ぱたの関心空間

関心空間と徒然なるままに。

映画ドラえもん のび太のひみつ道具博物館@T・ジョイ 京都

2013-04-19 21:42:46 | 映画感想
まさかの一番大きなシアターで完全貸し切り上映(^^;)。

いや、一時期レイトショーばかり行っていた時には儂の他に一組だけってパターンは何度もあったけど、貸切状態ってのは初めてやったん違うかな?
しかも、T・ジョイで一番大きなシアターです、ってゆーてたで!?<シアター10

さて、そんなわけでドラえもんの新作。
テーマはドラえもんとのび太の友情と、誰にでもいいところはあるのだというメッセージかな。

ツボポイントは、オープニングでいつもならのび太が「どらえもーん!」と言うのが定番のところを、ドラえもんが「のび太くーん!」って叫ぶという始まり方でした。
それから、話のきっかけとなる、盗られたドラちゃんの猫集め鈴、昔持っていたドラえもん大百科的な本では「故障中」ってなっていたので、てっきりその設定のままなのだろうなと思っていたけれど、直っていたという。
ま、ここはのび太も「それ故障してたんじゃないの?」って言っているところを見ると、直したというのは今回初めて出てきた設定なんだろうな。実際、それは後の展開の伏線でもあるし。

博物館のセキュリティーとか、事件の捜査とか。なんでそんなに甘いねーん!とか、なんでそないにご都合主義やねーん!とかは言ってもせんないので言いませんが(言ってる)。
全体的にダイナミックさはなかったけれども、まとまった感じで悪くはなかったかな。
ベタですが、最後の最後にやっぱりホロッときちゃったし。

人工太陽が暴走して数時間で地球が消えるという危機があったのに、あまり緊迫した感じがしなかったのは何故だろう?
んーそうか、今回は悪者組織的な敵が出てこなかったからっていうのはあるかもしれまへん。
緊迫したシーンはその膨らむ人口太陽と暴走したガードロボットとの戦いくらいなもの。あとは謎解きがメインだったと思うし。
#しかし、ペプラー博士は人騒がせなだけじゃ済まないぞ、罪の意識なさすぎ。。。

あと、ひみつ道具がたくさん出るよ、ってのが今回の売りだったのかもしれないけれど、それは意外とどうでもよかったな(苦笑)。あ、怪盗DX対マスタード警部のバトルはちょっと楽しかった。

そもそも、「ひみつ道具」っていう言い方どうなのよ。
ドラちゃんが次から次に知られてない道具を出すから、秘められてる道具みたいな感じだと思うんだけど、本来全然秘密でも何でもないし、ましてや未来の世界ではむしろ未来デパートで売っているフツーの商品なんだろうし。博物館で紹介しておいて「ひみつ」ってどうよ?
#まぁまぁ、子供向けのアニメなんだから、細かいこと言いなさんな

個人的な事ですが、ドラえもん映画。
一人で見るのはいよいよ今年で最後かな。

しかし、ゴンベエはどこにでもいるな。。。

映画ドラえもん のび太のひみつ道具博物館@T・ジョイ 京都の画像



花団@京都MUSE

2013-04-14 15:25:29 | ライブレポ
前座の神様こと「花団」が解散するのですよ。うん。

「あなたが好きなバンドって、次から次へと解散するよね」とツレ。
「うっ。。。」言葉が出ない儂。

さて、花団。
まぁ、簡単に言うとコミックバンドなのです。
コミックバンド、好きですよ、意外と(微笑)。

折角2年前にはメジャーデビュー。メジャーになったのが命取り、という勝手な想像はできるけれど、まぁ、考えるまい。八王子のバンドと言われてますが、元々は京都出身。なにより、その独特な若気る空気感と、とほほなぐだぐだ感と、わざとらしい演出満載で(褒めてます)、万人にお勧めする事はできないけれど(いや、コミックバンドで万人にお勧めできるバンドなんて無いけれど)、応援したいバンドだったのですよね。

とか言いながら、ワンマン行くの初めてだけどな!(には)。
#ライブ自体も三回しか見てないけどなー。

今回のKYOTO MUSEでのワンマンは「花団解散ウレカケタオトコタチツアー『僕たち花団でした』」のファイナル一本前のライブ。
ファイナルは4月27日(土)東京代官山UNITにて。

セットリスト書きますよ〜。ネタバレもしますですよ〜。
ファイナル行く人は気をつけるデスよ〜。
いつもどうり順番はてきとーよ〜。
いや、4曲目までは自信があるけど。。。

ではどうぞ。

・先輩はところてん
・ネルソンからの手紙
・ひょっこりひょうたん島
・ホネホネロック
・(幻のサードアルバムからの曲)
・しゃぼんだま
・順番社会
・存在(尾崎豊の。ちょっとだけ)
・赤とんぼ
・真夏の桜
・ラーメンチョップ
・フレフレフレンド
・デリボーイ
・あなたは僕の太陽
・松ぼっくり爆弾(幻のサードアルバムからの曲、爆弾は「ばぁ〜くだん」で)
・三色の虹
・相合傘
・おさな妻
・for get me not(尾崎豊)
・for you(高橋真梨子?)
・恋のマグニチュード
・恋のテンテコダンス
・ミートプリンセス
・ウレカケタオトコタチ
 >アンコール その1
・ワゴンの若大将
・ハゲ丸酒
・ブタの泪
 >アンコール その2
・俺のブーメラン

多分漏れ無し。

そーかー、ラーメンチョップってダメジャンプする曲なんだ。。。

ど頭オープニング。
幕が開くと、なんと四星球が登場!
「ジャーン『京都!』ジャカジャーン」くらい演奏した!と思ったら「ありがとう!」言いながら引っ込んだ!
で出てきたのは塚原さん以外の3人。黄色いTシャツに「78HOUR TELEVISION」の文字。番組の中で四星球の演奏が終わったという設定。ほんで、塚原さんは耐久マラソンで今会場に向かっているところです!と。MUSEのモニター使って錦市場から足引きずりながら会場に向かってくる塚原さんを映し出し、そのままフロアに迎え入れるという演出。まぁありがちだけど、中継とかおもしろかったから良しとしましょう。
しかし、なんと贅沢な前座の使い方。。。

幻のサードアルバムから二曲。「次のアルバムは好きなように作ったらいいよ」と言われたと言っていたけれど、もしかしてもう切られる事が決まっていた?いやー、まだこれからがあったのかなーと思うとそれもまた残念。ホントにそれって、ミクスチャーなんすか?>松ぼっくり爆弾

ワンマンとしてじっくり聞く事ができた今回。15年というキャリアを感じさせるだけのものもあるなーと。辰巳さんとか、ドラムだから今までネタ的に前面に出て来たのを見た事無かったから、あまり印象に無かったけれど、いや、もうあの安定感はなんだ?そしてあのドラムの激しさはなんだ?まったく、コミックバンドで叩くのには勿体なくないか?(いや、それは偏見だが。。。)
いや、まじめな話、この曲数を聞かされるとよくわかるけど、コミックバンドってパロディとかも多いからいろんなタイプの楽曲やる分バンドとして聞かせるっていう力も培われるんやろな。勢いでラフになっている部分はあるにしても、そんなバイタリティも感じる訳ですよ。もったいない。

アンコールではスーツできめた辰巳さんの「ワゴンの若大将」に着物姿の秋田さんが「ハゲ丸酒」。
最後にはお揃いの繋ぎに手の下にヒラヒラを付けた衣装で「俺のブーメラン」。
さすがにもう解散するバンドのラストライブに西城秀樹と小島よしおゲストとか、無いか。いや、まだラストが!西城秀樹はさすがに間違ってもないな。やっぱり四星球が関の山?

で、
「ブタの泪」で感極まる塚原さん。あれはさすがに演出じゃないですよね?
前のMCであれだけいちびっておいてそれはないわー。まぁ、それが塚原さんらしい感じなのかもしれないけれど(好意的)

ちょっと微妙ではあるけれど、キライじゃない唄なんだよね。<ブタの泪
「放射能の雨の中で人が消えた夜も 必死に生きてくんだ」って、福島の原発事故で避難区域に置き去られた豚の事を歌っている社会派の歌だと思っていたけど、歌詞確認したら「放射状」だった。orz...
んー、でもなー。どうなんだろう、その後の歌詞と合わせて考えたら?

しかし、
全体的に見たらとてもこれで最後だなんて思えないライブだったなー、そんな事ちっとも考えずに楽しめるライブだったなー、と思うんですよね。いや、実際まだ本当の最後じゃなかった訳だけど。
HP見たら、縁の人からの解散に寄せたメッセージがあって、何人かが「ホンマは最後の最後で『解散とかウッソピョーン』とか言うんちゃうん?」みたいに書いているけど、いやほんま実はそうなんちゃうの?
ちょっとした寂しさを笑う為に儂もそんな事を言ってみる訳です。はい。

そんなわけで、花団の本当のラストは4月27日の代官山UNIT!
まだ花団を目撃していないアナタ!まだ間に合うで!

で、ネルソンって誰?

花団@京都MUSEの画像

花団@京都MUSEの画像



遺体〜明日への十日間@京都 T・JOY

2013-04-12 11:09:34 | 映画感想
「命」

である。

見る人に、そしてまだ見ていない人に強く訴えたいのは
「いのち」
のことである。

とりあえず、内容的にはそれ以上何も言えない。

というか、言いたくない。
変に言葉にして、よけいなイメージをもたれるよりも、とりあえず見てもらいたいと思うから。

しかし、いくつか言いたいことがある。
やめといた方がいいのは分かっちゃいるのだが、儂の悪いクセなので許したまへ。

映画の舞台は東日本大震災の直後の釜石。
釜石の遺体安置所をルポした方がいたので、それを元に作られた映画である。

見終わって
「わぁ、釜石、大変だったんだね」
っていう感想しか出なかったら、それはあまりに想像力が欠如している。
と、いうか、何も見ていないに等しい。

一つ、蛇足かもしれないけれど。。。

多分忘れてはいけないのは、たまたま映画になったのが釜石だったのだという事だと思う。
たまたまルポが存在した釜石だから映画化されて形になっただけのこと。
津波が襲ったのは千葉から北海道にかけての太平洋沿岸くまなく。もちろん被害の少なかったところもあるが逆にもっと酷かったところも多い。釜石は比較的大きな街だから行政も多少機能したし、支援も早い時期から入っている。
しかし、もっとちいさな自治体や、本当にすべてが壊滅した地区、交通の寸断や見落としで孤立無援となり住民だけですべてをする事になった集落。もっと大変な現実を突きつけられていた場所がいくつもあったことに思いをはせなくてはいけない。

どっか遠い「KAMAISHI」とかいう街の悲劇、で終えてしまったら絶対にダメなのだ。
東日本沿岸の町は全てこの悲劇に直面し、現在もその悲しみを背負っている。それは癒えることはあっても忘れることは出来ない悲しみ。それを映画で見る私たち被災地以外に住んでいる(と思い込んでいる)人間が、ただの物語として消費してしまうなら、残念だけど日本人には未来はない。

とにかく、
東日本大震災から学ばなくてはいけないことはあまりに多いのだ。
震災への備えとはハード面の震災対策だけではない。
最近の言葉でいえば、グリーフケア、かな。
多分、あまりテレビで取り上げられないと思うのだけれど、人を失う悲しみに備える、それを通じて命を守るということの重大さに改めて気づくというのは、今絶対的に必要なことだと思うのだ。

映画を見ていただければ幸いです。

ただ、なによりもシャクなのは、この映画を作っているのがフ○テレビだってこと。
ま、それ以上は言うまい。儂が何を言いたいか、分かる人にはわかるでせう:-P

悪いことじゃないんだ別に。
商業映画ならば、
インディーズと違って、売れるために作られた映画であっても、むしろそれによって見てくれる人が多くなるのでメッセージが広範囲に届くことになる、影響力も大きくなるわけだから。志が高くても誰にも見てもらえない映画じゃぁ仕方が無い。
でもなんかね、ちょこっとだけね、パッケージ化されたような安っぽさを嗅ぎ当ててしまってしらける瞬間があるんだよね。あと、こういったものがウリモノにされることへののっけからの嫌悪感と。
いや、いいんです、いいんです。儂のやっかみ、というか売れてるもんに対してイチャモンつけたい魂みたいなもんです、スイマセン。

役者は豪華な配役だけのことはあって、個々の俳優の演技には申し分ないし。
#と言いながらも、これだけ集めたのに?という感じも否めませんが

何よりも儂にとっては西田敏行である。
もう最近の儂は西田さんを見るだけで涙腺が緩む。歌ったりなんかしたら第一声で号泣、パブロフの犬状態。

震災後、積極的な発言をするようになった西田さん。
今回の心に寄り添う演技に演技以上のものを見ていたのは、多分儂だけではなかったと思う。

遺体〜明日への十日間@京都 T・JOYの画像

遺体〜明日への十日間@京都 T・JOYの画像



先祖になる@京都シネマ

2013-04-08 11:26:49 | 映画感想
77歳になるその人は、津波で息子を失い、家は残ったものの二階まで浸水し、普通には住めない状態、周囲の多くの家は流され地域の人はみな仮設などへ避難しているというのに、瓦礫の原と化したその場所に住み続ける。
津波から一週間後に流された息子さんが見つかる前には、もう米作りのできる農地を探し、役人が土地利用計画を打ち出すより早く自分の家を再建すると宣言する。

そして、震災から二年を待たずに家を再建してしまう。

そのドキュメンタリー。

表面的には、周囲の言うことも聞かず我侭を通す頑固爺さんの話に思えるかもしれない。

普通に考えれば、こうだ。
不自由な被災した家に住み続けるんじゃなく避難所、仮設住宅に行けばいいじゃない。行政の言うこと聞いて今後どうするか待っていたらいいじゃない。平時だったらいいよ、でもね、こんな大変な災害の直後で町も人も大混乱の非常時なのに、何あたりまえみたいな顔して言ってるの?非常識じゃない?って話になるのだろう。
現に、奥さんはそこに住み続ける事も家を建て直す事も反対だとはっきり言うし、地域計画の話をする若い役人だって困り顔だ。

何と言ったらわかってもらえるだろう。
これは先に観た「希望の国」で強制避難に応じなかった主人公の気持ちに通じているかもしれない(ので、上手に言葉にできないんだけれど)、その場所というものに対しての強い意思のようなものに近いのかもしない。

ただ、大きく違うのはこちらの方には生きる力強さのようなものを強く感じる点だ。
「希望の国」にあるのは絶望であり、「先祖になる」にあるのは未来である。

そこでこのタイトルになる。
「先祖になる」
町が復興する為には人が当たり前に住んで日々の営みがなくてはいけない。今はまだガレキの野だが、そこに自分がいち早く住む事で復興の先鞭をつけるというのだ。77歳の佐藤直志さんが誰よりも強く未来を意識してみんなの「先祖になる」と言う。
年寄りだなんて思ってみるなら、その先入観を恥じなくちゃいけない。誰よりも前を向いている力強い男がそこにいるだけだな。

大事なのは彼は当たり前のようになんでも自分でやろうとするところ。
元々、半分農家、半分木こり。生活の為に米を作り、家を造る為に木を伐る。それは津波が来ようが来まいが、当たり前のことを当たり前にするだけだというその力強さ。

そういえば、彼を助けて一緒にやっている人に「どうして、直志さんを支援するんですか?」って聞いたら「当たり前の事をしている人だから」みたいに答えていた。
そうか、すごい事なんだな。この未曾有の大災害の最中、全ての感覚が麻痺するであろう現実を目の当たりにして、なのに当たり前の感覚でいられるというのはむしろ狂気に近いのかもしれない。けれどもさ、そんな普通でいられないような状況下で、当たり前の事を言える人間がいるという事はいったいどれだけ心強い事なんだろう、って思うな。そういう事なんじゃないかな。

生きる力っていうのがある。
決してそれが悪いとは言わないけれど、行政に頼る事になれてしまい、自分で生きる力を失いつつあるのが現代だ。
確かに行政や他からの支援というのは必要で、十分に機能するのならとてつもなく有効な手段でもあるけれど、主体はあくまでそこで生きる人間である。それが日常的にもあくまで基本。ましてや長い復興期まで含めた平時とは言えない状況下に、行政頼みであり続ける事は、果たして地域の復興の為にどれだけの意味があるであろうか?

気に障ったのなら、被災地から遠く離れた所に住んで映画だけ見てあーだこーだ言うだけの無責任男の戯言と許していただきたい。しかし、言い訳するなら儂はこれを自分自身への戒めとして強く意識するのだ。明日はわが身、南海トラフ大地震が起き、西日本が壊滅するような事態になった時、果たして儂は生きる力を発揮できるのだろうか?

けんか七夕は陸前高田の有名な祭だ。
開催が危ぶまれながら、山車一台で何とか震災の年にも行われたけんか七夕。喧嘩はできないものの、そこには、わの町を誇りに思う若い人たちの熱い想いが集まる。

喧嘩七夕で表出する若者の気持ち
「町をあきらめるな!」と叫ぶ彼らの心が77歳の老人と繋がる。

命は次の世代へと繋がっていく。
どんな大きな災厄に見舞われたって、人間はその先の未来への希望を見いだそうとする。

今を生きる私たち「先祖」が未来を見据えて頑張らなくては「子孫」達に申し訳が立たない。
未来の希望の為に、地に足をつけてできる事をしていこう。見本となる先達はここにいる。

先祖になる@京都シネマの画像