ぱたの関心空間

関心空間と徒然なるままに。

「ザ・ビッグハウス」@京都シネマ

2018-07-29 12:32:53 | 映画感想
想田和弘監督の観察映画の第8弾。
想田監督作品は見たい見たいと思いながら今だに「選挙2」しか見られていない。
今回も難しいかなぁ、と思っていたけれど偶々時間ができて?見ることができた。


10万人もの人が一堂に会してアメリカンフットボールの試合に熱狂する。
一様にミシガンの青と黄色が基調のシャツを着て「ゴー、ブルー!」と熱狂的に叫ぶ。

野球にもサッカーにも、殆どのスポーツ競技には関心のない儂にとってはかなり怖い光景だ。


と、いうのがあらかじめ予想された感想。

いや、実際にそれは間違いないんだけれど、何が怖いかって、その姿は決して人ごとではなく自分自身の姿なのだ、と気づいてしまったって事なんだな。

このスタジアムの興奮を演出する装置の一つにマーチングバンドとチアリーダーが出てくる。オープニングの華々しさを飾り、試合中も事あるごとに会場を盛り上げるバンドの存在は映画の中では意外とでかい。
マーチングバンド。いわゆる吹奏楽だ。

いちおう吹奏楽部出身で(ドリル経験はないとはいえ)ブラス大好きパタくんとしては、あれだけの人数であれだけ躍動的に迫力のあるドリルを見せられたらやっぱりワクワクしちゃう。だって、いったいどんだけあんねんなスーザフォン!マルチタムどんだけ並べるねん!みたいな。

あぁ、そうだった。吹奏楽が好きな儂はこういう風な音楽の聞かせ方は決して嫌いじゃなかったんだ。

そもそも、よく考えてみろ。
吹奏楽ってのは元々はマーチを奏でる軍楽隊が元でもあるのだ。だから軍隊の行進のように一糸乱れぬ動きやら執拗なまでのハイマークとかベルアップとかやっちゃう。なんだっつったってドリルメンバーの服装は基本軍服っぽいじゃないか。
でも、その統一感のある美しさや音楽との一体感とかが痺れるという心象を儂は知っているのだ。

ヤバイヤバイ。
きっと無自覚なままであればその熱狂に巻き込まれる事に抗いきれる自信のない儂がここにいる。

もっと言おう。

儂はスポーツには興味がないがこのブログにも沢山あげている通り音楽は大好きだ。
好きなバンドのライブに行く儂は何やったらバンドTシャツ(周りのファンと一様のもの)を着て、コールアンドレスポンスでもあれば(いや、そんなものが無くっても!)熱狂的に叫んでいる。

同じやん。

おそらくロックにもジャズにも、殆どの音楽には関心のない人にとってはかなり怖い光景だ。

ヤバイヤバイ。

しかしだ、ここはひとつこのブログを「多少は自覚的である」というアリバイがわりにする事を許してもらい、自分のことは棚に上げて話を進めよう。

マーチングバンドが軍隊チックだというのも繋がってくるんだけれど、気になるのはやはり軍国主義的愛国心とストレートに繋がっている感じがするところ。
オープニングからして特殊部隊のパラシュート降下から始まって、「彼こそ本当の英雄だ」と称えるし、退役軍人への配慮もみせるし、つまんなそーにマウスピースを並べる作業をしている上には「ここで働いてミシガンのメンバーになるのは誇らしい」みたいなスローガンが書かれているし。

至る所で飛び込んでくる大きなMの青い文字。これでもかと押し付けられるミシガンへの愛校心。
そして翻る星条旗。
両者は切り離されるものなのだろうか?
度々差し込まれるトランプを支持する声は何を暗示する?

スタジアムの収容人数がその街の人口とほとんど同じというそんな施設をかかえていれば、そのスタジアムがその街のアイデンティティとなることもあろう。その中にいてその街に染まるというのはおそらく居心地がいいことなのだ。
でもどうだろう。それに対し無自覚な事は健全な事なのだろうか?例えば企業城下町。例えば大きな宗教施設を抱える町。そこを歩く時の違和感(誤解しちゃイヤよ、違和感=悪いこと、ぢゃないよ)を儂は知っている。もしくは久し振りに東京に行って山手線に乗った時の周囲の人たちの東京言葉の気持ち悪さ。あれは実は自分の方こそが本当はストレンジャーなのだと気づかせてくれる。

ラストシーンはミシガン大学の学長がホームカミングデイに寄付を呼びかけるシーンなんだけれど、ここで考えさせられる。そもそも学校としては経営の為に愛校心を喚起して寄付を集めざるを得ない。ビッグハウスはその為の仕掛けとも言える。
教育に金をかける事をしない国の悲劇か。それでも日本よりはまだマシな状態だと言えるのだろうか?

教育についての儂の答えは明白だ。
「金は出しても口出すな」
である。
その答えからどんどん遠ざかっている感のある最近の日本!!!


そして最後に、多分この映画の主役は裏の人たち。

医務室で働く人は言う。ここに担ぎ込まれる人の半分は酒がらみだと。厨房で働く人たちのアメフトとは無関係な素振り。チョコレート売りの親子。虚しく宗教を説く人たち。そして試合終了後のゴミゴミゴミ。
スタンドを掃除する時に「アメフト大嫌い」と言った彼女の言葉で全ては夢から覚めたような気になる。

物事には表と裏がある、などとわかりやすい片付くようなものではないな。
なんかいろんなものがごちゃごちゃしていて、ここはぶっちゃけ整理しきれないでいる。

観察映画だからまぁ、仕方がないか。

しかし、アメリカのゴミ収集車。かなり大胆よな(だいぶゴミ落としているように見えたけれど。。。。)

いつも言うだけだけど、想田監督の他の映画も観たい。

「未来のミライ」@T・ジョイ京都

2018-07-12 21:22:16 | 映画感想

試写会で一足先に観る。

ぶっちゃっけ期待していた感じと全然違って肩透かし気味。
まぁ、それは儂の期待の仕方の問題でもある。

バケモノの子、おおかみこども、サマーウォーズ。
(実は「時をかける少女」は見ていない)
現実と地続きであることは担保しているけれど、実際には大きく乖離する世界で大きな一つの展開を見せるストーリー。そういうイメージかなぁ。儂が期待してしまっていたのは。

「未来のミライ」はいくつかの小さなストーリーを積み上げていく感じ。

ファンタジー。

うんまぁ、ファンタジーではあるのだけれど、ファンタジーと呼ぶにはあまりに儂らの実生活に密着している感じがして、幻想世界にのめりこめる感じではないのだな。

ストレートに言いましょう。

語弊のある言い方になる事をお許しください。

こんなにストレートに説教くさい映画であるとは予想していなかった。f^_^;
そして、子育てを巡る夫婦関係がリアルすぎて身につまされまくりです(/ _ ; )
つーかね、こどもたちが主人公という見かけだけれど、本当の主人公はお父さんとお母さんじゃないですか?これって。

まぁ、なんつーか。
メッセージがね、直球でしたなー。
あそこでミライちゃんに説明させてしまったというのは儂的にはちょっと野暮ったくて残念ではある。
彼女に言わせずにちゃんとわかってもらえる作品を期待するというのは、要求が高すぎますでしょうか?

1人目、2人目と子育てを通じた夫婦の関係性はですねぇ。当事者としてあるあるすぎてなんかもう逆に映画にのめり込めない。慣れない家事や子育てが思うようにはできない父親とそれに対して苛立つ母親、ついつい鬼婆になってしまう自分を嫌悪する母親と没頭するとこどもから目が離れてしまう父親、みたいなね。本当は父親も一生懸命だし母親も一生懸命なんだよね。

こどもの成長譚なんだけど、同時に親の成長譚でもある。だから、大人である2人を決して大人としては描いていないんだ。こどもの延長線上にあって、でも大人になった、というよりは「親」になっていく者。それは全て受け継がれて行く生という映画のテーマに合致しているのかもしれないな。
いいんだよ。みんな実はコドモで、みんな少しづつ大人になろうと日々成長してるんだからさ。

あと、狡いところがいっぱい。

まず、山下達郎を使うなんてズルい。
建築家のお父さんだからって、家の作りが面白くってズルい。
横浜の街を俯瞰した時のダイナミックさがズルい。
未来の(?)東京駅がズルい。
そもそも、星野源とかズルすぎる。

いやしかし、おじいちゃんの格好良さは格別っス。

あと、くんちゃんのかわいさも格別だから。だから泣かないでね、くんちゃん。