ぱたの関心空間

関心空間と徒然なるままに。

渋さ知らズオーケストラ@梅田クラブクアトロ

2013-02-20 13:57:41 | ライブレポ
「渋彩歌謡大全」リリースツアー

渋さ知らズオーケストラだす。
去年に引き続き、二度目の梅田クラブクアトロ。
やっぱり今年も開演時間ギリギリに到着だけど、まぁ大丈夫だろうとちんたらしてたらギターをジャラジャラする音が聞こえて大慌てでフロアへ。三上寛さんがすでにステージに上がって、一人でがなってるし!そこにだんだんとメンバーが上がってきてライブスタート。

メンバーはTp2、Sax5、Tb1、Gt3、Ba1、Per1、Dr2、Key1、Mac1。

今回、ダンサーズが少なめだったのがちょっとザンネンだったかな。乳房知らズに東洋さん、白塗りの女性陣も不在。
ま、ゲストが豪華なのでよしとしませう。
うふふのふ。

ではセットリスト。
まだファイナル前なので、行かれる人は以下飛ばすなりなんなり、対処プリーズ。

前半の曲順がちょっと違うかも。なんと3時間のライブで曲数24曲!そんな曲数、渋さじゃないぞ(笑)

(最初に三上寛のソロ)
Fight on the corner(頭の部分だけしばらく)
股旅
一週間(Vo.渡部真一)
帰ろかな(Vo.泉邦宏)
ライオン
Swallowtail Butterfly~あいのうた~(Vo.Keyco)
We are a Fisherman Band(Vo.渡部真一)
恋は夢いろ(Vo.渚ようこ)
舟歌(Vo.渚ようこ)
カモネギ音頭(Vo.渚ようこ)
(初めて聞く曲)
火男
a song for One(Vo.関根真理)
悪漢(Vo.Keyco)
黒い花びら(Vo.三上寛)
(なんか「どーん」ってやたら言う曲)(Vo.三上寛)
ひこーき(Vo.関根真理)
校庭(Vo.泉邦宏)
すてきち
>アンコール
君は答えよ(Vo.渡部真一)
本田工務店のテーマ
渡(solo回しの中で少しだけ)
仙頭
すてきち

Fight on the cornerはイントロ部分だけで股旅に。
辰巳さんのトランペットの音なんだ?あれ。ミュートとはちょっと違うスカしたような感じの音出してたけれど、特殊なマッピ使ってるんだろうか?
Keycoが早速登場、コーラスで参加。

泉さん、ピカピカ金のスパンコールジャケットで登場。帰ろかなの間奏で三文字の言葉言い過ぎです。せっかくサックスソロやってるのに台無し^^;

恋は夢色で登場した渚ようこさんは隠れたふりをして登場してみたり、ポーズを決める動きとか、なんともオチャメさん。歌声は申し分なし、昭和歌謡。カモネギ〜カモネギ〜♪

犬姫のテーマ、初めは鬼頭さんのソロでスタートして結構長いこと歌に入らないまま幾つかのセッション。でもコード進行は大好きな犬姫だよぉぉ〜、犬姫だよ犬姫〜、とドキドキしながら聞いてた。歌に入った時にちょっとゾクゾク。

三上寛さん。ガラの悪そうな金ラメ入りシャツにグラスで登場。黒い花びらの後にギター持って歌ってた曲が特殊すぎて反応に困る(苦笑)

ひこーきでは渡部さんがコーラス。上でハモってるし!これが全然悪くないのでビックリ。いや、渡部さんがなんか神経質そうに頑張って歌っている感じが何とも。
そして終盤には泉さんがまた出てきて校庭を歌う。これはちょっと良かった。

で、本編の終了は唐突にすてきち。
えーっ、何それ?そんなん渋さちゃうわー、これでアンコールで前回みたいに本田工務店だけで投げ銭ライブとか言ったら怒るでー!
と思ったけど、普通にアンコール。
で、最後は本田工務店〜仙頭〜すてきち、といつものパターンで大団円。本田工務店はちょっと長めにソロも順番に回して行く。VJのソロとか(爆)
いやー、良かった良かった。

今回ちょっと気になったのは合いの手がちょっと過剰かなと?泉さんと辰巳さんなんだけど(^_^;)
いやいやいや、なにもかも過剰さが売りの渋さでそんな事言ったらオカシイんだけど。ま、儂の気分的にはもうちょっと抑え気味でOKってかんじです。いや、好み好み、好みの話。

あ、あと渡部さん、歌い出しの場所間違え過ぎ(笑)

渋さ知らズオーケストラ@梅田クラブクアトロの画像

渋さ知らズオーケストラ@梅田クラブクアトロの画像



宇崎竜童@パルスプラザ稲盛ホール(ふしみ人権の集い)

2013-02-09 00:19:03 | ライブレポ
実は初生宇崎竜童。

単純にカッコいい。
あぁいうカッコいいおっさんになりたい(絶対無理)。

フツーのライブではなくて「ふしみ人権の集い」っちゅー京都市の肝煎り企画の「記念講演」というもの。なんと無料♪
#実行委員長の名前がどっかで見たことあるなー、と思ったら母校の名誉教授さんでございました
#多分同和教育の講義でお世話になりました、はい

というわけでセットリスト。

・港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ
・知らず知らずのうちに
・愚図(研ナオコ)
・想い出ポロポロ(内藤やす子)
・海雪(ジェロ)
・さよならの向う側(山口百恵)
・弥生(研ナオコ)
・あなたがあなたなら
・竹田の子守唄
(開放同盟改進支部女性部コーラスのステージ)
・YO-SORO
・横浜ホンキートンク・ブルース
・ベース・キャンプ・ブルース
・沖縄ベイ・ブルース
・(曲名不明「さいしょからおわりまで?みたいなコール&レスポンスのある曲」)
<アンコール>
・竹田の子守唄(元歌)

語りが結構長かったのは、講演というだけあってなのか?それとも竜童さんてふだんからこんな感じなのか?語り口調もいつもあんな感じなのか?初めて竜童さんのステージを見るからちとわからない。

前半の方は、ワンコーラスだけとか。
沢山曲を歌うためのサービスと心得る。
一つ一つの曲のエピソードを丁寧に交えながら歌ってくれて、それはそれでいい感じでありました。

へぇ、ジェロの曲竜童さんだったんだー、とか。
「YO-SORO」好きな曲だけど、そんな経緯があったなんて(よけい好きになるやん!)、とか。
御殿場の米軍キャンプでの話とか。

ダウンタウン作った理由の一つは作曲家になりたかったから。曲は作ったものの、歌ってもらえない。じゃ、自分で歌えばとレコード会社に言われて組んだのがダウンタウン。
不良っぽいキャラクターはわざと作ったもの、って言う話は聞いた事があるけれど、そうとは知らなかった。

で、今回こういう催しに出たというのは。。。
ライブの中でも歌っているけど、以前出したブルースのアルバムに入れた「竹田の子守唄(なんとシアターブルックの佐藤タイジによるアレンジ!)」が縁で今回の出演となったそうな。「竹田の子守唄」は日本のブルースの原点であると。
ちなみに、竜童さん。伏見の出身なんだって。生まれてすぐに東京に越してしまったらしいけれど。へー、そうなんだ。

途中、解放同盟改進支部女性部コーラスさんが登場、竹田の子守唄(元歌)とこいこい節と長持唄を歌う。アンコールでは元歌を竜童さんと共演。
元歌とこいこい節はソウルフラワーモノノケサミットで聞いた事があるけど、長持歌は初めて。

竜童さんも言っていたけど、子守唄、と言いながら子守をするための歌ではなくって、子守をしなくてはいけない(させられている?)境遇を歌った唄なんだよね。「守り子唄」というらしい。
この唄を聴いたときに、そこが儂もしっくりこなかったところなんだな。曲が曲だけにへたな人に聞いてわかるものでもないし。理解されにくいところだと思う。「五木の子守唄や島原の子守唄と同じように」みたいに言ってたけど、そうなのか、知らなかった。

宇崎竜童@パルスプラザ稲盛ホール(ふしみ人権の集い)の画像



希望の国@シネマート心斎橋

2013-02-07 00:14:45 | 映画感想
もうなんと言ったらいいのか。
胸が詰まって言葉が出ない。
#と言いながらダラダラ書いてます、すいません

#ちなみに写真がさかさまですが気にしません(<直すのが面倒くさいらしい。。。)

園子温監督の作品は、「愛のむき出し」を観て、この監督の作品は見なアカン!と思った筈なのに結局次に観たのはこれ。ダメじゃのぅ。

この作品も、テレビのドキュメンタリーで見て、これは絶対に見なアカン!って思ってたのに、気づいたら京都での上映は終わっていたというorz...
#学習能力なさ過ぎ
というわけで、大阪まで遠征です。

詳しい内容については割愛、というか、必要ないかと。
#あ,でもネタバレはしてるよ
園子温監督も言っていたように、福島で被災した人たちに直接話を聞き、セリフもシーンも、なるべく想像力で書くことはやめて、取材した通りのものを脚本に入れたとのこと。
舞台設定は何年か後の日本の「長島」という架空の県となっているが、そこで展開するストーリーは、まさに二年前の福島で起こったそれだと思っていいと思うのです。

描かれているのは、人々の分断、差別、情報操作によるプロパガンダ、同調圧力、土地と結びついた思い、傷ついた心の救済、家族の絆、愛。
おおよそこの二年間実際に見てきたことが再現されているわけです。フィクションだけどちっともフィクションじゃない。これこそがむしろリアルな現実だと理解した方がいい。

主人公の夏八木勲さんと大谷直子さん演じる夫婦は最後まで避難せず、自分たちの家にとどまるわけだけど、何故強制避難区域になったというのに、避難しないのか。
この、表層的にはわかりにくいけれど、実は根っこの部分で理解されなくちゃいけない根本的な問題を、映画はかなりわかりやすく表現してくれていたと思います。

役場の人が来て説得するシーン。「迷惑なんですよ」といきり立つ若い役人に「郷土愛なんて安っぽいものじゃない」と言って庭の大きな木を見せるところ。そこにあるのは親父からそして祖父から受け継いだ歴史,いや歴史なんて言葉の乾燥したイメージじゃなくて、もっとなんかこう土臭いものだな。生まれ育った場所だから、とか、先祖代々の土地だから、とか、言葉にしてしまうとちょっと違う、もうなんとも動かしがたい大きなものがそこにあることが良くわかるシーンでした。
それでもあえて言葉にするならば「ルーツ」という言葉のイメージでどうでしょう? 根っこ。根っこをそこに残していく事なんてできないんですよ。

いや,なんか大層な事のように感じられるかもしれないけれど、そんな事はないんです。ちゃんと映画の中でも、その後,その若い役人が帰る道すがらの林で,子供の頃にそこでカブトムシを捕った思い出に浸っていたりする。そうなんだよね,そんな感じなんだよね。

#儂の文章だけでは意味が分からないと思うので、願わくば映画見ていただきたい
#見たけどわかんねーよ,という方、いらっしゃったらごめんなさいm(__)m

確かに「郷土愛」という言葉がこの映画の中では安っぽい言葉にみえてしまいました。それ自体は別にわるい言葉ではないのだけどなんでしょうね?
簡単に言うと、もっとも大事な事って結局はもっと個人的なことなんだな、と思うんですね。
「郷土」という自分を含めた大きなものを持ち出す、というのはなんだかちょっとかっこいいように見えるけれど、ちょっと嘘くさい気もしてしまいます。平時にはそんな事は感じないんだけど、非常時にはどうもその偽善ぽさが見えた気がしました。
「郷土」という言葉はまだ泥臭さを感じるけれども、例えばどうですか?自分がずっと暮らし慣れ親しんだこの町<住んでいる市町村<出身県<母国(日本)。広げれば、国単位でも「郷土愛」という言葉が使えます。簡単に言うと大きな「公」(郷土)ともっと個人的な「私」(ルーツ)という概念の対比かもしれません。人によるとは思いますが、「お国のため」ではなくもっと近しい「自分につながるもののため」にこそ、根源的な愛を持つような気がします。

さて,どうでしょう。
震災後、儂ができるだけ心がけているのは被災した福島の人たちはどういう状況下に置かれて、どう考えているのだろうか、どう感じているのだろうか、という事にできるだけ思いをめぐらせる事です。
例えば、福島はかなり高濃度に放射能汚染されているのだから、全員避難すべきだ、とか。せめて、子供たちだけでも離れるべきだ、という主張をすることは簡単です。その考え方自体は道理から言えば正論だとも言えます。でも,実際にはそんな理屈で簡単に割り切る事なんかできない,どうしようもなく大切な繋がりというのが厳然としてあったりするのですよね。
しかし、都市生活者や、儂のように故郷を持たない者にはこういう感覚は言葉だけではなかなか理解しがたいものなのだと思います。それが一つ、福島に生きる人たちとそうでない私たちとの間の壁となっているという事を自覚したい。そんな被災地にくらす人たちの置かれた事情を考慮せず、正論を言うだけで正義を振りかざした顔になる傲慢さにだけは無頓着でいたくない、そう思います。

主人公たちのお向かいさんで、早々に強制避難になった家の息子とその彼女。
彼女の家は海の近くにあり、震災後の津波に襲われ両親ともに行方不明という状況。両親を探しに津波に襲われた実家近くを彷徨するときに出会う幼子二人は、なんの説明もなかったけれど津波に襲われてしまったその魂なのでしょう。もしかしたら、その二人こそ彼女の両親の魂だったのかもしれません。

被災地では幽霊や心霊体験の類の話が多く出ていると聞きます。
これ、どうしても興味本位とか、なんか胡散臭い話のように考えられがちで、ちゃんと真面目な形で取り上げられにくいと思うんだけど、きっと大事な事なんですよ。
儂自身も霊感とかないし、コワい話苦手なクチだけど、そういう類の話としてではなくてね。
突然かけがえのない大事な人をなくしてしまった人たちにとって、そういった形ででも大切な人と邂逅するという事が、きっと魂の救済に(いくばくかは)なる。突然命を失ってしまった魂の側としても、そういった形で現世に残した人に会える事で、己を救っているのかもしれませんし。非科学的な話で恐縮ですが。

映画の中では最後に彼女に彼がプロポーズをします。
家庭を失った彼女に新しい家庭ができる。予定調和っぽく感じるかもしれないけれど、そうやって儂らは傷を癒して次の世代に進んで行くんだな。そこは一つの「希望」なのかもしれない。

幸いなのは主人公家庭の若い夫婦,旦那がちゃんと奥さんの理解者であったという事です。
一時的な避難先で妊娠が判明し,防護服を着たりして放射線への対策をエスカレートさせる為に周囲から疎ましがられる彼女を理解し、最終的には守る事を選択する彼の姿に安堵します。しかし,全ての男性が、そんなふうに世間の目を気にせずにそんな選択ができるかといえば,やはり現実は違う。現実とは違う理想的な展開を見せてくれました。
仮に、放射線への恐れが杞憂であったとしても、夫婦というのはそうであって欲しい。いや、この書き方は誤解を生むな。放射能の話はこの際関係なくて、どんな問題が起きようとも、きちんと相手の考えや気持ちに寄り添って納得のいく結論を導き出せるそんな関係性が大事なんだなと。

映画全体のイメージは、すっきりとそぎ落とした感じでした。
いろいろな問題は孕んでいるものの、できるだけストレートに、と作られたのではないでしょうか?

そんな中で、ちょっと技巧的で、ほんでもっとも印象に残ったシーンでもあるのが、杭が打たれるシーン。杭が打たれた机の映像よりも、その台詞が軽い衝撃でもありました。
そうか、これ(原発事故)は杭の一つなのか。人生において杭は何度でも打たれると。自分の思いや行いに関係なくやってくると。そして抗う事が儂らに求められる勇気なのだと。勇気があるなら逃げることも必要なのだと。
このイメージはちょっと儂にとっては新しいものです、胸にせまってきます。もしかして、呑気な儂ら日本人にとっての大事な警句になるんじゃないのかな。

「希望の国」というタイトルだけど、素直に希望は提示してくれません。二組の若いカップルの行く末に希望的観測として見出すことができるだけ。うんにゃ、否定的な書き方をするのは良くないかな。
やっと安心出来るところまで逃げたと思った矢先になり出すガイガーカウンター。二つの原発事故の為にどうやら汚染されていない場所は無くなってしまったらしい日本。国・マスコミ・医師による情報の隠蔽とプロパガンダ。周囲の無理解。主人公老夫婦の最期。絶望的な状況でも希望は見出すことができる、と考えるべきか。

大谷直子さんの繰り返す「うちに帰ろうよ」という台詞は観終えた後もずっと儂に問いかけてきます。果たして本当に帰る場所は何処なのか?そもそも帰る場所なんてあったのか。自分には帰る場所が作れるのか。
主人公夫婦にとって、汚染されたあの場所も結局帰れる場所ではなかった。いや、なくなってしまったというべきか。

別に言葉遊びをしているわけじゃないです。
現に今日本では(物理的な意味で)何万という人が、住んでいても故郷を汚され奪われ(すでにそこはかつての帰る場所ではなくなってしまっ)たという意味では何百万という人がデラシネになっている。
その事実を想わずにはいられません。

そもそも、儂ら日本人は原発事故以前に心のよりどころとしての帰るべき「うち」を見失ってしまっているのではないか?1億数千万人がデラシネなのではないか、とさえ思えてしまいます。

原発の事故は間違いなく大事(おおごと)です。
これを今日本で描かなくて、何を描く?という状況だと思いますが、注目される園子温監督でさえ資金調達に苦しむというのが日本の現状。
わからないではないけれど、やっぱりおかしな事だよね。
日本は今、目を背けてそれでどうにかなるような、そんな生っちょろい状況じゃないっつーの。

まず、みんなその異常さに気づいた方がいい。

最後に、
夏八木勲さんと大谷直子さんが見せるラブシーン。
ドキドキしました。<ええ、余計なこと書きました♪

公開開始からだいぶ時間がたっているから、まだ見られる映画館がだいぶ限られてきたけれど、チャンスがあれば是非見ていただきたいです。

っていうか、見なきゃダメ(^^)

#うーん、途中まで書いたから最後まで押し通したけど、やっぱり向いてないわ。次回からはやっぱり「だ」「である」調にしよう(ボソ)

希望の国@シネマート心斎橋の画像

希望の国@シネマート心斎橋の画像