八方ふさがり、あまり使いたくない言葉だが、父の建てたいえで、しかも2階で、外の様子を見ていると
朝も少し書いたが、抑うつ感は満載になる。どれだけ伸びたら気が済むのかとなるが、
如何せん、植物は元気である。
木々にも寿命はあるが、どうも人よりは、はるかにその寿命は長いようである。
大きなスギは、ずいぶんむかしになるが、10年以上は前だ、15年くらい前になるかな。
切った。このときは、その専門の方が尋ねてきているが、最近、これももう何年か前だが、一度、むかしも
来ていたのですよ、というちょっとだけ若い人が来た。ただ、そのときは、こうゆうことになる、という予想は出来
なかった。少し考えさせてくださいと言い、で、名刺だけはもらっていて、それはある。
こうゆう仕事をされる方は、看板を掲げている方もおられるようだが、そうでない方もいるようで、詳しくは
わからない。ただ、昨今の、異常気象で、どこどこの大木が倒れた、というニュースはよく聞く。
樹齢500年の木がある、昔ながらのいえに棲んでおられる方はいる。そうゆう所は維持も大変だが、銘木はあって
地元の人はみな知っている。しかし、その樹齢500年の木が、台風で、強風で倒れた、いえにも被害が及んだ。
そうならないと、新聞にも出ない。もちろん地元の新聞である。それでもいつのまにか、あるいは時間がたつと
木は元通りにならず、ただ、重要文化財並みのいえは、再び蘇る。
職人さんはおられるようだ。
しかし、数は減ってゆくのではないか。
ここのいえでも、いろいろな方に木と草に関しては、お世話にはなっているが、年齢で、あるいは病気で、
怪我で、こうゆう仕事をやめられる事実はある。病気でも、仕事はやっていて、と後から聞いたことも。
いまのところ、私が出来ることは限られるが、竹を切ることだけだが、これはもうやらないことにした。
大きなものはどうしようもないからである。
木の方は、これはやはり大きくなるので、夏までもう一回、ということでお願いはしている。ついでに竹も、と
なるはず。
窓から見える空が小さくなってゆくのは悲しい。
急に風が強くなってきた。
この木に関して、いくら窮状を書いても意味はないが、一応、最近の様子で、いくらかは
景色として見ていてもおかしくはない、というところ。これを出すことに。
これが完全になくなる、というとまたまた困ったことになるが、それはあり得ない。そのとき、そのときで
どうにかするしかない。
圧倒される、木々の生長の勢い。
その一。西側、竹もここまで出て来るか。金星がわからないではないか。
その二。
その三。少しは切った竹だが、竹はさらに反発して、より多く出て来るようである。
その四。
その五。こちらは北側。竹はむかしは、こっちはなかった。木もこんなひどくはない。
その六。
その七。梅の木は、なんとかなりそうだ。いまのところ、問題はない、でも北の空の視界も狭くなった。
その八。栄養というか肥料は、みな循環させている。太陽のエネルギーは、十分だし、あとは多少は
炭酸ガスの濃度はさがって、酸素の濃度は上がっていると思う。もっとも、地面に落ちた葉、あるいは
切られた木々の枝は、ある場所で眠るが、このエネルギーを利用する微生物は、具体的に名をすぐに
あげられないが、ちゃんといる。キノコなどもそうで、シイタケはわかりやすい。木の組織を分解する
ものはちゃんとあって、やはり固体になった炭素は、再び炭酸ガスに戻る。だがゆっくりとである。
その九。
これも、6月16日のお昼ころの東側に見える山。こっちも、木々の生長は明らかで、山は隠れてゆく。
その十。
小雨が降り始めた。
朝も少し書いたが、抑うつ感は満載になる。どれだけ伸びたら気が済むのかとなるが、
如何せん、植物は元気である。
木々にも寿命はあるが、どうも人よりは、はるかにその寿命は長いようである。
大きなスギは、ずいぶんむかしになるが、10年以上は前だ、15年くらい前になるかな。
切った。このときは、その専門の方が尋ねてきているが、最近、これももう何年か前だが、一度、むかしも
来ていたのですよ、というちょっとだけ若い人が来た。ただ、そのときは、こうゆうことになる、という予想は出来
なかった。少し考えさせてくださいと言い、で、名刺だけはもらっていて、それはある。
こうゆう仕事をされる方は、看板を掲げている方もおられるようだが、そうでない方もいるようで、詳しくは
わからない。ただ、昨今の、異常気象で、どこどこの大木が倒れた、というニュースはよく聞く。
樹齢500年の木がある、昔ながらのいえに棲んでおられる方はいる。そうゆう所は維持も大変だが、銘木はあって
地元の人はみな知っている。しかし、その樹齢500年の木が、台風で、強風で倒れた、いえにも被害が及んだ。
そうならないと、新聞にも出ない。もちろん地元の新聞である。それでもいつのまにか、あるいは時間がたつと
木は元通りにならず、ただ、重要文化財並みのいえは、再び蘇る。
職人さんはおられるようだ。
しかし、数は減ってゆくのではないか。
ここのいえでも、いろいろな方に木と草に関しては、お世話にはなっているが、年齢で、あるいは病気で、
怪我で、こうゆう仕事をやめられる事実はある。病気でも、仕事はやっていて、と後から聞いたことも。
いまのところ、私が出来ることは限られるが、竹を切ることだけだが、これはもうやらないことにした。
大きなものはどうしようもないからである。
木の方は、これはやはり大きくなるので、夏までもう一回、ということでお願いはしている。ついでに竹も、と
なるはず。
窓から見える空が小さくなってゆくのは悲しい。
急に風が強くなってきた。
この木に関して、いくら窮状を書いても意味はないが、一応、最近の様子で、いくらかは
景色として見ていてもおかしくはない、というところ。これを出すことに。
これが完全になくなる、というとまたまた困ったことになるが、それはあり得ない。そのとき、そのときで
どうにかするしかない。
圧倒される、木々の生長の勢い。
その一。西側、竹もここまで出て来るか。金星がわからないではないか。
その二。
その三。少しは切った竹だが、竹はさらに反発して、より多く出て来るようである。
その四。
その五。こちらは北側。竹はむかしは、こっちはなかった。木もこんなひどくはない。
その六。
その七。梅の木は、なんとかなりそうだ。いまのところ、問題はない、でも北の空の視界も狭くなった。
その八。栄養というか肥料は、みな循環させている。太陽のエネルギーは、十分だし、あとは多少は
炭酸ガスの濃度はさがって、酸素の濃度は上がっていると思う。もっとも、地面に落ちた葉、あるいは
切られた木々の枝は、ある場所で眠るが、このエネルギーを利用する微生物は、具体的に名をすぐに
あげられないが、ちゃんといる。キノコなどもそうで、シイタケはわかりやすい。木の組織を分解する
ものはちゃんとあって、やはり固体になった炭素は、再び炭酸ガスに戻る。だがゆっくりとである。
その九。
これも、6月16日のお昼ころの東側に見える山。こっちも、木々の生長は明らかで、山は隠れてゆく。
その十。
小雨が降り始めた。