光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

カエデの落ち着いた緑と、野イチゴの黄色い花

2011-05-02 18:55:12 | 植物・花(春)
  ぞろぞろと、何かが這うような陽気となって、そろそろ
  見たくない虫も、これもあちこちで出てくるかと思う。
  今日は風もそうは強くなく、もちろん雨も降っていない。
  黄砂の影響は、太陽のある西の方角では、太陽のまあるい輪郭が現われた。
  東の空は少し青く、青空が戻る感じもある。今は北風か、
  北北西の風が吹いているので、少しずつ黄砂も少なくなっているかのようで
  少し安心。
  もうすこし早く、この空中に飛ぶという、地球を一周する、そうゆう土の
  粒子が、早く拡散してくれたらよかったのに。
  もっとも明日は明日で、次の黄砂の塊がやって来るかも知れないが。


  辺りの、ごく近くで見る、そうゆう植物。
  地面を見ると、黄色い小さい花が咲いているのに気が付いていたが
  それは野イチゴかも知れない。その花の先っぽが赤くなるので、このまま
  だと小さいイチゴのような実がなりそうだ。そうゆうときは毎年ある。
  小さい、小さくないと恐らく、切り倒されたりするのかも知れないが
  カエデの葉がいいようにも思える。そこにあるのが不思議なくらいで。
  見れば見るほど、普段はどうゆうわけか、高い木のカエデの葉ばかり見ているが
  下向いて、まっすぐ前を向いていると、そのものが目に入る、という偶然。




  ずんぐりとした、ハナアブが止まった。もうかなり暖かい、アブも眠くなって
  一休みしに葉に止まった。




  タンポポ、花の多くは今回のものは終り。残る花、冠毛、終わった花。




  下の方を向いてというのも、上にも続きがあるが、写り方は下向き外いい。
  潅木の新葉の色はいつ見てもいいもの。これしかし、肉眼での色の方が
  断然いい。




  その横に、感じのいい落ち着いた色合いの、カエデの葉。整然と並んで。




  高い木の場合、これはPCのモニタで見て初めて、その美しさに感動
  したりする。これは、葉っぱが美しさゆえ、カメラを寄せ付けたようだ。




  いくらか接近。




  かなり、いい感じで小さい木のカエデの葉がある。




  白い空と田んぼを見学した後、もう帰るしかない。それでようやく
  小さい黄色い花に近付くと、これは野にあるイチゴのような赤い実を付ける
  ものではないか、とか思える。




  花の頭、なんていうのかわからないが、少し赤い。周りにある葉っぱもきのう
  出たが、食べられるイチゴのそれとよく似ている。




  白いイチゴの花と同じように、黄色い小さい野イチゴの花は咲いて、赤い実を
  付ける。




  ここのいえにもいくらかチューリップの球根は植えてあって、一回不幸な
  ことが起きて、それがおかしくなったが、去年も小さいのが一つ咲いた。
  今年は赤いのは先に咲いて、このもも色のチューリップも朝は蕾で、その後に
  咲いた。あれ、去年も咲いていた?。


  体がミシミシというようで、これもこのところやらなかった、ちょっとした
  掃除をやったからで、それにしてもこのような掃除一つやるに大事だな、嫌だな、
  今日は出来そうにないな、など思い続けると、本当になんにも出来なくなる。それ
  ゆえ、ここは頑張ってやってみることにした。別に大したことではない。ただの掃除。
  でもこれにいろいろやらないといけない、ということはある。掃除機を使う。ゴミ
  パックは新しい。掃除機そのものはかなり時間はたっている、年季が入ってでも壊れ
  そうにない。そんなに使わないからだと思う。

  一気に出来ないので、あるところをやると、少し休む。大体背を丸める。テーブルの
  下だとかなり窮屈である。そうゆう状態での掃除で、これは電気掃除機なり、それ以外の
  電気を使わない、掃除道具のように、簡単にはいかないのである。TVでの掃除機なり、掃除
  用具のCMで、背中丸めてテーブルの下なり、あるいはコタツの中とか、それから椅子の下
  とかを掃除しているというところを見たことない。あるいは、掃除をする人はピッと背を
  伸ばしている。あのように掃除が出来たら、といつも思うが、そうゆう掃除だけで終わる
  という「いえ」は、本当にあるのかなー。
  毎度の愚痴でした。



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