ぱたの関心空間

関心空間と徒然なるままに。

儂らは死なないように育てているのだ。 ただひたすらに。

2021-05-12 23:56:59 | 日記
命が蔑ろにされている。

入管で亡くなったスリランカ出身のウィシュマさんの件。
端的に言えばこれは殺人という犯罪だと思うのだけど、違うのだろうか?
犯人は明白に名古屋入管。もちろんその中の誰という特定だって殺人事件として調べればちゃんとわかると思うのだけど、なぜそれがなされないのだろう。
人を人として扱わず、命を危険に晒しても何の対処もせず、挙句に殺してしまったのだ。なぜこれが許されるのだろう?

新型コロナウィルスで亡くなった人が11201人。
それぞれにそれぞれの人生があり、コロナさえなければ、11201の途切れない人生がまだあったかもしれないし、11201人に近しい人たちだって違う人生を生きていたかもしれない。当然ながら命なんてものは数の多寡ではかれるようなものではない。
それを他の国と数だけ比較して「さざ波、笑笑」と嘲笑した人がいる。しかもその人は内閣参与だという。そしてその任命権者である総理大臣は「謝ったんでしょ」(だからいいんじゃない?ってことか?)と言っただけ。
それだけか?人の命を何だと思っているのだ?

たとえ一人の命でもかけがえない大切なものだ。
ましてや、それが1万超えているとか。
どれだけの悲しみがこの国を覆っているのだろう。
(もちろん、同じように世界中を覆っているのだろう。)

みんな一生懸命生きている。
みんな頑張って死なないように生きているのだ。
突然流行病にかかってあっという間に死ぬなんていうことは、想定していないししたくもない。
が、コロナの流行というのはその悪夢を身近なものにしてしまった。

みんなが懸命に守っている命を、簡単に奪っていく奴らがいるのだ。
もちろんそいつの名は新型コロナウィルス。でも、そいつをのさばらせている奴らもいる、それが自民党政権。
その政権の参与が事もあろうに亡くなった人たちの命を、他国との比較というただの数字に置き換えることで嘲笑し、そしてそこに責任を持つ総理大臣はそれを許容する。
なんという悪夢だろう。

1つの命の重さを感じることのできないバカものが、政治の舵取りをすることがどれだけ危ういか。100年前を思い起こせばわかるだろうに。

1つの命の重さ。
儂が子育てしていて実感するものの1つだ。
誤解を恐れずに言ってしまえば、儂はいつも子どもたちの健やかな成長など考えてない。勉強のできる子になれなどと期待もしていない。しつけの方針などまるで設定できていない。ただひたすらに、この子が死なないように、この子を死なせないように、とそればかりを考えて子育てしていると言っても過言ではないと思う。

なのに何だ?ここまで頑張って1つの小さな命を守ってきたのだ。それを簡単に奪われてたまるものか。死ななくて済んだ命、などと死んだ後で言われても遅いのだ。ましてや「笑笑」などと嘲り笑い飛ばされるなど我慢できようものか。

端的に言えば、政府がやっていることは儂らの命を危機にさらすことである。守ろうなどとしていないのは明白じゃないか。いや、もっと直截に言えば、政府の無策とはすなわち政府が儂ら市民を殺しにきていると言ってもいいと思う。

他国民どころか自国民の命さえ守ろうとしないこの国で、オリンピックなどとちゃんちゃらおかしい。

珍しく怒りが収まらないのでブログに記す。

ふざけるな、ばかにするな、命を守れ。
日本政府。