ぱたの関心空間

関心空間と徒然なるままに。

おくりびと@MOVIX京都

2009-03-01 10:25:51 | 映画感想
なにしろ映画の日で朝一を狙っていったのに9時20分の時点で9時40分の回は満席ときたもんだ~♪

でも結果として良かった。見たのが「少年メリケンサック」が先で。
逆に「おくりびと」が先だったらどんだけ台無しになっていたか(爆)

「おくりびと」

最初の公開の時も見に行こうと思っていたけどタイミングが合わず見逃していたのだ。
常の事で、見逃した映画の事はそのままになってしまうものなのだけど、賞レースに出てくれたおかげでこうやってみる事が出来たわけだから、賞取りもまんざら悪い事ではないね。

さて感想。

なんと静かに優しい映画でしょうかね。
映画を見ながら涙がとめどなく溢れて溢れて困った困った。 何が困ったって鼻水までズルズルと流れてくるのだ(あー、汚くてスイマセン)。でもね、なんだかしらないけれど周りの客席から鼻をすする音とか聞こえないから(泣いていたのは儂だけ!?)ここは手ぬぐい出してグッと我慢ですよー。シンドかった(苦笑)

儂らは映画を見る立場だから意識しにくいけれど、主人公の友人や妻が見せるように、社会的に死者に接する仕事をしている人に対しての偏見というのはきっと大きいのだろうと思う。
しかし、いざ死が身近なものとして感じられることが(近親者が亡くなる事が)あれば途端に頼りになる(頼りにせざるを得ない存在)でもある。

死者を辱めるな。
日本人に独特な感じだとは思わないけれど、この映画に見られるその死という尊厳への態度の表出は多分に日本的なものだったと思う。それが外国の映画賞で評価されたと言うのは、基本的にそれが生理的な部分で共通の感覚なのだということかもしれない。

重いテーマではあるけれど確かに作りは軽やかで明るい、悲壮感は少なく、笑いもある。それなのに決して不謹慎な感じは一切しないのは映画のつくりと出演者のなせる業なのかな。

優しさに溢れていて全体的に軽やかな明るいタッチではあるけれど、映画の芯はとてもしっかりしているように感じるのだがどうだろ。

死者を見送る人たちの苦悩や葛藤や反省や感謝や愛情が、死者を送る納棺のこの短い瞬間で溢れんばかりに表現されている。
性同一性障害(?)の息子を持った親、バイク事故で娘を亡くしてしまった親、そして死んでから親の想いに寄り添うことが出来た風呂屋の息子、沢山のキスマークで送られるおじいちゃんまで。一つの映画の中でこんなに沢山の人間ドラマを鮮やかに見ることが出来るなんて思いもしなかった。その瞬間を演出する納棺士という仕事のなんという崇高さよ!

そして山崎努が言う、「美味いんだなぁ。困った事に。」
食べる事は命を奪う事でもある。罪深い事なのだ。罪深いけれども美味いんだ、これが、困った事に(苦笑)。すごいすごい!こんなに冗談っぽいセリフなのに、儂らはこのセリフで日々忘れがちな食べる事のよろこびと、それにくっついている生への感謝を思い出すことが出来る。

最後に用意されていたのは主人公自身の心の影の部分の救済か。捨てられた子供と捨てた親の確執そして邂逅。勿論いろんな意見はあるだろうけれど、映画としては満点だよね。 オトナにだって事情はある。いや、大人だからと言った方がいいのか。子供にはそれはわからない。いや、オトナの方にストレートに想いが向かう子供だからそれは当然の事で、わかる必要もないのだけれど。
死んで初めて出会える、通じ合えるというのも皮肉だし虚しく感じられるけれども、永遠にすれ違ったままになるよりよっぽど幸せなことだ。
死は門であり、単に自分より先に門の向こうへ行ったに過ぎない。むこうでまた会おう、自分もいつかそのうち行くから、その時までしばしのお別れ。火葬場の笹野高史さんの達観に救われる。

本木さん演じる主人公が見せる弱々しげな表情とは対照的な芯の強さを魅せる演出。大人しいと思われるかもしれないけれど、そんな人の信念の確かさくらい信用できるものは無い。
#成り行きで納棺士になった主人公に信念の確かさを見出すのはちょっと危険か?
自分自身の事として考えても、死んでしまうその最後の時まで大切にされたいと思うし格好悪いのはやっぱり嫌なもんだ。そう考えた時に、映画の中の納棺士のように大切にそして美しく格好良く送り出してもらえる事を願わずにはいられない。

なんだか感想書いてるだけで泣けてきた(笑)
賞取った映画を評価するのはシャクだけど、素直にとてもいい映画だったと言っておこう(^^)


おくりびと@MOVIX京都の画像

おくりびと@MOVIX京都の画像



最新の画像もっと見る

コメントを投稿