正月というとどうゆう天気だったか、これがなかなか思い出せない。
誰かいると、もちろんなんとなくだが余裕はあるが、ポツンといるだけで、朝はいつものとおり、真っ暗な
中で、LEDをつける。5時半か、まだ早いな。で、目覚ましは切った。このまま眠ることはない。
そうゆうことにしておかないと。新しい手帳、2016年の手帳、ずいぶんといろいろ書いているが
自分でも間違っているなというものがあるので、それでも気が付くだけまだいいか。
2015年の手帳はまだ使う。重要事項を書いた紙、これが入っている。2014年の手帳、これはゴミだらけ
だった。ただ置いていただけなのに。
それで、今朝は5℃か6℃、眠っている部屋で気温はあって、そんな寒くはない、と数字を見て言い聞かせるが
まだ灯油ヒータは動き始めたばかりなので(その音は聞こえることがある)。再び、朝の準備だけはして
布団に戻る。これは今の季節はなかなか賢いことだと。自分にあったものを見つける。
大体頭に入っている。で、一番忘れそうなのが、新聞を引き抜くことで、外に出てみて、たしかに雨が降って
いる。寒い、感じて、新聞のことを忘れる。でも今日は、中の方まで入れてあった。いつ来られたのか、配達の
お父さん、これもわからなかった。第二部以降は、見ることはないので、新聞置き場には持っていってない。
ちらりと一面を見る。
毎度の選挙、それとなんとか問題、相変わらず、引きずっている。
そんな簡単に済むわけないだろうと思った。自分で行く気もないのだから、どうしようもない。案の定
化けの皮が剥がれた。それにしても、どうして新聞も、っていってもここの地方紙だけど、あんな書き方に
なるのだろうか。どう考えても、あり得ない。瞬間でわかる見出しだ。
男の顔に書いてあるのだけど。
使っている椅子が古い。少しずつ、座る位置を上げている。お腹が出るとキツイ。
もっとも、この椅子もしんどいだろうと思う。体重、最近計っていない。自分でも重いとわかる。
それから、灯油ヒータ、これも入れるのに、そうは問題はなかったが、あまり減らないので
4日に一回でいいと思う。運動になっていいのだが。
そのときまだ9時過ぎだった。それからなにをしていたか。
お昼は一応、食べ物は入れた。
12時45分ころ、郵便配達の方のバイクの音。今年はハガキを書いたのが遅いから、思っていたような
ものとは、違っていた。これは当たり前のことだが。去年来なかったハガキがある。それが今年は来て
いる。でも、これは事情が複雑で、ここにもう書くことでもないような気がする。
単純に、出してない人からハガキが来ている。これもよくあること。でも今度いつ書くかな。
12月30日の日、午前中、薄い青い空があって、立山連峰も見えた。
今日2016年、1月1日も、いまでも非常によく、立山連峰は見えていて、お正月らしさはある。でも普通、
お正月に立山が見えることはなかなかない。わずかに雲があって、空気の中に水分が多いのかな。
あとは、朝方見た、瓦の上の、まだ融けきっていない雪かアラレ、これがちょうど太陽が出たときに
キラキラと金色に輝いた。これはよかった。西側にはこの金色はないが、白いままの雪かミゾレかアラレが
同じように残っている。
外に出て、バケツの水をみた。でも凍っている感じはない。
気象台のアメダスに、1℃台がある。でも雨だったからさすがに氷は張らない。この辺の私の感覚もおかしく
なっている。頭が凍っている、そうゆうことになる。
子供さんの声が聞こえて、この声だけはいつの時代でも、なにをしているかわからないが、聞いていて
いいものである。
12月の半ば過ぎから、ラジオの番組が特別編成になっている場合がある。でそれを録音してもいいのだが
やはり聞き慣れない感じがしてくる。ばっさりと、削除する。でこの2週間以上同じ放送を聞いている。
さらに新年も同じく特番が続くので、この放送を3週間か4週間聞くことになる。これが飽きない。
でも曲のいくつかは覚えてしまった。歌声も同じである。
歌謡曲は、まったく聞くこともない。ラジオでもTVでも。音楽番組はでもたまにあるが、合わない。
もともと唄が好きでないということかな。クラシックも、そうは聞かない。番組で流れると、それはそれで
聞いている。
12月30日。
その一。コントラストを出すのに苦労。
その二。電線は、これはないものと考えている。
2016年1月1日。2016年1月1日なので、ここのファイルにもこの日付けを入れるが、どうしても2015と打って
しまう。12月まで着て、あー間違ったである。
で、日の出のころ。
その三。
その四。
その五。この金色の氷がよかった。
その六。
その七。西側。ちょっと薄化粧。
その八。
その九。いい色である。
いつまで晴れるかな。
まだ掃除やっていないし。それくらいはやらないと。
誰かいると、もちろんなんとなくだが余裕はあるが、ポツンといるだけで、朝はいつものとおり、真っ暗な
中で、LEDをつける。5時半か、まだ早いな。で、目覚ましは切った。このまま眠ることはない。
そうゆうことにしておかないと。新しい手帳、2016年の手帳、ずいぶんといろいろ書いているが
自分でも間違っているなというものがあるので、それでも気が付くだけまだいいか。
2015年の手帳はまだ使う。重要事項を書いた紙、これが入っている。2014年の手帳、これはゴミだらけ
だった。ただ置いていただけなのに。
それで、今朝は5℃か6℃、眠っている部屋で気温はあって、そんな寒くはない、と数字を見て言い聞かせるが
まだ灯油ヒータは動き始めたばかりなので(その音は聞こえることがある)。再び、朝の準備だけはして
布団に戻る。これは今の季節はなかなか賢いことだと。自分にあったものを見つける。
大体頭に入っている。で、一番忘れそうなのが、新聞を引き抜くことで、外に出てみて、たしかに雨が降って
いる。寒い、感じて、新聞のことを忘れる。でも今日は、中の方まで入れてあった。いつ来られたのか、配達の
お父さん、これもわからなかった。第二部以降は、見ることはないので、新聞置き場には持っていってない。
ちらりと一面を見る。
毎度の選挙、それとなんとか問題、相変わらず、引きずっている。
そんな簡単に済むわけないだろうと思った。自分で行く気もないのだから、どうしようもない。案の定
化けの皮が剥がれた。それにしても、どうして新聞も、っていってもここの地方紙だけど、あんな書き方に
なるのだろうか。どう考えても、あり得ない。瞬間でわかる見出しだ。
男の顔に書いてあるのだけど。
使っている椅子が古い。少しずつ、座る位置を上げている。お腹が出るとキツイ。
もっとも、この椅子もしんどいだろうと思う。体重、最近計っていない。自分でも重いとわかる。
それから、灯油ヒータ、これも入れるのに、そうは問題はなかったが、あまり減らないので
4日に一回でいいと思う。運動になっていいのだが。
そのときまだ9時過ぎだった。それからなにをしていたか。
お昼は一応、食べ物は入れた。
12時45分ころ、郵便配達の方のバイクの音。今年はハガキを書いたのが遅いから、思っていたような
ものとは、違っていた。これは当たり前のことだが。去年来なかったハガキがある。それが今年は来て
いる。でも、これは事情が複雑で、ここにもう書くことでもないような気がする。
単純に、出してない人からハガキが来ている。これもよくあること。でも今度いつ書くかな。
12月30日の日、午前中、薄い青い空があって、立山連峰も見えた。
今日2016年、1月1日も、いまでも非常によく、立山連峰は見えていて、お正月らしさはある。でも普通、
お正月に立山が見えることはなかなかない。わずかに雲があって、空気の中に水分が多いのかな。
あとは、朝方見た、瓦の上の、まだ融けきっていない雪かアラレ、これがちょうど太陽が出たときに
キラキラと金色に輝いた。これはよかった。西側にはこの金色はないが、白いままの雪かミゾレかアラレが
同じように残っている。
外に出て、バケツの水をみた。でも凍っている感じはない。
気象台のアメダスに、1℃台がある。でも雨だったからさすがに氷は張らない。この辺の私の感覚もおかしく
なっている。頭が凍っている、そうゆうことになる。
子供さんの声が聞こえて、この声だけはいつの時代でも、なにをしているかわからないが、聞いていて
いいものである。
12月の半ば過ぎから、ラジオの番組が特別編成になっている場合がある。でそれを録音してもいいのだが
やはり聞き慣れない感じがしてくる。ばっさりと、削除する。でこの2週間以上同じ放送を聞いている。
さらに新年も同じく特番が続くので、この放送を3週間か4週間聞くことになる。これが飽きない。
でも曲のいくつかは覚えてしまった。歌声も同じである。
歌謡曲は、まったく聞くこともない。ラジオでもTVでも。音楽番組はでもたまにあるが、合わない。
もともと唄が好きでないということかな。クラシックも、そうは聞かない。番組で流れると、それはそれで
聞いている。
12月30日。
その一。コントラストを出すのに苦労。
その二。電線は、これはないものと考えている。
2016年1月1日。2016年1月1日なので、ここのファイルにもこの日付けを入れるが、どうしても2015と打って
しまう。12月まで着て、あー間違ったである。
で、日の出のころ。
その三。
その四。
その五。この金色の氷がよかった。
その六。
その七。西側。ちょっと薄化粧。
その八。
その九。いい色である。
いつまで晴れるかな。
まだ掃除やっていないし。それくらいはやらないと。