ぱたの関心空間

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ゴジラ−1.0 @ イオンシネマ久御山

2023-11-22 18:39:25 | 映画感想
いやーん、惑星ピスタチオの蔵之介さんやーん。
きゃー、満男ー!(もしくは純ー!)
あ、ピー助。

みたいな。。。

うむ。
ふざけていてはいけない。

正直、観に行かなければよかった、と思った。

誤解なきように。
オススメしないとかいう話じゃないのですよ、念の為。

個人的にこれはちょっと苦手だな、と思ったと、それだけの話。
直前に観た「バベルの学校」の印象がゴジラの威力で吹き飛んだ。
(とゴジラのせいみたいに書くのもどうかと思うよ>某)

理由は多分二つあって、

一つはゴジラの威力がとてつもなさすぎるということ。
もう一つは、あまりに切なくて見てられなかったということ。

ぶっちゃけ、かつてちゃんと観たゴジラは「シン・ゴジラ」だけだ。
なので、過去のゴジラ作品がどうとかはわからないので、「何を今更」と言われるかもしれない。と、言い訳しておく。

途方もない絶望感。
である。

途轍もない力、驚くような動き、得体の知れない咆哮。街はあっという間に破壊し尽くされる。終戦から2年、ようやく復興し始めたかのように見える東京の街はまた無残な瓦礫と化す。タイトルの−1の所以だ。
圧倒的な力の前に儂等人間にはなす術がない。

いやいや、あかんあかん。そんなに結論を急いだらあかんな。
もちろん映画のテーマとしては逆なのだろう。それでも人々は叡智と力を振り絞って得体の知れない巨大災害ゴジラと向き合い、これを踏破しようと奮闘し、ついにこれを破る。
みたいなね。
それはわかる。わかるけれど、そんなにうまくいくもんか、というシニカルな儂が素直にそこを許さない。
っつーか、ゴジラが凄すぎて、はなっから人間に勝ち目なんかないじゃんね、と思わせるに十分なのだ。

ゴジラに絶望的な凄さ、を感じてしまう理由も二つある気がする。

一つは、その再生能力。
もう一つは、その存在理由。

ミサイルを撃ち込まれたり、咆哮したりした後に再生する感じ。
もうその時点で普通の生物じゃないじゃんね。
儂は鬼滅の刃の鬼を思い出したよ。鬼だったら首を刎ねれば、もしくは陽にあたれば死ぬ。でもゴジラには弱点はない。満男が(違うよ!寅さんじゃないよ!)考えた水圧の急激な変化による海神作戦が全然ダメだったように、そして最後のシーンの。。。。

鬼舞辻無惨は死んだ。でもゴジラが死ぬ事はあるの?
この恐怖はなかなかのものだ。

存在理由?
そう、ゴジラの存在理由はなんだ?
このおおよそ不死身と思われる破壊神がなんの為に存在するのか?と、同時にゴジラ自身の自我はどこにあるのか?
それが全くわからない。不気味である。
そもそもゴジラ自身が何かを自覚して行動をしているようには思えない。憐れである。

いや、想像はできた。
例えば、寄生獣的な。例えば、則巻ガジラ的な。
つまり、人類を滅ぼす事が使命である、そんな存在。ってな感じ。
でも、パラサイトは考える能力を持ち、自分達の存在理由を探っていた。ガッちゃんは。。。無邪気で可愛かった(え?)。まぁあれはギャグ漫画だし。。。
でもゴジラはどうだ?そこに救いは一つも感じられない。なんとも虚しい存在だ。
辛い。

一方で人間の方はどうか?
ピー助(違うよ!のび太の恐竜じゃないよ!)が成り行きで持つことになった家族。
確かに血は繋がってなかったのかも知れないけれど、壊したくない幸せな日常がひしひしと感じられる。
でも、確実に崩れゆく予感の堪え難い心もとなさ。

幸にして、物語は悲劇では終わらなかったけれど、あの切実さの切なさはなかなかつらかった。
特に明子なのだよ。
ウチにも3歳児がいる。無邪気な仕草、抱っこして抱きつくかんじ、ぶちゃいくな泣き顔まで。
重なる。ウチの子と。重なる。観ていられない。

まぁ、最後のは個人的な感傷でしょ?と言われればその通り。
だから、ね、みなさんは安心して見に行っていただいたらいいと思うのです。

なんにせよ、放射能怪獣であるゴジラは登場して70年の時を経てなお儂らに楔を打ち込み続けてくれているのでしょう。
ありがたい(と、言っておこう)。


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