雨は、朝からいくらか降りそうな感じはあるが、セミの涙程度の雨は降っているかな。
ギリギリのところで、雨を降らす雲と、そうでない雲の分かれ目がある。
雨もこのところ少しずつ降っているが、南からの暖かい風も入って、気温は上がっているが、いまはお日様は
雲に隠れている。この時期、立山連峰が見えるのは珍しいが、朝もうっすら見えていて、いまも見えている。
どのくらいの気温があるのか、想像するだけだが、わからない。冷蔵庫くらいかな。そうではないかも
知れない。
川中島は、ほとんどの列島の国の都市ではそうだが、急流は多く、周りは山しかない。そうゆうところで
西に東に、むかしの人はどのようにして旅をしていたのか、たまに不思議に思う。トンネルがあるわけではないし。
日本海側でいうと、西は、石川県、東は、新潟県だが、まさか能登半島を一周したことは考えられない。
倶利伽羅峠があるか。
東はというと、これはもっと厳しい。冬の日本海の荒波、これは美しいが、むかしを想像することは出来ない。
舟はあるが。北は日本海で、南はというと、この方向も山だ。どこでもだいたい同じかな。どっちを向いても
道は途中でなくなる。様々な伝説はこうして生まれるのだろうか。不可能を可能に。
近くの川は神通川だが、最近いっていない。水量なども見ていない。大体TVでも写らない。これが不思議だ。
用水は、どの辺りから流れているか、大きいもの、中くらいのもの、細いもの。いずれにしろ、いまは、水は
きれいで、特に、ここは川幅が広くて、しかも深そうだ、というのがある。普段と水の量が違う。
だが、このいえの横にも、やけに深く掘った用水はあるが、水の量はさほど。だから、やけに深いこともわかるが
どうゆうわけか、鴨のような鳥もたまにいる。なにかいるな、と思うが暗くて見えないが、動いたので
鳥だなと思う。はっきりと鴨とわかる場合がある。よく、TVに出る、鴨の親子の道路の横断があるが、あれは
なんていう種類か。忘れてしまった。
なるべく、気力があれば、新しいものをと思って、カメラを持つときがあるが、これが最近はさらに、辛くなる。
傘とカメラ、それを考えているのだが、それ以外でやらないといけないことは、季節季節の厄介な仕事。だが
これもみな同じだから、しょうがない。
雨上がりは、いいと思う。気持ちが前を向いていれば。で、そうゆうものはあった。
これは、よく考えたら、きのうの朝に出している、小さいカマキリのときのもので、雨の後。アジサイにもそう
いえば雨が残っている。
このアジサイの葉の、水の様子は雲の巣のような感じである。雲の巣にもいろいろで、まるで、マスクのような
ものもある。そうゆうところにも、水滴は残るが、あまりきれいに丸くなっていない。
水道の水がポタポタ、蛇口だった、そこから水がポタ。撮ったことはないか。コップに水を溢れんばかりに
入れてその様子を残す。表面張力だって。いったいこの張力、何に起因している。植物の葉でもそうで、うまく
丸まるときがある。以前、小雨のとき、大丈夫だと思っていたがしかし、レンズの筒に雨粒は付いたが、非常に小さく
ほぼ球状に見える。息を吹きかけると、小さいので、転がる。
この大きい場合を、Eテレで見たことがあるが、仕掛けは高度だな。普通あれは出来ない。水面の上を、水球が
転がるからドッキリだが。
と、いうことで、脈絡なく、雨の残る、梅とその実、ガクアジサイ、ヒメジョオン。
その一。ゴチャゴチャしている。葉にもかなり雨は残っている。
その二。でも、梅の実を見ていて、ほぼ正常に写っている。
その三。
その四。
その五。見栄えのする、ガクアジサイで、お隣さんにある。よく出る。最近、裸眼で撮る場合もあって
そうなると水滴はわかりそうでわからない。
その六。
その七。水滴、まん丸。ここはピントは出ていないが、あるとやはりいい。
その八。
その九。
その十。雨のヒメジョオンもいい。花に水滴があるものを探したらあった。そういえばアブもいたことを
思い出した。水滴はなくても、こうゆう条件のときに白い花と緑の色は、ふだん見ない美しさ。
今日も、竹切っていたので、いまも危ないが、この後も心配。
ギリギリのところで、雨を降らす雲と、そうでない雲の分かれ目がある。
雨もこのところ少しずつ降っているが、南からの暖かい風も入って、気温は上がっているが、いまはお日様は
雲に隠れている。この時期、立山連峰が見えるのは珍しいが、朝もうっすら見えていて、いまも見えている。
どのくらいの気温があるのか、想像するだけだが、わからない。冷蔵庫くらいかな。そうではないかも
知れない。
川中島は、ほとんどの列島の国の都市ではそうだが、急流は多く、周りは山しかない。そうゆうところで
西に東に、むかしの人はどのようにして旅をしていたのか、たまに不思議に思う。トンネルがあるわけではないし。
日本海側でいうと、西は、石川県、東は、新潟県だが、まさか能登半島を一周したことは考えられない。
倶利伽羅峠があるか。
東はというと、これはもっと厳しい。冬の日本海の荒波、これは美しいが、むかしを想像することは出来ない。
舟はあるが。北は日本海で、南はというと、この方向も山だ。どこでもだいたい同じかな。どっちを向いても
道は途中でなくなる。様々な伝説はこうして生まれるのだろうか。不可能を可能に。
近くの川は神通川だが、最近いっていない。水量なども見ていない。大体TVでも写らない。これが不思議だ。
用水は、どの辺りから流れているか、大きいもの、中くらいのもの、細いもの。いずれにしろ、いまは、水は
きれいで、特に、ここは川幅が広くて、しかも深そうだ、というのがある。普段と水の量が違う。
だが、このいえの横にも、やけに深く掘った用水はあるが、水の量はさほど。だから、やけに深いこともわかるが
どうゆうわけか、鴨のような鳥もたまにいる。なにかいるな、と思うが暗くて見えないが、動いたので
鳥だなと思う。はっきりと鴨とわかる場合がある。よく、TVに出る、鴨の親子の道路の横断があるが、あれは
なんていう種類か。忘れてしまった。
なるべく、気力があれば、新しいものをと思って、カメラを持つときがあるが、これが最近はさらに、辛くなる。
傘とカメラ、それを考えているのだが、それ以外でやらないといけないことは、季節季節の厄介な仕事。だが
これもみな同じだから、しょうがない。
雨上がりは、いいと思う。気持ちが前を向いていれば。で、そうゆうものはあった。
これは、よく考えたら、きのうの朝に出している、小さいカマキリのときのもので、雨の後。アジサイにもそう
いえば雨が残っている。
このアジサイの葉の、水の様子は雲の巣のような感じである。雲の巣にもいろいろで、まるで、マスクのような
ものもある。そうゆうところにも、水滴は残るが、あまりきれいに丸くなっていない。
水道の水がポタポタ、蛇口だった、そこから水がポタ。撮ったことはないか。コップに水を溢れんばかりに
入れてその様子を残す。表面張力だって。いったいこの張力、何に起因している。植物の葉でもそうで、うまく
丸まるときがある。以前、小雨のとき、大丈夫だと思っていたがしかし、レンズの筒に雨粒は付いたが、非常に小さく
ほぼ球状に見える。息を吹きかけると、小さいので、転がる。
この大きい場合を、Eテレで見たことがあるが、仕掛けは高度だな。普通あれは出来ない。水面の上を、水球が
転がるからドッキリだが。
と、いうことで、脈絡なく、雨の残る、梅とその実、ガクアジサイ、ヒメジョオン。
その一。ゴチャゴチャしている。葉にもかなり雨は残っている。
その二。でも、梅の実を見ていて、ほぼ正常に写っている。
その三。
その四。
その五。見栄えのする、ガクアジサイで、お隣さんにある。よく出る。最近、裸眼で撮る場合もあって
そうなると水滴はわかりそうでわからない。
その六。
その七。水滴、まん丸。ここはピントは出ていないが、あるとやはりいい。
その八。
その九。
その十。雨のヒメジョオンもいい。花に水滴があるものを探したらあった。そういえばアブもいたことを
思い出した。水滴はなくても、こうゆう条件のときに白い花と緑の色は、ふだん見ない美しさ。
今日も、竹切っていたので、いまも危ないが、この後も心配。