ぱたの関心空間

関心空間と徒然なるままに。

京都府の「水道広域化推進プラン」に物申す

2023-01-09 22:08:22 | 日記
京都府が今、水道事業についてのパブコメを募ってるので、意見を送った。

「京都水道グランドデザイン改定」の中間案に対する意見募集について

「京都府営水道ビジョン(第2次)中間案」に対する意見募集について

まぁ、超絶簡単に(若干穿った見方を含めて)言うと、
「国が広域化しろって言ってきてるから乗るね。各自治体がやってる水道だけどこれから一本化していくから。あと民営化も考えるから。効率化するし地方の負担も減るし良いでしょ?ヨロシク」
ってな内容。

いやいやいや、
インフラは民営化しちゃいけない、ってのが今の世界の潮流やんか。
地方自治体に負担になっているからその解消、とか言われたら、成る程、とか思いがちだけど、負担してでも守るべきものだからこそ公がやらなくちゃいけないのであってその責任を放り投げちゃダメでしょ。負担で大変だって言うのなら、都道府県や国が支援しろ、っちゅう話やないかい。

てな訳で、色々マズイっぽいのでパブコメ書いてみた。
提出した文書はこんな感じ。
賛同していただける方は是非パブコメヨロシクです。
13日までだから、あまり時間がないけれど。。。(^^)

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「京都水道グランドデザイン改定」の中間案に対する意見募集について

今回出されている「京都グランドデザイン」について、いくつか意見を述べます。


・経営的な観点でプランを策定する事の問題
そもそも、水道事業はインフラストラクチャーです。
今回のプランで気になったのは、経費節減や効率化、合理性といった言葉が出てきて経営的視点での見方が強調されているところです。もちろん、効率化も合理化も必要な事ではあるのですが、行き過ぎるとその機構やシステム自体に余裕がなくなります。インフラを支える基盤に余裕がない社会が災害や社会の大きな変動時に脆弱であることは、議論を俟たない事です。
説明の中で、利益を追求する民間企業のように経営的視点が強調されている事に強い違和感があります。
また、P58「公民推進」の中で「包括的民間委託や指定管理者制度・コンセッションを含むPPP/PPI」の検討を進めると書かれていますが、これには断固反対します。
水道は市民生活に欠かせないインフラであり、富です。民間業者と協力したり関係があることは否定しませんが、管理運営、計画といった大事な運営の根幹部分を民間に委ねるべきではありません。一度民営化した公共サービスが、料金の高騰やサービス低下を招き再公営化する、という動きは世界中で起きていると聞きます。浜松市であった水道の民営化の動きを止めた話は記憶に新しいところではないですか?
経営的視点という言い方で公共サービスを市場優先の財に変えてしまえば犠牲になるのは市民であり、地方自治体の責任放棄に他なりません。


・多くの選択肢を残すこと
まず、多くの災害を経験して言えることは、いざ災害が起こった時にはマニュアル通りに対応できない事も多い、という事です。
交通や情報が寸断され、状況の把握も難しくなる被災現場で大事なのは、小回りが効く事。その場その場で即断即決ができること、そういった機動性を担保するという事を考えれば、各自治体事に水道事業者を置き、その自治体規模で水道事業を展開している現状は、ある意味災害に適応しやすいともいえます。
今回のプランは、基本的に広域化や統廃合を進める内容になっていると理解します。スケールメリットは理解できますが、危機管理を大きな柱にしているこのプランの中ではスケールデメリットについては触れられていません。
基本的に各自治体の事業者の形は残したまま、システムやノウハウなど、スケールメリットで効率化できるところは大いに効率化するのが危機管理上有効だと考えます。
また、効率化の観点から物理的に施設を統廃合する事も提案されています。府の視点で見た時にそれはとても効率的に見えるかもしれませんが、災害時には施設や配管の多くが使えなくなるという可能性を考えた場合、一見非効率であっても施設を多く保つことは対応できる選択肢を多く持つことでもあります。また、その非効率性は、府の視点から見たために非効率なのであって、自治体から見た場合には必要な施設であるともいえます。
広域化を前提にしたプランであるが為に、ボトムから考える視点は逆に見落とされがちな視座です。再考を求めます。


・水源を活用する事
私は城陽市在住ですが、城陽市は水源に多くの地下水を利用しています。しかし、効率化、施設の統廃合となれば、府営水道を受水する方向になるのではないでしょうか。
市の水道部の方に聞いた話によれば、城陽市が汲み上げている地下(京都水盆)の貯水量は211億tで2700年分だ、との事。京都府南部に広がる京都水盆を利用可能な自治体は城陽市だけではありません。実際、南部の自治体では地下水を多く利用しています。一方、府営水道は現状では河川を水源としています。最近は少なくなったものの、水瓶と言われる琵琶湖の渇水なども過去にはありました。また、あって欲しくない事ですが、万が一にも若狭湾にある原発が事故をした場合にまず琵琶湖が汚染される事を考えれば、当面他の水源がある、というのはとても重要な事になります。各自治体が保つ地下水源は極力持続させるべきだと考えます。


・シミュレーション結果について
プランの中で複数のシミュレーション結果が示されていますが、いくつか疑念があります。
そもそもシミュレーションというのは条件の設定によっていくらでも操作できるものと理解しているので参考程度にしかならない、というのが私の認識ではありますが、それでもプランの中で提示されている以上一定の説得力を持ってしまいます。その上での指摘です。

案P63「 表7.4.2 経営統合による効果」
私の居住域、南部圏の効果は2%です。年一人当たり45円削減。
シミュレーション結果で「改善される見通し」と書かれていますが、南部圏に関して果たしてこれだけでそう結論づけられるものでしょうか?

案P65「 表7.4.3 試算結果(区分②南部圏域)」
補助金がある方で見ても削減率は人件費で2%、給水原価0.2%、供給単価0.1%。効果は果たして本当にあると言えるのでしょうか?
また、意図が理解できていないのでなんともいえないのですが、前者は50年間の総額であるのに対して、後者は40年後の5年間の平均であるところに疑念があります。
1年後でさえ社会の情勢が見通せない昨今です。50年後のシミュレーション結果をだして、どれだけの説得力があるのでしょう?その頃にはまた社会も大きく変化してる、とは考えられないでしょうか?
案P71「表7.4.10スマートメーター導入の試算結果」にも同様の疑念があります。


・人材について
P56「人材育成・技術継承」の【事業者などの取組】の中で「中途採用や任期付職員採用」で人員確保、とあります。何故でしょう?
中途採用や任期付でしっかりした人材が育つのでしょうか?何故新卒者をきちんと教育するとか正式職員の採用にはならないのでしょう?疑問です。
昨今、自治体職員も非正規が増えている現状は知っているますが、逆にそれが人材育成や技術継承困難にしているという現実もあると考えます。せっかくのプランであるのに、根源的な部分を看過してるように思われます。


以上の点について考慮願います。

ファーストプライオリティは「命」だ。

2021-07-26 23:47:09 | 日記
人は死ぬのだ。
当たり前だけど。

時として思いがけぬほど呆気なく。
時として突然に。

知人の通夜に行ってきた。
知人と言ってもウチの子の保育園の同窓生。まだ6歳。
車の事故で突然旅立ってしまった。

辛い。
葬儀場の入り口に飾ってある遺品、愉しげな写真。
受け止めきれない。

ウチの子とクラスは違ったから接点はなかったけど顔を見知っている子だし、儂も同じ親として自然と我が子とも重なってしまう。
しかし、その当の親御さんの気持ちを想像するには余りある。

自慢じゃないが大抵のことは受け止めて気持ちや考えを整理するの、比較的上手にできる方だと思っている(ぱたくん自己評価)。
でも、命のことは別なのだ。
とても頭の思考が感情に追いつけない。

とてもじゃないが、気持ちをコントロールできない。する自信がない。

そうなのだ。
儂は色々な事にぶーぶー文句ばかり垂れているように思われるかもしれないけれど、結局のところ命を守りたいだけなのだ。最終的に1番命を守れる選択をしたいだけなのだ。違うかな?

こないだブログで書いたところじゃないか。
「儂らは死なないように育てているのだ。 ただひたすらに。」

なんで死なないように育てているか?
死なれた時に耐え切れる自信がないからだ。(語弊があるかな?)

逆縁と言う。以前観た映画で知った。
残された者に課された重みをどうしたら良いのだろう?残念乍ら答はない。

勿論、子どもだろうが年寄りだろうが1人の命の重さに変わりはない。
今言っているのはそういう事じゃなくて、そこに感じる個々の気持ちという根源的な問題だ。

命は繋がっていく。ただひたすら未来という一方行に。
一つの命を亡くすとは一つの未来の可能性を無くす事だ。
この重みがわかるかい?

あらためて言いたい。

命を守れ。

政府に唯一役割があるとするならば「国民の命を守る事」だ。
違うと言うなら儂はそんな政府は認めない。認めたくない。
「挑戦するのが政府の役割」?
ちげーよ、ばか。ふざけんな。

コロナも唐突に人の命を奪うじゃないか。
事故よりも時間の余裕はあるかもしれないけれど、余裕があるだけに残酷でもある。大切な時に側にいられなかったり葬儀に立ち会えなかったり、希望を持たせておいて裏切ったり。

しかも予測不可能な事故と違って、予防可能なのだよ。コロナは。
(知ってたかい?菅クン)
予測のできない事故で亡くなるのは不幸かもしれないが、予防可能なコロナで亡くなるのは人災だ。
(言っちゃうよー)
政府による殺人だ。

良かったじゃん。
オリンピック開けて。
もうそれで満足じゃろ?
欺瞞と偽善と強欲だらけの近代オリンピックなんて早晩世界からそっぽ向かれる。いいよ、もうそんな20世紀の遺物にしがみつかない方が。
そんな腐ったものに固執して、悲しみを広げるな。
これ以上、未来からの評価を下げる必要はないんじゃないの?
親切で言ってるんだぜ、>スガちゃん

とにかく、人を悲しませる政府はもう要らない。

よろしくお願いします。

儂らは死なないように育てているのだ。 ただひたすらに。

2021-05-12 23:56:59 | 日記
命が蔑ろにされている。

入管で亡くなったスリランカ出身のウィシュマさんの件。
端的に言えばこれは殺人という犯罪だと思うのだけど、違うのだろうか?
犯人は明白に名古屋入管。もちろんその中の誰という特定だって殺人事件として調べればちゃんとわかると思うのだけど、なぜそれがなされないのだろう。
人を人として扱わず、命を危険に晒しても何の対処もせず、挙句に殺してしまったのだ。なぜこれが許されるのだろう?

新型コロナウィルスで亡くなった人が11201人。
それぞれにそれぞれの人生があり、コロナさえなければ、11201の途切れない人生がまだあったかもしれないし、11201人に近しい人たちだって違う人生を生きていたかもしれない。当然ながら命なんてものは数の多寡ではかれるようなものではない。
それを他の国と数だけ比較して「さざ波、笑笑」と嘲笑した人がいる。しかもその人は内閣参与だという。そしてその任命権者である総理大臣は「謝ったんでしょ」(だからいいんじゃない?ってことか?)と言っただけ。
それだけか?人の命を何だと思っているのだ?

たとえ一人の命でもかけがえない大切なものだ。
ましてや、それが1万超えているとか。
どれだけの悲しみがこの国を覆っているのだろう。
(もちろん、同じように世界中を覆っているのだろう。)

みんな一生懸命生きている。
みんな頑張って死なないように生きているのだ。
突然流行病にかかってあっという間に死ぬなんていうことは、想定していないししたくもない。
が、コロナの流行というのはその悪夢を身近なものにしてしまった。

みんなが懸命に守っている命を、簡単に奪っていく奴らがいるのだ。
もちろんそいつの名は新型コロナウィルス。でも、そいつをのさばらせている奴らもいる、それが自民党政権。
その政権の参与が事もあろうに亡くなった人たちの命を、他国との比較というただの数字に置き換えることで嘲笑し、そしてそこに責任を持つ総理大臣はそれを許容する。
なんという悪夢だろう。

1つの命の重さを感じることのできないバカものが、政治の舵取りをすることがどれだけ危ういか。100年前を思い起こせばわかるだろうに。

1つの命の重さ。
儂が子育てしていて実感するものの1つだ。
誤解を恐れずに言ってしまえば、儂はいつも子どもたちの健やかな成長など考えてない。勉強のできる子になれなどと期待もしていない。しつけの方針などまるで設定できていない。ただひたすらに、この子が死なないように、この子を死なせないように、とそればかりを考えて子育てしていると言っても過言ではないと思う。

なのに何だ?ここまで頑張って1つの小さな命を守ってきたのだ。それを簡単に奪われてたまるものか。死ななくて済んだ命、などと死んだ後で言われても遅いのだ。ましてや「笑笑」などと嘲り笑い飛ばされるなど我慢できようものか。

端的に言えば、政府がやっていることは儂らの命を危機にさらすことである。守ろうなどとしていないのは明白じゃないか。いや、もっと直截に言えば、政府の無策とはすなわち政府が儂ら市民を殺しにきていると言ってもいいと思う。

他国民どころか自国民の命さえ守ろうとしないこの国で、オリンピックなどとちゃんちゃらおかしい。

珍しく怒りが収まらないのでブログに記す。

ふざけるな、ばかにするな、命を守れ。
日本政府。

荒木田岳氏講演会「ふつうに暮らしたい〜3.11は過去の話?いいえ、未来の私たち」

2016-12-04 17:12:01 | 日記
福島大学准教授の荒木田岳さんの講演会に行って来た。

これはその時の自分用メモ。
箇条書きやトピックスや感じたところを走り書きしたものを文字起こししただけなので他の人が見たら意味不明なところだらけかもしれませんが、ご容赦を。

結論から言えば、氏の講演内容は今まで見聞きした講演会の中でももっとも納得のいく、というか、そうそうですよね、と儂の心の底からモヤモヤを振り払ってくれるような、そんな講演会やった。
考え方の壁を突き抜けるために背中を押してもらったような、そんな気分。



<以下>

荒木田岳さん講演会。

福島は普通に暮らしている。
普通じゃないところで普通に生活している事の問題。
普通の生活をしたいと思って福島から出た人が普通の生活をできるのか?

「普通にくらしたい」というテーマではたと止まってしまった。

世界中で普通の生活はもうできない。あの事故で時代が変わってしまったという認識が持てるのか。

福島大学は今新しい学部を作ろうとしている。
「食農学類」
少なくとも福島は汚染があるので研究しましょう、という学部ではない。

学長室便りの言葉
「教職員一丸となって」と必ずある。多様性を重んじる大学で?

一番の問題
「汚染地で人々が暮らしている」
新潟の十日町でも福島と同じ汚染量。広範に汚染されているのだという事実。

単に福島から離れれば放射能の被害から逃れられるわけではない。
例えば、産地偽装の罰金は30万円。30万円払えば産地偽装できるわけで、儲かるためにしてる企業は多い。汚染された水も世界中を巡ってるし、世界中に放射能から逃げ出せる外部など存在しない。

浜通りでは進んで被曝を選んでいる。
6国清掃に子供達が駆り出されている!?
記事にでてくる主催者のリアクションからわかるのは。
・安全というのは国や県が決めるものらしい
・気持ちの問題か?

結局、5年たっても、自分でちゃんと足で調べないとちゃんとした事なんかわかりはしない。それが現実。

線量計と社会で流布してモニタリングポストの数字は全然違う。
福島人はモニタリングポストを除染ポストと呼ぶ。
2011年の4月に個人が線量計を手にした頃からわかり始めた事。
自分の足で調べる。

モニタリングポストの周りだけ除染している事を最初は否定していた行政も2014年頃からおおっぴらに掃除してポストをつくるのは当たり前、と言う。

「福島の事は福島人にしかわからんだろ?」「現地の人にしかわからないでしょ?」
福島が特別なのか?福島の語りの特権化
福島の人は一枚岩じゃなくちゃいけないプレッシャー。
福島の言論求められているのは、「復興に前向きで汚染に寛大、外部の人間は首をつっこむな」的な。

311ビッグバン説
いま、終わりの後を生きているという感覚。
ロスタイム。終わったのに残り時間を消費していつホイッスルが鳴っておかしくない状況。
ある時代は終わった。

風化しているわけではない。
最初から忘却する事が目的とされている。行政の対応を見ればわかる。

匿名の調査をすると今でも三分の一くらいは今からでも避難したいと思ってると答える。
現地の人たちの気持ちを考えて欲しい。

安全神話も想定外も未曾有の災害でもなかった。
原発事故は想定されていた。原子力災害対策特別措置法では、予防原則。こうなりそうだったら、そうなるものとして、対処するという形で書かれている。細かく規定されているにもかかわらず、守られていない。

避難を巡る人間模様。
避難したりしなかったり、色んな人がいる。危険度の認識はピンキリ。
が「オール福島で復興」というスローガンのように言論を抑圧する空気。
同じ空間を生きているのに同じ世界を生きていない。

声を出せない。
そのためじゃぁ京都から何ができるのか?

自分の足で調べて、自分の頭で判断して、自分の言葉で発する事でしか、世の中は変わらない。
当事者として発言すべし。同調圧力とか、客観的とか、科学的とかの物言いに負けちゃいけない。

善意の人の沈黙と無関心に訴えていく必要性。輪をおおきくすること。

不幸を分け合える社会。
現地の人たちの気持ちを想像するという事で自分のものにするという事が必要。

自分たちの誤りを自分たちで正していけるか?という瀬戸際。

自分ごとにする、か。


トークセッション

藤本真木子さん
子供たち言論も抑圧されている。言いたくても言えないこどもたち。




白票と棄権

2013-07-20 00:22:01 | 日記
薄氷は危険。。。。

無視してください。

さて、7月21日は参議院選投票日。
世間には(儂的に)残念な予測が流布している昨今ですが、みなさまにおかれてはいかがお過ごしでしょうか?

政治的のお話は大嫌いなのであまりしたくないのですが(ちょっとウソ)、やっぱり避けて通るのは儂のポリシー(あるの?)に反するかと思い、ちょこっと書いてみようかなっと。

っと、言っても選挙についての考え方は以前に書いた(そうだ!「選挙」に行こう♪)通り。
加えて、投票の棄権とか、白票を投じる事についてもう一度まとめておこうと思うのです。

まぁ、白票も棄権もアカンというのはいろんな人がわかりやすく言ってくれているので、あたしゃなーんも特別な事を言う訳ではありません。あしからず。

尚、今回の文では基本的な事柄について、わかりやすーい表現とか、まどろっこしい説明とか省き気味です。あんじょうよろしくお願いいたします。

はてさて。

基本的に、白票を投じる人の積極的な理由は
「支持したい候補者がいない・今の政治を(どの政党も)全く支持できない。だからといって選挙権を放棄する訳ではない、民主主義だから民意として抗議の白票を投じるのだ。」
かと。
#個人差はあります。

選挙の度に「選挙に行こうキャンペーン」をはるワタクシでございますが、上記のように胸を張って「だから白票を入れるんだよ(選挙に行かないんだよ)」と言ってた人に二人ばかり遭遇したことがあります。

ふむ。
素直にその理由を文面通り受け止めるとして。。。

問題点の一つは、
本人としては、抗議のつもりかもしれないけれど、為政者は誰一人としてそれを抗議だなんて思わないと言う事。

問題の二つ目は、
そもそも民主主義の主体者は自分。責任が政治家に転嫁するのはお門違いだという事。

問題の三つ目は、
政治はベストを選択できるものではなく、ベターを選択するものだという事。

という感じでしょうか。
まぁ、ぶっちゃけそんな理由なんて言い訳でしかない(本気でそんな風に考えて白票を投じている人がいるとしたらビックリですよ)と思うので、どうこう言うのも意味があるのかどうか分からないところなんですが。。。

とにかく白票を入れたからと言って、何らかの社会的意味があるかと言えば全くない訳で、せいぜい「俺は投票に行ったぜ(白票だけどな)」という自己満足でしかなく、自己正当化の為に上記のような言い訳をされる分むしろ棄権した人よりも鬱陶しいくらい :-p

それでも白票を投じる、棄権してしまう人を弁護します。(優しいな、儂)

あー、基本的に上記のように理由をつけて自分を正当化したつもりになって思考停止している人は可哀想に思いますね。虚勢を張っているに過ぎないから。

一方で消極的な理由で白票、棄権をしてしまう人がいる、というのは理解できるのですね。

だって、政治が全然儂らのものだという実感がないんだもの、日本では。
まず、学校教育では政治についての勉強をキチンと出来てない。政治の話をするという家庭環境に恵まれている人は少数派。マスコミはその責務を果たさない。
そして何より、まじめな顔して政治を語る人を鼻で笑う風潮。

そんな中で、年に一二度程度の選挙の時だけ考えて投票しろ、なんて言われたって無理ですよー。そんなの可哀想ですよー。
若い人達の投票率が低い、と下の世代を責める人は、そうさせた責任が自分たちの世代にある事を忘れちゃぁいけない。だいたいにして上の世代だって投票率決して高くはないのにね。
100%投票している世代だけ、他の世代を責めることを許します☆

世を覆う、政治的なものについて語る事に対してのネガティブな空気。
これに抗うのは、そりゃぁ並大抵の事じゃない。

それにしても、だ。
自己正当化の言い訳を恥ずかしげもなく吹聴して歩くのは、どうにもかっこうわるいです。はい。

今の政治が、政治家が悪いと本気で憤っているのなら、なぜ普段から声をあげないのか?ってね。思うでしょ?声をあげれるのが選挙の時だけだと思っていて、しかも意思表明は抗議の白票(つまり何も言葉では表明してない)だけ、で抗議の意味を汲み取れと?
いやはや、日本人は遠慮深いと言うが、遠慮深いにも程があります!
いやはや、日本人は空気を読むと言うが、もうそれは超能力者レベルです!

マジメに結論。

基本の考え方は民主主義って何かってことです。

とにかく儂が言いたいのは、全ての日本人は当事者なんですよーという事。とにかく傍観者でいられる人など、一人もいません。いや、今まではそれでなんとかなってたじゃん、って? まぁそれはそうですが、今までとこれからは違うでしょうが。

明らかに時代の転換点にきてる、パラダイムシフトしないといけないところにきている。その空気を感じませんか? 空気を読むのが得意なニホンジンノミナサン。

なんだかんだ言い訳つけて自分で考え、決め、行動する事から逃げて。その結果とんでもない結末が訪れて一生懸命責任逃れしようとも、もうその時には遅いです。

いいですか?
後で「あなたの白票がこの日本を作ったのだ」と詰っても。
いや、なじるだけで済むか。。。。?

いやぁん脅しちゃった♪
#いや、全然こわくないから