なんだか冴えない一日で、寒々しく思えるときもあれば、目の前の温度計を見ると、そこそこの
値が、それは14℃とか、15℃くらいだけど、電気ヒータもつけてなくて、しばらく何にもなしで、
それで10℃くらいまで下がらないなら、暖かいとも思ったりもする。クシャミが連続して出る。
雨が降っていて、
今ふと瓦を見ると、先ほどまで白いというか、黄砂の元と思える粘土質の粒子は、洗い流されて
いるようで、しかしこの雨は、垂直型で、横に、斜めに降っていない。それゆえ、まだガラス窓は、
白っぽく薄汚れた感じのままで、恐らくしばらくこのままだろう。きょうが、春分だって、というの
が信じられないが、雨が降って、それで、黄砂はあるかも知れないが、花粉もあって、黄砂と花粉が
一緒になると、花粉症は重症になるのか。
少し前、その黄砂で汚れた、薄く白く、まだらに汚れを感じさせる、窓は曇ってきて、いよい
よ、久しぶりの雪かと思う。雪のマークが出ているからで、でもこの辺りは海岸に近い、山、あるい
は高原、丘陵というところに比べて、と思うからそうは降りそうにない。今頃の雪は、寒くないと
冷え込んでいないと雪にはならないだろう。そう思う、思いながら、雲って来ているガラス窓は、雪
の到来と告げるようで、書いたように、今は黄砂の成分を含まないと思える雨が降っている。
少し時間を逆戻りさせて、一体に風が、雨が強くなった、という時間はいつか、午前の2時ころかも
知れず、それでも半分は眠いから、その風の、あるいは雨の、たたき付ける雨である、その音に気が付
かず、しかし耳からは聞こえていた。何か、分けるところがあって、目も覚めたし、うるさいし、
さらにガタガタ揺れるいえの感じがあって、最後にはトイレへとゆくしかない。同時に私はクシャミを
しそうになって、でもそれを盛んにしたのは、それから布団の中に戻ってからで、
そのクシャミの出ること。外は雨と風で、ガタゴトいうし、雨は雨でガラス窓をたたくし、それ
で、眠いようなそうでもないようなで、クシャミは連続して出るから、これはもう半分は、おかしく
なっている状態である。これがどのくらいに続いたか。クシャミはある時間、時間という単位は大仰
かも知れない、それでも出るわ、出るわで、いい加減お腹が痛くなる感じもあるし、よだれも出る
し、鼻水は出るし、まったくいいことはない。クシャミは呼吸のリズムもおかしくするから、これ
も大いに困る。クシャミとシャックリは似て非なるもので、それが同時に起こらなくてよかった
と思う。さてクシャミは止まった。いい加減、風よ止め、雨も降るな、と思うが時計は見ないけれ
ど、長い時間、ガタガタ風がいい、バシビシ雨はガラスをたたく。で変化がない。一秒がやけに
長く思える。こうして、時間は過ぎる、でも「うとうと」というのはあるのだろう。
ようやく変化があった。雷である。このときは目の中が一瞬明るくなる感じはあったが、半分は
眠っていて、でも3秒か4秒して、雷鳴が来る。まるで、天気予報通りであって、雷注意報も出ていた
のだった。何か変化があれば、それは悪いほうか、いい方かへ傾くもので、でも最後に静かになった
のは事実で、しばらくの間、そのひどい風と雨と雷との後に、静かな時間はあって、そのしばらくの
時間は眠れたようだ。
起きると、空の様子も、まだはっきりわからないが、でも不思議と、瓦は乾いていて、書いた
ように嘘のように一滴の水滴もない。ただ瓦だけと思うが、ちょっと目を凝らして、道の辺りを見る
が、その辺りも水気はありそうで、でも乾いているので、これが納得がゆかず、あれだけ雨が降っ
て、今は乾いているのは、ないだろうという心境である。目を疑い、またしかし、瓦の白っぽい汚れ
を発見するに時間はかからなかった。付け加えるに、白いものが盛んに降っているようにも見えて
て、それは雪ではなく、幻影かも知れない。でもその白いものが見えていた気がした。
一旦食事を摂るなどのいつものことをやって、少し明るさが戻ってくる。今度は、空が白っぽかっ
た。まだ日が出ているか、出ていても雲の向こうだから、そうゆう色に見える。それが時間ととも
に黄色く見えてくる。これには笑うしかないが、空が黄色いとは、と思うがようやくそれが黄砂の
せいだとわかると、俄然頭の痛みが増した。いいことはないな。それが今年の春分の日の始まり
で、大体一日荒れた、あるいはもっとも面白くない思いをさせてくれた、日でもあった。これが彼岸
というものだろうか。
黄砂は今は、先ほどの雨が、少し瓦を洗ってくれたから、つまりは黄色い色も少し薄れたから、減っ
てきているのかも知れない。それで、花粉症だが、今はとまった。クシャミはどうにか止まった。
これから、雪が降る、同じことを書いているが、それは本当かどうか別として、今回の黄砂はいって
みると、雪の方がよかった。
少し趣向を変えて、というかそうならざるを得ない、日々のある時間。
これもきのうの続きで、空に青さがあって、木々のあるものは影絵と
なる。イチョウ、まだ緑の芽は出ているかどうか。
枯れ木。枯れ木で、木の幹の皮、樹皮がばらばら落ちてゆく。で、次に
遅い枝が落ち、ついで中程度の幹というか枝が落ちる。なんだか人の
血管の老化に似ていないか。
小さな道で、紅梅がもう遅いが咲いていて、こうゆうところだと、暗い
赤の色が効果的だとか思う。
日向。明るい。小さな緑の葉が出ていて、これは去年も見たなという記憶がる。
緑に近い、今は黄色い花を咲かせるこのものが、少し前は小さいものが
あって、こちらには程ほどの大きさのものがあった。
門のようで、お寺の鐘撞き台。ここではない、お隣の地域にある、そう
ゆうお寺の、鐘撞き台。
雪ではなく、ユキヤナギは、明るさと賑やかさで、梅よりも飽きが来ない
ものかも知れず、またその生育の変化も楽しみ。
雪よりも白い。
小さな花、その花がこれから幾つ咲くか。
ユキヤナギ、大風に揺れて、また花を増やす。
値が、それは14℃とか、15℃くらいだけど、電気ヒータもつけてなくて、しばらく何にもなしで、
それで10℃くらいまで下がらないなら、暖かいとも思ったりもする。クシャミが連続して出る。
雨が降っていて、
今ふと瓦を見ると、先ほどまで白いというか、黄砂の元と思える粘土質の粒子は、洗い流されて
いるようで、しかしこの雨は、垂直型で、横に、斜めに降っていない。それゆえ、まだガラス窓は、
白っぽく薄汚れた感じのままで、恐らくしばらくこのままだろう。きょうが、春分だって、というの
が信じられないが、雨が降って、それで、黄砂はあるかも知れないが、花粉もあって、黄砂と花粉が
一緒になると、花粉症は重症になるのか。
少し前、その黄砂で汚れた、薄く白く、まだらに汚れを感じさせる、窓は曇ってきて、いよい
よ、久しぶりの雪かと思う。雪のマークが出ているからで、でもこの辺りは海岸に近い、山、あるい
は高原、丘陵というところに比べて、と思うからそうは降りそうにない。今頃の雪は、寒くないと
冷え込んでいないと雪にはならないだろう。そう思う、思いながら、雲って来ているガラス窓は、雪
の到来と告げるようで、書いたように、今は黄砂の成分を含まないと思える雨が降っている。
少し時間を逆戻りさせて、一体に風が、雨が強くなった、という時間はいつか、午前の2時ころかも
知れず、それでも半分は眠いから、その風の、あるいは雨の、たたき付ける雨である、その音に気が付
かず、しかし耳からは聞こえていた。何か、分けるところがあって、目も覚めたし、うるさいし、
さらにガタガタ揺れるいえの感じがあって、最後にはトイレへとゆくしかない。同時に私はクシャミを
しそうになって、でもそれを盛んにしたのは、それから布団の中に戻ってからで、
そのクシャミの出ること。外は雨と風で、ガタゴトいうし、雨は雨でガラス窓をたたくし、それ
で、眠いようなそうでもないようなで、クシャミは連続して出るから、これはもう半分は、おかしく
なっている状態である。これがどのくらいに続いたか。クシャミはある時間、時間という単位は大仰
かも知れない、それでも出るわ、出るわで、いい加減お腹が痛くなる感じもあるし、よだれも出る
し、鼻水は出るし、まったくいいことはない。クシャミは呼吸のリズムもおかしくするから、これ
も大いに困る。クシャミとシャックリは似て非なるもので、それが同時に起こらなくてよかった
と思う。さてクシャミは止まった。いい加減、風よ止め、雨も降るな、と思うが時計は見ないけれ
ど、長い時間、ガタガタ風がいい、バシビシ雨はガラスをたたく。で変化がない。一秒がやけに
長く思える。こうして、時間は過ぎる、でも「うとうと」というのはあるのだろう。
ようやく変化があった。雷である。このときは目の中が一瞬明るくなる感じはあったが、半分は
眠っていて、でも3秒か4秒して、雷鳴が来る。まるで、天気予報通りであって、雷注意報も出ていた
のだった。何か変化があれば、それは悪いほうか、いい方かへ傾くもので、でも最後に静かになった
のは事実で、しばらくの間、そのひどい風と雨と雷との後に、静かな時間はあって、そのしばらくの
時間は眠れたようだ。
起きると、空の様子も、まだはっきりわからないが、でも不思議と、瓦は乾いていて、書いた
ように嘘のように一滴の水滴もない。ただ瓦だけと思うが、ちょっと目を凝らして、道の辺りを見る
が、その辺りも水気はありそうで、でも乾いているので、これが納得がゆかず、あれだけ雨が降っ
て、今は乾いているのは、ないだろうという心境である。目を疑い、またしかし、瓦の白っぽい汚れ
を発見するに時間はかからなかった。付け加えるに、白いものが盛んに降っているようにも見えて
て、それは雪ではなく、幻影かも知れない。でもその白いものが見えていた気がした。
一旦食事を摂るなどのいつものことをやって、少し明るさが戻ってくる。今度は、空が白っぽかっ
た。まだ日が出ているか、出ていても雲の向こうだから、そうゆう色に見える。それが時間ととも
に黄色く見えてくる。これには笑うしかないが、空が黄色いとは、と思うがようやくそれが黄砂の
せいだとわかると、俄然頭の痛みが増した。いいことはないな。それが今年の春分の日の始まり
で、大体一日荒れた、あるいはもっとも面白くない思いをさせてくれた、日でもあった。これが彼岸
というものだろうか。
黄砂は今は、先ほどの雨が、少し瓦を洗ってくれたから、つまりは黄色い色も少し薄れたから、減っ
てきているのかも知れない。それで、花粉症だが、今はとまった。クシャミはどうにか止まった。
これから、雪が降る、同じことを書いているが、それは本当かどうか別として、今回の黄砂はいって
みると、雪の方がよかった。
少し趣向を変えて、というかそうならざるを得ない、日々のある時間。
これもきのうの続きで、空に青さがあって、木々のあるものは影絵と
なる。イチョウ、まだ緑の芽は出ているかどうか。
枯れ木。枯れ木で、木の幹の皮、樹皮がばらばら落ちてゆく。で、次に
遅い枝が落ち、ついで中程度の幹というか枝が落ちる。なんだか人の
血管の老化に似ていないか。
小さな道で、紅梅がもう遅いが咲いていて、こうゆうところだと、暗い
赤の色が効果的だとか思う。
日向。明るい。小さな緑の葉が出ていて、これは去年も見たなという記憶がる。
緑に近い、今は黄色い花を咲かせるこのものが、少し前は小さいものが
あって、こちらには程ほどの大きさのものがあった。
門のようで、お寺の鐘撞き台。ここではない、お隣の地域にある、そう
ゆうお寺の、鐘撞き台。
雪ではなく、ユキヤナギは、明るさと賑やかさで、梅よりも飽きが来ない
ものかも知れず、またその生育の変化も楽しみ。
雪よりも白い。
小さな花、その花がこれから幾つ咲くか。
ユキヤナギ、大風に揺れて、また花を増やす。