ぱたの関心空間

関心空間と徒然なるままに。

大海原のソングライン @ エージェンシーアシスト(SOCIAL GIFT THEATER)

2024-02-21 15:53:19 | 映画感想
この SOCIAL GIFT THEATER では「社会課題をテーマにしたドキュメンタリー映画」を観る事になっている。
だから、前回のように重い内容の作品が多くなりがちなのだけれど、今回はちょっと「毛色が違う」(^^;)

まぁ、映画のメインが音楽だからね。
躍動的で軽快で抒情的で。
ぶっちゃけ、楽しい映画ですよ、これは。

数千年の昔、太平洋からインド洋にかけ海を渡る人々がいたと。
そして、その人たちが繋いだ音楽があると。
そのかつて繋がっていた言葉や音楽をもう一度集結させようと。

お膳立てがなかなかに大仰な気がするけれど、それで出来上がった作品は殊更に大業だ。
東はイースターから西はマダガスカルまで。
北は台湾から南はニュージーランドまで。

そこにいる先住民族の音楽家たちを個別に撮り、それを繋げて一つの楽曲にする。

これはかなりの大技でしょう?
儂的には現代的な楽曲に感じたけれど、やっぱりまとめ上げるところではそれは致し方ない。でもさ、使われている楽器とかそのリズムとか声とか曲のテーマとかは当然、その民族に根差したものであり、でもそれが併さればちゃんと一体のものになったりする。
うん、すごいよね。

曲の間に挿入されるメッセージは環境についてのトピックだったり問題点の指摘だったりするのだけれど、そこは少し取ってつけたようにも感じられる。

ただ、
持続可能の地球環境保全のために、先住民族の知恵を生かそう、そういう話が国連の会議でもあったのだとか。

まぁ、こう言って括ってしまうのはちょっと乱暴だとは思うけれど一般的に「先住民族」といえば近代化してない旧来の生活様式を守っている社会であったりするので、その生活は自然に近く、自然と共生している事が多いだろうから、自然を破壊することの多い近代化した現代社会の側からすれば忘れてしまったそういう共生のための知恵が残っている、という事なのだろう。

聞こえはいいけれど情けない話だな、と思う。

素直に、オレたち間違ってました、ごめんなさい。
なんて言えれば、話は簡単なのだろうけど。
まぁ、そんな簡単にはいかないわな。

じゃぁ、ウチらみんなで原始の生活に戻るか?
なんて極端なことを言われかねない。
もっと現実的に考えられればいいのだけれど、人類はおそらくまだそんなに大人じゃない。

カッコつけながら、少しずつ頑張って前に進もうとしている子どもなのだ。
カッコ悪いね。

カッコ悪い現代人よ。
カッコイイ音楽に触れて、人類と地球の未来について考えようぜ。
そんな映画だったのかしらん。


「情報公開が社会を変える─調査報道記者の公文書道」(日野行介著)

2024-02-09 00:08:45 | 読後感想など
いや、みんな情報公開請求しよう!
マジこれみんなした方がいい、っつーかせなあかん気がする。
実は、儂も読む直前だったんだけど生まれて初めて公開請求したところ。
実際のところ、するだけなら本当に簡単なのだ。
だからやろう。

実は、情報公開請求の話はおしどりのマコ&ケンさんの講演を聞いた時に、その中で言っていたのを覚えている。あぁ情報公開請求っていうのをやると、いろんな事実を突き止められたりできるのだな、と思ったのだけどなかなか自分で実際にするというきっかけを見つけられずにここまできてしまったのだ。

日野行介さんのこの本は、大竹まことのゴールデンラジオで紹介されていてそれで知った。
ラジオを聴きながら、「あそうだ、情報公開請求してみよう」と突然思い立ったのだ。

儂も自分なりに、色んな事で署名したり、デモ行ったり、パブコメ書いたり、講演会行ったり、PTA会長したり、教育委員会行ったり、議員さんと話したりetc.cte….できる部分でできる事やっているつもりだった。だけど、なかなか次のところに進めない感に苛まれたりしていた。
民主主義というのはすぐに答えの出るものではない、なんて嘯いてみたりするのだけれど、でもそうは言いながら手応えはやっぱりあるに越した事はない。
情報公開請求は(その実効性はともかく)うまくすればほしい情報が手に入る。もどかしさの一端が開ける。
これは一つの突破口になる気がする。

(まぁ、情報公開請求しても更なるモヤモヤが待ち構えている可能性が大である事は読めばわかるわけだが(苦笑))
でも、間違いなく前には進めると思うのだな。

政府をはじめ、行政は基本的に本当の目的を隠す。
ここはもう断言してもいいのだろう。
今儂は市の水道施策(計画)についてちょっと勉強しているところだけれど、市の側から出てくる説明がなんともおかしい。あぁ、これは何か隠しているなと感じざるを得ない。
昨日、たまたまある市議さんと話す機会があったのだが、数年前にあった市の文化施設を民間に売却してしまった件について、市は最後まで本当の理由を誤魔化し続けた、という話をしていた。でも本音は透けてみえる。透けてみえていても言葉上は上手に誤魔化してくる。情報公開請求は言質を取るための一つの武器にはなるだろう。

アベちゃんが「この道しかない」と言っていたのが今だに印象に残っているが、政治家や行政は一つの道しか儂等に示さない。選択肢を並べて、さぁどれにしますか?などとは聞いてくれない。複数のことを検討して、一つの道筋を示すことが政治家の務めだ、などと考えている向きもあるのかもしれないし、それが政治のレゾンデートルなのかもしれないが、数の力で常に多数政党の意見だけが通ってしまう今のダメダメ民主主義の世界では、本来の「議論をする」という民主主義的過程が活かされない。表面的に民主主義だと思わされ、出てきたたった一つの道筋を民主主義の結果だと思い込む。民主主義とは多様の上にあるのではないか?一つしか選択肢を示せないことのどこが民主主義か。

複数の選択肢がある、というところから始めないと民主主義は機能しない。
情報公開をすれば、実は複数あったその選択肢を可視化できる。
なるほど。

別に政治家を責めるわけじゃない。
その部分に自覚的で実践すべきは儂ら市民であって、その市民があっての政治家なのだ。
情報公開請求というのはその儂等市民が民主主義の力を発揮するための強力な武器ではないか!

そもそも、、、

「行政が間違うわけがない」「国の言っている事に従っていれば大丈夫」「お上のおっしゃる通り」だなどと、
いまだにそんな意識でいる人も結構いるように思うけれど、いったいどんなおとぎの国の話なのだろう。
実際には行政も政治家も間違いまくるし、びっくりするくらい適当な事言ってくるし、平気で嘘をつくのだ。そんなもの日々のニュースを見ていれば常識だし、歴史を見たって何度も繰り返されていることでもある。

行政を信じたいというメンタリティ(ひとまず行政に従うという話とは別)は、結局、自分で責任を負う事を回避するための言い訳なんじゃないのかな。
日本人は戦争中から何も変わっとらん。

結局民主主義の話なのだ。

おまかせ民主主義から脱皮して民主主義をきちんと自分達のものにする。
宮台真司的に言うと、任せてブーたれるのではなく、引き受けて考える。
具体的には自分達一人一人が主体的にできることをちゃんとやれるようにしましょう、という話になるのだと思う。

だからね、
みんなも情報公開請求しよう。
マジみんなしよう。
っつーか、せなアカン。(と思いはじめてる)


「いまどきPTA 嫌われ組織からの脱却」(石原慎子著)

2024-02-04 18:19:20 | 読後感想など
儂もPTAの事いろいろ考えて、会長までやって(で、校長と喧嘩して辞めて(^^))。。。
PTAの本も何冊か読んだけど、この本で一つの答えに到達した感がある。

著者の石原慎子さん(猫紫紺さん@nekoshikon )は、PTA問題の先達。
2021年に他界されていて、残念乍ら接する機会はなかったけれど、儂がPTAの事考え始める前からこの問題に取り組んでいてくれたのだ。石原さんをはじめ、この本に寄稿されている方や他のPTA問題にかかわったたくさんの人の尽力があってここまできたのだと実感する。

寄稿者のみなさんの猫さんとの関わりを思えば、その人たちの猫さんへの敬意に比べると安っぽくかんじられちゃうかもしれないけれど、やっぱり儂も猫さんに(そして、この本を届ける為に尽力された皆さんに)ありがとうを何百回も言いたい気分。



最後の大塚玲子さんの言葉を借りるなら、儂もPTAに希望を持っている。
正確に言うと、現在みんながイメージするブラックPTAではなく、戦後民主主義の実践場としての理念を持ったPTAにだ。
その理念は、決して古い時代遅れのものではなく、今こそ必要なものだと思うからこそ、儂もPTAの事を未だにあれこれ考えているのだ。その為にどうするべきか、ちゃんとここには書かれていて、ある意味PTAについて一つの答えに到達したと言える気がする、というのはそういうこと。

PTAの問題、と一括りに言ってしまうけれど、何が問題なのか?そして、どうすれば問題でなくなるのか?という論点。PTAはどうあるべきなのか?という論点。さらにPTA自体が必要なのか必要でないのか?という議論。
それぞれは別の話なのに、どうも一緒くたにして語られがちなのは、多くの人の中でまだそう言った事が整理されていないからなのだと思うのだ。
もちろん、儂も。
それがわかりやすく整理された形で書かれているのはとてもありがたい。ようやく建設的な議論ができる。

とくに吹上小の下方丈司さんのまとめ。
・社会の3つの変化
・これから必要な3つのアップデート
・アップデートのための3つの課題
・課題のための3つのポイント
わかりやすい。うん、めっちゃわかる。

まぁ、それも含めてそもそもの考え方のパラダイム転換が実は必要で、実はその壁を越える事が大前提なのだ。
多分、この本がすんなり入ってくるのは、執筆されているみなさんが、すでにPTA問題に長く取り組んでいる中でそれをすでに共通認識として持っているから、とは言えるのかもしれない。逆に、まださしてPTAの何が問題かわからないというような人(古いパラダイムのままの人)にはこの本でもやっぱりわかってもらえないのかもしれない。

例えば、社会にはいろんな状況の人がいて何か活動をするにしても同じスタンスではできないし、そもそもできる人とできない人がいるし、もっと元から言えば興味がある人もいれば全くない人もいる。前提が多様であるという当たり前すぎるくらい当たり前である事が、強制PTAを容認する人たちにはその部分を共通認識として話をする事ができない。
PTAは入退会自由の任意団体、という大前提も、その揺るがし難い位置付け以前に意識の部分で話が食い違うのだ。

あと、理念に伴う具体的な形だよね。
松戸の竹内幸枝さんが実現した「チーム栗っ子」の概要みたいなものを根っこにきちんと置くと引き継いでいく方もわかりやすいし、ベースにそういうのがあるとそれが原則になって活動できるから、単なる前年踏襲にはならない。めっちゃ共感する。

次はそれをちゃんと現実のPTAに反映していけるのかどうか。
まぁ、それがまた大変なんだけど、そんな事言っていたら猫紫紺さんにきっと怒られてしまう。

今さらですが、あらためて石原慎子さんのご冥福を。
そして感謝と猫さんの想いを(勝手に)継いでいく決意を。