光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

唸る

2006-04-19 07:46:50 | 星空・天体・宇宙
  久しぶりに星空関係の雑誌を購入した。売り切れてないかもしれないと思ったがあった。
  今朝になって、表紙をじっくり眺めるが、はてさていったいどこの辺りを撮ったのだろうか。分からなーい。目次を探して、藤井 旭さんのお名前を見つける。説明を見る。水星と金星とプレセペか。これは、分かりません。
  金星は明るいのでコレッと分かるが、水星はわからない。オーストラリアからの写真とある。これから、星図をひっくり返して調べることにする。それにしても、上手だなー。これは、私が言うことでもないが。
  国立天文台の「イベントとお知らせ」に、“2006年3月29日の皆既日食の動画”が登場しました。これも、見ないといけない。
  

強風

2006-04-16 18:44:11 | 散策
  お昼過ぎ、天気は回復するようである。外に出た、ただ風が強い。
  葉書だ、ぺらぺらの、を投函する必要もあった。衣服の中に突っ込むとそのまま用を忘れて帰って来る確率が高い。そこで、小さな布製の、袋、入れ物、バッグに入れて、忘れないようにということである、行くことにする。
  外に出て、予想以上の風の強さに、確かにお日様は出てるが、歩くには難儀しそうと思った。ぷらぷら、軽いバッグは揺れる。寒くはない。こうゆう日もあるからと特別になんとも思わなかったが。やはり、気がぬけているのか、瞬間フワッと何かが飛んでゆくのに気づいた。
  アリャリャ、なんちゅうことやねん。軽いナイロンの袋が宙を舞った。そこのところは見ていない。場所が悪かった。道の横には、上品には水路、用水、別の言葉では、なんだったか。葉書が入った袋が、風に吹かれて、まさに水路に落下しそうである。ガードレイルが邪魔で、作用と反作用の法則、すぐにそこまで手が届かない。TVだったらどう撮るか。
  結果は惨め、情けない、日ごろの行ないが悪いのか、そういえば、病院に行く日に限って今年はいい天気ではないような、つかもうとするところでスルッと深そうな水路に、落っこちていった。
  そのあと、まーそんな"ひどい"ということはないけど、情けない思いをして、うちに戻って適当な棒っきれをもって来て、袋を吊り上げて。ここに顚末を書いてます。これも、法則。

いつものとうり

2006-04-15 19:30:05 | 星空・天体・宇宙
  最初は、植物から。昔からふと思い出すこともあった。なぜ、今頃これを思い出したか。だんだん、書くこともなくなってくるし、どうしたらいいだろう。そこで、ようやく登場する。ちょっと変わったツバキ(椿)。
  ただ、天気は思ったほどよくはなく、機会を逃すといけない。午前に一度外に出て、間違いないことを確認して。確かに、一本の木だが、花は、花弁の色は違うなー。赤系統だけど、その系統だが色は違う。午後になって、曇り空になりさらにもうまた雨になりそう、ポツリと来た。あわてることもないが、機会はないと思い慎重に、カメラにおさめた。
  話は、ころりと変わる。ここで一回取り上げた、地球に近づくほうき星の話。今日、国立天文台のページを見ると、なんとトップページに、"イベントとお知らせ"欄に、「謎の彗星見えるかな?」キャンペーン(シュヴァスマン・ヴァハマン彗星)が出ている。Schwassmann-Wachmann第3周期彗星のことで、私としては、これ以上書くことはない。こちらのページをご覧になられて、この少しミョウチクリンな、それゆえ、余計にプロフェッショナルな人が引き付けられる星について、思いを馳せて欲しい。
  私の場合はどうか。今のところ、手も足も出ない。ただし、この星の軌道を描いてくれるソフトなど見てると、確かに、非常にいい条件で地球に接近してることが分かる。双眼鏡では見えるのではないか、ただし固定カメラでのこの星の撮影は難しいかも知れない。予想としては、ネット観戦が主で、あわよくばカメラにおさめる事ができればな、と考えている。       

お気に入りの双眼鏡

2006-04-14 07:47:13 | 散策
  また雨の日、気温もぐっと下がった。もしかしたら、日照量の少ない4月として記録に残るかも。
  自分の足で歩いて自分の目で見て、普通だ、それで十分だが、この世に双眼鏡があることは悪くはない。フィールドスコープにも興味があるが、やはり簡単で安定して使える双眼鏡を私は使う。
  まず、星空を見る。たまにやってくる大型ジェットを見る。遠くのウメの木も見る。あとは、山肌のギザギザやら。曇り空で、太陽が輪郭を現して目で見ても安全と分かると、もうすぐ山の端に隠れる、日没と言うときその瞬間を見つめるのがこれまたいい。
  ずいぶん昔に購入したN社の7×35を使ってる。レンズ径が3.5センチ、倍率が7倍というものである。どのメーカのものが良いかは、これは好みである。レンズの大きさは3センチ前後、倍率は8倍までが、何にでも使えて、かつ疲れない。それなりの値段はする。
  映画やTVで双眼鏡を通して見てる事を示すため、わざわざ回りを黒くして"円"を2個並べたシーンが出るが、実際はこんなことはありません。人間もレンズを2個持ってるけど、見えるのは一個の絵でしょ。

チューリップは、まーだーかー

2006-04-12 07:44:01 | 散策
  サクラも散ってるという便りを聴く。春便りの一番手。同じころに、あまり電波にはのらないが、どこにでもあるチューリップの花が咲く。咲くはずだが、まわりを眺めてもまだ葉っぱが膨らんでいるだけ。
  チューリップの花が好きだ。昔からあるし、昔からあるチューリップの花が好きである。どうしてあんなに様々な色が出るのか、DNAに聞いてみたい。この花が一団となって、ゆらゆら風に揺れるそんなシーンが思い浮かぶ。
  球根の生産農家がおられる。畑に、チューリップの球根を植えて、春、花が咲くと同時くらいに、さかさかと花だけを落としてしまって、あーもったいない。ずいぶん前だが、チューリップ畑を見て、近くにおられる人に一言写真撮っていいですかと聞き、それからフイルムカメラで数枚分シャッタを押した。だからといって、出来上がりがすばらしいか、期待は膨らむができてきたポジフイルムは普通だ。そんなもの。
  今年のチューリップはいつ咲くか。そんなに遠くないところにチューリップ公園がある。例年、早く咲きすぎて5月の連休に開花を合わせるのに苦労している。今年は、その心配はないかも。たぶん今いってもやはり葉っぱしか出てないだろうな。

ハブラシ

2006-04-10 07:52:33 | なんでも
  ハブラシで、歯を磨く。ほったらかしではなかったが、今ころ1日3回磨いても遅い。
  ハブラシは、歯を磨くのを止めてから活躍する。まず、同じ洗面所に置かれる。これで、手をこする。なんとなく汚そうなところ。手と手をこするって、何となく汚いものをくっ付け会ってる気がする。だから、ここでハブラシが活躍する。インフルエンザウイルスだって、これで流れてゆく気がする。
  ほかには、洗面所本体も汚れる。決して汚してる気はないのだが。ヌルヌルもできる。やはりここで、ハブラシは活躍する。
  もっと他にもあるはずだが、すぐには出てこない。なるべく水溶性の物の洗浄に用いる。ハブラシは汚れも落としてくれるが、自身も綺麗になっている。まったくの働き者、こわれることもない。
  こうして、歯を磨くことはないが、他で役立つハブラシは、無限に増える。それはない。

小鳥

2006-04-08 18:48:51 | 散策
  朝からの続き、それにしてもひどい天気だ。雨とか風なら分かる。二つが一緒だ。台風がきたって、それこそ、そこにいないと分からないということがある。暴風雨警報が出ているところでよくある映像は、さほどの雨もなく風もないというもの。放送局も、ひどい台風のときに録画を流すことは出来ず、暴雨風警報も取り消すことは出来ない。
  変だと思ったのは、いつか、お昼前かも知れない。もしかして、雨風も収まるかと思った。雨が止んだ。で、窓ガラスを見ると、これまた見事に何かの跡がついている。窓にたたきつけられた雨の跡。それを示すのは、どう見ても、黄砂。黄砂は悪くない、ただ、これが体の中に入ってゆくこと事を想像する、それが怖い。
  買い物に行こうと思ったが、相変わらず西空は、鉛色。さすがに雪雲はないと思うが、それにしても、色がおかしい。鉛色に黄色が加わってる。粒子を思い浮かべる。怖くないか。
  結論は、小鳥だ。昨日夕刻ツバキに夕日が映えた。すぐそばになぜか小鳥が見えた。仕方なく、だめだと思いつつ、カメラを撮りだす。窓をあけるともう動いてる。右を向いてくれた。

鏡像

2006-04-05 07:48:07 | なんでも
  雨。12℃。昨日、黄砂を観測した、TVでいってる。ずいぶん前に、うちの瓦に積もっていた黄色い粒子は、なんだ。
  髭が生えてくる。仕方なくこれを剃るわけ。電気カミソリで。どうも、いまどきカミソリなんて言わないみたいだ。今までは、小型のどっかに立てるタイプの鏡を使ってた。しかし、この鏡は年代もので、はっきり言って、使いものにならなくなって来た。
  洗面台というのがあった。ここに、ちゃんとした鏡がある。これを使おう、何でもっと早く気がつかなかったのだろう。立ってないといけない、というのも良い。シャキッとしないと。鏡は冷たく、息は暖かい。よって鏡が曇る。顔を移動させる。他人が見ていたら、笑うだろう。それで、何の不可思議感もなく、自分の姿を見てる。大きいから上半身も写る。あれ、俺は、左手で、カミソリを使ってる。いつから左利きになったんだ。
  鏡像か、一回反射してるか。人は、自分の姿、いや顔だな、を自分で自分の目で見ることが出来ない。鏡をまず使う。もっといい男のはずだ、だはー、笑う。ここで、軽くて小さいデジタルカメラの出番だ。片腕でカメラをもって顔に向ける。自動焦点、なんのこっちゃ、なので適当にレンズをみて、後は押す。急いで、PCにつないで、大写しの、反射してない、右利きの自分の写真を見る。その横に、よれよれの鏡をもって来る。大体、同じだ、俺の顔は、やっぱりこんなもんか。反射について書くつもりだった。それは、無理で、個人的な出来事に終わった
  ツバメがいました。一羽、それにもう一羽、去年の手帳を見る。4月5日に、ツバメを見た、とある。
 

Schwassmann-Wachmann 第3周期彗星

2006-04-03 19:28:58 | 星空・天体・宇宙
  この星について、私が知ってることは、その名をかすかに覚えているということ。彗星である。皆既日食があった。最近は、しし座流星群が、結構よく見えたりして、星情報に敏感な方もおられる。その延長方向に、この星が輝くか。
  すでに、国立天文台のアストロ・トピックス(168)に、この星が"西はりま天文台「なゆた望遠鏡」"で捉えられたことが、去年である、記されている。このページを探されてご覧になるのが一番だ。この星が過去に分裂したと言うことも興味深いが、この星が、太陽に近づくにつれ、肉眼彗星になる可能性があるということが私を引き付ける。つまり結構明るくなるわけである。私がいつも拝見している、吉田誠一さんのページによると、5月の10日あたりには、3.5等星くらいになると言う予報が出ている。
  すでに、ここで何回も書かせていただいている、アストロアーツさんのギャラリーに、"Schwassmann-Wachmann 第3周期彗星"、ただしこれをカタカナ表記されている、3つくらいの表記がある、ここでは、ローマ字表記をする、があって、その分裂している彗星の写真がすでにたくさん掲載されている。ただし、まだ明るいとは言えず、いずれもプロフェッショナルな方が特別な方法と、厳しい作業をなされての結果である。
  彗星が、分裂してしまった、そして太陽系の最大の惑星である木星に、衝突あるいは吸い込まれたと言う現象を、私は思い出した。Shoemaker-Levy第9周期彗星のことで、1994年の出来事であった。このとき、もっと最近の出来事のように思えるが、私もまだ体力が気力があったからか、この現象を、木星に生じた黒い斑点という形で、望遠鏡で見た。そんなことが、この地球で起こったら、と言う話はしない。
  今、一番興味があることは、単純明快、手持ちのデジカメ、CCDカメラと言いたいねー、で、この、Schwassmann-Wachmann 第3周期彗星を撮る事ができないかということ。まだ、時間はあるようで、ない。
  なれないことを書いたら時間食った。写真は、『CATALOGUE OF COMETARY ORBITS 1989』の表紙である。

こんなのがあった

2006-04-02 19:06:30 | 植物・花(春)
  ずいぶん昔になるが、ある人がある木をさして、モチノキであるとおっしゃられた。『銘木じゃのう』。少し、酩酊されていたが、それは問題ではない。ずばり、"モチノキ"と言われる、これが、すばらしい。
  それから、ずいぶんたって、これは何の木ということを書かなくてはいけない時が来た。植物を見て、これは何々です、と言われる方と、たとえば、東京の高尾山を歩くのは楽しい、と思う。ははー、もしそうゆう時に、やはりカメラというものを持っていれば、おもわず撮るだろう。顰蹙をかうという以前の問題。夢の話。昔、高尾山を歩いてずいぶん写真を撮った。陣馬山まで歩くことができたのは2回だけだったが。
  また、話がへんな方向へ行く。モチノキ、聞いた事がない、私も同感だ。ただ、トリモチというのをご存知の方は多いはずだ。水飴と間違いそうだが、なんとも、懐かしい代物である。これで、何か昆虫を採るというより、その雰囲気が楽しかった、今頃そう思う。大体、そんなもので何かを採ったわけでなく、ただ竿を振り回していただけだ。その、とりもちが、モチノキから取れるわけである。さらに、驚くことに、このあたりの家々には、地面が見える、コンクリで覆ってない家の庭でないとだめだが、このモチノキがほとんどある。冬、赤い実がなり、里帰りしないヒヨドリの絶好の餌になる。
  その木の、ちょっと後ろの方に、これまた、なんだか分からぬ木が沢山ある。昨日の続きになるが、ヘーホー、こんなものがあると思って、接写をした。何の木なんて、下手に調べない方がいい。図鑑とか写真を見ても、これは何々ですと言うのは難しい。コブシ(辛夷)と書いて、これはまずかったと、少し前に書いた文章を思い出す。それにしても、これは、美しいとか不可解だとかいうより、気色悪いというのが、私の正直な印象です。