KUSOが付くくらい、寒い。
起きて、だんだんと寒さを感じるようになる。コタツの中に入るまで、時間はあったが、入ってしまうと、
それも肩の上まですっぽりと布団を被ると、暖かい。が、完全に力を抜いて、上を向いてしまうと、コタツだけの
暖かさでは足らないような、寒さを感じるもので、これは不思議だな。
身体が発熱をやめるような感じさえする。
いまの富山地方気象台のアメダスを見るとどうか。12時、ちょうどお昼で、3.3℃。2℃台があって、3℃台に
上がっているが、この1℃くらいの上昇はあまり影響はなさそうである。ちょうど中学生が、学校へゆく時間に
北風に乗った斜めの雨が、半分ミゾレに変わって、それでも、やはり学校へと急ぐ、中学生はなかなかすごい。
自転車だとみな、コートは来ている。雨合羽、もっとかっこいい言い方はある。見た感じは悪くない。学校指定と
いうものか。でも顔は当然濡れてしまう。ほっておけば乾く、ここが若い人たちのいいところだ。
私の中学生時代は、自転車で通学するような地域ではなかった。当時でも、自転車通学をする学区があったか
どうか。東海地方でも、田舎のほうはかなり学校は遠い。鈴鹿オロシという強風が吹き荒れる。日本海側の雪、これが
どこで落ちているか。白山か、あるいは福井県の山奥か、滋賀県か。若狭湾からの雪雲は比叡山辺りで、かなりの雪を
降らす。そのはずだが、敦賀は雪が深く?、米原辺りでもそうだろう。最近は近江八幡でも、雪が降るのは
珍しくないようだが、昔を知らないので、想像で書いている。
三重県は、いろいろともの珍しいものが多いが、この鈴鹿オロシも、そのひとつで、鈴鹿山脈にも雪は積もる。
鈴鹿峠、これはいまはニュースに出ることもないな。北陸で、そのニュースはないのは当然だけど。
京都も雪は降るし、大阪も雪は降る、山のほうだけど。紀伊半島の南側の山間部は、かなりの雪が降るはず
だが、当時でもあまりそうゆうニュースを聞くことはなかった。中学生とかだと、新聞なんか見てなかった
かな。ただ風は一丁前に冷たかった。乾いた空気に、冷たい風。それでも雪が舞うことは、1年に一回くらい
あっただろう。
南紀と書くと暖かいようだが、これもそのときによる。大体太平洋側は、雪はあまり降らない。ただ格別暖かく
はない。でも晴れる。乾燥して晴れる。この違いが大きく、どうしても、人は裏から表へと流れてゆくようで
ある。
私が、関東で就職したのは、これはたまたまだが、当時はなにゆえかはっきりと記憶はないが、就職難で
あった。もっとも後のことを考えると、そうでなくても、簡単に蹴落とされて、挙句のはてに、辞めます。
そうゆうことになったと思う。それでも、学生のときに、女だからということで、就職難があった、という知識は
まったくなく、またそれを考えたことはなかった。ただ男だから、働かんといけないという気だけはあった。
もっとも私くらい、就職に関して無関心だった人間は少ないのではないかと思う。まったく、そうゆうことに
関して関心なく、いざゆくところがないとなると、慌てた。2社、試験は受けた。大体一社で落ちると、
一応指導教官の推薦状はもらっていたが、その後はどこへいってもだめで、大体試験も面接も、両方とも
学生のままの感覚で、試験はまったく、面接にいたっては、赤ん坊並みだっただろう。
それで、どうして、ある小さい会社にということになるが、これもいま考えると、不思議である。
それにしても、世の中一人で生きてゆくというのは、いつの時代でも大変だな。この気持ちは変わらない。
それに比べて、はるかに学校は楽だった。
なにを書いているのかね。
70年代、80年代、時代はすでに動いていたが、動いていない時代はないが、集団就職などはまだまだあった
時代だ。まさか、資料映像で、SLが引っ張る、たくさんの学生服の姿を乗せた客車を見ていたということ
はないだろう。でもわからないが。出稼ぎが当たり前の時代でもある。これも怪しくなってきた。
今は貧困はどこでも常識だけど、子供の貧困ということばが注目されている。これは学校のこともあるが
家庭環境なども変化してとなるのだろうか。
この雪の積もる、わずかな雪だがきれいなものだ、瓦を見て、路上生活を余儀なくされている人のことを
思わないでもない。そうなっておかしくない自分がいる。もっとも、いまはいえの中にいて、凍えそうな感じが
している。雪道で倒れたら。そのまま凍っているに違いない。
このごろほとんど何にも興味も持てないし、政治や行政に期待することは、とおのむかしに意味のないことと
いうのも理解している。
死ぬ寸前まで元気でいたい、コロッと死ぬのが理想。元気そうな女性の言葉だ。この言葉が思い
出される。
あれ、人が来た。
その一。
その二。
その三。
その四。
その五。
その六。
その七。ここまではかなり暗いので、露光時間が長い。ぶれている。
その八。
その九。
ちょっと今、話をしていたが、これがなかなか怖い話でもあって、ビビッて来た。
ビリビリにしておこう。
その人の身体の問題だが、・・・。
起きて、だんだんと寒さを感じるようになる。コタツの中に入るまで、時間はあったが、入ってしまうと、
それも肩の上まですっぽりと布団を被ると、暖かい。が、完全に力を抜いて、上を向いてしまうと、コタツだけの
暖かさでは足らないような、寒さを感じるもので、これは不思議だな。
身体が発熱をやめるような感じさえする。
いまの富山地方気象台のアメダスを見るとどうか。12時、ちょうどお昼で、3.3℃。2℃台があって、3℃台に
上がっているが、この1℃くらいの上昇はあまり影響はなさそうである。ちょうど中学生が、学校へゆく時間に
北風に乗った斜めの雨が、半分ミゾレに変わって、それでも、やはり学校へと急ぐ、中学生はなかなかすごい。
自転車だとみな、コートは来ている。雨合羽、もっとかっこいい言い方はある。見た感じは悪くない。学校指定と
いうものか。でも顔は当然濡れてしまう。ほっておけば乾く、ここが若い人たちのいいところだ。
私の中学生時代は、自転車で通学するような地域ではなかった。当時でも、自転車通学をする学区があったか
どうか。東海地方でも、田舎のほうはかなり学校は遠い。鈴鹿オロシという強風が吹き荒れる。日本海側の雪、これが
どこで落ちているか。白山か、あるいは福井県の山奥か、滋賀県か。若狭湾からの雪雲は比叡山辺りで、かなりの雪を
降らす。そのはずだが、敦賀は雪が深く?、米原辺りでもそうだろう。最近は近江八幡でも、雪が降るのは
珍しくないようだが、昔を知らないので、想像で書いている。
三重県は、いろいろともの珍しいものが多いが、この鈴鹿オロシも、そのひとつで、鈴鹿山脈にも雪は積もる。
鈴鹿峠、これはいまはニュースに出ることもないな。北陸で、そのニュースはないのは当然だけど。
京都も雪は降るし、大阪も雪は降る、山のほうだけど。紀伊半島の南側の山間部は、かなりの雪が降るはず
だが、当時でもあまりそうゆうニュースを聞くことはなかった。中学生とかだと、新聞なんか見てなかった
かな。ただ風は一丁前に冷たかった。乾いた空気に、冷たい風。それでも雪が舞うことは、1年に一回くらい
あっただろう。
南紀と書くと暖かいようだが、これもそのときによる。大体太平洋側は、雪はあまり降らない。ただ格別暖かく
はない。でも晴れる。乾燥して晴れる。この違いが大きく、どうしても、人は裏から表へと流れてゆくようで
ある。
私が、関東で就職したのは、これはたまたまだが、当時はなにゆえかはっきりと記憶はないが、就職難で
あった。もっとも後のことを考えると、そうでなくても、簡単に蹴落とされて、挙句のはてに、辞めます。
そうゆうことになったと思う。それでも、学生のときに、女だからということで、就職難があった、という知識は
まったくなく、またそれを考えたことはなかった。ただ男だから、働かんといけないという気だけはあった。
もっとも私くらい、就職に関して無関心だった人間は少ないのではないかと思う。まったく、そうゆうことに
関して関心なく、いざゆくところがないとなると、慌てた。2社、試験は受けた。大体一社で落ちると、
一応指導教官の推薦状はもらっていたが、その後はどこへいってもだめで、大体試験も面接も、両方とも
学生のままの感覚で、試験はまったく、面接にいたっては、赤ん坊並みだっただろう。
それで、どうして、ある小さい会社にということになるが、これもいま考えると、不思議である。
それにしても、世の中一人で生きてゆくというのは、いつの時代でも大変だな。この気持ちは変わらない。
それに比べて、はるかに学校は楽だった。
なにを書いているのかね。
70年代、80年代、時代はすでに動いていたが、動いていない時代はないが、集団就職などはまだまだあった
時代だ。まさか、資料映像で、SLが引っ張る、たくさんの学生服の姿を乗せた客車を見ていたということ
はないだろう。でもわからないが。出稼ぎが当たり前の時代でもある。これも怪しくなってきた。
今は貧困はどこでも常識だけど、子供の貧困ということばが注目されている。これは学校のこともあるが
家庭環境なども変化してとなるのだろうか。
この雪の積もる、わずかな雪だがきれいなものだ、瓦を見て、路上生活を余儀なくされている人のことを
思わないでもない。そうなっておかしくない自分がいる。もっとも、いまはいえの中にいて、凍えそうな感じが
している。雪道で倒れたら。そのまま凍っているに違いない。
このごろほとんど何にも興味も持てないし、政治や行政に期待することは、とおのむかしに意味のないことと
いうのも理解している。
死ぬ寸前まで元気でいたい、コロッと死ぬのが理想。元気そうな女性の言葉だ。この言葉が思い
出される。
あれ、人が来た。
その一。
その二。
その三。
その四。
その五。
その六。
その七。ここまではかなり暗いので、露光時間が長い。ぶれている。
その八。
その九。
ちょっと今、話をしていたが、これがなかなか怖い話でもあって、ビビッて来た。
ビリビリにしておこう。
その人の身体の問題だが、・・・。