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パンダ イン・マイ・ライフ

ようこそ panda in my lifeの部屋へ。
音楽と本、そしてちょっとグルメなナチュラルエッセイ

ビートルズのすべて 4 動くビートルズ(5)

2011-06-19 | ビートルズ
『ハード・デイズ・ナイト(A Hard Day's Night)(ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!)』の次に、64年12月に出した『ビートルズ・フォー・セール(Beatles For Sale)』では、再びカバー作品が多くなった。『ハード・デイズ・ナイト(A Hard Day's Night)』は、全曲レノン=マッカートニー作品であったので、ファンは疑問に思った。

この64年は、非常に多忙なスケジュールであり、作曲活動ができなかった。しかし、このアルバムは、カバー曲も前作と比べ、演奏力、ボーカル力量、解釈表現力格段に進歩している。愛着とともに成長の跡が伺える。ミュージシャンの黒っぽさ、ソウルフル、味わい深い表現がある。また、オリジナルも物悲しく、メランコリックだ。オリジナルの味わい深いものと、リトル・リチャードなどを取り上げ、なつかしいリズミカルなのようなものと対比を見せている興味深いアルバムだ。
それは、これまでのビートルズの足跡、アメリカの黒人音楽のロックンロール、リズム&ブルースをよりどころに、お手本により演奏スタイルを確立し、オリジナルを作ってきた足跡に区切りをつけたアルバムだ。
これ以降、しばらくカバー曲から離れ、自分たち独自の非常に斬新な作品、演奏、編曲サウンドによる作品アルバムを相次いで発表していく。

『ハード・デイズ・ナイト(A Hard Day's Night)』『ビートルズ・フォー・セール(Beatles For Sale)』の64年の2枚は、コアなビートルズファンから高い評価を得ている。


ビートルズのすべて 4 動くビートルズ(4)

2011-05-22 | ビートルズ
その頃、イギリスからアニマルズ、ホリーズなどの多くのビートグループが、ビートルズに続いてアメリカへ渡った。64年、65年、66年頃までアメリカで活動し、多くの曲をヒットさせた。ブリテッィシュ・インベイジョンと呼ばれる。
その特徴は、アメリカの50年代のロックンロール、リズム&ブルース、そして、それ以後のドゥアップ、女性コーラスであるガールズグループのヒット曲をカバーし、ビートを強調したスタイルだった。これがアメリカで親しまれた理由であろう。
これが、アメリカのグループを刺激した。アメリカにいたフォークシンガーやグループが、やがてフォークロックという新しいジャンルの担い手となっていく。フォークギターをエレキビターに変えた。その中心がボブ・ディランであった。

なぜ、イギリスのビートグループが、このような黒人音楽のロックンロール、リズム&ブルース、コーラスグループのカバーをしていたのか。

ビートルズの場合、リバプールという港という背景があろう。立ち寄る船員たちを通じて、最新のポップスではなく、フォークブルース、ブルース、リズム&ブルースなどのマニアックな音楽に親しむことができた。また、ビートグループは労働者階級出身のミュージシャンも多く、アメリカの黒人音楽が持つ、悲しい歴史がもたらす、悩み、苦しみ、うめき声に対し、魂を揺さぶられる共感以上のものがあった。もちろん、黒人音楽のもつかっこよさももちろんであるが、ピュアな部分もあった。しかし、現実にアメリカに来て見ると、黒人音楽は特別なところに追いやられ、多くの人は聞く機会もない。人種差別を目の当たりにし、衝撃を受けた。

ビートルズのデビュー当初、ファーストアルバムアメリカの『プリーズ・プリーズ・ミー』やセカンドアルバム『ウィズ・ザ・ビートルズ』にも、黒人音楽のカバー曲が、収録されている。
ビートルズが、黒人音楽のロックンロール、リズム&ブルース、ボーカルグループを敬愛していた表れであった。
ビートルズは、コーラス、ボーカルスタイルをお手本にし、作詞作曲のスタイルや編曲アンサンブルも参考にした。ハンブルグ時代も持ち歌だけでは間が持たず、必要に迫られ、最新のヒット曲を取り入れレパートリーにしていた。

ビートルズのすべて 4 動くビートルズ(3)

2011-05-15 | ビートルズ
ジョンとポールはこの映画のために、全曲オリジナルを書いた。しかし、すべて映画に入らなかった。入らなかった作品は、当時アナログ盤のB面に収録された。

ビートルズは、レノン=マッカートニーとして共作のクレジットがある。この『ハード・デイズ・ナイトA Hard Day's Night(ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!)』の場合は、すべて、レノン=マッカートニーとして共作のクレジットがある。これは、初めてのことで。13曲のうち10曲がジョンが中心となったらしい。そういう意味でジョンの色彩が強く、ソングライターとしての力量をあげた作品だ。ビートルズファンの中でも評価が高いアルバムだ。
「ハード・デイズ・ナイト(ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!)」を聞く。

ビートルズのすべて 4 動くビートルズ(2)

2011-05-08 | ビートルズ
映画『ハード・デイズ・ナイト(ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!』は、低予算のモノクロ映像だった。イギリスの光景もふんだんに取り入れられ、未知だったイギリスの空気にふれることができた。1964年7月公開。

内容は、48時間のビートルズの行動を追いかけたドキュメンタリー仕立てになっていた。演じてるのか、素の顔なのか。リバプールなまりであり、ビートルズも脚本に関わった。一番の魅力は、動くビートルズとともに、演奏するビートルズをとらえていたことが衝撃的だった。ファンにとって、まさに狂喜すべきものだった。

ジョンは、この日常はもっとタイトなものだったと語っている。このタイトル『ハード・デイズ・ナイト』もリンゴの編み出した用語だったという。
エルビスの映画のように、音楽と映画の組み合わせは、ミュージカル仕立てではなく、日常のリアリティーを基本にし、しっかり見せる手法を取り入れた。。

ビートルズのすべて 4 動くビートルズ(1)

2011-05-05 | ビートルズ
「ビートルズのすべて」の4回目は、「ビートルズがやってくるヤァヤァヤァ 動くビートルズ テレビ・映画に出演したビートルズが世界を変えた。」である。

ビートルズは、1964年(昭和39年)2月7日にニューヨークに到着し、エドサリバンショーへの出演した。これがアメリカでの人気に火をつけた。
そして、最初の主演映画が『ハード・デイズ・ナイト("A Hard Day's Night")』である。64年の4月に「キャント・バイ・ミー・ラヴ(Can't Buy Me Love)が1位になった。その時、1位から5位がビートルズの曲が独占。チャートの100曲に12曲のシングルが入った。例のない快挙となった。

テレビやラジオに積極的に出演し、プロモーション活動に使い、音楽を届けることをしている。イギリスのBBC放送にも番組を持っていた。このBBCでのライブのレコードもあった。


テレビはイギリスにおいて、大きな役割を果たした。のちにはテレビのみの『マジカル・ミステリー・ツアー(Magical Mystery Tour)』も放送される。アルバム、特にシングル曲のプロモーションフィルムもテレビ放映された。たとえば、『レット・イット・ビー』("Let It Be")も日本で放映された。

ビートルズは、特別な存在にも関わらず、このような映像を届けるやり方を積極的に活用した。将来、ビートルズは、ライブ活動をやめるが、生身の姿を伝えることはできるのはシングルを発表するごとに製作するフィルムであることが中心になる。これは、その後のさまざまなロック・ミュージシャンのビデオクリップのさきがけとなった。

このテレビ番組エドサリバンショー見ることができなかった多くの人がいた。映画は何回でも見れる。映画『ハード・デイズ・ナイト(ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!)』の公開で、初めてビートルズが動くのを見た。生演奏の姿を見て、ギタースタイル、ファッションを取り入れたミュージシャンも多い。多くのファン、ミュージシャンに影響を与えた。


ビートルズのすべて 3 世界を制覇(5)

2011-05-04 | ビートルズ
これまで、イギリスからアメリカに本格的に進出し、成功を収めた例はなかった。

ビートルズのレコードは、63年に入って発売されたが、マイナーレーベルを通じてのものであり、当初の反応は芳しいものではなかった。しかし、キャピトルレコードが本腰を入れてPRしだした。
63年12月26日、急きょ、「抱きしめたい」を発売。翌、1月から2月にチャート1位を獲得しゴールドディスも獲得した。日本で「抱きしめたい」が発売されたのは、64年の2月5日のこと。それから2日後の2月7日にビートルズはニューヨークに到着。9日には、テレビ番組「エド・サリバンショー」に出演し、72パーセントの驚異的な高視聴率を獲得する。
そして、ワシントン、ニューヨークでコンサートを行った。まさにアメリカ制覇を果たしていく。

「抱きしめたい(I Want To Hold Your Hand)」を聞く。

3回目に紹介された曲は
「ザットオール・ビー・ザ・ディ(That'll Be The Day)」
「ラヴ・ミー・ドゥ(Love Me Do)」
「プリーズ・プリーズ・ミー(Please Please Me)」
「フロム・ミー・トゥ・ユー(From Me To You)」
「シー・ラヴズ・ユー(She Loves You)」
「抱きしめたい(I Want To Hold Your Hand)」
の6曲であった。

ビートルズのすべて 3 世界を制覇(4)

2011-05-03 | ビートルズ
へスタイルとともに、すっきりとしたスーツ姿も評判になった。
ハンブルグで評判を呼んだ、ワイルドなエネルギッシュなステージ、そして、黒尽くめの革ジャン・パンツなど野性味のあるファッションは鳴りを潜める。
デビューにあたって装いやステージマナーは大きく改めることになる。
それは、エプスタインのアドバイスだった。ステージでの飲食は慎むこと、汚い言葉は使わないこと。曲が終わるたびに必ず客席に向かって一礼すること。皮のジャケットやパンツではなく、スーツを着用することだった。
身なり装い、振る舞いが好印象を残し、幅広いファン層を獲得した。もっとも演奏は、粗野で荒々しく、ワイルドでエネルギッシュだった。
日ごろのステージ、テレビ、ラジオ出演、マスコミへのユーモア、ウィとに富んだ対応などが話題を呼んだ。
リバプールからロンドンに進出し、全英を制覇し、フランス、ドイツ、北欧などヨーロッパでの人気が高まったビートルズが、目指したのはアメリカだった。


ビートルズのすべて 3 世界を制覇(3)

2011-05-01 | ビートルズ
デビューシングルもオリジナルにこだわった。マーティンは難色を示した。しかし、オリジナルを押し通した。それが、「ラヴ・ミー・ドゥ(Love Me Do)」だ。
特徴的なのは、ジョンのハーモニカだ。そのために、リードボーカルはポールがつとめた。この曲は、ハーモニカと、ポールとジョンのハーモニーが主であり、シャウトや激しいビートがあるわけではない。どこか、切なく、センチメンタルで、ゆったりとした曲風だ。ビートルズが、R&Bやブルースをバックグランドにしていた証を、皆に紹介したかったのではないか。
そして、シングル第2弾が「プリーズ・プリーズ・ミー」だ。これは、元来のライブバンドとしての魅力をそのままストレートに表現した。快活でいきいきした、歌、コーラス、メロディ、サウンドが印象的だ。マーティンは、この曲を聞き、即チャート1位になると断言したという。
そして、第3弾が、「フロム・ミー・トゥ・ユー(From Me To You)」。途中にたくみな展開のメロディを挟み込んでいる。マーティンは、この曲を聴いて、ソングライターとしてのビートルズの将来性を確信したという。ジョンとポールの裏声のハーモニーが素敵だ。
そして、ビートルズの人気を決定付けたのは、「シー・ラヴズ・ユー(She Loves You)」、「抱きしめたい(I Want To Hold Your Hand)」だ。この2曲では、「ウー」といううなり声や「イエイ、イエイ、イエイ」と繰り返されるシャウトのコーラスが特徴的だ。特に「シー・ラヴズ・ユー」で、ポールが長い頭髪を振るわせて歌う「イエイ、イエイ」が評判を呼んだ。

ビートルズのすべて 3 世界を制覇(2)

2011-04-29 | ビートルズ
これらのスタイルにおいて参考にしたのは、バディ・ホリーであった。ビートルズというバンド名の由来もだが、バンドスタイル、そして、自ら作品を手がけ歌う、シンガーソングライターであったことなどである。
ビートルズは、自分たちのオリジナル作品を手がけ、自分たちで演奏するスタイルを貫いた。

そのバディ・ホリーの「ザットオール・ビー・ザ・ディ(That'll Be The Day)」を聞く。これは、1回目に聞いたザ・クォーリーメン時代にたった1枚、録音した「ザットオール・ビー・ザ・ディ」の原曲。
ほんとうにそっくりな曲風だ。
また、歌は50年代半ばにヒットした、R&Bやロックンロールを手本にスタイルやエッセンスを取り入れた。
また、野性味あふれるシャウトだ。ポールは、リトル・リチャードに心酔していた。もちろん、ジョン、ジョージの3人の個性持ち味。リンゴは素朴な人間味あふれたボーカルである。
ハーモニーでは、ドン・エヴァリーとフィル・エヴァリーの兄弟によるカントリーユニット、エバリーブラザーズのコーラス受け受け継いだ。
リードとコーラスの掛け合いでは、ユーモアあふれるドゥーワップグループのコースターズなどがあり、カバーしてきた。エバリーブラザーズ、コースターズともYouTube動画で見ることができる。
カバー曲の選曲のセンスはもちろんであるが、ビートルズのオリジナリティ作品のすばらしさがある。個性、持ち味、魅力がある。

ビートルズのすべて 3 世界を制覇(1)

2011-04-24 | ビートルズ
カルチャーラジオ「芸術その魅力 ビートルズのすべて」
3回目は、「抱きしめたい 世界を制覇したビートルズ」

シングルとしては、63年4月には「フロム・ミー・トゥ・ユー」、8月には「シー・ラヴズ・ユー」が全英1位を獲得。そして10月には「抱きしめたい」は初登場で1位になった。
当時の人気の秘密、理由は。
初期の代表作から振り返ると、歌・演奏の独特のスタイル。歌ボーカルとしてメインのジョン、ポール、時々加わるジョージにそれぞれの個性と持ち味があった。また、コーラスにもデュエット、もしくは3人のコーラスが織り成すハーモニーにも個性と持ち味があった。
演奏もリードギターやリズムギターなどギター主体に、ベース・ドラムのリズムコンビを加味したギター中心のバンドアンサンブルが特徴。時々、ピアノ、パーカッションが加わるが、シンプルなギターバンドスタイルが基本にある。
さらに、演奏と歌コーラスが同等であり、一体化していた。それまでは、ボーカルが主で、伴奏はあくまでも伴奏だった。そして、この生演奏をそのままレコードに刻もうとしていた。