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もう大人気ですから(儂は全然知らんけど)。
前にも書いたけれど、公開直後にはレイトショーだというのにごった返す映画館。
そんなに大人気!?
ウチのチビどももコミック読んでないしテレビも見ていないのに知ってる。
そんなに大人気!?
下の子なんて緑と黒のボーダーシャツ着て「たんじろーだー」ってはしゃいでる、おまけに歌まで歌っている。
そんなに大人気!?
国会論戦でまで引用される始末
そんなに大人気!?
いや、炭治郎が着ている羽織はボーダーじゃなくて市松だから!息子よ!
とにかく大人気なのだよ。この流行遅れめが。
あぁ、なんかスイマセン。
そこまで人気なのに全然知らない(うちの子が聞きかじってきた知識の又聞き止まり)というのは癪なので映画見に行ってきたですよ、はい。
ストレートな感想としては、あぁやっぱりジャンプっぽいなと。
ここでいうジャンプっぽいっていうのはよく言われる「努力・友情・勝利」っていうのもあるけれど、シリアスに徹しきらないでくすぐりを入れてくる感じとかね、キャラクターの親しみやすさとかね、ストーリー的なわかりやすさとかね。
でも、実際のところよくわからないのだ。
なぜこんなに人気があるのだろう?
いや、儂の感覚が世間と違うと、単にそれだけのことなのかもしれないけれど(といつも通り先に言い訳するわけだけど)ぶっちゃけ、そんなに人気が出るほど特異な魅力があるようには感じられない(あ、一瞬にして山のような敵を作っちゃいましたよ、この人は)。冒険活劇というほど壮大ではなく、鬼という陰にこもる存在との戦いはどちらかといえば暗く、また描き方も結構凄惨だ。時代設定だって、大正期の日本というのは通好みではあっても一般的に受け入れやすいとは言いにくい気がする。ヒロインだって竹咥えてて変だ(あ、またやった。もう取り返しつかへんで、この人は)。
あと、個人的な好みになっちゃうけれど絵もそんなに好きなタイプではないし、「鬼」という存在のあり方もちょっと違和感がある。
一体どこらへんが人気の秘訣なのだろう?
と問題提起をした風に聞こえるけれど、本気でわからないので、この件については終了。(をい)
とは、書いてみたけれどその後HPでここまでのストーリーを追いかけたり、他の人が書いている記事をいくつか読んでみたりしてかろうじて分かったのは、登場人物(鬼殺隊、鬼)それぞれにストーリーがあるという事だな。
映画では煉獄杏寿郎とせいぜい竈門炭治郎が背負っているものが多少描かれるだけで、善逸や伊之助といった他の鬼殺隊やまして魘夢や上弦の参という鬼のバックボーンはまるでわからない。
やはり、映画だけで全て知ろうというのは虫のいい話だ。
特に「鬼」はそもそも「人」であり、現世で強烈なトラウマや恨みを持つことで「鬼」になる、というラインは「鬼」というものの存在を考える上でとても大切なポイントだと思うのだな。それを分かってみている人がどれだけいるのか知らないけれど。
なんにしろ儂はまだ鬼滅の刃を語る言葉を持てないでいるということだ。
ヴァイオレットエヴァーガーデンの時も思ったけれど、コミックやテレビアニメといった形が元にあって、映画だけで完結していない作品を映画だけで理解しようってのはどうにも傲慢な話だ。
それでも「ヴァイオレット〜」は完結話だったからある程度の回収はできる。まして「鬼滅の刃」は大きな話の中の中間部である。そんなことさえも知らずに見に行った。なんとも無謀な事よ。
いや、もちろんさ、それでも作品の面白さの側面に触れることはできるから否定しないけれどね。
もっと深く知りたいならきちんと追いかけろって話さ。うん。
(コミック買う?いまさら?)
あと、魘夢。何かににている気がするんだけどどうしても思い出せない。なんだろう?
追記!!!(12月21日)
こちらの記事を読んで思い出した事がある。
上記の記事の肝は
「柱という数詞は神道において神を数えるものでもあるので『神がかった強さを持つ剣士』という意味をもつ」って事になると思うのだけど、儂が映画を見たときに感じたのはちょっと違う。
儂が映画の中で杏寿郎が死んだときに思ったのはこうだ。
「柱というのは『人柱』の事だったのか」
人柱とはすなわち、人身御供であり、イメージとしては作った建造物などが壊れたりしないよう神に祈願するために差し出される犠牲者なので、主体的に鬼と戦う鬼滅隊の剣士のイメージとは大分異なるかもしれない。
でも、命を賭して戦い鬼に脅かされない人間の平穏な世の礎にならんとする鬼滅隊の隊士は、なるほど人柱でもあるのかもしれない、と思ったのだ。
作品の中で重要な位置を占める「柱」という存在が、でもここで一人死んでしまう事にショックを受けるが(基本的に主要人物が途中で死ぬという展開は期待されていないものだと思うのだけど、いや最近でこそ多い気はするけれど)、死をもってその遺志が炭治郎たちに受け継がれそれが、この後の展開に繋がるとするのならば、成功を支える人柱としての柱という解釈もあながち間違ってない気はしてしまう。