ぱたの関心空間

関心空間と徒然なるままに。

ドラえもん のび太の月面探査記@MOVIX京都

2019-04-09 14:08:47 | 映画感想

ジャイアンはやっぱり漢。

公開されているポスターの中で一番好きなのはこれ。
しずかちゃんもすてがたい。

ここしばらく観られないでいたドラえもん映画。
怪我の功名(家の鍵を忘れて出かけたので締め出された)で観に行くことができた。
(あと、本当は別の映画を観るつもりやったのに電車乗り換え間違えてこっちになったとか。ええ、ただのアホですが、何か?)


というわけで、

平日の昼間。
ドラえもん映画。
貸切!

と思ったけど、始まってからもうひと組来た。
んー、惜しい。(何が?)


さて、映画。

設定とか、必然性とか、そんなんありえねー、とか思ってしまうの。オトナってイヤだねぇ。。。

イヤなオトナです。スイマセン。

素朴な疑問としてまず、異説と定説のトリックはこどもにわかるのだろうか?
異説の存在でありたいと願ったエスパル達の想いは、異説バッジで叶えても良いものだったのだろうか?

ルカが最後にお願いする、超能力と永遠の命は要らない、という命題をこれだけで理解するのはなかなか難しいのではないだろうか?だって、火の鳥とか人魚の森だってあれだけ色んな話を重ねて、それでもなかなか理解しがたい。あれと同じテーマなんだぜ。
あっさりとそれを受け入れたのび太たちも本当に理解できているのだろうか。

ちゃんと考えるとルカたちの最後のお願いの事、本当に難しいと思う。異説の世界だけで普通の人間になっても現実世界ではエスパルのまま。とはいうものの、異説と言っても仮想現実ではなく、異説の現実である以上そのうち死が訪れる事になる。バッジ一つで入れ替わる事も可能だ。その時の悲劇を想像してしまう。それはどうなのだろう。

あと、ムービット達の文明の進化の有り様とかも面白い。あのムービット達の世界だけで一つの映画できるよね。
って書いてみたけれど、あのムービット達の世界はよく考えればユートピアだな。敵のいない(え、のび太の作ったウサギ怪獣は!?)超絶平和な世界では映画にならんか。悪役は外来の敵、となると一番あり得るのはムービット達を侵略し、金儲けの為にペットとして売り捌く地球人。。。。うむ、子どもたちには見せられない物になるな。

ルナ「かぐや姫、あ、それ私!」と言下に。あの古典中の古典を超軽いテンションで一蹴。
かぐや姫の持つ意味世界とかも深いじゃない。それをあー、そんなに簡単に、もう!!!

そして、今回一番カッコよかったと思うのはドラえもん。
いや、主人公?なのだから当たり前なのだけれど。
え、当たり前か?

ディアボロと戦うドラえもんが叫ぶ「想像力は未来だ!」と。
カッコいい。超絶カッコいい。

あぁ、そうか。

ポスターにはこう書いてある。
「信じる力が僕らをつなぐ」


信じること。
想像すること。
未来を作る記憶と刹那に生きる命。

月にはウサギがいる? バカな。
超能力を持つエスパル? バカな。
かぐや姫は私? バカな!!!

大人になってしまうということは「常識」を持つ事だ。
「常識」を持つと人はその「常識」に当てはまらないものを簡単に信じたり想像を巡らしたりはしなくなる。そりゃそうだそんなの危険だもの。そんな事をすればバカにされて相手にされなくなるのがオチだ。物語冒頭ののび太のように、地動説を唱えたコペルニクスのように。
でも、それは新たな真実に迫るチャンスへの障害でもあるのだ。だって本当は地球は太陽の周りを回っていたし、月にはウサギ(の耳を持ったエスパル)が存在していたじゃないか!

のび太が言うことを「そうとも言えなくはない」と一概に否定しなかったドラえもん。さすがだ。

大人は羨むがいい。

「常識」とかいうツマラナイ圧力に負けて想像や信じる力を簡単に放棄するオトナとは違う自由さを持った彼らを。

ムービットたちの世界で遊び、ルカたちと友達になり、かぐや星をまた緑の星にできたのは、信じる事と想像する事を疑わない彼らだからじゃないか。

あぁ、儂はなんと失礼な事を言ったのだろう。

こどもにわかるの?とか理解できるの?とか。
バカだな。そういう事じゃないんだ。

「想像力は未来だ」
子どもたちの想像力をバカにするな、儂。
頭でっかちで理屈で考えることばかり優先するキミとは違うのだよ。
ジョンレノンだって言っていたじゃないか。想像しろと。

これから想像すること、信じることをバカにする奴にはこう言ってやれ。

「想像力は未来です。ご存じない!?」