ぱたの関心空間

関心空間と徒然なるままに。

レイチェル・カーソンの感性の森@京都シネマ

2011-09-18 16:26:34 | 映画感想
1962年に出版された「沈黙の春」のレイチェル・カーソン。
「沈黙の春」を書いた後の、彼女の最晩年をドキュメンタリータッチで再構成した映画。

「沈黙の春」は確か教科書に載っていたんだ。中学の教科書?かな。小学校の時じゃぁなかったとおもうけれど。

「一見いつもと変わらない森のようだけれど、生き物の気配は一切ない」
その様子を描写する静かな、しかし確実に不気味な表現でつづられるその話は、当時の儂にとってはあまりにも突飛で、きっとこれは危機感を持って環境問題にみんなが関心をむけるように、大袈裟に想像上の話をしているんだろうな、なんて思ったものだ。

若かったね、若かった。うん。

沈黙の春の話は、確かに話として分かりやすいようにしているところはあるにしても、決して大袈裟とは言い切れない状況が当時のDDTを規制なしに散布していたアメリカにはあったし、それが決して誇張しすぎたこの地球の未来像とは言い切れない事は、しだいに儂にも理解できるようになってくる。

驚くのは、映画の中の設定は今から50年前。それなのに全くそれを感じさせないところだ。

まだ、今ほど環境問題にみんなが関心を寄せていない(いや、今だって十分みんなが環境の事をきちんと考えられていると言えるかどうか。。。)当時、農薬・殺虫剤の散布が問題だと告発するような内容の本を書いたが為に、薬品企業は勿論の事、マスコミからもとてつもない誹謗中傷を受ける事となる。

そう、正しい事を言ったのに、産業界にとってそれが不利な発言であったが為に、バッシングされてしまうのだ。

おっと、そんなような図式、なんだか今、すごく身近な国でもよくみかけるようなきがするなー。
んー、なんだろ。既視感?

ただ、アメリカという国がちょっと違うのは、
この後、ケネディ大統領がすぐに調査機関を置き、公的に調査を開始。その結果、レイチェルカーソンを中傷していた化学薬品企業など関係団体を批難する結論を出し、薬品を規制したり環境を保護するための施策を打ち出したのだと言う。

どっかの国、見習ってくんないかな(泣)。

レイチェルカーソン曰く
「みんな、ちょっと難しそうな事は自分たちで考えなくても、どこかで頭のいい人が考えてくれて、自分たちは安全に暮らす事ができると思っていた。その神話が崩壊したのです。」

彼女が50年前に崩れたというその神話、残念ながら日本では50年間生き延びていました。愕然。
そして、まだその神話を信じ続けようとしている人もまだいるように見受けられるこの国。唖然。
過去から学ぶ事を拒否しているかのよう。呆然。

50年も前に既に彼女が看破してくれていたとうのに。
にも関わらず、それを生かす事が出来ずに今日を迎えてしまった事は、間違いなく儂らの怠慢だ。

原題の「The Sence of Wonder」は、彼女の最後の著作のタイトル。

儂らをとりまく自然の不思議さに対しての驚きの心を持ち続ける事の大切さを訴えかけていた。

人間も自然の一部。
もういい加減、当たり前の事を思い出してもいいじゃろ?

そろそろ、50年前から鳴らされていた警鐘に向き合わないと本当に手遅れになる。
いや、もうなってるかもしれんけど、そこは希望を繋ぐためにちょっと横に置いておこう。

そうそう、京都シネマでは現在「ミツバチの羽音と地球の回転」もやってるよー(宣伝)

時間的には「感性の森」に続いて見られたのだけど、楽しみは後に取っておくことにしたのだ(<ウソ、時間の都合)

今月いっぱいだよー(備忘>自分)

レイチェル・カーソンの感性の森@京都シネマの画像

レイチェル・カーソンの感性の森@京都シネマの画像



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