光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

見掛けの春はそこにあって、春は遠い

2010-03-23 18:59:46 | 植物・花(春)
  何かにつけて思い出すことはいろいろで、思い出すことしかないのか、という寂しさがある。
こうだった、こうゆう希望がある、夢は見ていて、それはそれで、でもこの先の明るさは
かき消される感じがある。

  葬儀というものを思い出す。いくつかの葬儀を経験して、自分の父のものが一番、今に近い。
そうゆうことを思い出すこともなかなかないのだが、ときに何を思うのか、新聞を見ている母が、
どこそこの何々さんがお亡くなりになったとか、いうのである。そうゆう心配はすることでもない
し、心配しなくても、何かがあればそうゆうものは伝わってくる、システムは出来上がっていて、
しかしいつからか、何々さんが亡くなった、何もしなくていいのか、というようなことをいいだす
のも、おかしなものだ、と思う。
  記憶、回想、大体が、そうゆうもので脳みその中は満たされて、あるものは抜けて、きれいさっぱ
りなくなるが思い出さなくていいことを思い出すというのは、真実に近いものがあり、夢で見たり
もする。さらに、具合の悪いときにそうゆうものを思い出す。葬儀もその一つかも知れず、それは
母の一言とは関係がない。

  父の葬儀は内輪でやったもので、非常に簡単に済んだ。そうゆう方法を探してそうゆうものが
あったのが幸いと思える。簡単で、でも、もう父は戻らないのだった。そうゆうことをやらないと
いけない、という時期が来たとき、そうゆう方法、家族葬とか、密葬とか、聞くべきものもあり、
これは自分ひとりで決められるものでない。たしか、叔母の一人は、その密葬でいいといったと
思う。もっとも、ごく普通の葬儀はもうやれる可能性はなかった。やりたいとも思わなかった。
葬儀にもいろいろ難題がそれでもあって、でもそれもどうにか、姉夫婦が助けてくれて、その行事
は無事終わった。大体、どこで葬儀をというのは、地域で決まり、経験は北の海に近い方が多く、
父のは、南の、常願寺川のあるところにある、その二つしかないようだが、斎場で最後の別れを
告げた。でも、もうそこにあるのは、父であったものであって、あまり悲しみはなかった。そうゆう
ものはもっと後から出てくるものだろう。そう思った。
  北の斎場は、結構ザラザラした感じがした。でも南のそのものは新しいのか、悪い感じはなか
った。で、結局法律で火葬というのが義務付けられている。最後はみなそうなるはずで、でも献体
は違うだろう。その近代化された斎場の、ある場所で、鎖が固い、鋼鉄の扉をおろしてゆくと
いう事実は、現象は、異様にも思われたが、特にそれ以上のことはなかった。あっさりと、父であった
ものは一番最初に、その中へと入り、で二度と出てこなかった。出て来たものは、大きな骨で、これ
は父のものに違いないとあらためて思った。特徴のある、そうゆう骨があった。それには特に気色
の悪さを感じることもなかった。時間は、1時間と半ということで、

  それは結構長いので、すでにこの地は、南だけど知っていて、それで、一人常願寺川の、堤防
のほうに登って行き、それで常願寺川の水を河川敷を久しぶりに眺めた。非常にいいお天気で
その堤防は何年ぶりかで来たところで、何かが変わっていて、何かは変わっていなかった。非常に
いいお天気で、それで振り返ると、煙突から薄っすら煙が見えて、あー燃えているとか思った
かも知れない。もしかしたら、それは見えなかったかも知れず、でも、残ったものは、骨の一部
であったから、どう考えてもそれ以外は、気体になって煙突から消えていって、あるいは拡散した
ものとしか、考えられない。
  雄大な立山連峰がそこにあった。剣も目の前にあり、また立山がそこにあって、でも薬師岳はどう
だったか覚えていない。この辺りの写真を撮って、近い立山、剱岳辺りの画像は雄大なようで、実に
穏やかな感じがあった。暖かったからであろう。剣、立山連峰の麓というところ、もよく見えていて、
でもそれは少し靄がかかっていたようだ。
  ものはみな燃えて、で、炭酸ガスというわかりやすいものは、空気中に拡散してゆく、その他、
窒素だの、硫黄だの、それから何があるだろうか。人を形どったものは、空気の中へと拡散出来る
ように、高温で燃やされてガス、気体となりそれはやがて同じ、空気の中の成分として、もう区別され
ない。同じ二酸化炭素として、辺りを漂い、それであるものは植物に、それ以外の生き物に同化され
て、それは一部はすでに人の体内のあるものを形どっているだろう。
  
  長くなって、これは特に読んでもらって楽しい思いをするというものでもないから、ここは
止めた方がいい。
  原始の風景のその3、かもとも思う。
 
  それから、これこそちょっと妙なという気がするけれど、母の言う何々さんが亡くなられた
というのはいってみると、歩いていてあーここのある方だというのがわかってしまう。このところ、
黒い縁取りの、あるものをみる機会が多い。同時に、葬儀社のセールスマン、何というか、今は女性
が多いが、ときに頻頻と尋ねてくる。断るしかないのだけど。


  遠い思い出、となったこのことと関係のない日常があるわけで、でどうしてこうゆうことを
書いたかというのは、一つは、それこそ誰々さんが亡くなられたという言葉に原因があるのかも
知れず、歩いていて、黒い縁取りを見るからかも知れず、これと関係なく、季節はあるものは春が
来たといっていいようで、一つはすでに書いた、モンシロチョウの存在であって、あるいは他にも
花にもそれがある。




  まったく春らしい、青空とその空間がある。そよそよと綿雲が泳ぐ。
  きのうの春の空。




  小さなハクモクレンの花芽。




  赤いボケの花。花もあったが、ぽつんと一つで、蕾。




  レンギョウの花、遅かった、でもどうにか花は出て来た。ここで出ると
  他でも出ていて、ここのうちのレンギョウももちろん咲いている。




  下から。




  クロッカス、紫。凍傷気味で、でも見た感じわからないが、




  こちらは重症である。




  アネモネの赤。もう少し表情が出ればいい。




  小さいものであって、造花のようにも見えてしまい、生き生きしている
  感じがないのが、どうにも残念で、その方法もわからない。



梅の花に、モンシロチョウ

2010-03-23 16:20:02 | 虫、その他
  気温はほどほどに上がっているような感じがあって、
  でも、午後3時までの最高気温は、11.4℃である。
  恰好は真冬だが、風はゆるく、曇り空で、寒さはなかった。

  それで、虫も見ないとか書いたら、なんと今日、
  モンシロチョウと思われるチョウを見つけた。
  小さな梅の木があって、この梅が今頃花を咲かせて、
  座って、見上げるような感じでいると、なんと小さい
  花に、モンシロチョウらしきチョウが、いた。
  風があって、ユラユラ揺れて、でもその風に飛ばされないよう
  必死で、花にしがみ付いていたようだ。
  体長は、ほどほどだが、翅はまだ小さい?。

  それにしても驚き、びっくりし、感動もして、くたびれた。
  体をねじ曲げたからねー。




  大きくしているし、近付いているから、梅も大きく見えるが
  小さい。その向こうの花に、またさらに小さいモンシロチョウ
  を見つけたときは、最初はそれに見えなかった。




  色は黄色く見えるが、暗めに写るようで、肉眼だと、白が基調で、
  薄い黄色がある、というように見える。




  翅に紋らしいものもないけれど、まだ見えないというか、現われない
  のではないか。だが、よくはわからない。




  もう飛び回っている、おとなのチョウだと、翅はもっと上下に長く
  ないといけないようだが、これは横長。出て来たばかり?。




  その梅の花、一つ。




  ストローの変化の様子、その一。




  ストローはクルクルと丸まっているが、さてその先はどこへと
  向いているのか。




  翅は、そういえば、4枚あるから、どちらかのものが、もう少し
  すれば、ぐっと立ち上がるのだろう。

  偶然といえ、ことし初めてのチョウに巡り会えて、これは幸せな
  時間であった。


 

どんより、曇り空の、春朝

2010-03-23 06:43:59 | 散策


  アオキの日当たりのいいもの。




  ヒサカキの花、をミニカメで。これも下からだと
  結構体を支えるのが大変で、ブレブレかも知れない。
  歳というのを、こうゆうものでも感じますねー。




  朝のお天気は、曇り。雨も降っていて、生憎。雲の厚さは、カメさんで測ればいい。起きて、
カメ持って、で真っ黒な画像をモニタで見る。これは暗い。あかんわー、という気分。曇りで、
小雨があって、でもさほど寒くはない。風も弱め。一日、ドンヨリしそう。

  アメダスの6時の気温、6.6℃。気圧は1016.8hPa、湿度は78%。西南西の風が2mとあって、
これは春の暖かい朝である。室温は、10.5℃。

  きのうの夕方、また黒いネコと遭遇した。黒いネコだと思っていたが、その後に、その毛の
色は、段々と異なって見えて、いくつか色を思い出すが、今は、薄いブドウ色である。これ以上は
薄くはならず、暑くなると、また黒に戻らないか。

  今日は火曜日。アカン、旗日が入るとどうしてもおかしくなる。
  地元のFM局のラジオを付けっ放しにしていたら、誕生日というのがあって、つまりは今日は
有名人の誕生日です、ということを放送している。有名人だからか。誕生日、自分の、それも
忘れそうで、忘れたほうがよく、いったいにいつか、わからなくなるときがある。日付の何年と
いうのが、わからなくなる。今年は何年か、というのもわかりづらい。

  同じものに、賞味期限がある、とか思う。あるものは、それを参考にして、なるべく古い
ものから食べる。賞味期限は表に別途表示してあります、とか書いてあるが、それがない、
というものもある。たくさんはないだろう。
  肉とかははっきりとする方で、魚も加工品となると、塩干、ないものが多い。賞味期限、
わからないものである。それが1年過ぎてというと、これはもう処分するしかない。一ヶ月と
いうと、これは食べられるものがある。10日過ぎた、というと心配で、かなり慎重に扱う。臭いを
かいだり。一週間だと、賞味期限が、一週間前に切れたというものは、どうか。大体、
すべて勘で判断するか、味見をするしかない。で、味見をするからには、食べる。賞味期限
ちゃ、いったいなにけ、とかいいたくもなり、似たものに誕生日がある。怒られるか。