ぱたの関心空間

関心空間と徒然なるままに。

「荒野に希望の灯をともす」@京都みなみ会館

2022-09-18 22:35:30 | 映画感想


映画館で撮った写真は昇天されたiPadとともに消え去った。
(って、みなみ会館に貼ってあった映画のポスターと、みなみ会館の外装撮っただけなんだけどね)

3年前に凶弾に倒れた中村哲さんのドキュメンタリー映画。

次男さんの話は知らなかった。その評価には迷うところだけれど、少なくともその時の中村さんの胸蓋がれる想いは痛いほど良くわかる。

中村哲さん、
陳腐な言葉を許してもらうなら、儂がもっとも尊敬する人物の一人である。
高校入試面接で「尊敬する人物」という質問に窮していた儂に教えてあげたい。
(いや、何年前の話やねんな)

中村さんの功績や偉大さをここで改めて言う必要はないのだけれど、(そういう言い方がキャッチーだから、というのは理解できるけれど)医師なのに井戸掘りをしたとか、用水路建設に力を注いだ、という表現には違和感がある。
「医師なのに」じゃなく「医師だからこそ」と言うべきだよね。
でも、もっと言っちゃうとそれでも違和感がある。

「医師」とか本当は関係ないんだ。
目の前の命を守りたい、というその根源的な想いに突き動かされた人がそこにいたというだけだと儂は思いたいんだ。

いや、勘違いしないで欲しいのは、別に中村さんを揶揄してる訳じゃない。中村さんの凄さは1ミリも揺るぎはしない。でも、中村さんが絶対的に特別で、儂らフツーの人間と隔絶した超人、というわけじゃないでしょ、って言いたいの。
つまり、何が言いたいかって言うと、儂らだって中村哲になれるんじゃない、って事。
勿論、スキルや元々の頭の良さによって、出来ることは変わってくるよ、そんなん当たり前の話やん。

ヒントになるのはこの映画。
この映画の中には中村さんの言葉がたくさん出てくる。その言葉の一つ一つはとてもわかりやすくて、そして根源的な事なんだ。
儂ら一人一人が、その言葉に頷き、考え方に共鳴するなら、みんなが(ミニ)中村哲さんになれるんじゃないのかな。

だって、画面に現れる中村さんは黙ってそこに立ってタバコ蒸してるだけなら普通のおっちゃんやん。

人間も自然の一部

死んでも意志は継いでいかれる。

いろんな人のいろんな意志を、儂は勝手に継いで生きていきたいと思う。