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パンダ イン・マイ・ライフ

ようこそ panda in my lifeの部屋へ。
音楽と本、そしてちょっとグルメなナチュラルエッセイ

母の待つ里

2024-09-01 | book
ストーリーテラー、浅田次郎の「母の待つ里」を読んだ。2022年1月発行。2020年から2021年にかけて月刊文芸誌に連載。
カード会社の仮想のふるさとを提供するホームタウンサービスに参加した、3人。東北の相川村。過疎の進む村に母親一人が暮らす家、近くの慈恩院。相川橋のバス停。村がサービスを提供する。1泊2日で50万円、カード会社の年会費が35万円。

創業120年の食品加工会社大手の社長、60過ぎの松永徹。未婚。
製薬会社の営業マン、室田精一。2人の娘は嫁ぎ、40年勤務職場を昨年6月退職、32年連れ添った妻から離婚を迫られる。両親はいない。高校教師の妹が一人。独り暮らし。
60歳の循環器科の女医、未婚の古賀夏生。両親はいない。

その3人に相川村から87歳のペアレンツが亡くなったと知らせが入る

高齢社会の日本。独り暮らし、過疎など背景に、3人の行動心理を巧みに追う。

夏目漱石の百句

2024-08-25 | book
ふらんす堂の百句シリーズの最新刊、「夏目漱石の百句」を読んだ。井上泰至(やすし)著。2024年6月初版。

夏目漱石といえば、明治の文豪。同年の正岡子規と親交を深め、作句に励んだ。慶応3年(1967)生まれなので、年齢は明治22年(1989)の作なら22歳と考えればよい。
岩波文庫の「漱石俳句集」(坪内稔典編)を横に置いて、酷暑の夜の百句を楽しんだ。

その日付と漱石の足跡を重ね合わせてみる。
同い年の兄嫁の死、明治25年。
明治28年松山中学の英語教師
明治33年英国留学
明治35年正岡子規死去
明治36年帰国、東大講師
明治38年「吾輩は猫である」発表
明治40年朝日新聞入社
明治43年修善寺療養
明治45年大正元年
大正5年明治49年49歳で没

折々に漱石の句。

ツユクサナツコの一生

2024-08-18 | book
イラストレーターの益田ミリの漫画「ツユクサナツコの一生」を読んだ。2023年6月刊行。翌7月に2刷。週刊誌に2021年から2022年にかけて連載された。全21話。
益田ミリは1969年大阪生まれ。本作も関西弁で。

コロナ禍で、ドーナツ屋でバイトする32歳の独身の漫画家ツユクサナツコ。ネットに漫画を投稿している。母は亡くなり、父と二人暮らし。姉はいるが、結婚し東京に住んでいる。

なにげない日常の生活。ふと疑問に思うさまざまなこと。そして、各話にツユクサナツコ作で挿入される「おはぎ屋 春子」。
最低限のバックと同じ太さの細い線。シンプルな構図。そして、益田独特の間。この間がいい。

第28回(2024年)手塚治虫文化賞の短編賞を受賞した。

田辺聖子 新源氏物語

2024-08-11 | book
現在放映中の大河ドラマの「光る君へ」は、源氏物語をいやが負うにも思い起こさせる。高校の時、古典の授業で習った源氏物語の世界に触れようと、当時10巻完結の円地源氏を大人買いした。ところが、教科書の部分だけで、挫折した。その10巻は半世紀経た今も書架にある。昭和47年発行の昭和50年1975年12刷だ。

そして、今年、田辺聖子の新源氏物語を図書館で借りた。田辺源氏は口語訳の直訳ではない。読みやすさもあり、なんとかなりそうと思った矢先、円地で源氏に栞の系図が各巻にあったのを思い出した。この系図がほんとうに助かった。多分、この系図がなければ、登場人物の関係がとても維持できなく、また、挫折していたと思う。読み進むたびに、付箋を貼ったり、線を引きたくなり、文庫の全3巻を買った。昭和59年に発行、令和5年に62刷だ。6月22日に読み始め、8月8日に読み終えた。猛暑の季節に至福の時を過ごすことができた。


田辺聖子の百人一首

2024-08-04 | book
大河ドラマの「光る君へ」。平安時代の空気に触れながら、5月に購入した「田辺聖子の小倉百人一首」を読み終えた。1989年平成元年に刊行され、平成3年に文庫化。令和5年には37版だ。文法や直訳ではなく、作者や背景に焦点を当て、お聖さんカラーあふれる一冊だった。
傍らには、高校時代、昭和48年1973刊行の文法解釈本がある。茶色になり、シミもある。

奈良時代の前の飛鳥時代の天智天皇、持統天皇から始まり、鎌倉時代の承久の変の後鳥羽上皇、順徳院までの100人一首だ。女性も21人だという。柿本人麿や小野小町、和泉式部や紫式部、紫式部の娘の大弐三位(だいにのさんみ)、清少納言もいる。西行法師や鎌倉右大臣(実朝)もいる。
高校時代から半世紀経った。楽しいひと時を過ごせた。

小林一茶 日記3篇

2024-07-28 | book
江戸時代の俳人、小林一茶の日記を3篇読んだ。岩波文庫に収録されている。1992年第一刷。2023年の第5刷だ。

「父の終焉日記」は享和元年1801年、一茶39歳。立ち寄った生家、長野県柏原で父が発症し、亡くなるまでと葬儀・初七日までの日記。父の闘病の様子と義理の弟・継母との確執。遺産相続という暗い現実の世界を生々しく伝えている。この日記の特質を解説では、フランスで起こった自然主義文学の先駆という。

「おらが春」は、一茶が故郷柏原に居を移して7年。文政2年1819、57歳の作。1月から12月までの1年間の日記体句文集。充実した創作活動を示す円熟期の著作と解説にある。

「我春(わがはる」集)は江戸在住の後半、文化8年1811、49歳の1年間の句文集。発句、連句、俳文、狂歌を収める。

味噌知る。

2024-07-21 | book
同年代の料理研究家、土井善晴と長女の光が2021年令和3に発行した「味噌知る。」を読んだ。2023年には10刷だ。

題名のごとく「一汁一菜」を提唱する善晴の「汁」が味噌汁だ。
この本は、その味噌汁を旬の野菜や肉と組み合わせ、四季折々の献立、レシピを提案したもの。写真付きだ。
麹は日本独自の産物で、菌の一種。おいしくなれば発酵、まずくなれば腐敗。もちろん毒もあるが、麹菌は、味噌や醤油、酒、酢、みりんを生み出す。

具材はどれも手に入るものばかり。味噌汁といえどもこれだけのバリエーションがあれば、楽しめる。2年で10刷もうなずける。

百人一首の世界

2024-07-14 | book
還暦を過ぎ、定年退職後の再就職も終わり、毎日が日曜日となり、家の断捨離を始めた。手始めに、これまで買い揃えた本を処分することにした。明らかに残す本、処分する本を分け、残ったのが判断に迷う本だ。その中に「小倉百人一首解釈の基礎」があった。発行日は昭和48年11月。昭和48年1973は高校1年の時だ。出身校では、1年と2年の夏に30、冬に20、計100首覚えて、休み明けに試験があった。赤点ラインは忘れたが、とにかく暗記問題だった。多分、そのために購入したのではないかと思われる。その思い出深き事件を忘れ難く、手元に残っていたのだろう。

選者の藤原定家(ふじわら の さだいえ/ていか)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての公家・歌人だ。つまり、貴族政治から武家政治へ、承久の乱という大きな事件も目の当たりにした。

断捨離とは逆の行為とは知りつつも、おせいさん、昭和3年(1928)生まれ、令和元年(2019)に亡くなった作家、田辺聖子の「田辺 聖子の小倉百人一首」を買った。1989年平成元年に刊行。文庫版で平成3年初版、令和5年37版だ。歌の解説は他に任せ、歌人のことや来歴、エピソードを中心にした。つまり、おもしろさを原点にしたものだ。高校の時のガイド本とは真逆の本ということになる。1日1首もよかろう。

トキワ荘の遺伝子

2024-07-07 | book
北見けんいちは、1940年昭和15年満州生まれの漫画家。1979年40歳前に「釣りバカ日誌」画として連載開始。連載中だ。
その北見の「北見けんいちは、1940年昭和15年満州生まれの漫画家。1979年40歳前に「釣りバカ日誌」画として連載開始。連載中だ。
その北見の「トキワ荘の遺伝子~北見けんいちが語る巨匠たちの横顔~」を読んだ。2024年3月刊行。インタビュー形式なので、読みやすい。

満州で敗戦。その引き上げのすさまじさ、敗戦後、消息不明の父の帰還。多くの日本人が経験した戦争体験が語られる。高校生活、就職、写真館経営、そして、自信作を持参した小学館での編集者との出会い。漫画家としての歩み。重なる偶然とはいえ、その歩みには信念が常にあった。

赤塚不二夫のアシスタントとしてトキワ荘の知名人と交友を深める。
赤塚不二夫(1935~2008)
高井研一郎(1937~2016)
古谷三敏(1937~2016)BARレモンハート 大人買いした
藤子不二雄 藤本弘(1933~1996)安孫子素雄(1934~2022)
石森章太郎(1938~1998) サイボーグ009 大人買いした
つのだじろう(1936~)
さいとう・たかお(1936~2021)
ちばてつや(1939~)紫電改のタカ あしたのジョー 大人買い。弟のちばあきおのキャプテンを大人買い
各社の編集者たち
やまざき十三、林洋一郎など。

少し年上の諸先輩。漫画家としての畏敬。皆さんの破天荒な生き様。ほとんどの皆さんが鬼籍に。敗戦後の昭和の激動期を漫画に生きた証を語る。

漫画は、たまに貸本屋で読むことしかできなかった世代としては、月刊、週刊の高価な漫画雑誌を読みたい、読むことのできないジレンマを今でも忘れることができない。だから、貸本屋の薄暗い棚に並んだ紙とインキの香りを忘れることができないのだ。

小林一茶

2024-06-23 | book
1954年生まれの俳人、長谷川櫂の「小林一茶」を読んだ。2024年令和6年1月発行。文庫の古典新訳コレクション。2016年6月に刊行された「池澤夏樹個人編集 日本文学全集12」からの収録だ。
年代順に百句を並べる。この百句は1980年生まれの一茶研究者、大谷弘至の選んだ百句をもとにしている。

本書の長谷川の一大定義が、俳句の大衆化は一茶から始まったとすることだ。江戸時代初期の芭蕉は、古典主義の復興、つまり王朝、中世の古典文学をちりばめている。そして、次の蕪村も古典を下敷きにしており、古典を知らなければ蕪村の俳句は味わえない。
一茶の俳句は、古典を知らなくてもわかる、つまりだれにでもわかる俳句だ。文化文政時代という時代の中で出現した大衆社会の申し子が一茶だった。

一茶がいかに自分の心を表現するのに長けていたか。一茶の句の特徴を「のびやかさ」「わかりやすさ」「日常語の深み」という。明治以降、近代化、西洋化という名のもとに、西洋の美術用語正を用いた正岡子規の「写生」、描く対象を目の前に限らせる高浜虚子の「客観写生」。目の前のものを写しさえすれば俳句になる、そして目の前にないものは写してはならないという悪しき風潮が始まる。虚子は心の世界を俳句に取り戻そうと「花鳥諷詠」を唱えたが、対象は花鳥に限られてしまった。しかし、これらの四文字熟語は多くの弟子たちを束ねる標語の役割を果たした。大衆は自由を欲しているように見えて、自由を恐れている。

俳句の歴史を、芭蕉、蕪村を古典主義俳句、一茶からを近代大衆俳句とする長谷川の考え。