ぱたの関心空間

関心空間と徒然なるままに。

決断 運命を変えた3•11母子避難 @ UPLINK京都

2024-04-28 19:36:27 | 映画感想
おお初めて来たぜアップリンク京都!



っつーか新しくなってからの新風館に来たのが初めてだぜ!
って、いつから行ってないんだ!?<三条烏丸

昔の面影。。。ん?

違うがな。
別に新風館が目的ちゃうで。
えーがえーが♪

東日本大震災で、放射能汚染への懸念から全国に避難した人たちを追ったドキュメンタリーです。

東日本大震災に伴う東京電力の原発事故から13年。。。

そう、「◯◯から何年」って言っちゃうこのフリの言葉がさ、そもそもいけないのだよ。
でも、語りの入り口には便利なんでついつい使っちゃうんだよねぇ。

かと言って時間の流れは無視できないのも事実。
そこから話を初めてしまうことをお許しいただきたい。

例えば、時間が経つことで落ち着くこともある。
逆に、時間が経つことで厳しくなることもある。
更に、時間が経つことで忘れ去られることもある。

並べておいてこんなこと言うのは酷いのだけれど、それぞれは全部主体も違ってくるし、別の次元で語られる話でもあり、それでいて作用し合う関係でもあり。一つの見方だけで語ることはとても傲慢なことなのだろうと思う。

中でも一番危惧してしまうのは三つ目だ。

儂ら人間はとにかく忘れっぽい生き物なのだ。
常にそれを意識して、忘れないように忘れないようにした方がいい。
あくまで、基本的に、ということだけれど。

忘れる、ということについては自ずから忘れていく、ということの他に、忘れさせよう、忘れろという圧力もある。

山形に避難した人が浴びせられた「もう○年経つのだから自立したら」という言葉とかね。
誰も彼も自立しないでいようと思っているわけじゃないだろう?自立できないようにさせたのは誰だ?自立しにくいように住居の権利を奪ったのは誰だ?って話だ。

根本的におかしいだろう?
なぜ、避難者が、被害を受けた者が、理不尽に奪われた者が責められなくてはいけないのか?
責められるべきは東電であり、国ではないか。
想定外などという言い訳で(それ自体は別に言ったって良いけれど)逃れられるとまだ強弁するのか?
その言い訳が通じる部分と破壊した庶民の生活を守る責任とはまた別の話ではないか?

そして、儂らのように当事者ではない(、と思いがちな距離のある)人間は忘れてしまいたがっている、とも言えるのではないかとこれまた思うわけだ。災害や事件が起これば、報道やSNSの情報を見て当然のように胸を痛める。でも長時間気に止み続けることはまたしんどいことでもある(個人差があります)。テレビや新聞がいつまでもその事を報じることは気にし続けろと押し付けてくることでもある(言い方は悪いけれど、それはマスコミにとって必要な使命でもあると思うよ、儂は)。それをきらうことが絶対にいけないことか?と問われると答えに窮するけれど、その忘れようとする空気の変化という圧力に争うことは社会にとって必要なことだとも思うのだ。

特に、そうやって社会が忘れていくことに反して当事者たちのシンドさは増していく事もまた必然なのだ、ということも映画の中で描かれる。
北海道に避難した方が言っていたように、まずは加齢がある。子どもがいれば成長に伴い、経済的精神的負担が増えたりもする。病魔に侵されるということもある。関心の低下とともに運動の風通しも悪くなったりする。社会の風当たりである。
いくつもの裁判が起こされているけれど、10年とかかかる裁判を戦い続けるのがどれだけ困難なことか。
そういったことが当事者に全て降りかかってくる。
そういうしんどさを包摂できるほど儂等の社会が成熟していないことはみんな知っているじゃろ?
それだって根本的におかしいんですよ。
本当はそれだって社会のコストとして儂ら社会全体が受け入れるべきではないのか。
未熟な儂らはまだそれにさえ気づけていないのだ

そして、しんどいけれどもみんな前を向いて生きているの。
やっぱり泣いちゃうところなんだけど、なんでみんなそんなふうにさ、虐げられているのに頑張るんだろうね。
もちろん自分のため、というのはないとは言えないと思うんだけどそれだけじゃないんだよね。

曰く
子どもたちにツケを回したくない、子どもたちを守りたい、ベビーカーを押している母親たちに代わって前に出ている、と。
ひっくるめてかっこよく言っちゃうと、みんな未来を守ろうとしているのだ。
避難先で議員になる人なんて典型なんじゃないの?
議員になる、という人の最も純粋な気持ちはみんなのため、でしょう?
ウクライナの支援に目が向くのだって、なんら不思議なことではないでしょう?

儂だってそうだ。
原発なんていう負の遺産を子どもたちに押し付けるなんて、到底我慢がならない。

もちろん、ギスギスした社会ではある。
でも、人を想う気持ちがある社会には希望がある。
その希望を国が潰してどうする?

極限に追い詰められた被災者が、それでも弁当を譲り合ったりできるうちは。

忘れるな。
この国は災害大国。
明日には儂もあなたも決断を迫られるのかもしれない。


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