光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

冷たい雨風のときは

2008-02-26 19:11:37 | 散策
  少しずつ、日が長くなるが、寒さとか、雪とかは、まだまだ続きそうで、こうゆうものは何とも思わない方もいれば、寒くて、寒いのは勘弁と、内心思っている方も多い、そう私は思っている。寒いのも時にはいいが、ある程度限られた期間ならいいが、やはりそれ以上は、ダメージなりストレスのもと以外の何ものでもなく思えるから、やっぱり、最後は早く暖かくなれ、と思う気持ちが強い。どうしてこんな寒い思いをするのか、これは気温の問題だけではないだろう。
  何かと比較して、例えばより寒いところ、は簡単にわかるけれど、そこに比べると、プラスの気温は暖かともいえる。そう、それほど、いうほど寒くはないし、より寒いところにいる方と比べると、その差は歴然としている。同じ人だから、そのくらいの我慢は出来て当たり前だし、気温がプラスであることの感謝もしなければいけなくなる。こうして、長い間、寒い冬を過ごしてきたような気がするが、これが暖冬ともなれば、またそれはそれで、調子が狂う。結局のところ、なるようにしかならないものか、あるいは、諦めるのはまだ少し早いか。この辺りで揺れている。

  それで、話しは非連続的で、断片的で、この寒いときに、わざわざより寒い外を歩くべきかという、悩ましい問題が生じる。外にいる人もたくさんいるのに、そうゆうことを考える。少し前は、まずは歩かないとね、と言われたことを理由にしていたが、それはかなり昔のことになった今、それを判断するのは自分である。健康ではなくて、健康のためでもないような、外歩き。ただ、散歩という観点から考えてみる。外の気温はどの程度か。雪ではない。幸いかどうか、雨も小ぶり。風だけが少し心配で、しかし落雷の可能性もなさそうである。大体、小学生だって学校へ行っている。まったく、
  しかし、こうゆうときに、健康ではないが、健康おたくでもないが、さてどうするというとき、老化がどうの、ということが頭の隅に残っているというか、引っかかる。歳とともに、変化が怖いというもので、よって、歳を重ねるごとに、日常の習慣行為は、続けられる、というものがあるのだそうだ。そうゆう風になる要因の一つに、続けないといけないという恐怖心があるという。繰り返しだった。さらに、ある行為を今日もやったという安心感も必要になって、この作業が止められなくなるともいう。ウーン、そのとおりかも知れない。特に、健康など考えてないし、検査で要注意の項目などざらであるが、それとは関係なく、歩かないといけないとも思うし、歩いてきて、どうにか大丈夫だった、など大仰にも思う。

  心配ごとは多い。なかなか書けないことも多いが、ふとこのごろ、マウス、ハツカネズミのことではなくて、PCで、カチカチやる方、の調子がよくない気がする。これも、ときに掃除が必要だ。いっとき、その中が綿ぼこりだらけになっているのを経験した。しかし、それを分解するときは、問題がある。基盤は問題ないが、くるくる回るものと、それを支えるプラと、さらに適度に反発力を与えるスプリングが入っていて、これらがバラバラになると、その後に、あれはどこへいった、という大問題が起こる。ものが小さいし、転がるし、跳ねるし、一旦離れ離れになると、知恵の輪より、元に戻すのが難しい。これをやった。
  案の定、まずは考えられないが、まあるいリングが消えた。これは掃除機の中から出てきた。ついに、スプリングとプラの部品と、それと、まあるいリングが離れ離れになって、この寒いときに途方にくれたが、今ほとんどマウスで動かしているPCを使っているという現実を考えると、神様がそのマウスを元に戻してくれたとか、いいようがない。さらに、カチカチいわせると、それに対する反応も少しよくなった気がして、少し生きた心地もする。

  寒い中、まだまだ寒い思いをするが、それよりまた明日の方が冷え込む可能性が出て来た。冷え冷えして、ある程度時間がたつと、また嫌なことが強く思い出されるが、それに冷静に対処することしか方法はないことがわかる。それが結果として、理不尽なことに対する一番いい方法で、逆にいうなら、それが一番効果のある対処方とも考えられなくもない。




  ネコちゃんの人気はすごい。それで、これは失敗作だけど、何しろスイセンは、あまりに下を向いて咲いているし、適当に方向を定めるが、結果はこのようなものが残った。ネコの目線で見たスイセン?。




  かなり接近してのタンポポ、中央のものは見えていたが、少し上にもそれがあった。これなども、かなり低いところに目がないと、見えないものである。  

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