光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

菜の花に、モンシロチョウが飛んでいた

2010-04-04 19:10:18 | 植物・花(春)
  今頃、ちょうど落ち着いた、そうゆう感じの時間があって、寒くはないようだ。まだ日が
出ていて、4月という実感はない。4月ねーなんだろうか。毎日毎度、なんだかわけがわから
なくなってゆく。それでいて、今日の天気とかは、気にしている。季節の感覚というものも、
ずいぶんと乏しいように思える。そうゆうこと、ときにはっと気が付くのは、TVやら、ラジオやら
の番組編成が変わる、あるいは時間が移動する、ということででもあって。ある人は辞めて
ゆき、ある人はカムバックする。
  地元のラジオ局というと、これはNHKだとそうは誰が来るかわからないが、民放、特にFMだと、
馴染みというのもあるから、それでも時間というのは、壮大に流れるから、なんどきに誰がいた
か、なんて大変失礼な書き方だと思うけれど、あの人がいた、とかあの人は、NHK‐FMに最初
は、あるいはその後に出たことがあるとか、まー思うことは、いつも電波さえ聞いていれば、
記憶に残るもので、これも2000年になって、もう11年目になるから、たしか2000年から、2009年
で、その最後で、まる10年。だから、2010年は、11年目ということになるだろう。

  TV番組もラジオ番組も、それで、人が変わったとか、当たり前のことが行なわれていて、それで
突然昔いた人というのが、帰って来るというのがあって、この辺りは面白いかも知れない。人み
な、あるときは若いし、また結構意地を張ったりして、もうこうゆうところには戻らないとか思っ
て、そこを去るわけだけど、またいつしか年をへると、どうゆうわけか、あーあのときはこうだったけ
ど、今は違うねとか言いつつ、思いつつ一度去った業界に戻ってくる。それは、いいことのよう
だ。一体に人がいないのか、新しい人がやって来ないのか、発想が派遣的というか、パートというもの
か、そうゆうこともよくはわからないが、あーあの人が、また帰って来る、というのはありだが、
でもそれを「聞く」というかというと、話しは別である。TVとか、ラジオとか、結構華々しい世界の
ようであるようで、競争はあるし、売り込みも大変で、尻込みする人に向いていない。きれいさっぱ
り、そこから、去る人もおられて、それはそれでよく、あー昔はあーいう人がいた、とか思うのは
いいことだと思う。

  10年は長く、20年はもっと長い。それから30年たつと、すべて忘れている。そうゆうことも
思うが、それと自分の子供のときとはまた別で、それにしても、20世紀の最後の10年、というのも
大変な時代で、その後の10年間は、まだ今年は含まれるけれど、2001年から、2009年というのも、
大変な時間であって、はっきりいって、記憶というものが曖昧で、でもかすかに記憶に近いものが
ある。でも結局何が変わったか、というのは、わからずじまいという、状況が、今もあって、
この先も続くだろう。
  4月になって、TVの編成が変わり、また同じ番組で出る人が変わって、それで、4日たったけれ
ど、そうゆう意味で、4月だとも、思える。それ以外だと、もう季節もヘッタクレもないような、
日々がある。以上が、大体TVとかラジオの変化について思うこと。

  今日という日があって、相変わらずさえないというか、ぱっとしない日があってあまりいい
感じはないけれど、でもうちに閉じ篭るわけにも行かず、それで、TVを見、ラジオを聞いて、今が
あるが、桜はもう済んだ、今日の分は。として、後に何が残ったかというと、ようやくモンシロチョウ
が外に飛んでいるのを見た。それは菜の花の畑というか、小さいが菜の花が咲き誇っていて、で、
桜見物から帰るときに、その白い、優雅ともいえる、白いチョウが飛んでいるのを見た。この前見た、
もう凍っている、という状態のチョウではなく、そのチョウはしばらくして、恐らく飛ぶことなく、
自然に返っていたけれど、そのチョウは、ひらひらと菜の花の上を飛んでいた。これは珍しい。
ことしは雪が多かったしなー。他にも、探せばあるいは偶然というものがあれば、他のチョウにも
会えただろう、そう思った。
  白い、モンシロチョウは、菜の花の一つに止まった。それで、ちょっと近付くかというところ
で、あっという間にその花からひらひらと空中に舞ってしまって、その敏感なこと。これでは、まー
今年もなるべく熱心にチョウ撮りをやりたいと思うのだけど、最初からこの扱いだと、先が思い
遣られるとも思うスタート。もう1羽、モンシロチョウがこれもフワフワと飛んでいて、距離的にも、
10m以上は離れたところであって、もうどうしようもない状況であった。

  モンシロチョウなどのチョウも、結構敏感で、まずは普通に飛翔している場合などカメさんを
向けるということが非常識という感じがした。でも、この扱われ方は、一番人にはやさしいものだ
と思う。大体、がそうゆうものなのである。そうは簡単にチョウはカメさんの先に止まってはくれ
ない。ありがたい教えであるとも思う。もっとも、それで永久に写真も撮れず、で、結局のところ
ある偶然を待つ、という、そうゆう常套手段で今年もチョウを撮るというか、チョウに遊ばれるわけ
だが、そうゆう機会が一体いつになるか。

  先ほど、窓の向こうに、黒いものがユラユラと揺れたが、それはよく見ると、蜘蛛であった。
恐らく、肢は8本だろう。大きさにして、米粒くらいの、蜘蛛がようやくこのいえに現われた。という
ことは、チョウ撮りというのはかなり先の出来事であるという、ことを示しているようにも思えて、
納得する。



  すでに、花の春はあるものに来ていて、これの変化は、日常であって、
  それをここで出している。




  朝の続きで、ヒヤシンス。見たこと、最近なかった。このところ長い
  時間この花を見ていないような感じだ。もしかして、水耕栽培など、
  このものが使われたこともあるのではないか。




  赤い、あるいは、赤紫の、色のもの。ヒヤシンスの色も、きっといろいろ
  あるもので、こうゆう色素の出方って、遺伝子で決まってしまうのか。
  すべての色の遺伝子を持っていて、ある色が実際に出るのだろうか。




  小さい、アネモネの赤。アネモネの色も赤でもいろいろ。




  昔から、咲いていた、大きいセイヨウサクラソウ。この葉っぱ記憶が
  ある。プリムラ・ジュリアンというところ。白い淡い、クリーム色。




  濃いクリーム色もあるので、ここはそれが出る予定だったが、予想
  以上に雨の後の泥がひどく、気の毒で、同じ白いのもの。




  大き目のスイセンで、その花は今は美しいとしかいえない、で、スイ
  センは大体うつむいて咲く。それでその先の方向に当然向きは反対だが
  カメさんを置いて、外のそれ以外の景色がどうなるか、というのを
  やってみた、というのは結果だが。




  いってみると、液晶が可動式以外は、どうゆうものがその先にあるかは
  わからず、期待感はある。自分でいうのも何だが、結果として、思いの
  外いい感じである。




  そういえば、いろいろ夏野菜なども植えられる時期でもあるのですね。




  このスイセンに止まっていたのは、多分ハエ、かアブか。でもスイセン
  なにもいわず、やさしく対応。



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