いまは、とPCの時計を見る。12時58分になった。6月7日。
雨は降っていない。高解像度降水ナウキャスト、これを見ていると、雨は降っているところはある。
雨は気にしない。この一言はなかなか言えない。風でも同じ。
地震はもういい。それでも地震はなくなることはないので、最後は慣れになる。
心配事、は年齢に比例して多くなるかどうか。これは私の場合は、当てはまるようだが、どうもいまだけでは
ないようで、持って生まれた性格と考えないといけない。ただ、そうでもないとき、お調子者だった。あるいは
心配の「シ」の字も頭の中になかった。これはある。地震でも、ある年齢になると、あー揺れている。しかし
この揺れは止まる。確信していた。それゆえ、パニック、あるいは周章狼狽、みたいなものは、そうは毎日は
ない。
しかし、これが続く、そうゆう場所がある。気象庁のホームページで、地震情報は見ている。熊本、大分、あるいは
九州。それと列島の国があって、極東の国がある。太平洋を取り巻く国。地震が起こるところはいくらでも
ありそうででも地震はない。そう言い切れるところがあるか。東日本大震災があってその少し前があって、それ
からがある。
傘、どうするか考えて傘にした。それより、少し心配なこともあったが、これは杞憂だった。冷静になるときは
あまりないが、しばらく時間を空けて、しかし最後は、確認出来るなら確認した方がいい。さまざまなことが
頭をよぎるが、結局「なさけは人のためならず」で自分に戻る。自分のことは自分で、何とかしないといけない。
それで、傘だが、これからは雨が降りやすくはなる。傘などいらない、そうゆう人もいる。
公共交通機関を利用する、というのはどうゆう「ところ」なのだろうか。逆に言えば、歩くか、あるいは自家用の
車で移動するとなるが。
だから、天気予報を聞いていて、傘を持った方がいいでしょう。この言葉の持つ響き、重みは違う。
傘は忘れる。どこかで、その傘はじっとしている。傘持って出かけた。でもそれは車の中にある。最近の傘は
知らない。
私の使う傘は、いまは折りたたみではなく、普通のものだ。白っぽい。折りたたみ、もあるが、どこに置いたか
忘れそうになる。いろいろ考えて、大きさもあれば、杖の代わりにもなる、そうゆう傘を使うことになる。
傘はどこで売っているか。
旅番組ではないが、そういえばきのう、月曜、鶴瓶さんの番組はなかった。いまでも、なんでも売っている、
そうゆうお店がTVの画面に登場するときがある。それ以外に、シャッタの開かない店。「よろずや」。いまも
あるのだろうか。都会だと、浅草とかになるのだろうか。卸問屋。
段取りでゆくと、外に出るとき、これからだと最後に、傘となる場合がある。雨が降ろうが、関係なしに。
傘というと、むかしの話だが、通勤電車で、雨ゆえ仕方なく傘差して駅まで。それを放置するわけにゆかず、もちろん
車輌の中でも持つ。気が付かす、傘の先っぽが、当たったようで、注意されたことも。なんでも思い出すことは
あるのだな。
散歩のときも、ずいぶんと長い間、折りたたみの傘を持っていた。これは、書いたこともあるが、なにか持って
いないと落ち着かないようで、さらにいざというとき、役に立たないか。
きのう午後少し遅かったが、短い時間だが歩くことにした。段取りで、靴まではいった。その前に、
一つ、もう一つある。ただ、バッグはない。スカスカな感じで、杖代わりの傘を持ったが、傘持っている、と
いうのも、別におかしくはないだろう。ただ白っぽいし、雨降る気配はないし。
無事帰ってきて、もちろん傘も忘れることはない。いまは山歩きでも、ストックなど使うようだ。
どんよりとした天気で、気温は、26℃ある。
傘は、傘だけだが、叔母が持ってきて、そのまま置いてあるものもある。そうゆうものはさすがに、使えない。
世の中何が起こるか、わからない時代、あるいは時間だが、しかし、高級な傘を購入して、それを忘れた。
どこかに、となると、衝撃はあるだろう。
傘が飛んでいったこと、これはTVのアニメの世界ではあっていいことだが、そうでない現実の世だと
心配だな。傘箱に傘、あるいは自転車置き場、放置されるものはある。壊れている自転車。
結局今日も雲の多い空にした。
6月5日。
その一。
その二。
その三。
6月6日。
その四。午前中早い時間だが、水分の多そうな空でモワッとしている。
その五。
その六。
その七。ハロ、暈が出ているようで。
6月7日。今朝。
その八。鳥だが、なんだかわからないが、ヒヨドリかな。これは、覚えている。かなり早かった。
その九。
その十。
今日、ようやく午前にまた出て来た竹を、切った。3日か4日、間を開けないと、その気にならない。
こうゆうものも、慣れることのない作業だ。
雨は降っていない。高解像度降水ナウキャスト、これを見ていると、雨は降っているところはある。
雨は気にしない。この一言はなかなか言えない。風でも同じ。
地震はもういい。それでも地震はなくなることはないので、最後は慣れになる。
心配事、は年齢に比例して多くなるかどうか。これは私の場合は、当てはまるようだが、どうもいまだけでは
ないようで、持って生まれた性格と考えないといけない。ただ、そうでもないとき、お調子者だった。あるいは
心配の「シ」の字も頭の中になかった。これはある。地震でも、ある年齢になると、あー揺れている。しかし
この揺れは止まる。確信していた。それゆえ、パニック、あるいは周章狼狽、みたいなものは、そうは毎日は
ない。
しかし、これが続く、そうゆう場所がある。気象庁のホームページで、地震情報は見ている。熊本、大分、あるいは
九州。それと列島の国があって、極東の国がある。太平洋を取り巻く国。地震が起こるところはいくらでも
ありそうででも地震はない。そう言い切れるところがあるか。東日本大震災があってその少し前があって、それ
からがある。
傘、どうするか考えて傘にした。それより、少し心配なこともあったが、これは杞憂だった。冷静になるときは
あまりないが、しばらく時間を空けて、しかし最後は、確認出来るなら確認した方がいい。さまざまなことが
頭をよぎるが、結局「なさけは人のためならず」で自分に戻る。自分のことは自分で、何とかしないといけない。
それで、傘だが、これからは雨が降りやすくはなる。傘などいらない、そうゆう人もいる。
公共交通機関を利用する、というのはどうゆう「ところ」なのだろうか。逆に言えば、歩くか、あるいは自家用の
車で移動するとなるが。
だから、天気予報を聞いていて、傘を持った方がいいでしょう。この言葉の持つ響き、重みは違う。
傘は忘れる。どこかで、その傘はじっとしている。傘持って出かけた。でもそれは車の中にある。最近の傘は
知らない。
私の使う傘は、いまは折りたたみではなく、普通のものだ。白っぽい。折りたたみ、もあるが、どこに置いたか
忘れそうになる。いろいろ考えて、大きさもあれば、杖の代わりにもなる、そうゆう傘を使うことになる。
傘はどこで売っているか。
旅番組ではないが、そういえばきのう、月曜、鶴瓶さんの番組はなかった。いまでも、なんでも売っている、
そうゆうお店がTVの画面に登場するときがある。それ以外に、シャッタの開かない店。「よろずや」。いまも
あるのだろうか。都会だと、浅草とかになるのだろうか。卸問屋。
段取りでゆくと、外に出るとき、これからだと最後に、傘となる場合がある。雨が降ろうが、関係なしに。
傘というと、むかしの話だが、通勤電車で、雨ゆえ仕方なく傘差して駅まで。それを放置するわけにゆかず、もちろん
車輌の中でも持つ。気が付かす、傘の先っぽが、当たったようで、注意されたことも。なんでも思い出すことは
あるのだな。
散歩のときも、ずいぶんと長い間、折りたたみの傘を持っていた。これは、書いたこともあるが、なにか持って
いないと落ち着かないようで、さらにいざというとき、役に立たないか。
きのう午後少し遅かったが、短い時間だが歩くことにした。段取りで、靴まではいった。その前に、
一つ、もう一つある。ただ、バッグはない。スカスカな感じで、杖代わりの傘を持ったが、傘持っている、と
いうのも、別におかしくはないだろう。ただ白っぽいし、雨降る気配はないし。
無事帰ってきて、もちろん傘も忘れることはない。いまは山歩きでも、ストックなど使うようだ。
どんよりとした天気で、気温は、26℃ある。
傘は、傘だけだが、叔母が持ってきて、そのまま置いてあるものもある。そうゆうものはさすがに、使えない。
世の中何が起こるか、わからない時代、あるいは時間だが、しかし、高級な傘を購入して、それを忘れた。
どこかに、となると、衝撃はあるだろう。
傘が飛んでいったこと、これはTVのアニメの世界ではあっていいことだが、そうでない現実の世だと
心配だな。傘箱に傘、あるいは自転車置き場、放置されるものはある。壊れている自転車。
結局今日も雲の多い空にした。
6月5日。
その一。
その二。
その三。
6月6日。
その四。午前中早い時間だが、水分の多そうな空でモワッとしている。
その五。
その六。
その七。ハロ、暈が出ているようで。
6月7日。今朝。
その八。鳥だが、なんだかわからないが、ヒヨドリかな。これは、覚えている。かなり早かった。
その九。
その十。
今日、ようやく午前にまた出て来た竹を、切った。3日か4日、間を開けないと、その気にならない。
こうゆうものも、慣れることのない作業だ。