「ここがあってよかった。そんな未来を探している。」
っていうキャッチは
「生きててよかった。そんな夜を探してる。」
という「深夜高速(フラワーカンパニーズ)」へのオマージュでしょうか?
さて、ワンダーウォールである。
もともとはNHK京都放送局制作の地方ドラマ。
製作側もはっきりとは言わないが、ぶっちゃけ廃寮問題にゆれる(正確には大学からの不当な廃寮要求に抵抗している)京大の吉田寮を題材にしたドラマである。
再放送を録画して3回見た。
知ったきっかけは大友良英さんが脚本の渡辺あやさん繋がりで紹介していたからだ。
(ちなみに大友さんは音楽の岩崎太整さんをべた褒めしていた。そりゃぁ同業者だもん、そこに目(耳)がいくわいな)
京大の吉田寮の事は気になっていた。
儂は京大吉田寮ではないけれど、同じ京都の某国立大学の、吉田寮のようないわゆる自治寮で6年間、学生生活を経験している。その経験は今の儂の人格形成のかなりの部分を占めていると思うのだ。だから儂にとって吉田寮の問題は決して他人事ではないのだ。
学生の自治寮の何がいいのか。
これは言葉にして伝えるのはなかなかに難しい。
いや、言葉にするのは簡単だ。でもちゃんと伝わる言葉にできる自信はないのだ。
しらーってなるのを覚悟して言えば、経験しないと理解しがたい感覚的に大切なものを言葉で表現するのは至難の技だという話。
「なんだよ、もったいぶって言わねーのかよ」
いやいや、申し訳ねぇ。
あのですね、あのー、先にちょっと言い訳しているだけですから、自分の語彙力のなさについて。
それでも言わないと一ミリも伝わらないからね。言いますよ。そもそも映画の中でもちゃんとね出てくるからね。
たとえばそれは「多様性を認める」であったり「自由」であったり「全員が納得できるルール」であったり。
表面的にはそういう事かな。表面的にはね。
それどころかもちろんその言葉が大正解である事は間違いない。
だけどそんな言葉だけでは絶対に足りないのだ。
学生時代という時間を実際にその中で過ごす事で感じられる価値がある。
何かな?付け加えるならば人間関係であったり、その場所という固有のものに紐付けされるアイデンティティー的なモノだったりってのもあるかな。
特権的にエラそうに言うとそういう事なのだけれど、でもどうだろう。そんな時間を過ごさなくてもこの映画は結構ちゃんとそれを伝えているんじゃないのかな。
脚本の渡辺あやさん。
多分彼女はこんな自治寮で生活した事はないのじゃないかと推察するんだけど(いや、実はあるのかもしれない。。。)少なくとも彼女にはそのわかりにくい意味が見えているし(っていうか、「わからないけど」っていう言葉も含めて成海璃子演じる三船香が感じているそれだけで伝わっている感)、スタッフも出演者も(それは制作前からなのか制作を通じてなのかまではわからないけれど)共有できている感じがするのだ。
そして、一時間強という短い時間でそれを伝えている。
間違いなく全てを伝えきれているわけではないし、そもそもその価値というのは画一的なものでもない。
でも、そこにある何かがすごく気になる大切な何かである事に気づく事は出来るのだろう。
映画の中で一番好きなシーン。
高校生の三船が受験帰りに近衛寮の入り口に差し掛かり、寮を眺めるシーン。あの時の表情が好きだ。
キューピーがちょうど映画の冒頭で「ここから見る景色が好きだ」と言うその景色は、吉田寮の何とも言えない魅惑的な空気が漂う大切なカット。三船はその時の気持ちを覚えていないかもしれない。でも、そこで三船を魅了した感覚は滓のように彼の気持ちの底にあって、彼を突き動かし続けていたのかもしれない。
「あぁ、なんかいいな」
感覚的なものは軽視されがちだけど、感覚的なものというのは意外と正しいのだ(多分、個人差はかなりあるとは思います、知らんけど)。
そういえばキューピーだって、予備校の講習中にケータイで見つけた近衛寮のページで感覚的に惹きつけられていた。あの時のキューピーと三船はつながっていると思うのだ。
人間だもの繋がれる人たちばかりではない。マサラが言うようにこの危機にあっても寮生は一枚岩にはなれないし、抗議に行く人たちの間にも温度差はある。マサラの気持ちもわかるしキューピーの感覚は普通だと思うし志村の振る舞いは儂にも通じる感じがするし三船の秘めた感情も想像に難くない。でもドレッドはずるい(^^)。
麻雀に興じる意識の高くない系寮生にだって言い分はある。
繋がらない事もそれはそれで勝ちだったりはするのだけれど、それに対して大学(社会)という権力が容赦なく牙を向いた時に自由を謳歌するだけの学生側には到底勝ち目などない事もまた事実。
(一方で今の吉田寮は聡く対抗していると思う、寮を守るのは寮生の為ではなく儂らの為なので、よかったらできる範囲での協力よろしくです)
吉田寮のHPあるよ
映画の最後にはテレビドラマ放映以降の吉田寮をめぐる動きに呼応して大学が学生を訴えたというキャプションが入る。
吉田寮の問題も、映画が提起する問題も現在進行形である。
もう1つ、
この作品、上映中の映画だけで完結してないところに驚く。
近衛寮放送室・近衛寮広報室という形で、映画から派生した問題意識について出演者を中心に対話が続いているのだ。ぶっちゃけ儂はフォローしきれていないのだけれどかなり泥臭く(いい意味で)青臭く(いい意味で)まどろっこしく(これもいい意味で)今時恥ずかしいほどストレートで真面目な対話。
今時恥ずかしくなるような、と言ってしまったけれど、つまりそれは今時に一番足りない事なのかもしれないし、今時に一番必要な事なのかもしれない。
近衛寮に残っている大切な何かと同じように街場の映画館には大切な何かがある。
合理性や経済性を優先すれば見失われていくそれを守らないと儂らは絶対に後悔する。
このTシャツ着て行くの忘れたんだなぁ、これが(^^)
ちなみに、一番最後の演奏シーンでは儂もトロンボーン吹いてます。
そんな思い入れもあるです。収録楽しかったおー♪