ぱたの関心空間

関心空間と徒然なるままに。

長岡京ソングライン'11プレイベント@JR長岡京駅前バンビオ広場公園

2011-08-28 18:42:06 | ライブレポ
最初に紹介。

「今年の長岡京ソングラインは
 9月24日(土曜日)
 京都府長岡京市、長岡天満宮境内
 もちろん無料!
 ですよーだ」
 http://songline.jp/

ってなー、
土曜日は仕事だから行けねーんだよー。
うぉぉぉ、行きてーよー。

そんなわけで、そのプレイベントがあったわけです。
だから行ってきたのです。うっほほのほい☆

場所はJR神足。。。じゃなくて長岡京駅前。
#やべぇ、歳がばれるぜ
なんだか綺麗になったよねー。
広場の後ろの建物は、長岡京市の公共の施設が入っていて、子どもが遊べるスペースが。ツレにはそこで遊んで頂く♪

さて、そんなわけでライブ。
今回、ちゃんと聞けたのは三組。

> NolenNiu-de-Ossi

「のれんにうでおし」と読む。 いや、わざわざ書かなくなくてもそう読めると思うけど。
ギター&三味線(!)の男性と、アコーディオンの女性のデュオ。
こ、これが。。。。なかなかのクセモノ。
奇をてらってるけど、ちょっと難しいことやってるけど。。。

「京都で、三味線なのにまったく和の雰囲気を感じない曲をやります」 
うしゃしゃしゃしゃ。 か、かっちょええ。。。

> SANISAI

もーすぐ新しいアルバムが出るSANISAI。相変わらずフリーライブが多いSANISAI。
セットリスト。

 ・Live to Sing
 ・上がったり下がったり
 ・京都慕情
 ・この美しき世界
 ・NOTE
 ・一番星

新しいアルバムの曲。いいです。
SANISAIに今までなかったようなメッセージを込めた感じの曲。
でも、マイペースさを失わないSANISAI。
もうちょっと売れてもいいと思うんだけどな。

> 井上ヤスオバーガー

いやぁ、井上ヤスオバーガーさんのホーム感はスゴイと思うのだ。なんだか、ベタなのにそれがちょこっとこそばゆいようにしっくりくる、どっしりとした安心感だよね。曲なんか知らないけれど、全然楽しんで聞ける安心感でもある。
「SANISAIの曲をちょっと、真似してみました『この素晴らしき世界』!」
ほんまや。でもま~~~~~~ったく違う曲ですけれども(^◇^)
ソングラインの雰囲気を一人ででも体現しちゃう井上ヤスオバーガーさんの包容力に儂らはなすすべがないよね(褒めてる。褒めてる?)

#パンで挟まれたり、ましてやピクルスのっけていたりするわけではないので、念の為>某

というわけで、回し者ではありませんが9月24日。

長岡京ソングライン。

御用とお急ぎでない方は是非。

長岡京ソングライン'11プレイベント@JR長岡京駅前バンビオ広場公園の画像

長岡京ソングライン'11プレイベント@JR長岡京駅前バンビオ広場公園の画像



ドラえもんの科学みらい展@梅田スカイビル

2011-08-25 15:24:26 | 展覧会とかアートチックなもの
儂が見に行かずに誰が見に行く?
#いやいや、ものすごい数のちびっこで賑わっていましたけど?

しかしまぁ、勘違いしてはいけないのは「ドラえもん展」ではないのでね。
あくまで「科学みらい展」なわけですよ。
純粋に科学の展覧会なわけですよ。
分かってますか?
#誰に聞いているんですか?

簡単に言うと、ドラえもんの秘密道具がで出来る事が、現在の科学でこれだけ実現しているヨ!
という内容。

当然だけど、ドラえもんの道具がそのまま出ているわけではなく、あの手この手で「この道具でできる事は、この技術でこうする事によってこれだけ実現できる・解明されているよ」ってな感じの展示、体験設備。

子ども騙し?いやいや、やっぱり単純に科学はすごいなぁと思えるものですよ。

一人乗りのヘリコプターとか医療用のカプセルとか。
儂も伊達に社会人やっているわけではないので、(えっ、そうなの?)ニュースやらなにやらで知っているものもあるけれど、ドラえもんの道具と並べられ、「こういう方法で実現可能!」なんて言われると、おぉ、すげぇ、って唸ってしまうものです。

中でも一番驚いたのは透明マントの展示かな。

説明を聞かずに体験したので、ええええっ、すげぇすげぇすげぇ、なんでなんでなんで???
と疑問符いっぱい頭につけてびっくり。 かならずしもクリアではないけれど、確かに後ろのママがマントの向うに透けて見えるぅぅぅ!
いや、種明かしをすれば実際に向うが見えるのではなく、見えるように思えるように仕掛けられている
#これから見に行く人もいるかもしれないので、詳しい仕掛けは自粛
のだけど、勿論それ用の素材とかは科学技術によって開発されているわけですよね。
スゴイスゴイ!

ほかにも、重いものが持てるようになる体験とか、持った感覚が違うっていう実験とか、即座に外国語に翻訳するモニターとか一人乗りのヘリコプターに乗れるとか。
実際にできるものが多数あって、子どもたちが順番待ちでいろいろ体験するわけです。

えぇ、イイ大人はちょっとガマンです(;_;)

いいのよ、いいのよ。
これからの未来を拓くのは君たちです。

ドラちゃんが生まれるまで、あと101年。
夢のある未来を実現するために、がんばれよ。 ちびっこ達♪

ドラえもんの科学みらい展@梅田スカイビルの画像



二重被爆~語り部 山口彊の遺言@京都シネマ

2011-08-16 15:50:35 | 映画感想
8月16日といえば五山の送り火。
どうやら、その為と思しき浴衣姿をちらほら見かける京都の街中で、本日は
「二重被爆~語り部 山口彊の遺言」を観る。

広島・長崎で二重に被爆した山口彊(ツトム)さんを追ったドキュメンタリー。

そう。
半年ほど前、イギリスのコメディ番組で取り上げられて問題になったので覚えている人もいらっしゃるかと思うんだけど、儂も恥ずかしながらその事件(?)で山口さんの事を知った。

まさか、広島・長崎と両方とも被爆した人が、しかも山口さんを含め100人以上いるなんて。そんな事想像もしなかったし、そんな重い運命を背負わなくちゃいけない人がいるなんて、考えるだけでも辛い。

癌の為に闘病生活に入る前の山口さんは、なんだかとてつもなく大きくて、とてつもない覚悟をしている、そんな雰囲気。かといって威圧感があるわけでも、何か難しい感じがするわけでもない。人間の器の大きさ、っていう話ともちょっと違う気がするんだけど。。。。 なんだろう、変な表現で恐縮だけど、人間ってこんなふうにぶれないものになれるのか、という畏敬の念を持つ。
いや、この映画の中で見ているからそう感じるのかもしれないけれど。

そして、ジェームスキャメロン監督に「私は役目を果たした」と伝えた数日後、息を引き取ったという。
そうか、それは責任感のようなものだったのかもしれない。山口さんが自ら背負い込んでいたとてつもなく強い思いに圧倒される。
そして、バトンを受け取った儂はその責任の重さにうろたえる。

映画の中では、被爆した時の経験を直接話すシーンはあまり出てこない。広島での人間筏の話くらいかな。
それなのになんだろう、山口さんを見ているだけで原爆の残虐性・非人間性が伝わってくる。静かに、ひしひしと。

驚いたのは被爆マリアの絵。

被爆マリアが掘り出されたというニュースに触発され、山口さんは初めて絵を描いたというのだけど、とても素人が書いたとは思えない絵だ。
焼けただれたマリア像は、それだけでもう原爆の恐ろしさを体現するようなシルエット。誤解を恐れずに言えば、小さい子がみたらトラウマになっちゃうんじゃないかというようなグロテスクさを醸し出しているのだけど、山口さんの描いたマリア像はさらにその絵自体が語りかけてきそうなリアリティを持っている。あれは忘れられない。

そして講演に臨む山口さん。
もしかすると、最後の方は癌の痛みをこらえているっていうのもあるのかもしれないが、話しの途中、度々こみ上げるものを懸命に抑えながら、必死で伝えようとする姿から何も感じない人はおそらくいないんじゃないのだろうか。それは経験した人だけができる魂の叫び、いや、陳腐な表現で悔しいけどそんな感じかもしれない。

アメリカの学生が聞いた
「どうしてあなたは原爆で二度も苦しみを与えたアメリカに対しての憎しみを抑える事が出来るのか」 と。
山口さんは答える
「肌や話す言葉が違っても、同じ人間。話合い理解することが出来る」
と。

そこにあるのは、未来に対しての圧倒的な希望の眼差しだと思うのだ。
それに対して憎しみは、過去に対してのこだわりでしかない。

山口さんに触れる事の出来た学生たちが山口さんから受け取った希望。
儂らもその希望を信じていいのだろうか。

いや、違うか。信じないわけにはいかないんだな。でなければ、山口さんを含めた多くの犠牲になった人たちの苦しみを否定することになっちゃうな。

帰ってKBSテレビで五山の送り火を見る(注:京都在住でもテレビで見るんですよ:-P)

おときさんが歌ってた。なんだか涙が出てきた。

いろんな事を考えてしまう今年の送り火。
それでも毎年繰り返す炎に、人々はそれぞれの想いを託すんだなー。

世界の平和と、そして心の平穏を。

二重被爆~語り部 山口彊の遺言@京都シネマの画像