ぱたの関心空間

関心空間と徒然なるままに。

「天幕講堂渋さ西部大祭」渋さ知らズオーケストラ @ 京都大学西部講堂

2019-09-29 00:18:02 | ライブレポ


渋さ知らズ30周年なんだって。
そーかー、そーかー。

たまたまこないだ箪笥整理してて判明した。
儂、渋さ知らズの手ぬぐい、これで4枚目だ。
ちなみにTシャツは初めて買った(多分)



さて、
「天幕講堂渋さ西部大祭」である。

思い起こせば忘れもしない、天幕渋さ@西部講堂を以前見たのは。。。。
いつだったかは忘れてしまったけれど f^_^;)、だいぶ前の事。でもあの衝撃は忘れない。

(ここのログで出てこないって事は2002年より前か?マジかそんなに前か!)

西部講堂の前に建てられたテントのステージ。やたらとたくさんいるダンサー(舞踏家)。果てしなく続く(けど、全く飽きない)演奏。疲れたのか楽器を吹かずに踊っているだけの演奏者。ジャズって触れ込みだったのにスカだったり歌謡曲だったり。何だ、これは?カオスとはこの事かと、まだウブな儂は(注:今も自称ウブである、念のため)かなり強烈な右ストレートを喰らったような気分で帰ったような覚えがある。

という事であの(何年前かさえもわからない)天幕渋さが見られるのか?と到着した西部講堂、開演五分前。

このテントは、
まぁ、アレだね。
違うね、渋さ用じゃないね。

まぁ薄々感づいてはいたのだが。ネットに上がってたチラシには 「天幕出演」と書いていくつかのアマチュアバンド(?)の名前。そしてライブの表題は「天幕講堂渋さ西部大祭」である。

そうか、渋さの演奏は外じゃなくて講堂の中なのね。
良い良い。
良き哉。

早速入場する西部講堂(おお、西部講堂も何年ぶりじゃろ?)。周りは変わってもここは変わらん。
人、少なっ!暑っ!

いや、人については外でマルシェしててみんなそこにいたんだ。だから、開演とともにわらわらと大挙して人が講堂内に入ってきましたけれど。
しかしまぁ、この暑さは。うちわを渡されたのはこのためだったか(多分違う)。

で、ライブ開始。
OAがあります。
「COSMIX」というバンド。女性ボーカル、めっちゃ声出ててくる。レゲエをベースにしてる感じ。わるくない。

でも、気持ちは渋さ。ごめん。

という事で、多分今回は合っているセットリスト。

Da Da Da
大沼ブルース
a song for one
股旅
火男
権太アジール

ナーダム
ひこーき
本多工務店テーマ
仙頭
すてきち

やっぱり一番好きな曲は犬姫♪

なんか見た事ないダンサー(舞踏家)がたくさんいるんですけど?
あぁ、儂が渋さ知らズ来るの久しぶりやしか(^^)。

台湾から来てるミュージシャンで急遽出てもらった、という紹介から始まる「Da Da Da」。ムロアヤさんとコーラス。そしていきなりの舞踏。東洋組のように白塗りではなく逆に黒塗り!?全身べったりではなくて適度に塗りこんだ感じ。
これが。。。
すげぇ。
かなり、ヤバい。

音源だけ聞いてると「Da Da Da」は儂的にそんなに引っかかる曲ではなくて、いつもは聞き流してる感じだったんだけど、今日はとてつもない物語が広がる。歌声と演奏と舞踏と。なんだ?この感じ。もう普通に聞けない、「Da Da Da」。

ど頭からやられた。涙が出てくる。「Da Da Da」のリフレインを一緒に歌いながら、ここ数年間の事とか、こないだの台風被害の事とか、香港の事とか台湾の事とか、世界情勢とか、でかいことから身近な事まで色んな事が頭の中を駆け巡る。

つかみはOK、どころじゃない。
つかまれて天空高くまで一気に引き上げられる。

で、大沼ブルースに犬姫のテーマ。懐しどころ。
渋さの世界、浸る。

でも、なんだかみんな最初から演奏頑張りすぎじゃない?
最初からそないにガーってふかんでもー。
って思うけど、いやいや、それが渋さ知らズ。
だから楽しいんだよね。

そうそう、今回は渡部さんがいなかった。
もちろん渡部さんも大好きだけれど、盛り上げのMCが無くったってちゃんと渋さは渋さ。演奏と舞踏と舞台装置、そして今回はお芝居も。もちろん音楽がメインだけれど、いろんなものが混在となって作り上げられるここだけの世界の中で自由に振る舞える快感すごいな。
そーいえば、以前にも一回だけ渡部さんがいないステージを見たような気がするけれど、その時はビデオで出てたんじゃなかったっけか。

ちなみに、今回の出演者に風煉ダンスと劇団ケッペキのクレジットがあって、唐突に始まるお芝居。ちなみに、どちらの劇団だったのかはたまた両方だったのか、儂にはわからぬ。ごめんね。
「風のマッタ三郎!」アレ、好き。

最初は軽いコント的なノリで始まり、吉田寮とかタテ看ネタはまぁ入ってくるものの、くすぐり程度の感じかなぁと。
でも後半では少女像をブランコで中空に掲げてそこからの「渡」とか!

さぁ、君はここで何を想う?
芸術祭に難癖をつけて儂ら人類が積み上げてきたものを蔑ろにする人たちの狭量さに比べて、この西部講堂にできてしまった空間の開放的な事よ。
西部講堂という狭い空間が、時空も意味も超えて一気に世界と繋がる。

最後には観客の上を悠々と渡る龍が登場。交錯する少女と龍。そして満を持してクライマックス、「本多工務店のテーマ」からエンディングへ。
興奮冷めやらぬ、外の天幕でしばらくすてきち。テントに登るダンサー(笑)。

色々意見があるのはわかる。
でも、これだけは言っておこう。
音楽の楽しみ方は人それぞれ自由だ。それを押し付けるような野暮がエラそうにするな。
音楽に政治を持ち込むな、などと言い募る輩は自らの不明を恥じよ。
そして残念乍らキミの考え方は、音楽と自分の可能性を狭めていると思うよ、かわいそうにね、と。

愛知トリエンナーレについて起こっている事は、かなりダイレクトこの国の今のヤバさを露呈している事態だと思う。表現の不自由展それ自体はまだ表現の自由についてのこの国のお粗末さを揶揄しているいたって健全なものだと思う。今回のことは権力を皮肉る健気で無力な行為に対して、権力が本気で潰しにきたと。笑って済ますというオトナな対応ができないこの国のヤバい幼さが露呈したと、そんな感じじゃなかろうか。

芸術は坑道のカナリア、と言う人もいる。カナリアがガスにやられる前に権力は首を絞めにきたってな感じかしらん?
だから不破さんも珍しく、ストレートに表現の自由に言及したのだと思う。それだけ切迫しているのだ。

それでもそんな日本の空気感へのアンチテーゼをエンターテイメントで提示する渋さ知らズのすごさよ。
渋さの表面的な部分を見ていたら、そんな生真面目なイメージから程遠いけど、実は昔から社会派バンドだっつーの。ねぇ。

今年の天幕渋さは残り数回。
目撃できる人は目撃すべし。
勿論普通の公演も。

是非。

せいぶこーどー♪

天気の子 @ T・ジョイ京都

2019-09-15 11:55:43 | 映画感想


言わずと知れた新海誠監督の最新作。

RADWIMPS好きの知人の情報では「君の名は。」よりもわかりやすいと。

いやいや、わかりやすいとかわかりにくいとかの問題ですか?

ええ、分かり易かったです、はい。

(まぁ、「君の名は。」の場合、どうしても時間軸のズレとかあるし、現実離れした設定を受け入れる必要とかあるしねー)

んー、映画自体は悪くはなかった、と思うのだけれど、分かり易いというのは引っかかりにくい、と言うことでもある。
前に見た作品と比べてしまう愚は分かっているが、やはり期待してしまうでな。
「君の名は。」で感じた疾走感や雄大な設定やトリッキーな展開でのワクワク感、「言の葉の庭」で感じた雄弁で賑やかな静謐であったり。他のアニメ作品とは違う印象があったのだけれど、ちょっと物足りなかったかな。

あえて挙げるとすると東京の猥雑な街角の様子と水の描写かな。美しいとか綺麗とかではなく、なんとも言えない生々しさは印象的。雨は「言の葉の庭」でもずーっと降っていたわけだけど、「天気の子」のあの質感(勿論空と繋がるという設定で龍や魚といった象徴の為でもあると思うのだけれど)は一歩間違えたらちょっとクドくなりすぎレベルだと思う。
(おお、関係ないけれど書いてたら秦基博の「Rain」思い出した。大江千里好きの儂だが、あのRainは秦さんに軍配があがる)

でも映画自身について、儂がストーリーの最初の方から感じていたのはなんとも言えない危うさである。

帆高くんは家出高校生で、新宿の雑踏の中であまりに頼りない。陽菜もまた、親を亡くし未成年の姉弟だけで暮らすという、現実世界で考えれば社会的に放ってはおけない設定である。
陽菜が晴れ女の仕事を始めると今度は、夏美の取材でその危うさが指摘されるのを待たずとも、自然の摂理に反するその行為への大きな代償が予感されて苦しくなってくる。

そして、それが人柱という現実となる。
一方で帆高くん、凪くん、須賀さんは同時に警察に追われるというリアル世界での容赦ない閉塞が襲いかかる。

ストーリーは一直線で結構しんどい。

とはいうもののハッピーエンドのファンタジーなので最終的には救われるのだけれど。

あとね、あとね、野暮を承知で言うのだけれど、
それとは別に(映画の評価と別に)気になるのは気象の話だったりする。

今年も異常気象でしょう? 特に豪雨の被害は年々激しくなってきている感がある。
あれだけの豪雨が東京の街に降ったのならそれこそ甚大な被害がある筈で、でもその様子は映画ではほとんど感じることはできない。いやいやいやいやいや、別に災害パニック映画じゃないんだから当たり前だけれど。

ラストの展開も、「もともと狂ってたんだ」という救いは提示されているが、所詮は気休めでしかない。狂っているのを鎮めるのが巫女や持衰による人柱の役目で、昔からそれが機能していたのだとすれば、それに反した事になる。勿論、帆高くんは分かっていてそれを選択したわけで、それは数百万の人々に犠牲を強いた事には変わりないんだ。だって、最後のおばあちゃんが言うように、関東平野に住んでいた多くの人たちは住み慣れた故郷(それが田舎ではなく都会だったとしても)を追われているのだ。それまでの生活を奪われるというのは大規模災害で繰り返される儂らの犠牲ではないか。もっとも、それは映画の冒頭で語られるように、僕と彼女(とその周囲の数人)だけが知っている世界の秘密、なわけで、みんな知らないんだからいいんじゃない?と開き直ってしまってもいいの、って事なのだろうけれど。

さて、どうだろう。
昨今の異常気象にもやはり人柱が必要なのだろうか?
いや、それはファンタジーの中だけの話だと、そう思ったらいいのだろうか?
むしろ現実は1人の人柱では到底すまないレベルなのではないだろうか?

THE ドラえもん展 OSAKA 2019 @ 大阪文化館・天保山

2019-09-14 12:06:33 | 展覧会とかアートチックなもの


前回のドラえもん展の時はまだサントリーミュージアムだった。
前回って2002年だったんだって。
うひゃー、マジか。そんなに前か!
蜷川実花さん昔も今もかわらーん、かわいいー!

って、見るべき場所はそこじゃない。

ん、まぁいくつかの作家さんはその2002年のものも一緒に並べたりしてね。
でも、違和感ないよねー。

さて、ドラえもん大好きパタくんである。
当然、ドラえもん展、隅から隅まで舐めるように見て回る所存。。。。であったが。

同行した4歳男子は早々に「もう帰ろうよ」「観覧車乗りに行こうよ」と言い始める。おぬしは松鶴家千代若師匠か!?

というわけで、じっくり一つ一つの作品を見たい儂にボカスカとパンチを繰り出して退出を促すちび助を抱っこしながらの鑑賞であったために、会場滞在時間はおよそ30分。映像作品とかさわりだけ見て終わりっスよ。ちー!

ま、そんな感じだったので印象に残っているのはどうしてもインパクトのあるものに。
しずかちゃんの洞窟とか、シャワーを浴びるエアしずかちゃんとか、水に濡れる巨大リアルしずかちゃんとか。
(いやキミ、どんだけしずかちゃん好きやねん)
映像作品で(多分)アニマル惑星の予告編オリジナルで作っちゃったヤツとかしりあがり寿さんのやっつけ感があるドラえもん一話分とか。ちゃんと見たかったな。
特にしりあがり寿さんの作品はオープニングの曲と本編開始のチョロっとだけしか見れなくてもうめちゃめちゃ消化不良。なんだあのやみつき系のオープニングは!?なんだ残念なニュースって!?悔しいから手ぬぐい買うたった。



ちなみに今回おみやげ購入はこれだけ。
ジャイアンTシャツ売ってて、ちび助に買ったげよか?って聞いたらものすごい勢いで「いらない!」って言われたし。まぁ、これ着てボェ〜って歌われても困るわけだが。

早々に会場を出たけれども、4歳男子が先にチェックしていたドラスパ(ドラえもんのたらこパスタ)食べたいというのでミュージアムカフェへ。
儂もドラゲリータを食べてちょっと満足。



その後、4歳男子は念願の天保山大観覧車にも乗って(ずーっと父にしがみついたままでしたが)ご満悦で帰りましたとさ。