ぱたの関心空間

関心空間と徒然なるままに。

「ギガタウン・イン・テラタウン こうの史代の漫符図譜」@京都国際マンガミュージアム

2019-01-27 23:00:29 | 展覧会とかアートチックなもの


こうの史代さんの新刊「ギガタウン漫符図譜」。
鳥獣戯画のキャラクターをモチーフに漫画で用いられるいろんな記号(漫符)を紹介する4コマ漫画。それを元にした企画展。

メイン展示はピックアップされた作品をパネルに起こして、その漫符についての説明や使用例の紹介。それとその漫符だけが描かれた透明なパネルがあるので、リアルな自分が漫符を使えちゃう、ほんでもってそれを撮ってよかったらSNSで公開してねって企画(#ギガテラ展 とか #gigateraten で検索可、でも意外とそういう写真はアップされていないものね)。あとは、その漫符が使われてる漫画を、館内からたくさん探してきて使用事例をみんなで集めちゃおう、ってなもの。

はっきり言いましょう。

1人で行くとちょっと寂しい。(ノ_<)

だってね、これ多分一番楽しいのは漫符の透明パネル使って写真撮るやつだと思うんですけど、当然ながら一人で行ったら写真撮れない(苦笑)。
館内から探してくる、ってのも友人とワイワイしながらやった方が楽しい。


仕方がないので元々用意されていたパネルだけを写したりなんかする。
コレ、うさぎとカエルだけの絵の手前に目線がぶつかったところで火花が散るクリアパネルがあって、本当はその間に人が入って漫画的表現を自分たちでリアルに表現できるのですよ。
んと、理解してもらえるかな(汗;)

まぁ、でも一人で行ってもさ、ぶっちゃけこうの史代さんの原作がめちゃめちゃウィットに富んでいて面白いので、十分に楽しめますけどね。

こうの史代さんは「この世界の片隅に」以前は「夕凪の街桜の国」をさわりだけ読んだ事があるくらいでそれ以外は全然知らなかったんだけど、すごい才能だと思うな。こういう企画で作品をチラチラ見るだけで結局全然読めていないのだけれど、作品のそれぞれが全然違うタイプのものを描くんよね。中身も濃いし細部へのこだわりがすごいし、笑いのセンスもとても良くって素直に面白いし。

というわけで本当は「ギガタウン」を買って帰るつもりでいたのに会場で原画を堪能してすっかり満足してしまった儂。軍資金が乏しかったので今回はギガタウンはちょっとパスして、代わりに買ったのはコチラ。


漫符の手ぬぐい!


あと、こちら。

本当は全部の作品を買って帰りたい!
(けど、金と時間がない。。。(/ _ ; ))


ハイドリヒを撃て!「ナチの野獣」暗殺作戦 @ 京都シネマ

2019-01-27 16:13:29 | 映画感想


久しぶりに京都シネマにくる時間ができた。で、ラインナップの中「ナチス第三の男」か「ハイドリヒを撃て!」のどっちにしようかねー、と思って選んだのがこっち。だって、ナチス第三の男は混んでいるっていうんだもの。そりゃぁ旧作の方は空いてるに決まってるよねー。

同じラインハルト・ハイドリヒを取り上げた映画な訳だけれど、前者がハイドリヒ中心で後者はハイドリヒを暗殺するチェコ亡命政府の刺客たちが主人公。前者は観ていないからなんともいえないけれど、描き方はだいぶ違ったんだろうな。

映画の感想としては、、、

しんどかった。
f^_^;

プラハに潜入した彼らは、ハイドリヒを暗殺するためにレジスタンスの協力を得て計画を進めるわけだけれど、ナチスの監視の目は厳しく仲間内でのすれ違いもあったりで閉塞感の中で話が進んでいく。戦時の監視社会、いつナチスに見つかり皆処刑されるかもしれない神経をすり減らしひたすらチャンスを狙う日々。言うは易いけれど想像するだけで胃がキリキリと痛む。
首尾よくハイドリヒの暗殺には成功したものの(ま、失敗したんだけど結果的に致命傷を負わせたので)、今度は潜伏生活、そして密告による悲劇的な最後を迎える。

最後のテロップで、この事件の後イギリスはチェコを同盟国と認めたってのが流れる。あれは、だから彼らの愛国的な犠牲は無駄ではなかったって言うメッセージなんだろうけれど、この映画の中の救いはたったそれだけだ。
たったそれだけ、なんて言うとアイコクシャの皆様は怒り出すかもしれないが、彼らが短い間に育んだ愛は無残に断ち切られる。この局面を切り抜けたら、なんて自由への淡い期待は一顧だにされることはない。バイオリニストになる夢なんて道端の雑草のように踏みちぎられる。戦争の前に個人の幸福なんぞ他所の世界のメルヘンでしかない。
そうだ、戦争ってのは本来そう言うもんなんだ。本当はこんな事言うまでもない自明のことなんだけれどさ。映画の冒頭でも言っていた通り、それが史実に基づく真実なのであろう。
つまり、戦争になれば救いなんぞ期待すべくもないものなのだ。死んでしまえばそれでおしまいだし、その死に方だってとてつもなく悲惨なものだったりする。そこにロマンチックな感傷が付け入る隙なんぞありゃぁしない。

出口の用意された脱出ゲームなんかとはわけが違う。出口なしの生殺しの牢獄で、それでも出口を切り開こうとしてもその先にはハッピーエンドは用意されていない。それが戦争であろう。
避ける道はただ一つ、戦争(紛争)をしない。そのために知恵を絞る事しかない。

残念乍ら知恵を絞るどころか、ナチスを礼賛するかのような事を平気で言うような人が政権を担っているような、そんな国があるらしい。
そんな国でボーっと生きている誰かさんたちに、出口のない牢獄にいる事に気づくときはもう手遅れだと言ったところで響かないのが虚しい。


華氏119 @ 京都シネマ

2019-01-06 12:19:15 | 映画感想




大統領にしろ総理大臣にしろ国のトップに品格がないというのはなんと辛いことか。その国の人間である事が嫌になる。嫌になるけれど民主主義の国である以上、それを選んだのは儂ら国民だという事になるらしい。ツラい。。。

そんな人物が国のトップになってしまうのも、勿論制度的な問題はある。が、当然それだけではない。その結果に至るにはそれ相応の理由があるという話だ。

いきなり結論的な部分に飛ぶけれど、何より不気味なのは、では今のトランプや安倍シンゾーは果たして結果なのか?ということ。もしかして、ここはまだ過程の途中なのでは?と後半でナチスドイツのヒトラーになぞらえるところで思わざるを得なくなる。

映画の冒頭でニュース番組のコメンテーター達がこぞって「トランプ?冗談だろ、ありえない」と笑ってみせる。ヒトラーだってそう言われていた。
「ちょっとやらせてみたらいいんだよ、どうせ無理なんだから」ヒトラーだってそう言われていた。
あり得ないと言われていたトランプが先ずは共和党候補を、続いてマスコミや同調しない勢力を政治家らしからぬ言葉やレッテルや威圧で黙らせていく。ヒトラーもそうだった。
政治に対して虚しさを覚えていた国民に甘言とナショナリズムと差別意識で優越感を与え、取り込んでいく。ヒトラーがしていたのと同様に。

今回の華氏119は、トランプをやり玉に挙げている。と、言えば分かりやすい。
確かに間違いではないが、マイケルムーアがこの映画で問題にしているのはトランプ1人ではない。トランプという最悪の大統領を生み出してしまった今のアメリカが抱える問題(例えばそれはムーアが以前に取り上げていた銃規制や、医療問題や、資本主義社会、そして政治システムなどなど)を引括めて、その総体としてのトランプをどーんと出してきた。つまり、いいそういったものが結果としてドナルド・トランプ大統領という「悪の天才」を生み出してしまった、と言っている映画なのだと思う。
とにかくまぁ。。。問題は多岐に渡っていて。。。故に映画の情報量もまた多い。

去年はフェイクニュース、なんて言葉が流行ったりしたが、兎にも角にも国というヤツは嘘をつく。
これはもう疑いのない真実だと言ってしまってもいいのではないだろうか。「嘘をつく」という10ぱひと絡げでストレートな物言いが気に入らないなら「政府にとって不都合な事があれば基本的に隠し通そうとする」という事だ。
政府は国民のためのものである、その政府が国民を裏切ることなんかある筈ない。そう思いたい気持ちはわからないでもない。でも現実はそうじゃない。意固地にそう思い込んでもネトウヨの烙印をおされるのがオチだからやめておいたほうがいい。
いや、もちろん本当は政府は国民を裏切ったりはしないのだ。いやここで言う「国民
」とは「金持ちや政治家など利権を持った一部の国民」の事なのだけれど。

フリントでの話はかなり衝撃的だ。
GMは莫大な献金をしてくれる顧客だからGMの工場の洗浄水は綺麗な水ね、でも貧乏人には汚れた水で良いよ、と。鉛の入った水で健康被害が出ていようが知らんぷり。基準は満たしてる(嘘だ)。改善した(嘘だ)。検査の結果鉛は検出されてない(改竄だ)。なんだろうこのデジャヴ感。そう、公害問題で度々繰り返されるこのパターンを、まだ他人事だと思いたいのか?
平気で嘘をつき、データは隠蔽し、数値は改竄する。政府が裏切らないのは企業や投資家や政治家などの利権である。残念ながらその利権に浴さない国民は裏切られるどころか毒水の中に叩き込まれたり平気で銃口を向けられたりするのだ。
世界の潮流に真っ向逆流して水道事業を民営化できちゃう事にした日本で同じ事が起きないと誰が言えるだろう。これまで公害問題でも東京電力事故の放射能汚染でもひたすら住民に背を向けてきた日本で同じ事が起きないと誰が言えるだろう。
だって、総理大臣がアベちゃんで副総理がアソーくんだぜ。
っていうか、平気で嘘ついたり恣意的な資料ばかり出したりデータ改竄したり。日本とまるで同じじゃん。マスコミが政権に従順な分を考えれば日本の方がむしろ上手なんじゃないのかね?

そしてここで驚く事に最悪だったのはオバマ君。
あれはあかん。あかんわ。日本でも肉食ったりカイワレ食ったり同じように水飲んだりした人がいたけれど、アレで「あぁ、大臣はんも食べはったしこれでもう安心やな」って、なるか?なるか?なるか?

できればオバマ君の悪口は言いたない。
だってねぇ、少なくともブッシュやトランプより100倍はマシやと思うから、そういう相対的な意味でこき下ろしたくはないんやけど、結局オバマ君のそういうアカンパフォーマンスによる失望が逆にトランプを生んでしまった、という事でもある。
この事はこの直後、勝手にアーミーの軍事訓練場所にされるという、完全に棄民にされたと言っても過言ではないフリントに限らない。オバマ政権下で軍事的な進行は止まらなかったし、アメリカ中の多くの支持者にとってみても期待が大きかっただけに失望した時の痛手も大きかっただろう。
オバマ君はブッシュやトランプに比べたら1000倍はマシやと思う(ちょっと増やした)。けれど、彼も大手企業からの多大な献金を受けているのだろう。多大な献金をしてくださる本当のお客様の為に彼も水を飲む(ふり)などというザンネンなパフォーマンスをせざるをえなかったのだろう。

全くもって楽観なんぞしてはいられない。
民主主義なんて強固でもなんでもないんだ。ヒトラーとの対比でもそうだが、民主主義を積極的に活かしていこう、守っていこうという気概がなければ、それは簡単にファシズムや独裁者に乗っ取られるシステムでもある。
そう、民主主義が儂ら民衆に要求している水準は、実は儂らが考えているよりもよっぽど高いのだ。民主主義なんて、本当は儂らにとって高嶺の花だったのかもしれない。

でもムーアはちゃんと希望も見せる。
フロリダの高校での銃乱射事件をきっかけに起こった高校生たちの「March For Our Lives」。そして既存の政治家には任せておけないと立ち上がって政治家を目指すこれまでとは違うタイプの人たち(結果の一端はこないだの中間選挙)。

映画の最後は「March For Our Lives」で有名になったエマ・ゴンザレスさんのスピーチで締めた。
ムーアの映画にしては安易だと思ったけれど、あんなに感情的で饒舌な沈黙を儂は他に知らない。間違いなく、少なくない人々の心に響いた彼女の演説は、トランプ的なものに対する圧倒的なカウンターだと思う。

儂も叫ぼう。「We call BS」と。

果たして、日本に同じような希望の萌芽はあるのだろうか?