儂の住む城陽市では、ウォーターPPPといって、民間企業への包括的委託をすることになった。
岸本さんが5年前のこの本で懸念していた事が今まさに進行している。包括的民間委託だから民営化ではないと言い訳はしているが、その実は岸本さんが書いているように、市民の公共財である「命の水」を儲けの対象として水メジャーに売り飛ばしている事に他ならない。
なんという事だろう。
もっと早く本を読んでおけばよかった。
いや、後悔したところで始まらないし、儂1人がこの本を早く読んでいたところで民間委託を回避できたわけではなかろう。
それでも多少なりとも周りの人に話くらいできたはずだ。

「水は権利」
そう。儂らが生きていく上に必要不可欠な権利なのだ、水は。
水は商品ではない。水は「コモン(共有財)」。
水を守るとは儂らの生活を守ること。水から民主主義が生まれるのだ。
基本的には民主主義の話だと思う。
いや、「日本は民主主義の国です」とかそういう表面上の建前的な話ではない。
本気の民主主義を取り戻さなあかん、という話なのだ。
「民主主義」
まだ難しいのだろうか?この言葉は。
ぱたくん流に簡単に言っちゃいましょう。
自分たちの事は自分たちで決めよう、自分たちの事なんだから任せきりにしないで自分たちで考えよう。それが民主主義でしょう。ね?
当たり前?
そう当たり前なのだよ。でも、その当たり前ができていないのだよ、この国では。
宮台真司は言う。日本は「おまかせ民主主義」なのだと。
すなわち「任せて文句を言う」のが日本人の考えている民主主義。
でも本当は「引き受けて責任を持つ」べきなのだと。あぁ、耳が痛い。
日本ではどうにも未だに公営部門の民営化(民間委託)は効率的で経済的でいい事だ、みたいな思い込みが強い。
なぜだ?儂には理解できない。
そりゃ昔「お役所仕事」などと揶揄されていたように、非効率な部分は確かにあって、それを多少なりとも是正するのにカンフル剤的に民間の力を借りる事があったっていいとは思うけれど、セクションをそのまま民間にとか、まして事業丸々民間委託とか、根本的にやっちゃいけないんだ。
考えてもみて欲しい。
なんで公がやってるの?なんで公があるの?って話だ。そこには常に理由がある。
公共性がある、割に合わない、長期的継続的なニーズ、平等性。
民間企業というのは営利企業の事だ。良い悪いを別にして儲ける事が至上命題である。という事は、必要以上に利潤をあげようとする、経済合理性の為に不採算な部分を切り捨てる、見合わなければ途中で撤退する、という事はフツーにありえるわけだ。
語弊を承知で言って仕舞えば、無責任でいいのが民間だ。
根本的に相容れない部分が多いのに、なぜか民営化は歓迎される。
なぜだ?儂には理解できない。
そして何よりも公共のものは公共財。
つまりみんなの共有財産である。
民営化とはそのみんなの大切な財産を民間企業に売っぱらう事である。
なぜ、みんなの財産なのに民間に売ってしまうのだ?しかも所有者である市民不在のままに。
なぜだ?儂には理解できない。
ウォーターPPPを考えよう。
ウォーターPPPレベル4と呼ばれるものはコンセッション方式といわれるものだ。
城陽市の場合はウォーターPPPレベル3.5で包括的民間委託。ただし、国はウォーターPPP3.5はウォーターPPP 4に移行するためのステップだと明言している。
(ちなみに、城陽市は「現状では」4に移行しない、と言っている。逆に言えば、現状に変化があれば移行する事はありうるという事だ)
コンセッション方式というのは運営権ごと民間企業に渡してしまう。運営権というのは物件(財産権)なので、売り買いできるし抵当権にもなる。つまり、この企業なら大丈夫とか言って売却したは良いけれど、その後気づいたら別の企業が買い取って当初想定していなかったとんでもない運営をする事だってありうるのだ。
え、ちょっと待って、怖すぎませんか?それ。
端的に言うと、ある日気がつけば信用できない会社が水供給をしていても不思議ではないと。。。
全然大丈夫じゃないお話です。
民間委託する理由の一つは一般的には効率化。無駄を省く、なんて言われてね。
素朴に思う。なんでそんなに民間企業を信用しているのだろう?
行動理念に倫理観をどっかと据えて、良心的で市民の期待を裏切ることのない良い会社ばかりなのかしら?と。
利潤化の為に無駄じゃないものまで省くとは思わないのだろうか?
ちゃんとチェックすればいい?
ちゃんとチェックすることがどれだけ大変なことか。
ちゃんとチェックする手間を厭わないのならば、そもそも自治体が自分でやった方がよっぽど効率的ではないのか?
企業はあの手この手で、自分たちの利潤を最適化するための障壁を取り払うことに労苦を厭わないものだ。
城陽市を見てもわかる。サウンディングとか体のいい言い方をして提案を取り入れるなどとしているけれど、そんなもん内容をすり合わせて企業に便宜を図っていると想像するに難くない。
そうじゃないというのならば、なぜサウンディングの内容を公開しないのか?
パリでも、チェック機能は有名無実化していたという。
再公営化したら逆に大幅に収益が改善されたというのだから、全然シャレにならん。
効率化効率化って言うけれどさ、本当に民間になったら効率化されるの?ってことを一体どれだけの人が検証したのだろう?
岸本さんは言う
「民営化でかなえられる『効率化』とは、水道事業で働く人々の賃金カット、雇用者数の削減、必要な設備投資の先送りなどの『成果』でしかない。見せかけの『効率化』」である、と。
利潤を追求する企業のもう一つの特徴は、短期的な視野で経営判断をするということだ。
基本的に一年ごとに決算があり、株主は経営陣に対し、その短いスパンでの利潤を追求することを求める。
もちろん長い目で見て、先々利潤が見込める場合は長期的視野に立っての判断もありうるだろう。
でも逆はどうか?今良くても将来性がなければいつでも切り捨てる。そういうものではないのか。
長期的視点で持続可能でなくてはいけない水道経営に、短期的な利益を求め続ける企業の姿勢は根本的に相容れないものである。
自治体の務めは長期的に持続できる能力を次世代に継承することであり、利潤とは関係ない責務だ。それは企業の論理ではできないものであろう。
ちなみに、
フランスでは2001年以降、水道事業を民間から再公営化した自治体が109件。
逆に公営から民間に移った自治体はゼロだという。
そもそも、今日本の政府が必死こいて進めようとしている官民連携(PPP/PFI)だけれど、たとえばイギリスではすでに公会計委員会によってPFIのデメリットが報告され、2018年には財務省も新規のPFIを凍結すると発表している。曰く
「PFIは金銭的メリットに乏しく、柔軟性がなく、徒に煩雑である」
とのこと。
かつてPFIを推進したイギリスの経済誌「フィナンシャルタイムズ」も2017にはこう言い放つ
「水道民営化は組織的な詐欺に近い」
イタリアなどは一度は水道を民営化する法律が提案されたものの国民投票で否決。さらには憲法を改正して、水道事業で利益を出すことを禁じてしまった。
今からPFIをしようとか言っている日本。
一体、何周遅れなんでしょうか?
他の自治体は間違っても城陽市に続かないで欲しい。
今必要なのはミュニシパリズムとフィアレスシティ運動。
政府や府といった上の組織から地方を守る、市民のニーズを優先する。
民主主義とか難しいと思わないで。自分たちの事は自分たちで決めよう、そういう当たり前の話なのだよ。
岸本さんが5年前のこの本で懸念していた事が今まさに進行している。包括的民間委託だから民営化ではないと言い訳はしているが、その実は岸本さんが書いているように、市民の公共財である「命の水」を儲けの対象として水メジャーに売り飛ばしている事に他ならない。
なんという事だろう。
もっと早く本を読んでおけばよかった。
いや、後悔したところで始まらないし、儂1人がこの本を早く読んでいたところで民間委託を回避できたわけではなかろう。
それでも多少なりとも周りの人に話くらいできたはずだ。

「水は権利」
そう。儂らが生きていく上に必要不可欠な権利なのだ、水は。
水は商品ではない。水は「コモン(共有財)」。
水を守るとは儂らの生活を守ること。水から民主主義が生まれるのだ。
基本的には民主主義の話だと思う。
いや、「日本は民主主義の国です」とかそういう表面上の建前的な話ではない。
本気の民主主義を取り戻さなあかん、という話なのだ。
「民主主義」
まだ難しいのだろうか?この言葉は。
ぱたくん流に簡単に言っちゃいましょう。
自分たちの事は自分たちで決めよう、自分たちの事なんだから任せきりにしないで自分たちで考えよう。それが民主主義でしょう。ね?
当たり前?
そう当たり前なのだよ。でも、その当たり前ができていないのだよ、この国では。
宮台真司は言う。日本は「おまかせ民主主義」なのだと。
すなわち「任せて文句を言う」のが日本人の考えている民主主義。
でも本当は「引き受けて責任を持つ」べきなのだと。あぁ、耳が痛い。
日本ではどうにも未だに公営部門の民営化(民間委託)は効率的で経済的でいい事だ、みたいな思い込みが強い。
なぜだ?儂には理解できない。
そりゃ昔「お役所仕事」などと揶揄されていたように、非効率な部分は確かにあって、それを多少なりとも是正するのにカンフル剤的に民間の力を借りる事があったっていいとは思うけれど、セクションをそのまま民間にとか、まして事業丸々民間委託とか、根本的にやっちゃいけないんだ。
考えてもみて欲しい。
なんで公がやってるの?なんで公があるの?って話だ。そこには常に理由がある。
公共性がある、割に合わない、長期的継続的なニーズ、平等性。
民間企業というのは営利企業の事だ。良い悪いを別にして儲ける事が至上命題である。という事は、必要以上に利潤をあげようとする、経済合理性の為に不採算な部分を切り捨てる、見合わなければ途中で撤退する、という事はフツーにありえるわけだ。
語弊を承知で言って仕舞えば、無責任でいいのが民間だ。
根本的に相容れない部分が多いのに、なぜか民営化は歓迎される。
なぜだ?儂には理解できない。
そして何よりも公共のものは公共財。
つまりみんなの共有財産である。
民営化とはそのみんなの大切な財産を民間企業に売っぱらう事である。
なぜ、みんなの財産なのに民間に売ってしまうのだ?しかも所有者である市民不在のままに。
なぜだ?儂には理解できない。
ウォーターPPPを考えよう。
ウォーターPPPレベル4と呼ばれるものはコンセッション方式といわれるものだ。
城陽市の場合はウォーターPPPレベル3.5で包括的民間委託。ただし、国はウォーターPPP3.5はウォーターPPP 4に移行するためのステップだと明言している。
(ちなみに、城陽市は「現状では」4に移行しない、と言っている。逆に言えば、現状に変化があれば移行する事はありうるという事だ)
コンセッション方式というのは運営権ごと民間企業に渡してしまう。運営権というのは物件(財産権)なので、売り買いできるし抵当権にもなる。つまり、この企業なら大丈夫とか言って売却したは良いけれど、その後気づいたら別の企業が買い取って当初想定していなかったとんでもない運営をする事だってありうるのだ。
え、ちょっと待って、怖すぎませんか?それ。
端的に言うと、ある日気がつけば信用できない会社が水供給をしていても不思議ではないと。。。
全然大丈夫じゃないお話です。
民間委託する理由の一つは一般的には効率化。無駄を省く、なんて言われてね。
素朴に思う。なんでそんなに民間企業を信用しているのだろう?
行動理念に倫理観をどっかと据えて、良心的で市民の期待を裏切ることのない良い会社ばかりなのかしら?と。
利潤化の為に無駄じゃないものまで省くとは思わないのだろうか?
ちゃんとチェックすればいい?
ちゃんとチェックすることがどれだけ大変なことか。
ちゃんとチェックする手間を厭わないのならば、そもそも自治体が自分でやった方がよっぽど効率的ではないのか?
企業はあの手この手で、自分たちの利潤を最適化するための障壁を取り払うことに労苦を厭わないものだ。
城陽市を見てもわかる。サウンディングとか体のいい言い方をして提案を取り入れるなどとしているけれど、そんなもん内容をすり合わせて企業に便宜を図っていると想像するに難くない。
そうじゃないというのならば、なぜサウンディングの内容を公開しないのか?
パリでも、チェック機能は有名無実化していたという。
再公営化したら逆に大幅に収益が改善されたというのだから、全然シャレにならん。
効率化効率化って言うけれどさ、本当に民間になったら効率化されるの?ってことを一体どれだけの人が検証したのだろう?
岸本さんは言う
「民営化でかなえられる『効率化』とは、水道事業で働く人々の賃金カット、雇用者数の削減、必要な設備投資の先送りなどの『成果』でしかない。見せかけの『効率化』」である、と。
利潤を追求する企業のもう一つの特徴は、短期的な視野で経営判断をするということだ。
基本的に一年ごとに決算があり、株主は経営陣に対し、その短いスパンでの利潤を追求することを求める。
もちろん長い目で見て、先々利潤が見込める場合は長期的視野に立っての判断もありうるだろう。
でも逆はどうか?今良くても将来性がなければいつでも切り捨てる。そういうものではないのか。
長期的視点で持続可能でなくてはいけない水道経営に、短期的な利益を求め続ける企業の姿勢は根本的に相容れないものである。
自治体の務めは長期的に持続できる能力を次世代に継承することであり、利潤とは関係ない責務だ。それは企業の論理ではできないものであろう。
ちなみに、
フランスでは2001年以降、水道事業を民間から再公営化した自治体が109件。
逆に公営から民間に移った自治体はゼロだという。
そもそも、今日本の政府が必死こいて進めようとしている官民連携(PPP/PFI)だけれど、たとえばイギリスではすでに公会計委員会によってPFIのデメリットが報告され、2018年には財務省も新規のPFIを凍結すると発表している。曰く
「PFIは金銭的メリットに乏しく、柔軟性がなく、徒に煩雑である」
とのこと。
かつてPFIを推進したイギリスの経済誌「フィナンシャルタイムズ」も2017にはこう言い放つ
「水道民営化は組織的な詐欺に近い」
イタリアなどは一度は水道を民営化する法律が提案されたものの国民投票で否決。さらには憲法を改正して、水道事業で利益を出すことを禁じてしまった。
今からPFIをしようとか言っている日本。
一体、何周遅れなんでしょうか?
他の自治体は間違っても城陽市に続かないで欲しい。
今必要なのはミュニシパリズムとフィアレスシティ運動。
政府や府といった上の組織から地方を守る、市民のニーズを優先する。
民主主義とか難しいと思わないで。自分たちの事は自分たちで決めよう、そういう当たり前の話なのだよ。