寒いときに歩くのには、若干常軌を逸する、これは辞書にあった、脱するかも知れない、必要があるが、ただ常習化してしまうと、特別に何かが必要ではなくなる。逆に、歩かないと、不安なり、イライラなり、そういったマイナスな面も出てくる。
なぜか。もう毎度の、脳内麻薬、これは普通に人の組織に存在する、が関与しているという話。アミノ酸がつながるとペプチド、蛋白と言ってもいい、になるが、これしか知らないが、エンドルフィン、エンケファリンが、人をトランス状態させるという。確かに、私もそうゆうものを味わった気がする。もっとも、昔のことだが、風邪がどうかして日常的にセキ、ゲフォゲフォが出るということになって、薬の出番はなかった、それを直そうと最後にたどり着いたのが水泳で、これをしばらくやったら、セキは出なくなった。同時に、確かに少しふんわりした気にもなったので、その先もしばらくは泳いでいた。
今どき歩いても、そんなものはこれっぽっちも感じない。よけい具合が悪くなる、不具合とは少し違う、ようでもあるが、それに耐える、あるいは順応する。体調の不愉快さ、気分の悪さに、耐える、別の言い方なら、鈍感になる、そのために歩いているともいえる。むろん歩けなくなることが一番怖いが。
どうゆうようなところを歩いているか、抽象的に書く目的だったが、方向がそれてしまった。急いで短く。まず、しばらくゆくと、レンギョウの花を見ることが出来る。もう少しで。遅咲きの紅梅はなぜか花を開いていない。モズは、今日はみかけなかった。信号を渡る。その先に田んぼがあり、さらに再び住宅街に出る。ここには、鉢物の植物がたくさんあってさらに、ボケ(木瓜)の花が咲こうとしているのを見つけた。しばらくゆくと、花壇があって、ここでクロッカスを撮っている。それで、やはりしばらく行くと、植物愛好家の方の庭の片鱗にボケの花を見る。遅咲きの紅梅が綺麗なところ。それからっと、去年から見ているのもある、モクレンかコブシかの蕾を見ることになるが、これらはいずれもまだ咲いていない。大きなツバキの花、これでもか、というものがあってびっくりするが、なぜツバキが最後かは、都合による。これでは、だめでしょうね。
ここのツバキ、この木の、花をいつ見たか覚えていない。最近では、なかった、かなりなかった。
ちょっと大きくしすぎた、なんだか生命感がない。これではだめか。
どうなるのか、縮緬みたいなのか、はっきりオシベ、メシベがわかるのか。明日は今日より寒いという。
なぜか。もう毎度の、脳内麻薬、これは普通に人の組織に存在する、が関与しているという話。アミノ酸がつながるとペプチド、蛋白と言ってもいい、になるが、これしか知らないが、エンドルフィン、エンケファリンが、人をトランス状態させるという。確かに、私もそうゆうものを味わった気がする。もっとも、昔のことだが、風邪がどうかして日常的にセキ、ゲフォゲフォが出るということになって、薬の出番はなかった、それを直そうと最後にたどり着いたのが水泳で、これをしばらくやったら、セキは出なくなった。同時に、確かに少しふんわりした気にもなったので、その先もしばらくは泳いでいた。
今どき歩いても、そんなものはこれっぽっちも感じない。よけい具合が悪くなる、不具合とは少し違う、ようでもあるが、それに耐える、あるいは順応する。体調の不愉快さ、気分の悪さに、耐える、別の言い方なら、鈍感になる、そのために歩いているともいえる。むろん歩けなくなることが一番怖いが。
どうゆうようなところを歩いているか、抽象的に書く目的だったが、方向がそれてしまった。急いで短く。まず、しばらくゆくと、レンギョウの花を見ることが出来る。もう少しで。遅咲きの紅梅はなぜか花を開いていない。モズは、今日はみかけなかった。信号を渡る。その先に田んぼがあり、さらに再び住宅街に出る。ここには、鉢物の植物がたくさんあってさらに、ボケ(木瓜)の花が咲こうとしているのを見つけた。しばらくゆくと、花壇があって、ここでクロッカスを撮っている。それで、やはりしばらく行くと、植物愛好家の方の庭の片鱗にボケの花を見る。遅咲きの紅梅が綺麗なところ。それからっと、去年から見ているのもある、モクレンかコブシかの蕾を見ることになるが、これらはいずれもまだ咲いていない。大きなツバキの花、これでもか、というものがあってびっくりするが、なぜツバキが最後かは、都合による。これでは、だめでしょうね。
ここのツバキ、この木の、花をいつ見たか覚えていない。最近では、なかった、かなりなかった。
ちょっと大きくしすぎた、なんだか生命感がない。これではだめか。
どうなるのか、縮緬みたいなのか、はっきりオシベ、メシベがわかるのか。明日は今日より寒いという。