ぱたの関心空間

関心空間と徒然なるままに。

フェスティバルFUKUSHIMA!クロージング「マッシュルーム・レクイエム」@福島 四季の里

2012-08-26 17:08:51 | ライブレポ
福島に行ってきた。



#イベントの様子の写真撮るの忘れてた

ギタリストの大友良英さんが中心となってやっている、フェスティバルFUKUSHIMA!のクロージングイベントに参加してきたのだ。

震災後。距離のある関西にずーっといて、被災地はやはり遠いものだった。
だから、何らかの形ででもいいから、一度被災地に行ってみたいという気持ちがあった。
そこで開催された、フェスティバルFUKUSHIMA!。それに乗じて福島に行く事にした。

と、いうのも嘘ではないんだけど、、、、
正直、儂を福島に駆り立てたのはコイツである。

オーケストラFUKUSHIMA!

たまたま発見したyoutube、福島でこんな楽しそうな事をしてたのか!チクショー! いいな、儂もやりたいなー。と悔しく思っているところに、今年もやりますよ、との情報。

行きますよ、行きますとも、ああ行くってばさ!

まぁ、基本的な動機は不純ですが、福島に行きたいと思っていたのは事実。
いろいろな事を考えてはいるけど、実際に行ってみて初めて感じられる事もあるだろうと。

実際には時間の関係で福島に滞在できたのは数時間だし、行けた場所だって福島駅と会場になる四季の里を移動しただけ。
特に高濃度に放射能汚染されたところに行く訳でもない、津波で被災した場所を訪れる訳でもない。
それで何が分かる?
いや、正直全く分からない。

福島駅前の情景は地方都市のターミナル駅前と何ら変わりはしない。
もう少し周りを歩いて見る時間とかあったら、またちょっと引っかかるものに触れることもあったのかもしれないけれど。

でも、逆にそれがショックでもあった。

きっとどこか違うのだろう、という手前勝手な思い込みと呆気ない現実のギャップ。そして、それはもちろん表面的なものでしかなく、物見遊山がかった数時間のみ滞在野郎なんかにわかる訳のない想いを内包しているであろうことを想像した時の何とも言えない重い感じ。
よそ者が数時間滞在して勝手に感じる事が出来たのはその程度の事である。

事実として物理的に感じる事が出来るのは、せいぜい持参した線量計くらいなものだ。
6千円で手に入るエステーの簡易な測定器で、測り方だって怪しいので(スイッチ入れたまま移動したり、高さも適当だったり)出てきた数字の絶対値は信用できないけれど、相対的なものは分かる。
前日泊まった東京では、既に京都で測る線量の倍ほどになっていたし、公園内では場所によって驚くような数字を出していたのも事実。
でも、子どもたちはかけずり回って遊んでいるんだ。
これはこれで放射能を正しく怖がれていないであろう儂にとって、かなりのカルチャーショックである。

あと今回、折角福島まで来たので現地で桃を食べたいなと思っていた。

四季の里に着いた時に駐車場の方で桃を売っていたので、後で行ってみようとおもっていたのだけど、リハ(打ち合わせ?)が終わってから行ったらもう売ってなかった。
去年のイベントでは、ちゃんと桃が何ベクレルか測って表示した上で売っていたと聞く、それなら自分でキチンと考えて判断した上で食べる事が出来る。
どんだけ放射性物質が含まれている分からないものを食べるのは御免被りたいが、自分で判断して食べるならば納得できる。ま、食べられなかったんだけど。。。

イベント自体に賛否があることは知っている。
けれど、大友さんが書いたり発言したり、去年のイベントのドキュメントを見たりすればわかるけれど、主催者側は問題があることを認識した上で開催していて、放射線についての情報開示とそこへの出来るだけの対策(大風呂敷)をした上で、参加する(しない人にも)判断を委ねている。むしろ、そういった議論が起こることを期待しているのだとも言う。
いや、この話は長くなるのでここらでやめておこう。

当日はもう昼をすぎた頃に福島に到着。
が、バスが1時間近くないと!バス停でプロジェクトFUKUSHIMA!のTシャツを着た人に声をかけると、タクシーに同乗しませんかとの誘い。ありがたい!関東から来た3人さん。そりゃ、地元の人は車でいくわな、普通。

四季の里に着いたら、入り口の裏手にテントがかけてあって、そこで待機。特に受付とかナシ。去年は結構ちゃんとチェックとかしたらしい。ま、必要ないね、ってことになったんだろうね。

しばらく経つとリハ開始。
リハと言っても楽譜があるわけではないのでね。
今回の「マッシュルーム・レクイエム」という曲で使われる音は、基本的にCとFの音と、そこに挿入されるパーカッション群の響き。大友さんがCの音を、坂本龍一さんがFの音を指揮し、音程楽器はどちらに従っても良い。パーカッションは参加者が順繰りに出てきて好きなところで合図を出す。

大友さんは、今回のは単調であまり変化がないし「結構退屈だよ」と言うけれど、これはこれでたのしそう。いや、レクイエムなのに不謹慎だけど。

「本番の前にいつものオーケストラもやろうか」ということで、あのyoutubeでみたようなオーケストラもやってみる。ちょっとうれしい。うれしいけれども、合図はリハーサルの時に一度聴いたっきりだったのできちんと覚えていなくてちょっと消化不良。

本番までの時間は会場内をブラブラ。
二階堂和美さんが歌ってた。初めて生で聴いたけど、この人めちゃめちゃステキだ。
後でツイッタみたらU-zhaanさんと勝井祐二さんがどっかでセッションしてたらしい。「僕らがセッションしてたら盛り上がりますよ、という事でセッションしているが、誰も来ない」と。わかるところでやってください!!!(~_~;)

そんなこんなでボチボチと本番。

マッシュルーム型に合わせたキャンドルに火が灯る。
大友さんと坂本さんが出てきて、最初のパーカッション指揮者が選ばれて(儂的には)なんとなーく始まった。儂は向かって右寄り、坂本龍一さんに近い方で、U-zhaanさんと勝井祐二さんがやっている斜め後ろくらいに陣取りトロンボーンを構える。
正直言って、演奏の中にいるとこれがどんな風に聞こえているのかわからない。それがちょっと気がかりではあったけど、大友さんが言っていたみたいに退屈なんかではちっともなくて、終始大友さんと坂本さんの動きに注視し、音を出すのはちょっとスリリングでもある。
途中で気づいた、どうやらサントリーホールの音がスピーカーから流れてきているらしい。お、なんかあっちの方が激しいぞ?ちょっと対抗意識、もちょっとオーバーに音を出してもいいのかにゃん?

ましかし、取り立ててわかりやすいクライマックスなどは無く(気づかなかっただけ?)終了。やり終わった満足感はあったかな。
終わった後しばらくはちょっとしたセッション大会。
斜め前にチンドン風なサックスを吹く人がいてたので適当に合わせて吹いてて、ふっと気付くとすぐそばで坂本龍一さんが鍵盤ハーモニカ吹いて合わせてた!!!
そのせいかだんだん人が集まってきていつしか坂本さんの音もわからなくなってきたので、まだ盛り上がっているけど引き上げることに。

帰りは実家が福島という女性とそのパートナーのイギリス人男性と共に、三味線で参加(!)していた郡山の方の車に乗せていただき福島駅へ。改札に行くと丁度新幹線が来たところ。余韻に浸る間もなく飛び乗り千葉に向かう。

さてさて、
上にも書いたけど、FUKUSHIMAについて、どうこういえる立場にはないので、ムズカシイ話はパス。(聞きたい方はDMを)
オーケストラFUKUSHIMA!、もしくは大友さんがやっている音遊びの会的なアプローチ(実はちゃんと知らないけど汗;)のような音楽の楽しみ方。こういう楽しさが音楽にあるという事はもっと多くの人に体感して欲しいな、と思うんですね。
もっとも、今回のイベントはそれだけで済むものではない(済ませると勿体無い)ので、できれば切り離して考えたいものなんだんだけど。

あと、いい機会なので触れておきたいのは、今回のフェスティバルFUKUSHIMA!のテーマ『Flags Across Borders』(旗は境界を越えて)について。
これ、一月のメトロ大学で大友さんが話していた「いくつもの分断」と「一つ上の民主主義」という問題に繋がっているのだと思う。

大友さん曰く
「これまで多くの人びとが対立し、自分の「旗」を立ててきたように思います。でも、そんな旗という旗を一堂にはためかせたらどうなるでしょう。わたしたちは想像します。無数の旗は立場の違い、境界線、国境を越え、わたしたちを結びつけてしまうのではないかと。」
フェスティバルFUKUSHIMA!のHPより

問題の一つは人々の中に巣食う分断の意識だ。
分断の象徴である旗が、こんどは壁を壊す象徴になる。なんと痛快なテーマか。

そして、メトロ大學の時に儂が一番引っかかっていた「一つ上の民主主義」。
旗が壊す壁は横のイメージなのに対して、「一つ上の民主主義」というと縦のイメージになってしまうかもしれない。
でも、そこに壁があるのは同じ事なんだよね。
正直言って、今回のフェスティバルFUKUSHIMA!でそこまで明確に意図しているようには書いていないけれど、横の壁を乗り越えた先に、今度はもう一つ乗り越えなくちゃいけない縦の壁があると思うのだ。

ひょっとすると、来年はそれがテーマになるのかもしれない。

いや、かなり楽観的な希望的観測だけどさ。


まとめます(笑)
一つ前の日記で書いた福島県立相馬高校の芝居でも、今回のフェスティバルFUKUSHIMA!でも、とにかく心に刻んでおかなくてはいけないのは、福島で一年半前に起こった出来事は、今まだなんら収束していないという事。そして、儂ら日本人はこの先も福島の事を見続けていかなくてはいけないという事。
これは、原発を(意識するしないに関わらず)容認し、目を背けていた儂ら日本人の義務である。
#言いきっちゃった♪




「『耳をすませば』~震災後に京都で何ができるかを考える」(福島県立相馬高校放送局演劇「今 伝えたいこと(仮)」)@呉竹文化センター

2012-08-19 10:39:54 | 演劇レビュー
福島県立相馬高校放送局の公演、「今 伝えたいこと(仮)」 を見てきた。

イベント自体は京都教育大学の学生プロジェクトが中心となっての企画。
相馬高校放送局の公演と、阪神淡路大震災で被災した経験をもつ神戸松蔭女子学院大学の勝村弘也教授の講演と、学生の調査報告会の三部構成の内容。

勝村教授と教育大の学生には大変申し訳ないが、やはりメインは相馬高校放送局の公演である。

この相馬高校の生徒さんによる演劇の話を聞いたのは結構前(春頃)だったと思う。
まさか、こんなに近い場所での上演の機会があるとは思わなかった、有り難く思いながら、歩いて10分ほどの呉文に出向く。

で、ざっとお芝居の内容。
#超簡単に書いてますが、念のため今後見る機会をお持ちの方、待っている方で気にする方は飛ばしてください。
#自分自身の備忘録的な意味合いでも書いているので、我儘、御了承願います<m(__)m>


高校の放課後の教室で帰宅部の3人が他愛もない話をしている、がそんな話にも震災による津波被害と原発の話が影を落とす。下校時刻が来て、各々下校するが、最後に残ったとりわけおどけていた生徒が、心の苦しみを吐露する。
日が改まり、先の生徒が自殺した後の放課後の教室。仲の良い3人であったが、実際には震災でどんな被害を受けたかどんな精神的なダメージを受けているかに触れることは、お互いに自ずと避けて付き合っていた事がわかる。明らかになる個々の事情と、ぶちまける現実への不安、そして大人に対しての不満。
最後に、自殺した生徒のモノローグ。


演技の上手下手、演出の巧拙は置いておきます。
#失礼な言い方をしちゃいますが、高校生のお芝居としてはこんなものかと

聞きたいのは、伝えたいのは高校生のリアルな気持ちとメッセージだ。
この芝居は、演技でやっているのではない、リアルな高校女子としてのストレートな思いの発露なのだ、と言ったら言い過ぎか?失礼か?語弊があるか?

芝居という形を借りて、自分たちの置かれている状況を伝えている、そういうものとして芝居を見る儂らも受け取ってかまわないのだと思う。

なによりも辛いのは、個々がお互いに、震災で自分がどんな被害をうけたのか、どんな状況にあるのかという事を話題として避けていた、という設定だ。設定というよりも、実際そう言う感じなのだろう、当日彼女らが販売していたミニコミ誌にもそれをうかがわせるような話が書いてあった。想像できる。
自殺した生徒は、原発の事故で帰還困難となった警戒区域で被災し、津波で家族を亡くした為、親戚の酪農家の家に世話になる事になったが、肩身の狭い思いをしている、しかし、日常的にはそれをおくびにも出さずにひょうきん(死語か?)に振舞っている、という設定。他の二人についても、どんな被災をしたか、どんな精神的ダメージを受けたかを互いに話すことはなかった。
日本人特有の自らの哀しみは秘める、という美徳、と言えなくもないが、そういう事を包み隠さずに出す、自分をさらけ出してしまう事で自分が傷つく事を恐れている、という事はあるのだと思う。

それに加えて、空気の問題。

まるでなんの問題もないかのように振舞われる日常の中で、自分の違和感を表明することは、上手い事問題なくやっている(ように見える)日常を破壊する事だ。それを許さない空気というのがあるのではないだろうか。ちょっと大袈裟に言っているように聞こえるかもしれないけれど、既にこの三人の他愛もない日常会話の中で「津波」という言葉が出てくること自体を嫌うシーンがある、そのこと自体がその例でもある。
儂らの日常だってそうだ。友人間で、ちょっと真面目な事を言おうとすると、敬遠される、そんな風潮と地続きだ。昨今の「絆」キャンペーンだって「風評」というレッテルを張って現実を見る事を止めてしまう流れだって、全て同じ事だ。
けっして、福島だけの問題じゃない、この「空気感という圧力」は日本人が抱えている、大問題である。

単に社会の閉塞感だけではない。
社会によって高校生(に限らず若い子たち)が自ら感情を押しこめてしまうことによる閉塞感の問題の大きさというのは、これはもう計り知れないものがある。
自殺なんていうのはその病理が社会に出現する端緒でしかないと思うのだ。人一倍敏感であったり、逃げ場がなかったり、他の人よりも少し厳しい状況の人が追い詰められてまず自殺という形で表れてくる。自殺に至らなくても多くの人にはこの閉塞感というストレスがのしかかるわけで、それが今後社会にどんな影響を及ぼすのか、想像することもできない。

そもそも、この若い世代にそんなストレスを強要してしまう社会というモノ自体が問題なのだが、、、
そこに来てこの原発事故だ。

芝居の中でも訴えているが、原発を選択したのは彼女たちではない。大人たちだ。
それなのに、何故に高校生である私たちが苦しまなくてはいけないのか?責められなくてはいけないのか?と。

儂ら大人が本気で応えなくてはいけないところはここなのだ。

原発の事故も、今の日本のエネルギー施策も。ひいては今の日本の社会システムをつくったのも、今後の日本社会の方向性を決めてしまったのも全て儂ら大人である。
それなのに彼女達は今、その原発やエネルギー施策で苦しめられている。そして、残念ながら、選挙権もない若い彼らは今まさに原発のツケを払わされるのだ。

子どもを守ろう、だとか、子どもたちが未来をつくる、だとか体のいい言葉を並べながら、儂ら大人は子どもたちの未来を搾取してなんら憚らないでいる。こんな偽善があるだろうか?
本気で子どもたちが生きる、これから先のこの国の事を考える気があるのなら、考えるべきは「今」のパラダイムで考える日本ではなく「未来」の日本のあるべき姿であると。いや、本気で考える気があるならそう言えると思うんだけどな。

ちょっと話がそれたかもしれない。

タイトルに戻れば、福島の人々が「今伝えたい」と考えている事に(いや、そもそも伝えたいと言える人は稀なんだよね、声を出せないでいる多くの人がいる事を忘れちゃいけないし、その声を出せない人達の想いに対しても想像力を働かせたりして)、儂らは「耳をすま」さなくてはいけない、という事になるだろうか。

話を聞くというのは単純で簡単な事、だけれど、はっきり言ってそんな簡単な事さえも出来ていないのだ、儂らは。

そこから考えなくては何も始まらない。
そこをなおざりにしては、何も意味をなさない。
そこを軽んじる、全ての復興策は全て虚しい。

原発を容認すべきだと主張する全ての人に訴えたいのは勿論だけど、原発に反対する多くの人も「フクシマ」を忘れてはいけない。
「いや、大丈夫、俺はわかってるって。」
そう言う人も多いだろうけど、たとえ理解していたつもりだったとしても相馬高校放送局に限らず福島の人の話を聞く機会があれば、必ず耳を傾けて欲しい。想像しているのと実際に見聞きするのでは、感じ取るものに雲泥の差がある。それにだいたいにして、100人いれば100の違う訴えがあるのだから、出来るだけ多くの人の話を聞かなければ意味がない。当たり前だけどさ。

あ、別にIWJさんの百人百話の宣伝をしようっていうんじゃないですよ、念の為(なら、なんでリンク貼る?)^^;
#でも福島の人の話を聞くという意味ではそのものズバリですので、多くの人にみききしてほしいです

好むと好まざるとにかかわらず、ヒロシマ・ナガサキに続いて今、「フクシマ」も特別な言葉になってしまった。
その意味を考えてみませんか?

「『耳をすませば』~震災後に京都で何ができるかを考える」(福島県立相馬高校放送局演劇「今 伝えたいこと(仮)」)@呉竹文化センターの画像

「『耳をすませば』~震災後に京都で何ができるかを考える」(福島県立相馬高校放送局演劇「今 伝えたいこと(仮)」)@呉竹文化センターの画像



西院ミュージックフェスティバル@春日神社

2012-08-05 15:05:02 | ライブレポ
夏フェスです。
異論は認めません!

#それでも異論がある人はDMください。ごめんなさい、と書いたメールが返信される予定です

毎年8月頭に開催される都市型無料(投げ銭制)音楽イベント。
今年も行ってまいりました。

4日、5日と二日間開催ですが、諸般の事情で5日のみ。
会場いくつかありますがメイン会場張り付きでした。

会場到着、12時半近く。
最初のバンドは既に終了。オーセンティックスカのバンドと書いていたので聞きたかったんだけどな、仕方が無い。
#下駄履いてきた癖にそんなことを言う

というわけで、ステージには天野SHOさん。
BASS弾き語りロック。年季があるというやつだ。

続いて

・志磨参兄弟

おっと、バンドセットか?
志磨参兄弟は以前メトロのヒップホップ系イベントで見たことがある。が、そん時はMCとターンテーブルだったんじゃないかな。SAXに三味線をいれて、なかなかに生々しく和テイストを意識したファンキーな感じになった。前に聞いた時も悪くはないと思ったが、語りにちょと引いてしまって、どうなの?と気になった記憶がある。なかなかいい感じなのでもうちょっと聞きたかったが、嵐電のギターパンダを聞きたかったので途中で西院の駅へ。

んが、すでに乗車券は完売、くそー、山川のりお君見たかったのにー。

すごすごと春日神社に戻ると既に

・片山尚志

片山ブレイカーズ&ザロケンローパーティのボーカルである。ソロステージ聞くのは初めて。いや、バンドだってまだ3回しか聞いてないと思うけど。
やっぱりちょっとカッコいい。儂が、カッコいいと思ってやっているであろうカッコ良さを、素直にカッコいいと思うことはあまりないんだけどな。この声と歌い方はセクシーだと思う。
短い時間でカバー二曲というのはちょっと勿体無い(オリジナルが聞きたい)ところではあるけど、どんとも清志郎も様になっているから驚きだ。
でも、最後の「地球最後の朝がきて」には鳥肌が立った。

・志野靖家

メシ食いに行って戻ってきたら拝殿(中央のPAおいてる拝殿)ライブと言ってピアニスト登場。超絶技工演奏家、と言っていたが、これは面白い!後ろ向いて演奏とか、ねこふんじゃったと犬のおまわりさんを同時に弾くとか。これは。。。。演芸ですよね?^^;

・THREE SEVEN

京都のオーセンティックスカバンド。なんだか懐かしい。ロッキンタイムのイベントに行った時とか、何回か聞いたことのあるバンドでちょっといいかんじなんだよね。ここしばらく名前見る機会がなかったからすっかり忘れていたけれど。
まったりと揺れるように踊れる。んが、やはり下駄ではキツイな(<馬鹿)。転居という理由で脱退していたメンバーが、偶々京都に来ているので久しぶりに一緒にやります、と。なんか、ノリの感じもぐっと良くなる感じがした、ちょっとこういう感じの身内ノリは見ている方もちょっとワクワクする感じがして好きだな。

・Little Fats & Swingin' Hot Shot Party

おそらく本人たちも周りの人も認めざるを得ない、西院ミュージックフェスの顔。東京のバンドだけど(^○^)。いいよね、安心して楽しめてとても良いです。線路は続くよからガッチリつかむ。あとはひたすらリトルファッツのテンションに持っていかれるだけ、楽しい。

・春ズBULES CLUB 西院フェスSHOW

んなんともまぁ、コメントのしようがない、いい意味で。というかできない。
地元密着度の高いブルースバンド。いや、気持ち良さそうに演奏するバンドメンバーさんたち、そして気持ちよく演奏に聞き入る儂ら。
あ、登敬三さんだー♪

・奇妙礼太郎トラベルスイング楽団

誤解がないように言っておくと、奇妙礼太郎トラベルスイング楽団はオススメのバンドである、とても楽しい。楽曲がいいし、演奏もご機嫌だし、奇妙礼太郎のグダグダ感はそれはそれでいい味を出す。
が、なーんだか前から引っかかる事があったんだなー。いい。いいんだけど何か違う。

ええ、わかりました、気付きました。奇妙礼太郎くんのボーカルがヘタだという事に。
あ、やめれ!儂に石を投げるのはヤメレ!言い直すから!

ええ、わかりました、気付きました。奇妙礼太郎くんのボーカルが苦手だという事に。
あ、ちょっと!ちょっとまってよ、補足するから!

正確に言うと、ヘタ、なんじゃないと思うんだよね。分かりやすくいうと、ワザと音を外して歌う感じがちょっと(儂の許容範囲の)度を越えているので、儂的には聞いていて辛くなってくるという事なのだと思うのだ。彼の感じからすると音を外さなくったって味のある歌い方ができると思うんだけどな。外して歌うのが味だともしも思っていたら、すごく勿体無いとおもう。
あれ?トロンボーンって、アングリーアイちゃんだったの!?<後でCDのクレジット見て気づく奴

・ザッハトルテ

じっくり聞きたかったけど時間が時間がぁ〜〜〜、と、雨も降ってきたのでさわりだけで後ろ髪惹かれつつ西院を後に。。。

西院ミュージックフェスティバル、スタッフの愛情のこもったいい音楽イベントだとおもいます。毎年気持ちよく参加させてもらってます。時間的余裕があったら土曜日も来て、アマチュアバンドとかたくさん出るからまわってみたいんだけどね。


西院ミュージックフェスティバル@春日神社の画像

西院ミュージックフェスティバル@春日神社の画像

西院ミュージックフェスティバル@春日神社の画像