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ぱたの関心空間

関心空間と徒然なるままに。

ウナイ 透明な闇 PFAS汚染に立ち向かう @ 京都シネマ

2025-08-27 01:40:13 | 映画感想
PFASの問題を追いかけたドキュメンタリー。

地元城陽市の水道事業の問題(ウォーターPPP、包括的民間委託)をやいのやいのしている儂だけれど、横目で水の汚染を本気で追求しないといけないと思っていたところにこの映画。いくら地下水が良いよ美味しいよ〜、と主張したところで、万が一その地下水が汚染されてたって事になったら元も子もない。実際城陽市の東部丘陵(地下水の上流部でもある)には産廃の違法廃棄問題がある。

自分が日々飲んでいる水が汚染されているという現実。
目の前に突きつけられないとなかなか人は自分ごとにできないのはよくわかる。毎日飲んでるこの水が?無色無臭透明の、キレイに見えるこの水が毒?にわかには信じ難い。でも、それが現実という衝撃。
本当はいつ自分に降りかかってもおかしくない話だったのにね。

実際に自分の身に実害として明白になる前に自分ごとにして考えるのがどれほどハードルが高い事なのか。訴える言葉をどれだけ重ねてもなかなか届かない。水道問題を訴える日常の中でもそれは強く感じることだ。
もどかしい。



そしてPFAS。
なによりもこわいのだ、PFASが。
映画でも出てくるように、汚染はなかなか明らかにされない。
(先日も全国的な調査があり、ウチの市でも1ヶ所出たとの話があったが、どこの場所なのか特定する情報は出してくれない)

そして明らかになる時のその汚染度の高さ。
そもそも、日本のPFASの基準値、アメリカの10倍以上という甘さよ!
日本人はアメリカ人より10倍PFASへの耐性があるとでも言うのか?
ここには日本とアメリカの関係の問題も絡む。腹立たしい。

水は権利。本当に。
水がなければ儂らは生きられないのだ。
基本的人権じゃんね。
放置は人権侵害であると。その通りだ。基本的人権が脅かされている、と主張すべきなのだ。

取り返しがつかなくなる前にみんな気づいて欲しいんだけどな。。。。

もう一つ。
この映画に出てくるのはみな女性だ。タイトルも「ウナイ」。シスターフッドもテーマだよね。
産む性である女性が子どもたちのことを考えて、なんていうとわかりやすいけれど、儂的な感想としては「男性、ダメじゃん!何でここに男性が入ってこないのだ?しっかりしろ男ども!」とか思ってしまう。
たしかに腹を痛めて産むわけではないにしても、子どもへの責任と愛着に違いがあると感じてでもいるのだろうか。なんと不甲斐ないことか!

でもね、ぶっちゃけ思うわけさ。
男は本当にダメだな、と。
例えば、ある女性は絶望的な思いで涙を流す。あぁ、毒を体に入れてしまった、私の子どもに毒を飲ませてしまった、体にいいものばかりのつもりだったのに、まさか洗う水からして毒だったなんて。
でも、そこから折れないで立ち上がれるのは、女性の強さだなと。弱っちい男に同じことが期待できるだろうか?
羨ましい。
(勿論、人によるのだけれど)

上映前の予告編の最初がアイスランドの「女性の休日」だったのはさもありなん。
ミュニシパリズムはフェミニズムとも繋がっている。

でも奮起しろ、野郎ども。
PFASの危険性も環境問題の重要性も男女の別なく、すでに儂らの日常を脅かしている事に気づけ!
危機感を持て。
未来を諦めるな。

ごはん @ 文化パルク城陽

2025-07-25 14:05:46 | 映画感想
「ごはん」は「侍タイムスリッパー」で話題になった安田淳一監督の8年前の作品。
久御山の水田でお米を作る話だよ、と聞いていて気にはしていたけれど、見る機会が無かったんだ。



令和の米騒動が起きた今年、この映画を観るのはタイムリーといえばタイムリーかな?
ただ、映画自体は娯楽作品。ハッピーエンドのエンターテイメント。
高齢化と人手不足や米づくりの経済性(儲からない)に触れる場面もあるけれど、お話の中では深刻だけれど作品のメッセージとして深刻に取り上げるわけではない。
まぁ、そうは言いながらのっぴきならない状況はわかるよね。

映画の作りとしては多少強引な設定が気になる。
まぁでもいたしかたないか。

実際に農家の人が観たらどう思うのだろう。
そんな簡単には行かへん、そんな甘っちょろいもんと違う。
そんな声も聞こえてくるかもしれない。
この映画と併せて、農家の現状をちゃんと訴えるドキュメントなりルポルタージュも欲しい気はする。

キャストの中で主人公はひかりだけど、実は一番でかい存在は源ちゃんだな。
彼がいなければお父さんが亡くなった時点で全て終わりだし、ひかりを引き止める事になったのは全て源ちゃんせい。。。いや、おかげ(^○^)。

映画の中では最後の最後まで恋愛に傾く事の無かった2人の関係性を保つ事ができたのも、全て源ちゃんのキャラクターによるものだと思う。
もしも恋愛要素が入っちゃったらそれはそれでシラけちゃう気がする。
まぁ、そこは好みなのかな。

最初に登場するシーンでの号泣はぶっちゃけどうにもわざとらしい感じがして日いたけれど、全体の彼のテイストはとても好き。頼りなさ、ドジっぷり、でもストレートで嘘がなく純粋、そしてロマンチスト。誰からも愛されるキャラ。演技も含めて(^○^)

あ、あと劇中で使われたピアノ曲。えー、すっげー印象的な曲、めっちゃ聞き覚えあるぞ、なんだっけなんだっけ?って思っていた。
2度目にかかった時に「あっ、ジョゼ虎!」。ジョゼと虎と魚たちの中で使われている「恒夫とジョゼ」だ。
ほんで持ってエンディングテーマはくるりの「ハイウェイ」って!!!安田監督もジョゼ虎好き?

斬られない福本さんを観るのもレアかも(笑)。

能登デモクラシー @ 京都シネマ

2025-05-30 18:40:24 | 映画感想
石川県の穴水町で手書き新聞を発行し続ける滝井さんを中心に、町議会の問題点と去年の震災を受けて変わりつつある町の政治の様子を追ったドキュメンタリー。

一番驚いたのは前町長の発言。
町議選挙を前に、当たり前のように選挙での裏金の存在を平然と言ってのけた!
そしてもう一つ、町議の当選者に町長&元町長が手渡したポチ袋。

驚いた、と書いたけれど実はあまり驚いていない。

儂も自分の市の市議会を見るようになってから常々感じていたのだけれど、地方議員さんて結構ガードが甘い。

んー、ガードが甘いという言い方が適切かどうか微妙だけれど、なんというか、本音はそうかもしれないけれどそれ言っちゃダメでしょ?民主主義の否定でしょ?と思うような事を平気で言うようなところがあって、大丈夫かな?(いや、大丈夫じゃない)と思っている。
流石にまだ金銭的(賄賂的?)な話をポロリする場面には遭遇していない(苦笑)。

五百旗頭監督が映画の最後で詰めたところで市長が吐露してたな、長いことなぁなぁでしていたことを変えるのは難しい、と。
なんだそれ?
難しいじゃないっつーの。違法だっつーの。民主主義を歪めることになるんだっつーの。だからやめなくちゃいけないんだっつーの!
難しいで言い訳になると思ってんのかしら?子どもか!?
大人でしょうが、アナタ!というのが正直な儂の感想。

議会や行政に自浄作用があるのならいい。
でもそうでなければもちろんそれを正すのは住民だ。
この映画のテーマはそこなのだろう。そして、そのために重要な役割を果たすのが滝井さんの「紡ぐ」であり五百旗頭さんの石川テレビというメディアである。

象徴的なのは石川テレビでドキュメンタリーが放送された後の議会で傍聴席が埋まるシーンだと思う。
メディアが見ている、住民が見ている、それでようやく議会も動き出す。
あと、復興についての議論の場で幅広い層の住民がこの場にいない、という指摘を受けて始まった会議だな。
滝井さんも書いているけれど、その場にちゃんと市長がいるというのは市長もある意味本気を出そうとしていることがわかる。やっぱり生で接したら伝わる。

多分、きっかけとして効いたのはテレビ。でも、下地として滝井さんの新聞があったのだろう、きっと。

地方議会のなぁなぁ感。そして市長の前で口をつぐむ感。
ラジオで話をしていた時から思っていたけれど全然他人事じゃない。
最大のタブーは町長、と言った。
あぁ、そうなのかな。
うちの市議も言っていた。「市長のやる事に反対はできない」と。

あぁうちの市も同じなんだ。
ひょっとすると、他の地方市町村でも同じような状況は多いのではないかな?

穴水町の町議10人は1人が自民だけどあとは無所属。無所属とは言いながら町長のバックアップを受けてオール与党的な感じだったのかな。少なくともトップ当選の宮本さんはそうなのだろう。
波風の立たない(立てない)議会でなぁなぁな利益誘導は問題視はされない。
誰もが思う、そんなもんだろうと、仕方がないのだろうと。住民がそうやって諦めて放置すれば政治は腐敗する一方だ。そんな事今更いうまでもない。

そこで震災。
不幸な災厄ではあるが、それがきっかけとなって危機感が現実のものとなり、住民の、議員の意識がようやく動き出すというストーリー。
希望があるよね。

うん、でも。
すんなりは頷けない。
破滅的な事象がなければ変われない、というのは、太平洋戦争で破滅的な被害を被ってようやく戦争を終えることができた日本の姿と重なる。
儂ら日本人は本当の本当に危機的な状況に陥らない限り変わる事はできないのか?
むー、そうだなー。東日本壊滅という破滅的な被害直前までいきながら偶然の積み重ねで幸いなことに回避することができた東日本大震災でさえも原発を止めることができないのがこの国なのである。
壊滅までいかないとダメなのかい?日本人よ。

だから、この希望もまだ危うい。
少し落ち着けばまた元に戻るのではないかという懸念もまたリアルに感じる。

あーモヤモヤするぞー!!!

たくさんの人に観てもらって自分の自治体の議会と行政のことを考えてほしいな。


映画ドラえもん のび太の絵世界物語 @ T・ジョイ京都

2025-04-24 15:07:13 | 映画感想
<子どもが、保育園を休んでドラえもん映画を観に行きたい!というので行く。
上映開始5分で「こわい〜、もうかえる〜!」とグズリだしたので、映画鑑賞終了となる。>


5分で2000円という高価な映画を堪能したあの日から一か月。

リベンジですよ!
あ、今回は儂一人で♪

いくつか印象に残ったことをいくつか。

観終わった時の印象。。。スッキリとした感じ?
よく言えば気持ちよく観終わった、悪く言えば引っ掛かりがない。
そんな感じかな。
ストーリーも練れていて、軽いどんでん返しやわかりやすい伏線とかもあってストレスなく楽しめたなと、素直に感じました。

今回の舞台に登場したキャラクター、クレアとマイロ。
なんか絵の感じがドラえもんぽくないなーと。

のび太の「ドラえもーん!」からのオープニングパターン。今回は一味違うのね。

パルはそんな頼りないキャラで良いのか!?

まぁいつものことではあるけれど、あまりにもギリギリ過ぎる。
偶然の一つが欠けたらもう世界は滅亡やんか!
ってそれくらいじゃないとお話として成立しないんだけれどね。

って、ジャイアンとスネ夫。
あれは絶対に助かってないでしょ!本当なら。

いっくら下手くそだと言ってもその絵はやっぱりドラえもんじゃん。
テレビのキャスターならまだしも、パパまでわからないのはちょっと。。。
まぁわかってもマズいんだけど。。。

最後あんなところにタイムパトロールが突然現れちゃマズいんじゃない?不用心すぎるでしょ!

あれ?
そういえば最初にクレアが引き込まれた時空の穴は?あれもTPとソドロが引き起こしたヤツ、って理解でOK?

いや、そのドラえもんの秘密道具も使えるのなら、無料で秘密道具を使い放題なんじゃない!?まぁ、どっかで辻褄合わせするって設定をすりゃぁ良いんだろうけれど。

何で王と王妃が外遊中だったら王女が城に入れないの?

青いコウモリはちょっと強引な気がする。。。

エンディング、良かった。
さすがパパ。わかってる。
泣いちゃいましたよ。

映画観了時の満足感の半分はパパのおかげかもしれない。

ドラえもんはまだ儂らの味方でいてくれる。
その安心感で儂らはまだ未来を信じて生きていける。
ありがとう、ドラえもん。


ノー・アザー・ランド 故郷は他にない @ シアターセブン

2025-03-23 16:11:16 | 映画感想
理不尽、ただただ理不尽。
どうにもイカれている。
イスラエルはもちろんだけれどもこの現実を見ながら止められないでいるこの世界も。
トランプなど論外である。

常々思っている事だけれど、なぜイスラエルが自分たちの行動を正当化できていると思うのか?なぜ世界はイスラエルの行為を咎めて(はいるんかもしれんけれど)止める事ができないのか?
もちろん、これまでの中東戦争などの布石があって、イスラエルのバックにはアメリカがいて、またヨーロッパの多くの国にとってもユダヤ国家であるイスラエルに対しての複雑な立場(そこらへんに疎い儂から見たら、それは先の大戦の時までのユダヤ民族に対しての仕打ちに対しての後ろめたさのように思えるのだけれど。。。)があって、なんて事はなんとなくわかる。
わかるけれど、それがこのパレスチナに対するイスラエルの今の酷い仕打ちを正当化する理由になるとは到底思えないのだ。

自分たちの土地が、ある日突然軍の訓練施設を作るからと言って収奪される。自分たちの土地で自分たちの家なのに突如違法だという事になりブルドーザーで押し潰される。命の頼みの綱である井戸まで埋められる、水は基本的人権だと叫んでも虚しい。子どもたちの目の前で小学校を潰すなどとてもじゃないけれど神経を疑う。抗議すれば逮捕される。場合によっては撃たれる。もちろん補償などない。
再建には軍の許可が必要?その軍が潰しに来るのに?そもそもなぜ自分たちの土地なのに他国であるイスラエルの軍の許可がいるのか?意味がわからない。

もちろん、パレスチナ自治政府だとかパレスチナ国だとか言っても実質イスラエルが統治しているのが現実なわけだ。けれどもさ、世界の多くはパレスチナを国として承認しているわけで、ならばその世界はパレスチナを擁護しなくちゃいけないんじゃないの?
わかっているよ。大多数が承認してるって言ったって、世界を牛耳る大国はそこには入っていないんだもの。この世界は相変わらず大国のエゴイズムが幅を利かせる原始社会なのだ。反吐が出るね。

この世界には正義は存在しない。この世界には絶望しかない。神様なんてきっといない。だけど私たちは生きていくんだ抵抗しながら。微かな希望を信じてさ。頑張ってそう思いながら観たい映画だったんだ、本当はさ。

でも、バーセルの最後の映像の後パレスチナはさらに酷い世界に飲み込まれている。事態は悪化する一方。儂は今知らず知らずのうちに「悪化」よりもっと悪い言葉を探している。現実は更に醜悪である事を日々のニュースは伝える。

この映画では戦車の訓練場になるという理由で追い立てられるマサーフェルヤッタというパレスチナの村が舞台だけれど、イスラエルが入植者を増やしどんどん侵攻してきたのはヨルダン川西岸のほぼ全域なんだよね。壁の建設とかもしていたし。
そして2023年の10月以降だ。ガザのニュースばかりが流れてくるけれど(もちろん、ガザの惨状は筆舌に尽くしがたい酷さだけど)、ヨルダン川西岸でもその後イスラエル横暴が酷くなっているという話を、安田菜津紀さんや高橋美香さんがレポートしてくれている。

無法地帯。
そう、無法地帯という言葉こそ今のパレスチナにはふさわしい気がしてしまうのだ。パレスチナのレポートを読むと。
いや、おそらくそうなのだろう。傍若無人に振る舞うイスラエル兵はこちらから見れば血も涙もない無法なならず者だけれど、イスラエルからしたらパレスチナ人など人として認められない、虫けらのような存在に映っているに違いない。人ではないから法で守る必要もない、ジャマなら踏み潰してしまえと。無法なのではなく、法が適用されるべき存在はそこにはいないという理屈じゃない?なるほどね。

言い過ぎかな?
言い過ぎだと言うのなら、パレスチナの子どもたちがなぜ虫けらのようにイスラエルに殺され続けなくてはいけないのか、誰か納得いく説明をしてくれ!

感情的にならざるをえない。
中東からのニュースを聞きながら何もできない自分に日々忸怩たる思いをしている儂の中で怒りが充満しているのだ。

主人公の一人。ユダヤ人のユヴァル。彼の勇気と覚悟は映画のメインテーマではないのかもしれないけれど、関心するよね。個人がどうであれ、虐げるユダヤ人と迫害されるパレスチナ人という構図の下で対立する選択肢しかない現状を乗り越える事ができる人間が出てこなければ永久に共生の道はないのだ。

観終わってさらにつのるモヤモヤ感。
儂らには何ができるのか?いや、何をしなくちゃいけないのか?
心が痛い。