空気が良い。安心して楽しめる感じ。内輪ノリ、とか言うなよ~

しかし、終わりを待たずに移動。

 >蜜 @RAIN DOGS

一体いつから聴きたいと思っていたことか、蜜。
ギターとボーカルの男女デュオ、でも橋詰さんはボーカルも取る。あにがビックリするって、男声が上でハモるってどうよ!?木村さんのハスキーがかった声は、なんだか猥雑な妖しさを醸し出す、かと思えば儚げに繊細に歌ってみたり、ギターの音が出ないハプニングでは、やんちゃに転げまわるようにはしゃいだり。
「明日の後夜祭では、堂島孝平さんのバックバンドで演ります!」 ほ、そんな繋がりが?貰ったフライヤの中から堂島君の新譜チラシを見たら、参加メンバーに蜜の名前(あ、スカパラの沖さんと北原さんも、あ、元スカポンタスの尾崎あゆみも、あ、オレスカも)

CD買ってからとりあえず、上にあがって

 >はせがわかおり @HEAVEN'S DOOR

全くのノーチェックで聴きに行ったけど、なかなかに味がある。ベートルズをポップにしたような雰囲気。題材の取り方とか。しかし、HEAVEN'S DOOR、だだ暑です。汗だくになりながら見る。

イヌガヨをちらりと眺めて移動

 >空中ループ @umeda AKASO

気になっている京都のバンドなのに、大阪でようやく見られるというのはどうだ? いや、そんなんばかりなんだけれど。もろ打ち込み系か?と思っていたけど、ちーとも。しかし、線が細いなぁ。よわよわしいイメージに心配になる。そう繊細な感じが好きなんだろうな。

 >東京60WATTS @umeda AKASO

ブブセラを吹くたけしくん。意外と音小さいな。60WATTS、心地よい、ほんまに安心して聞いていられる。勢い良くカウントして入るのは「外は寒いから」。儂の涙腺を緩める歌だ。泊っているホテル名とか、何階の部屋とか、言っちゃダメです(スキップカウズのイマヤスさんは部屋番号まで言っていたなぁ)。

が、WATTSの最後と次のズクナシの頭が被っているのだよ!でもズクナシは最初から聴きたいっ!「目白通りいつも通り」に後ろ髪をひかれながら濡れた道を走って

 >ズクナシ @RAIN DOGS

間に合った~!間一髪。
間近で見るズクナシ!かっきょいい!!!
「ズクナシスターズ」やって、「手拍子ラッパッパ」、新曲2曲披露(「チョキチョキマン」と「For you」?)。そして「ヒカリアメ」
衣美さん、ギターかき鳴らしすぎて弦切れてますけど、田中義剛か!spicy マリコさんは今日もカレー。キーボードの238さん前あたりにいたけど、こんなに力強くキーボード弾く人って。。。そして茜さん、お腹ボリボリ掻かない!
7月21日、NEWアルバムOUT。10月3日には大阪初ワンマン決定!

再び外は土砂降りに。その中を移動。

 >MILKBAR @HARD RAIN

天気そのまま名前のハコ。MILKBARは3ピースのバンド。
ロックバンドらしいロックをやるかと思っていたら、ボーカルが線の細い、高めの声で歌ったりもする。ちょっと独特の世界観を持っているような感じがする。コンピに入っていた「5月14日、雨の日に。」という曲では、彼女との生々しい(でも誰もがきっと、思い当たるような)関係を歌うのだけど、それがなかなかにぐっとくる。ちょっと気になる。

そしてまた雨の中を移動。たどり着いたのは

 >里帰り @ムジカジャポニ

ぬわー、ムジカジャポニ、ぎゅーぎゅーだー。
キーボード、ギター、ベースの3ピース。アコースティック系。ほっこり、マイペース、のほほーん、な感じ、ベースさんの残念な感じも含めて味なのか(失礼?)。音楽も悪くないけれども、見ていてバンドの人柄に惚れそう。心地よいです。

次、どうしようか迷ったけれど、時間もあったのでAKASOまで戻る

 >AWAYOKUBA @umeda AKASO

正直、最初は、ん~イマイチかなぁ、と思ったんだけど、曲によってはフックが利いていて踊れる。いやーん、微妙に良い感じの曲が入っていくることがもどかしい。なになになに?若いの?二十歳そこそこなんだとー! おおおお、それはもしかして期待大かも。

で、ホントはもっと早く移動する気でいたんだけど微妙に引っ張られてしまったので

 >SHEENA @RAIN DOGS

アイリッシュのバンドみたいだったので見たかったのだけど、最後の2曲しか聞けなかった。。。しかも出遅れてステージ全く見えません(泣)。アイリッシュフルートってのがどんなのか見てみたかったんだけどな。曲的には、そんなに露骨にアイリッシュっぽくない?いや、2曲しか聞いていないからたまたまかもしれない。音的にもフィドルとかフルートの旋律がアイリッシュっぽさを演出するけど、ブズーキとかマンドリンの音色が飛んでこない。むー。最初から聞いてみたかったけど、残念。

で、また戻って

 >おとぎ話 @umeda AKASO

去年のOTODAMA掛け湯編でちょっと好きになったバンド。
が、なんだか印象がだいぶんと違うな、あの時はえらい攻めている感じがして好感が持てたのだけど、ちょっと落ち着いてしまった感じ。そうすると有馬さんのキッチュさが浮いてしまう印象が。。。もっとはっちゃけた感じが好きなんだけどな。

 >堂島孝平 @umeda AKASO

堂島君。今回のイベントで唯一安心してみていられるアクト。
いや、誤解を招く表現だな(苦笑)。他のバンドは、どんなライブをしてくれるんだろうという、未知のモノ・新しいモノに対してのドキドキがあるけど、堂島孝平の場合、堂島君に会えるというようなドキドキがあるよねぇ。だってさぁ、かーいーぢゃん☆。とか言いながら、儂あまり曲知らないんだけど、それでも楽しめるPOPさが流石。葛飾ラプソディーのオリジナルをはじめて聞く(いつもヤムヤムバージョンしか聞いていない)。いいねー。

そして最後の枠

 >リクオ @ムジカジャポニ

ソウルフラワーユニオンとの関連(アコパルとか)でリクオさんを聞く事はあったけれど、ソロでのリクオさんは実は初めて。
会場に入ると、里帰りの時以上に人が!。それでもなんとか空いているスペースにと潜り込んだら、完全にステージが死角になる場所に入ってしまった。 ぬー、でも同じ空気を共有している感じが良いのだ!と自分に言い聞かせる(苦笑)
リクオさんのピアノは人懐っこく、かわいらしく、楽しげでいて、そして切ない。遠くの空を歌っているかと思えばすぐ横で転げまわっていたりするピアノだったりもする。音楽を楽しむという事を、とても素直に体感できる空間がある。ぎゅうぎゅうすぎて思うように体を動かせないという不自由を除けば。

3曲のアンコールに満足して会場を出れば、雨がやんでいた。

初参加の「見放題」。聞きたかったのに、泣くなく断念したバンドもいくつかあったけれども、イベント自体は作り手の気持ちが残っている良いイベントだったなぁ、という感じ。

良い音楽はまだまだある。
それがとても贅沢に感じられたうれしい一日でした。