光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

平穏な一日のようで時間は早い

2010-03-14 19:02:31 | 植物・花(春)
  朝は、朝霧。
  花の写真などは、いつものように、後にまとめてあります。

  朝は、朝霧が出て、それは遡れば恐らく、夜中かからでいつごろに発生したか、二度起きて、
最初は霧はないようで、二度目のときは、はっきりと霧はあった。霧か、と思いながら、その後
雄大というか、ずいぶんお金持ちになった、夢ならいいが、そうゆう友人がいて、そこを尋ねた
という夢を見ていて、まんざらでもないとか、思うがどう考えてもこのようなことがあるわけが
なく、ふと目が覚めるが、これも霧のせいかと考えざるを得ないものがある、そうゆうことで
きれいさっぱり忘れることにした。

  霧は、日が出るころ、もうそこにないようで、つまりは食事の前は、薄明るく、霧があって、その後
はもう霧はなく、ただのそれでも春らしい、ほのぼのとした夜明け、日の出があった。日の出は
窓が、急激に明るくなるからわかりそうなもので、それも一体いつかはっきりせず、しかしそれは
恐らく、ガラスが結露したからで、ちょうどそのころ、手元にあるカメさんを引っ張り出して、
適当に押したが、写っていたのは、曇りガラスの水滴だった。で、霧が晴れてから、日は出て来たと
思う。あっさりと朝霧は晴れた。少し寒い。
  きのうは、中掃除をしたわけでなく、その少し前に中掃除をして、あー汚いな、きたないの
「き」は何だろうか。すぐには出てこないが、ある場所、居間を掃除して、それで、掃除はまじめに、
さらにまめにやらないといけないな、とか思うだけで、それが、今日またそうゆう感情を持った。それは
特に、霧の乳白色がきれいであるとか、それからその後の日の出の様子もきれいだとかではなくて、
なんだかこうゆうことも出来なくなったのか、という少し、個人的な理由もあってであり、つまる
ところこれではいけない、という危機感もあった。何という、勝手なあるいは、利己主義的、な
理由だろうか。自分でも呆れるが、大体自分のために、掃除もすることにしている。

  普段、もう母も、ちゃんと掃除も出来なくて、箒で掃いているが、まずは残るゴミの多さは
否定出来ない。そうゆうところを見つける能力はあって、ここはまずまずで、さらに痛い腰が
痛くなった。さらにいろいろ膝を曲げたりもするし、体をひねったりもして、わずかの時間に見違える
ほどきれいになったかどうか、それはわからないが、つまりは、一つは自分のため、もう一つは
少しはきれいなところに、母もいて欲しいという、欲望もあり、最後は、もしかして、探し物もその
辺りにないか、ということもあったのだが、そうゆうものはなかった。窓を開けて、ちょうど、網戸が、
窓ガラスの中央にきているか、調べて直したりもした。こうして、時間は順調に経過。痛い腰の痛み
も、そのうちに、薄らいでゆく。罪滅ぼしという言葉も、思い浮かんだ。この先、今度は、新聞の回収と
いうのが待ち構えている。それから、春になる、なったかも知れないが、草も生えてくる。さらに、
辺りから、竹の芽も出てくる。タケノコではない。頭の痛いことは多い。で、同時に腰も痛く
なる。こうゆう風なことばかり、待ち受けている。
 
  午前の10時に、決まって、タモリさんのTVを見ている。それまでに、掃除も済まして、当たり前か
それから、いろいろ、やることを、これもやった。一つ、忘れて、それも今日はやらなくていい、
とかいう考えもあった。
  TVの時間、となると、あるものは早く過ぎて、あるものはゆっくりで、生放送と、再放送の違いは
聞き逃した、あるいはうまく聞き取れなかった、ということの修復と、というか、修繕の意味もある
が、早口だと二回聞いても、笑いに同調できないことがあり、少し悔しい。役者さんは、ある方の、
反応を見て、自分の番になると、さらにもっと受ける、あるいは大仰な反応をしないといけない。
そうゆうことも見て取れて、なるほどと思う。でも、世の中、すべてがTVではない。大体、ぼんやり
とこれを聞いて、また目を瞑ったりもして、なぜか亡くなった父のことを考えたりもする。
 
  父というか、父親というか、彼は一体にいつごろに認知症の症状がはっきりと見て取れたのか。
それは、2000年になってからのことだから、それから死までは長いようで、短かった。一体にいつに、
夜中に起きて、朝と勘違いして、食事を摂るようになったのか。それより前に、時間があってよく
外で、だめだといわれながら、隠れてタバコを吸っていた。だから、肺炎になってしまった。でも、
それは直接は、関係なく、それにしても、認知症の症状はいつごろ出て来たのか。真剣に考える。
  そのころは、こうゆうことになるとは夢にも思っていなかった。それよりも前は、元気だった
が、何をしていいか、わからなくなるという時期もあった。病院に行き始めたのは一体、2000年代の、
いつなのか。もう気が付くと、病院行きがあった。そのころはもう、かなりひどかった、というか、
自分で排泄のコントロールも出来なかった、そうゆう状態で、しかし、介護施設に行きだしたのも、
これもはっきりと記憶にない。気が付くと、そうゆうことになっていた。

  でも私は、自分は結構、他人事のように考えていた。それがいけない。いけなかった。でも、どう
しようもなかったのかどうか。この先は母の認知症も進むだろう。もしも、あーなったら、どうしようか。
慌てて、アタフタするのだろうか。一体に、今度は自分の方がおかしくなるのは、いつだろうか。
  そう思って、ふとこれではいけない、とTVを見る。まだTVはやっていて、それを見る。笑いがあるか、
自分は笑う余裕があるが。あるいは笑いを受け入れられるか。動揺しないか、その笑いに。

  あれ、今日は早めに、タモリさんのTVは終わる。あれあれ、もうおしまいか。インスタントラーメン
もうまそうだなー。そう思いつつ、新聞のTV欄特集を見て、マラソンか、やっぱりとか思うだけで、
その分、外に出かける時間も早くなった。

  
  大体、きのうの、植物の様子。連続性があると思う。あっちにいって、こっちに戻る、という感じ
である。


  


  朝の霧は、これがわかりやすい、というものはないようで、地面に近い
  辺りが、明るさが足らない、暗いまま、というのが、この画像からわか
  ること。




  一旦時間がたった。それから気が付くと、西の空に再び、霧が。
  これも地平辺りがあるところから先は白く見えるだけ。




  セイヨウサクラソウで、小型というとプリムラ・マラコイデス。
  浅い色で、赤紫か、紫である。雪の記憶に残る、小さな花。




  ちょっとひょろひょろしている。チューリップだろうと、簡単に思った。
  違うかも知れない。




  レンギョウの黄色の、はずでよく見ると、少し黄色もあるが、茎の
  色で、緑は葉。花は?。




  弱めの、菜の花。




  フキノトウのいくつか。ここはまとめて出る。




  花も立派。




  最後は、紅梅に、雨粒。うるおいのある感じだけでも。



ようやく、青空に花が咲いた

2010-03-14 16:02:01 | 植物・花(春)
  なかなか、晴れても、青空が続かなかった。が、
  今日は何とか持ったようで、外を歩いている時間も
  ほぼ快晴であった。で、北風で寒い思いもしたが、
  歩けばそのうちに、寒さも感じなくなった。
  ようやく、青空に花というものも撮れた。

  朝は放射霧が出た、その霧は一回消えて、
  また出たが、それもすぐにおさまった。

  青空がそこにあるというのは、気持ちのいいものである。




  日の出の、頃の様子をと思ったが、なんと曇っているガラスに
  合焦している。霧はこの時間、もう消えていた。




  ちょうどいいか、まだ薄い青か、判断に迷うところ。




  なにかというと、梅で、この花が一番青空によく似合う。でも今日は
  青空が主役。




  これも空の青さがいい。まー梅もいいといえばいいけれど。




  梅の白い面積が、多くなって、結果として、少し空は暗く、見た感じ
  空の青さは濃くなったと思う。




  空の青さも、微妙に違うようだ。




  太陽も入れて、輝きの白さと、空の青さと。




  田んぼの水面の青。それと、水の中の緑。




  オオイヌノフグリの、青さもいろいろで、一番色濃い、青いものを
  選んだ。



深い霧も、晴れた

2010-03-14 06:40:53 | 散策


  どんどんと大きくなる、フキノトウ。
  フキノトウは、あるところだとすでに群生に近い感じで
  出て来ていて、もう遅い早春というものを感じた。
  これも、あっという間になくなる、そうゆう現実もある。





  朝のお天気は、快晴。今は快晴で、今日に日付が変わるころからか、放射霧が出ていたと
思う。近くの街灯だけが、見えていてその向こうは闇の世界だった。あー今頃晴れてきて、
冷えている。そう思った。先ほどまで、乳白色の世界があって、今はあっさりと晴れ。
  
  アメダスの、6時の気温、1.7℃、順調に降下中。気圧は1031.3hPa、湿度は96%。南南西の風が、
3mとある。少し白いものは、これは霜。室温は8℃あるが、寒い。
 
  晴れるのが遅い。きのうは、夕方まで雨があって、その後もすっきりとしないお天気が続いた。
だから夕焼けの空もなかったはずで、春らしさ、明るさはあったが、どんよりした感じが、
最後まで残った。その後に、晴れてきたようだ。もう少し早ければなー。それゆえ、この後が
続かない。

  さっさと眠って、起きるときが来る。何だか背中が寒い。冷気というか、夜気の冷たさが
ある。窓から西の空を見ると、たしかに雨は降っていない。このときは、隣の街の明かりも、
まだはっきり見えていて、それで近くの外灯もこれも明るすぎる感じがあった。晴れて来た。
  もう一度、これと同じ、冷気を感じて、こんどは街の灯りはなく、外灯の二個だけ見えて、
放射霧は確定的になった。だから冷える。暖かい空気は、完全にどこかへと去ってしまって、
今朝の冷え込んだ朝がある。
  春分が近いから、もう日も出ていて、明るさは真昼間で、寒さは冬のそれで、それからまた
また、太陽の出る位置はより東へと移動した。

  朝から、あまりきれいな感じはしないが、きのうはゴミの袋を見ていて、それから先に、
生ものの臭いがプーンとした。ときどきこれをやらないと、見た目が汚いということで、食器を
洗うスポンジなどがここに入ってしまう。これだけは、見逃さないようにする。それで、スポンジは
あった。同時に、いや先に、生ものの、生ものらしい臭いがして、気温というものも、同時に感じた。