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ぱたの関心空間

関心空間と徒然なるままに。

今日は投票日

2025-07-20 07:13:21 | 日記
今日は投票日。

予測されている結果はなかなかイヤな感じだ。

いや、別にぼかす事ないな。
参政党が躍進するという結果は本当にこの国の政治にとって取り返しのつかないマズい状況を作り出す。とても憂慮している。

多分、そんな状況で
「投票率をあげようとか言うけれど、あげたらあげたでこうなる。安易に投票率をあげよう、というのは違うのではないか」
みたいにいう人がたくさん出ると思うので(っていうか、すでに前回の選挙でそう言う人が沢山いたので)今のうちに反論というか、思っているところを書いておく。

結論として、それでも儂は
「まずは投票に行こう」と呼びかけなくちゃいけないと思っている。

確かに、単に投票率を上げるために無関心な人たちにも投票してもらうという事になったら、考えなしにテレビやネットでバズっている政党や候補者に票が集まる。その結果、ならず者の政党やぶっ壊したがる政党や耳触りのいい事言って中身の薄い政党やヒトラーのナチスみたいな政党に票が集まったりするってのはもうここ数年で儂らは学習済みである。
(別に、維新の会とか、NHK党とか、国民民主とか、参政党とか言っていないからね)

だからそういうところにうっかり票を入れちゃう政治的に無関心な人は、投票に行くなって事なのか?

いや、そういうわけにはいかない。

もちろんあらまほしきは、政治的な無関心層にもちゃんと政治に関心を持ってもらって、歴史や社会の事もきちんと踏まえた上で、ちゃんと自分の頭で考えて、それから投票してください、って話になる。

あのね。

それは、小学校〜高校の間にしなくちゃいけない事なんだよ。
学校では主に社会科で、そして、社会全体でそれが成人する前の子どもたちに教育されていなきゃいけない事なのだ。

つまり、政治的無関心層にそれを求めるって事は、その10年間ほどの公民教育を今からおさらいしろ、という事であり、同時にその10年間ほどの公民教育が全然できていなかったという教育についてのこの国の失策を認める事でもあるのだ。

要するに、投票率を上げて、無関心層が無関心なままにとりあえず投票する事で出されるとんでもない結果は、今まで教育をサボっていた事のツケであり、そこを大いに反省しなくちゃいけないし、そこから導き出される結論は早急に教育を構築しなおさなくちゃいけないって事になる筈。

一体、どの政党が今回教育改革を第一に掲げている?
(教育改革を第一に掲げている候補者はもちろんいます)

トンデモな結果は結局この日本の教育施策の失敗のツケである以上甘受しなくてはいけない。それが日本の現状であり、日本人の責任だと。

でも、その状況を変える事がすぐにできるか?
無理っすよ。
上で書いたようにすでに成人してしまった公民教育を受けれなかった(形の上では受けていても軽視されている以上受けていないのと同じ)人たちに今さら再教育できるのか?否でしょう?
結局、大人になったらもう自分で気づいて自分で学ぶしかない(もちろん、学ぶためのチャンスを多く用意する事はできる)。
なのに、「無関心層は投票に行くな」と言ってしまえば、その人たちが政治に関心を持ち、学ぶきっかけさえ奪うことになってしまうのだ。

だから儂はそれでも「まずは投票に行こう」と言う。
話はそれからだ。

人間は何度も失敗する、何度も何度も失敗して、そこから学んで、やり直して、多少マシになるかもしれないけれど、それでもまた失敗する。
儂ら人間はやっぱりそう賢くはないのだ、残念乍ら。

政治に無関心な層、とレッテルを貼ってしまったが、じゃぁ(自称)政治に関心がある層はどうなのだ?なぜ、日本はこんな状況なのだ?そんな(自称)政治に関心がある層が選択を失敗し続けてきたからじゃんね。
みんな失敗するんだよ。目クソよ、鼻くそを笑うな。

失敗を恐れてはいけないと同時に、失敗しないように努力を惜しんではいけない。
同時に、反省と次に活かす努力を常にしなくてはいけない。

↑以上、超当たり前の事(なのに、日本が苦手でできていない事)を言ってみました♪

参議院選挙結果がもうすぐ出る。
儂らはまたそこから儂らの民主主義を再構築していかなくちゃいけないのだ。

京都府の「水道広域化推進プラン」に物申す

2023-01-09 22:08:22 | 日記
京都府が今、水道事業についてのパブコメを募ってるので、意見を送った。

「京都水道グランドデザイン改定」の中間案に対する意見募集について

「京都府営水道ビジョン(第2次)中間案」に対する意見募集について

まぁ、超絶簡単に(若干穿った見方を含めて)言うと、
「国が広域化しろって言ってきてるから乗るね。各自治体がやってる水道だけどこれから一本化していくから。あと民営化も考えるから。効率化するし地方の負担も減るし良いでしょ?ヨロシク」
ってな内容。

いやいやいや、
インフラは民営化しちゃいけない、ってのが今の世界の潮流やんか。
地方自治体に負担になっているからその解消、とか言われたら、成る程、とか思いがちだけど、負担してでも守るべきものだからこそ公がやらなくちゃいけないのであってその責任を放り投げちゃダメでしょ。負担で大変だって言うのなら、都道府県や国が支援しろ、っちゅう話やないかい。

てな訳で、色々マズイっぽいのでパブコメ書いてみた。
提出した文書はこんな感じ。
賛同していただける方は是非パブコメヨロシクです。
13日までだから、あまり時間がないけれど。。。(^^)

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「京都水道グランドデザイン改定」の中間案に対する意見募集について

今回出されている「京都グランドデザイン」について、いくつか意見を述べます。


・経営的な観点でプランを策定する事の問題
そもそも、水道事業はインフラストラクチャーです。
今回のプランで気になったのは、経費節減や効率化、合理性といった言葉が出てきて経営的視点での見方が強調されているところです。もちろん、効率化も合理化も必要な事ではあるのですが、行き過ぎるとその機構やシステム自体に余裕がなくなります。インフラを支える基盤に余裕がない社会が災害や社会の大きな変動時に脆弱であることは、議論を俟たない事です。
説明の中で、利益を追求する民間企業のように経営的視点が強調されている事に強い違和感があります。
また、P58「公民推進」の中で「包括的民間委託や指定管理者制度・コンセッションを含むPPP/PPI」の検討を進めると書かれていますが、これには断固反対します。
水道は市民生活に欠かせないインフラであり、富です。民間業者と協力したり関係があることは否定しませんが、管理運営、計画といった大事な運営の根幹部分を民間に委ねるべきではありません。一度民営化した公共サービスが、料金の高騰やサービス低下を招き再公営化する、という動きは世界中で起きていると聞きます。浜松市であった水道の民営化の動きを止めた話は記憶に新しいところではないですか?
経営的視点という言い方で公共サービスを市場優先の財に変えてしまえば犠牲になるのは市民であり、地方自治体の責任放棄に他なりません。


・多くの選択肢を残すこと
まず、多くの災害を経験して言えることは、いざ災害が起こった時にはマニュアル通りに対応できない事も多い、という事です。
交通や情報が寸断され、状況の把握も難しくなる被災現場で大事なのは、小回りが効く事。その場その場で即断即決ができること、そういった機動性を担保するという事を考えれば、各自治体事に水道事業者を置き、その自治体規模で水道事業を展開している現状は、ある意味災害に適応しやすいともいえます。
今回のプランは、基本的に広域化や統廃合を進める内容になっていると理解します。スケールメリットは理解できますが、危機管理を大きな柱にしているこのプランの中ではスケールデメリットについては触れられていません。
基本的に各自治体の事業者の形は残したまま、システムやノウハウなど、スケールメリットで効率化できるところは大いに効率化するのが危機管理上有効だと考えます。
また、効率化の観点から物理的に施設を統廃合する事も提案されています。府の視点で見た時にそれはとても効率的に見えるかもしれませんが、災害時には施設や配管の多くが使えなくなるという可能性を考えた場合、一見非効率であっても施設を多く保つことは対応できる選択肢を多く持つことでもあります。また、その非効率性は、府の視点から見たために非効率なのであって、自治体から見た場合には必要な施設であるともいえます。
広域化を前提にしたプランであるが為に、ボトムから考える視点は逆に見落とされがちな視座です。再考を求めます。


・水源を活用する事
私は城陽市在住ですが、城陽市は水源に多くの地下水を利用しています。しかし、効率化、施設の統廃合となれば、府営水道を受水する方向になるのではないでしょうか。
市の水道部の方に聞いた話によれば、城陽市が汲み上げている地下(京都水盆)の貯水量は211億tで2700年分だ、との事。京都府南部に広がる京都水盆を利用可能な自治体は城陽市だけではありません。実際、南部の自治体では地下水を多く利用しています。一方、府営水道は現状では河川を水源としています。最近は少なくなったものの、水瓶と言われる琵琶湖の渇水なども過去にはありました。また、あって欲しくない事ですが、万が一にも若狭湾にある原発が事故をした場合にまず琵琶湖が汚染される事を考えれば、当面他の水源がある、というのはとても重要な事になります。各自治体が保つ地下水源は極力持続させるべきだと考えます。


・シミュレーション結果について
プランの中で複数のシミュレーション結果が示されていますが、いくつか疑念があります。
そもそもシミュレーションというのは条件の設定によっていくらでも操作できるものと理解しているので参考程度にしかならない、というのが私の認識ではありますが、それでもプランの中で提示されている以上一定の説得力を持ってしまいます。その上での指摘です。

案P63「 表7.4.2 経営統合による効果」
私の居住域、南部圏の効果は2%です。年一人当たり45円削減。
シミュレーション結果で「改善される見通し」と書かれていますが、南部圏に関して果たしてこれだけでそう結論づけられるものでしょうか?

案P65「 表7.4.3 試算結果(区分②南部圏域)」
補助金がある方で見ても削減率は人件費で2%、給水原価0.2%、供給単価0.1%。効果は果たして本当にあると言えるのでしょうか?
また、意図が理解できていないのでなんともいえないのですが、前者は50年間の総額であるのに対して、後者は40年後の5年間の平均であるところに疑念があります。
1年後でさえ社会の情勢が見通せない昨今です。50年後のシミュレーション結果をだして、どれだけの説得力があるのでしょう?その頃にはまた社会も大きく変化してる、とは考えられないでしょうか?
案P71「表7.4.10スマートメーター導入の試算結果」にも同様の疑念があります。


・人材について
P56「人材育成・技術継承」の【事業者などの取組】の中で「中途採用や任期付職員採用」で人員確保、とあります。何故でしょう?
中途採用や任期付でしっかりした人材が育つのでしょうか?何故新卒者をきちんと教育するとか正式職員の採用にはならないのでしょう?疑問です。
昨今、自治体職員も非正規が増えている現状は知っているますが、逆にそれが人材育成や技術継承困難にしているという現実もあると考えます。せっかくのプランであるのに、根源的な部分を看過してるように思われます。


以上の点について考慮願います。

ファーストプライオリティは「命」だ。

2021-07-26 23:47:09 | 日記
人は死ぬのだ。
当たり前だけど。

時として思いがけぬほど呆気なく。
時として突然に。

知人の通夜に行ってきた。
知人と言ってもウチの子の保育園の同窓生。まだ6歳。
車の事故で突然旅立ってしまった。

辛い。
葬儀場の入り口に飾ってある遺品、愉しげな写真。
受け止めきれない。

ウチの子とクラスは違ったから接点はなかったけど顔を見知っている子だし、儂も同じ親として自然と我が子とも重なってしまう。
しかし、その当の親御さんの気持ちを想像するには余りある。

自慢じゃないが大抵のことは受け止めて気持ちや考えを整理するの、比較的上手にできる方だと思っている(ぱたくん自己評価)。
でも、命のことは別なのだ。
とても頭の思考が感情に追いつけない。

とてもじゃないが、気持ちをコントロールできない。する自信がない。

そうなのだ。
儂は色々な事にぶーぶー文句ばかり垂れているように思われるかもしれないけれど、結局のところ命を守りたいだけなのだ。最終的に1番命を守れる選択をしたいだけなのだ。違うかな?

こないだブログで書いたところじゃないか。
「儂らは死なないように育てているのだ。 ただひたすらに。」

なんで死なないように育てているか?
死なれた時に耐え切れる自信がないからだ。(語弊があるかな?)

逆縁と言う。以前観た映画で知った。
残された者に課された重みをどうしたら良いのだろう?残念乍ら答はない。

勿論、子どもだろうが年寄りだろうが1人の命の重さに変わりはない。
今言っているのはそういう事じゃなくて、そこに感じる個々の気持ちという根源的な問題だ。

命は繋がっていく。ただひたすら未来という一方行に。
一つの命を亡くすとは一つの未来の可能性を無くす事だ。
この重みがわかるかい?

あらためて言いたい。

命を守れ。

政府に唯一役割があるとするならば「国民の命を守る事」だ。
違うと言うなら儂はそんな政府は認めない。認めたくない。
「挑戦するのが政府の役割」?
ちげーよ、ばか。ふざけんな。

コロナも唐突に人の命を奪うじゃないか。
事故よりも時間の余裕はあるかもしれないけれど、余裕があるだけに残酷でもある。大切な時に側にいられなかったり葬儀に立ち会えなかったり、希望を持たせておいて裏切ったり。

しかも予測不可能な事故と違って、予防可能なのだよ。コロナは。
(知ってたかい?菅クン)
予測のできない事故で亡くなるのは不幸かもしれないが、予防可能なコロナで亡くなるのは人災だ。
(言っちゃうよー)
政府による殺人だ。

良かったじゃん。
オリンピック開けて。
もうそれで満足じゃろ?
欺瞞と偽善と強欲だらけの近代オリンピックなんて早晩世界からそっぽ向かれる。いいよ、もうそんな20世紀の遺物にしがみつかない方が。
そんな腐ったものに固執して、悲しみを広げるな。
これ以上、未来からの評価を下げる必要はないんじゃないの?
親切で言ってるんだぜ、>スガちゃん

とにかく、人を悲しませる政府はもう要らない。

よろしくお願いします。

儂らは死なないように育てているのだ。 ただひたすらに。

2021-05-12 23:56:59 | 日記
命が蔑ろにされている。

入管で亡くなったスリランカ出身のウィシュマさんの件。
端的に言えばこれは殺人という犯罪だと思うのだけど、違うのだろうか?
犯人は明白に名古屋入管。もちろんその中の誰という特定だって殺人事件として調べればちゃんとわかると思うのだけど、なぜそれがなされないのだろう。
人を人として扱わず、命を危険に晒しても何の対処もせず、挙句に殺してしまったのだ。なぜこれが許されるのだろう?

新型コロナウィルスで亡くなった人が11201人。
それぞれにそれぞれの人生があり、コロナさえなければ、11201の途切れない人生がまだあったかもしれないし、11201人に近しい人たちだって違う人生を生きていたかもしれない。当然ながら命なんてものは数の多寡ではかれるようなものではない。
それを他の国と数だけ比較して「さざ波、笑笑」と嘲笑した人がいる。しかもその人は内閣参与だという。そしてその任命権者である総理大臣は「謝ったんでしょ」(だからいいんじゃない?ってことか?)と言っただけ。
それだけか?人の命を何だと思っているのだ?

たとえ一人の命でもかけがえない大切なものだ。
ましてや、それが1万超えているとか。
どれだけの悲しみがこの国を覆っているのだろう。
(もちろん、同じように世界中を覆っているのだろう。)

みんな一生懸命生きている。
みんな頑張って死なないように生きているのだ。
突然流行病にかかってあっという間に死ぬなんていうことは、想定していないししたくもない。
が、コロナの流行というのはその悪夢を身近なものにしてしまった。

みんなが懸命に守っている命を、簡単に奪っていく奴らがいるのだ。
もちろんそいつの名は新型コロナウィルス。でも、そいつをのさばらせている奴らもいる、それが自民党政権。
その政権の参与が事もあろうに亡くなった人たちの命を、他国との比較というただの数字に置き換えることで嘲笑し、そしてそこに責任を持つ総理大臣はそれを許容する。
なんという悪夢だろう。

1つの命の重さを感じることのできないバカものが、政治の舵取りをすることがどれだけ危ういか。100年前を思い起こせばわかるだろうに。

1つの命の重さ。
儂が子育てしていて実感するものの1つだ。
誤解を恐れずに言ってしまえば、儂はいつも子どもたちの健やかな成長など考えてない。勉強のできる子になれなどと期待もしていない。しつけの方針などまるで設定できていない。ただひたすらに、この子が死なないように、この子を死なせないように、とそればかりを考えて子育てしていると言っても過言ではないと思う。

なのに何だ?ここまで頑張って1つの小さな命を守ってきたのだ。それを簡単に奪われてたまるものか。死ななくて済んだ命、などと死んだ後で言われても遅いのだ。ましてや「笑笑」などと嘲り笑い飛ばされるなど我慢できようものか。

端的に言えば、政府がやっていることは儂らの命を危機にさらすことである。守ろうなどとしていないのは明白じゃないか。いや、もっと直截に言えば、政府の無策とはすなわち政府が儂ら市民を殺しにきていると言ってもいいと思う。

他国民どころか自国民の命さえ守ろうとしないこの国で、オリンピックなどとちゃんちゃらおかしい。

珍しく怒りが収まらないのでブログに記す。

ふざけるな、ばかにするな、命を守れ。
日本政府。