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光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

お天気は雨だが、朝はやはり暗い。小さいカエデの赤。

2016-01-07 07:05:09 | 植物・花(冬)
  きのうの夜から雨。


  夜はそんな冷え込んでいることはなく、普通にコタツのなかは熱かったが、

  寝込むことはなかった。


  最初は、歯の先がすこしぴりぴりと痛い。そうゆう現象がきのうの朝起きた。


  歯はいいほうだが、虫歯とか言われて、もうかなり時間はたつ。

  歯医者というとどこにあるか、すぐにわからないが、いったとしても

  待っているのが辛そうである。


  このところ歯の異常はなかった。もう何年という単位だが、親知らずの上が取れた。

  取れはしたが、わずかに血が出て、その後は何も起こっていない。

  下の奥歯のほうが汚い。もともと歯茎にも油がたまったことはあるが。

  痛みというのにいろいろあるが、これは不快の痛みである。

  
  医療費の領収証を整理していた。そのときもだが、昼もパンを齧って特に違和感はなかったが。

  たまに恐ろしい病気があるという。

  口の中には細菌はゴマンといるが、ふだんは何も起こらないのに、なんで今ごろと思うが

  理由がわからない。

  歯にももっと悪そうなところは一杯あるのだが。


  小さいモミジ。














  ひどい雨ではないが、雲は北から南へと流れている。


  ついていない、いや、いいときもあるが、悪いときもある。


 

近付いて、スイセンの花の複雑な作りを。ウメは今日、一輪咲いているのを見た。

2016-01-06 13:46:11 | 植物・花(冬)
  予報通りの曇り空で、雨は降ってきそうで、実際のところ、降っていないようなである。


  風がないので、外に出ても冷たさは感じない。明日は気温がぐっと下がる予報が出ているので、

  しばらく時間がたって、寒さを味わうのではないか。


  きのうの正午に近い時間に、雨も降りそうになく、また花の画像もないので、近くを見ていたら

  ある場所にスイセンの花が。


  このスイセンも、一度もう出ているスイセンと同じで、花の作りは複雑である。ただ先回は、かなり離れている

  場所のもので、この理由はもちろん近づけない障害があったからだが、今回は花に近づけるので、

  小さいカメラで、マクロモードにして、その様子を撮ってみた。

  ただスイセンの花はどうしても、背の低いものが多く、花が咲けばうつむき加減で、ここにカメラを向けるのは

  むかしは楽だったが、いまはかなりむつかしい。低いなー、それでも花はきれいだである。


  いくらでも咲いているような感じは今年はある。あるところでスイセンの花が咲いていれば、雪がないので

  他でも咲いている可能性は高い。いくらか種類があって、花の大きなものもある。ラッパズイセンかな。

  これはまだ見ていない。

  残念ながら、ほかに花というと、なかなかなかった。よく垣に使われる、サザンカの花も、毎年同じように

  きれいな色で咲くことはないようで、これは予想出来ないもの。それに比べて、ツバキは、あまり

  変化はないような。ここのいえにもこういった花はあるが。サザンカはもう終わったか、あるいは

  わからなくなって、ツバキは奥まったところにあるので撮れないし、まだ小さい。


  今日は一枚だけ、返事というか、いつも遅れて書いているハガキが気になって、これもやっぱり今年も書いて

  おこうと思った。さらっとはなかなか書けないが、書いたからにはポストに入れないと届かないので

  そこまで歩いた。このくらいの運動は出来そうでなかなか出来ないものである。


  向うが遠くに見える。同じ距離なのに、そうゆうときがあるが、いまはたとえばバスが走る道路までの距離は

  ほぼ歩くたび遠いとか近いとか思うことはなく、普通。5分かからない。ここの道はしかし、交通量は多いので

  結構危ないところである。どう考えても、制限速度を、オーバーしているという車はたまにある。

  F1のドライバーの気分なのだろうか。「なんとか事故が発生している場所です」と看板に出ているのだが。


  その少し前に、ネコがいる場所があって、たまに顔を見る。向うも不思議そうに、こっちを見るときもある。

  むかし黒いネコが、ここのいえの周りにいて、この黒ネコは、チャトラネコと血筋で関係があるのだが、

  ネコはもう何がどうなって、というのはわからないものだ。

  そのネコらしいネコに会った。近付かないが、逃げなかった。もちろんそこの場所は、ネコを嫌ってはいない

  方がいる、という場所であるが。ここでは、画像に出る、チャトラネコを見かけることは滅多にない。

  この辺りは昔からネコは多いほうだと思う。ここのいえの、コンクリートの土台に、そこは少し高くなっているが

  足跡がついている。コンクリート塗りたての上を歩いたネコはいる。20年以上前に。


  スイセンの花が白く、そういえば今日はこの黒ネコを見たので、少し書いた。

  で、もう珍しくないことのひとつにウメの早咲きがあるが、ここのいえのウメの木にも

  花一輪。ただものすごく小さい。小さい蕾も、わずかに白い。

  1月の6日、こんな日に咲いたことは、多分だがない。でも特に画像で残す気はなく、咲いて当然という時を待つ。


  で、スイセンである。日がパーッと明るくなるときとそうでないときがある。でもいずれも白いので

  かなり露光は短くして、ちょうどいいくらい。




  その一。かなりの枚数撮っているが、同じものが出てくる可能性は高い。なかなかこの辺はうまくは
  ゆかない。




  その二。これはその一のものと同じで、さらに近付いて撮った。




  その三。トリミングについては書かないが、みな花を大きくしている。そのままで使えるものも
  ある。




  その四。




  その五。なかなか複雑で、立体的でもあって、ピントがどこに出ているかは、わかりにくさがある。





  その六。わずかに下から。これは姿勢がきつい。




  その七。




  その八。明るさによっても、花の雰囲気は違う。




  その九。これは上から。これもうまくピントが出ない例が多かった。




  その十。全体の様子をチラッと。これから咲く花が多そうである。



  スイセンが今ごろ咲くのはむかしはよくあった。特に暖冬でもない場合でも。

  雪が降っても花はあった。


  でもウメの花は、早くても2月の後半かな、あるいは3月の初め。

  いま一輪咲いているものは去年剪定している。それも影響があるかも。




スイセンの花はあったが、惜しい。ユキヤナギ、ダイコン、ナンテンに、ネコも少々。

2015-12-29 13:43:41 | 植物・花(冬)
  日が出ている。ニュースもほとんど見ていない。もう学校が休みのはずで

  暖かいと近くにいる子供さんが遊んでいる声が聞こえるが、さすがに冷えるとそれがない。


  きのうの午後、雨も降ってなかったし、少しだけ気温が上がって、あまりお見せできる場所でない

  ある場所に、ネコの姿を見た。まだ昼間だし、多分眠いはずで、お腹がすいてそこにいるということは

  考えられない。

  
  ネコも、集団でいると、さほどカメラを嫌がらなかったが、いまはなにも持っていなくても

  近寄ると、嫌そうな顔をする。ただ、ものを食べるときだけ、そうゆう顔はなく、恐る恐るこちらの機嫌を

  伺うように見上げる。この顔には不快の表情はなく、ごく普通のかわいいネコの顔である。

  ネコのことはネコに聞かないといけないが。


  このネコの画像もたまに撮るときがある。カメラ持っているときとかだが、最近では、ここからは離れた

  ところで、しかし距離にして40mくらい。そこでこのネコが走って塀の上に上がった。柚子の実を撮って

  いたときで、あのネコの顔はかなり緊張感はあったが、やはりここに来ているネコの顔のような気はする。

  それも10月ごろかな。その前があるが、草刈りの後で、これがちょうどいい具合に枯れてきて、

  そこで昼寝しているときが何度かあった。でもこのときは、近づくと明らかに不快感を表わす表情が出た。

  嫌なのだな。ただものすごく眠いと、ある距離までは近づける。


  下にニコンのD300を置いている。で、すぐにはネコの方には行かないで、ちょっと他をまずは短い時間だけど

  ブラブラ。このときももちろん、感じるものは寒さだけど。

  すぐ近くというか、道の反対側だが、なんとスイセンの花があった。スイセンの緑は、ここのいえのものも

  出ている。他のところで花も見た。暖冬だなと感じる瞬間である。寒いけど暖冬。

  ただ、このスイセン、ちょっと花が。八重のものかも。これは一眼で、しかも距離があってという場合は

  やりにくい。さらに露光補正で、白い花だけど、もう一段露光時間を短くすべきだった、とは結果を

  見てだが思った。


  ユキヤナギは、これは例年でも茶色い葉の中に白い花が、咲いているときはある。今年もやはりこの白い花は

  あるが、もちろん多くはない。ユキヤナギの枯れ葉の方がいい色か。

  冬野菜というと、ダイコンで、そういえば大きなダイコンをTVで見た。ダイコンを見るのに嫌な感じはないが

  あんな大きなもの。そうゆうサイズで、抜くのにも苦労しそうなというのはすぐにわかる。もっとも、スポッと

  抜けるのかも知れない。カボチャもダイコンも、特にカボチャは、包丁でも簡単に切れない。刃が逆に折れそうな

  ものが多そうだが、むかしでも買う場合は、半切りにしたものだった。

  ダイコンもあれだけ大きいと、ずいぶんと食べるのは大変そうだ。それゆえ、おでんなどにはよさそうである。

  あの大きなものは、なにに使われるのかな。


  畑もあって、ダイコンも、生長は寒くて、日もあまり当たらないので、大きくはないが、白い部分が出ている。

  一番きれいだったのは、まだあるナンテンかも。これもずいぶんと長く他のところで、実がなっているのを

  見たが、もう枝葉だけになっていた。このナンテンの実も、画像で大きくしてみると、赤い色の中に

  黒いものがある。ただ葉はまだまだきれいで、新鮮さが際立つ。


  久しぶりに、使う一眼で、しかももう曇っている。レンズが、55-200mmで明るくはないし、ISO400でも

  そんなにシャッタ速度は上がらない。ピントもかなりシビアで、立体感のあるものは、どうしても

  見た感じがぼやける。背景はいいのだが。


  それで、戻ってきて、眠っているようなであるネコ。もう周りをお化粧する必要もないなと、一応ネコの姿だけを

  強調。でも、もちろん、表情の中に、嫌だ、というのは見て取れる。眠いのだから、よけいなことはしないでくれ。

  そういっているようである。

  この時間、結局その後は姿を消している。夜に来ているようで、少しだけだが、食べ物を外に出しておくと、

  意外に早い時間になくなっている場合がある。ただ、このネコ以外に、この食べ物を狙うものはほかにも

  いるのであまりやりたくないのだが。


  一番いいのは、朝は、ネコもゆっくりだし、日が沈む少し前の時間に来ているときもあり、このときだなと

  思う。

  ネコはもちろん寒い思いをしているはずだが、朝の真っ暗な時間、特に風があったりだと、食べ物をあげるのも

  大変。でも、どう考えても、他でも食べているようなので、やはり顔が見えたときに食べ物をあげる、という

  原則に戻ったほうがいいと、今はまた思い直している。




  その一。このスイセンは、写りはよくはなかった。




  その二。他でも出てくるのだが、この種のものが一番早いのだろう。




  その三。ユキヤナギ




  その四。ナンテン。





  その五。色は浅い。もう少し緑が欲しい。堆肥の問題かな。ここのいえには枯れ葉は多い
  のだが。




  その六。




  その七。美しさ、これは間違いはない。




  その八。ネコだけ、他はみないでください。



 
  その九。顔の下側が、少し膨らむ。眠くて、動きたくはないので、じっとしていた。


  晴れて来ているが、2日に一回の灯油入れとか、ようやく今ごろやっているので、体的にはきつい。

  足も腰も、どうしても弱くなる一方で、つける薬はないな。




普通のシグレ状態で、晴れ間はまぶしい。画像は、一眼のものだけど、これも普通。

2015-12-26 13:52:35 | 植物・花(冬)
  ほとんどの場合、暗い雨か曇りで、それゆえ晴れ間が出ると、やけにまぶしい。


  朝からこれの繰り返しである。

  朝、7時過ぎくらい、ネコの鳴き声がして、来ているかも知れない、と思う。

  急ぐ必要はないが、ネコもお腹は減っているだろうと。

  で、ドア開けると、か細い鳴き声だが、声の感じは悪くはなかった。


  冷蔵庫に食べ物がある。私もそうして保存しているが、食べるときはレンジで温める。

  同じようにネコにもする。今日は意外と時間をかけて、やけにゆっくりと、それほど多くはない量の食べ物、

  全部食べた。

  食べ終わると、さっと移動するが、しばらくはそばにいるようで、それは見えない。今日も、5分ほどして

  食べたことも忘れて、多分だけど、より居心地のいいところへと移動した。

  色はクマから、普通のチャトラに変わっていた。夏に比べると、毛の量も筋肉の量も、ずいぶんと増えた。

  でも、もう少し、顔の掃除をしたほうが。

  で、私ももう10時ころだったが、このままだと、いかにも人相悪いので、髯そった。20分以上はかかるが

  5日ほど剃っていない。なんでも面倒。それでも食べるものは食べて。


  きのうの午後、久しぶりに一眼、ニコンのD300の画像を見た。一週間くらい前に、それこそ2ヶ月ぶりくらいに

  動かしたというか電源をオンにしたが、電池もだんだんと劣化。バッテリーも、7年も8年もたてば、使わなくても

  あるいは使わないから、劣化する。こんなものだ。暖かいところで充電して、100%に出来るが、すぐに30分も

  しないうちに、10℃くらいの場所に置いておくと、残量は95%と出る。

  使わないのはかわいそう。買ったのはいつかな。


  いまは、D300は大きすぎるし、大体レンズがもうわからない。普通のレンズでいいのだが、ちょっと望遠というと

  やはり買えない。

  1回は、ニコンに返送して、撮像素子の掃除をしてもらっているが、これもいいような悪いようなで、自分でやれる

  のが一番だが。でもこれは幸い、大きなゴミはわからない。

  小さいものは、かならずといっていいほどある。

  PCの内蔵のハードディスクに、去年12月の画像が残っていて、その後はほとんど使っていないが、雪の様子が

  よくわかる。冬だけ使っていて、その後はほぼ画像はないが、12月になって、まだアジサイの葉の色などが残る

  ものを撮っている。


  で、これも格別面白くはないが、藁にもすがりたいような、心細さがあった、というのは事実である。

  ニコンのカメラ用プログラムは入れているので、ハードディスクにインストールするのは、ユーティリティでやれ

  るけど、最近は変化が激しく、よくわからないままである。あとでしょうがなく、フォルダを作って気の済む

  ようにやっている。使わなくなるとなんでもこうなってしまう。


  レンズは、55-200mm。セットで付いているもの。ピタッとピントが出るような出ないようなで、EDレンズでも

  入れれば、ものすごい額になりそうだが。

  これが、アポクロマートの感じで5万円くらいだったら、ってそれはないな。

  
  去年12月の雪の降り始めの画像をいれてみた。これは、モノクロに変換してある。他は植物で、暖冬と

  いうのはアジサイの新芽でもわかる。




  その一。




  その二。アオキの実。




  その三。一段階マイナス補正を忘れていて、明るい。




  その四。





  その五。新芽の様子。




  その六。ほとんど広角側で撮っているが、厳しいかな。




  その七。花の色がまだわかる。



  去年2014年12月の雪、モノクロ処理。



  その八。12月の初めである。考えられないな、いまの身体ではなにも出来ない。




  その九。これなんか見ても、やはり写りは並み程度。



  明日が冷え込みそうで、でも朝どの程度まで気温が下がるか。あさっても影響は残るような。


  一応灯油ヒータの油は、9リットルタンクに、8リットルは入れた。

  ここでまずは休憩。


  で、鏡で顔見て、ようやく髯を剃る気に。中に残ったものの、掃除もした。

  このところ、座ってハガキ書いているからか、足・腰、違和感ひどいが、一応、居間の掃除もした。

  自分に檄飛ばして。やらなくなると何もできなくなる。

  そう思うが、まだあとがあるし。

  多少は薬も塗って。


  でも、椅子に座って、ここで文字を入力しているときの、お腹のあたりにちぎれそうな痛みがあるが

  そういえば、母もよく台所仕事をしながらいっていた。ただ年齢の差がありすぎて。


  丈夫だから生きられたのだろうけど。戦争の時代も、その後の時代も。



雨の音で目が覚めるくらい。今年の冬の緑

2015-12-25 07:12:44 | 植物・花(冬)
  雨の音を聞きながら眠っていて、その音量が上がった。

  洪水にならないか、というような降り方だが、その音はやがて静かになった。

  眠っていたが、夢にTVに出ている人がひとり、登場したが、内容は忘れた。


  外はきのうより今は暗く、部屋の蛍光灯もみなつけていたこともあるかな。

  外に出てみると、逆にいかにいえの中が暗いかよくわかるが、また狭いというか、閉塞感すら感じ

  られるが帰ってくるのはここしかない。


  5時半ごろ、いつもの目覚ましの音があって、鳴らないようにした。

  5時45分に起きるが、10℃ある。室内、寒くはなかったな。

  途中で着ることもある、カーディガンだった、も着なかった。


  きのうも、郵便局前にあるポストまで歩いた。途中、たまに話をする、お金もあり、力もあるという人と

  話をした。こっちから話しにいったのだが、「毎日なにしてる」、と聞かれてほとんど死んでますよ、と

  言うしかない。

  よくはわからないが、なにやらいえの修理か、新しいなにかを作ったらしいが、初めて見るし前を知らないので

  よくはわからなかった。

  暖かいだろう、はい、そうですね。雪はどうですかと聞くと、「降らん、降らんね」、と断定的である。


  これで15分くらい時間がたった。

  帰って来て、反省。


  今年の冬、雑草はオニノゲシが一番で、これがかわいく見えるくらい。












  

  12月25日、まだ24日のところがある。

  東のほうが先に明るくなって、地球は丸いか、やっぱり。



  

外はかなり寒々しいが、きのう冬至の空は青かった。

2015-12-23 14:04:40 | 植物・花(冬)
  外は寒い。コタツに入ってごろりとなると、薬のせいが一番だろうがものすごい眠気が来る。


  たまに飲んだか飲まないかがわからなくなって、困ってしまう。医師の処方の薬は、プラの包装を残している

  のでこれだけでもかなり、正確に飲んでいるものを確認できる。が、市販の錠剤だけがビンに入っているものは

  これも管理のしかたを考えるが、飲んでしまうとわからなくなる。ここまで来ると本当に困る。

  飲んだか飲まないか。命、簡単に使えない言葉。


  きのう午後に郵便物が着ていて、来ていてでもいいかな、どっちがいいかはわからないが、もしかしたら定期

  購読している、出版社のPR誌かと思ったら違った。こんなときにいろいろなものが来る。ご先祖様の名のものも

  来る。


  この辺り、もともと本というと、街まで出かけないと立ち読みもできないくらいで、寂しい思いをしたが

  かなりあちこちにお店を出しているところもある。店を止めた小売書店があって、集客力があれば、大規模店と

  いっていいくらいのお店がいまも出来る。ただ遠い。もともと、本は魅力はあるもので、たとえばデパート、

  百貨店などでも売場はもっとも上にあった。


  関東にいたころ、神田辺りの書店も、ぶらつくことは出来たが、そこまで行かなくても、たとえば松戸にいた

  ときは、一駅電車に乗れば、それこそどこにも本屋さんはあって、またあまりに本の数が逆に多すぎて、

  買う買わない以前に、気持ち悪くなったりもして、本というのはこうゆうところでもむつかしい問題が

  あるな、と店を出て、新鮮な空気を吸った。ようやく元気になって、何も買わないで一日が終わった。

  これも本だからこそ、といいたいところだが、もともと、買うか買わないか躊躇するタイプである。


  こうゆうのは食べ物とは違う。ザラッとまとめ買いも出来ない。これは当時はレコードだったが、音楽ものでも

  そうで、たまにこれは欲しいというのもあったりするが、そうゆうときに限って品物がない。そうゆうときが

  多かった。レコードや、本で床が抜けるくらいの方は大勢いるようだが、そこまでのマニアではなく、

  いまはぜんぜんといっていい。買いたいと思うがすぐにどうでもよくなる。


  年末だと思うのは、もう来年2016年の雑誌だと、2月号が出ているときだから。で、出版社の人は、もちろん

  印刷とか、製本、製版などいまもあるのか、こうゆうところは、普通に休むので、早く仕上げて、また次の号も

  ぶっ飛ばす勢いがないと、アウトである。ぶっ飛ばすとは言わないだろうが、2月号は校了でなくてはいけなく

  かつ3月号も、印刷所に原稿なりを入れないといけない。


  大体雑誌の場合は遅くても、2ヶ月前に、原稿がないといけなく、それで、普通はたとえば12月だと、1月号は

  間違いなく店頭にある。12月の半ばで、2月号、2016年のであるが、並ぶ。2016年2月号を見ているのが

  12月の18日くらいか。そうすると、原稿はいったいにいつ書かれているか、ずいぶんと前、過去である。

  山の雑誌だと、1年前の写真が普通で、今ごろ山岳写真家は、2017年用の画像を撮っている感じになるが

  特に冬はそうだ。冬の画像、真夏の写真は一年前になる。

  会社休みでも、皆さん無論会社にゆく。そこで年末も年始もなく、バタバタやる。のではないか。


  でももちろん、事務とかそちら方面、大きな会社の場合だと、こちらのかたはお休み。でも小さい会社だと

  何でもやらないといけない。一人三役。あるいは社長で、社員は自分だけ。よくやるな、と思うが、これも

  ずいぶんと昔の感覚で書いている。


  でも、本は本当に、売れないのだろうか。でも雑誌は売れそうな気はする。辞書も。学校関係は子供の数が

  減っている。マーケットは必然的に小さくなる。お金持ちの、悠々自適ライフの方、どのくらいいるのかな。


  PR誌、むかし書店で、置いてあったときがあって、これいただきますで、もらうことが出来た。いまは小売

  書店なく、買わないといけない。年間千円が多いような気がするが、送料とか考えると、とくにゆうパックの

  場合、どうゆう計算になるのか、これがわからない。

  著名な作家さんへは、出版社はもちろん無料で送る。実際にそうである。さらに「本」そのものを贈る。

  どうでもいいことを書いているな。


  私はいまは、PR誌2冊購読している。これも一年たつと、一万円札だったらいくらになるかわからない厚さに

  なってしまう。

  恐らくもう2冊とも、発送専門の会社にあるか、配達中のはずで、さていつ来るか。これは小さい楽しみだが

  ただもう自分の読みたいものしか読まなくなった。読めるものだ。これがあかんのだが、どうにもならない。

  正月は読書。これもあり得ないな。


  22日、冬至。昼間は青空。



  その一。常緑。




  その二。カエデはみな散った。




  その三。真っ青。




  その四。冬、らしさはちょっとない。





  その五。ペンキのほうが青い。




  その六。枝は梅、柚子とかの実は落ちた。梅の枝に、ジョウビタキが止まっていて、わずかな時間だが
  今日である、2mいや3m先にいた。が、窓に網戸にという状況。でも鳥は敏感だな。ジョウビタキは

  やはり小さい。




  その七。




  その八。




  その九。


  外は曇りで、暖かい格好が出来る人なら、まさしく暖冬となるようだが。


  雨か、まー雨でいいかな。



道々の風景から、再び植物へと戻ってゆく。まだこんな極彩色がある。

2015-12-17 14:23:03 | 植物・花(冬)
  今日はやはり寒い。寒い思いをしている人は多いと思う。


  もう少し前、時代が若かったころ、このくらいの寒さは平気だったか、というとこれが違うようで

  寒いと泣いたこともあったと思う。どうにかならないかということだが、どうにかなったということにして

  いかないと、話は続かない。


  私ももう年齢にこだわることなく、何年生まれなど平気で書けるが、むかしは躊躇した。

  いまは、朝からもらった年賀ハガキを読むことは出来ないが、ある時間になると、気になってくるので

  ここまで行くのにちょっと疲れるが、後は書くしかない。ただ私の場合はもう年賀状、年賀ハガキの

  スタイルはやめたので、簡単に1年に一回の、便りの交換という意味でやる。それしか思わないが、それでも去年

  よりは確実に一ヶ月は遅れている。同じことを書いているが、来年になってもいいので、多くはない数の

  ハガキを書いて出したいと思っている。


  来たものを見て書いている。パソコンは使わない。相手はほとんどパソコンで、これ、印刷された文字が変わる。

  老眼のはずだが、相手の人も。そこのところは、考えていないと思うことはないが、小さい。で、去年ではわから

  なく一昨年のものを見ると、これはきっちりとした、教科書のような文字で、読める。


  中身を見て驚く。これは記憶にはもちろんあるが、何度か手術をして、まだ生きている。お前もがんばれの

  ようなことが書かれている。なるほどな、正月はしかし、そんなに熱心に中身を見ることはないな。

  草書体で書かれる人もいるが、我流の崩し文字でもあるようだが、読めないものもあって、私の文字もそうだ。


  去年のものだが、今年は65歳になります、とあるものも。これ、大学だと年齢差はある。あって当然だが

  そんなに違ってた、と今ごろ思う。写真もという人は少ないが、たとえば娘さんの結婚式などあると、これが

  メインでしかし娘さんなりお婿さんは、歳相応だが、本人を見て、どうしたのとなる。

  でも、この辺でやめよう。


  姪とも話していて、今ごろの不思議を思う。PCだとどうしても、OSはいるということになって、それこそ私は

  ウィンドウズしか

  使ったことはない。DOSの時代は別だが、同じ会社である。OSとはなんぞやが、まずは問題だった。

  で、それだけで何も出来ない、そうゆうことはないが、OSあって動くプログラムは、ソフトウェアであって、単に

  ソフトになった。ソフトウェア、これで合っているかな。アプリケーション・ソフトともいったと思う。

  文字入力のプログラムというと、まずは「一太郎」が思い出されるが、ほかにもあって何のことか

  わからなかった。最初のころである。ベーシックをやっていた時代のあと。


  いまはなんでもアプリなんだね。姪に聞くと、「そう」という。アプリは何語かね。めんどくさそうに、

  何かいったが、ようするに言葉が変わった。それだけの意味である。

  ワープロもアプリで、ワードもそうで、使ってはいないが、いまはみな、アプリ。アップリケみたいな感じ

  だな。アップルも、これは困った、とは言わないか。


  ノーベル賞というと、私の子供の時代の感覚では、飴玉である。そうゆうお菓子のメーカがあった。

  少し前に、「元素」という言葉を書いて、なんか妙だなと思った。もっとも軽い元素、そうゆう風にいうか。

  もっとも軽い原子、うーんこの辺もわからなくなってきた。元素の周期表はあると思う。

  水素元素とはしかし言わないな。水素原子だろう。


  しかし、原子というものに到達するまでは大変だったようで、しかし原子は原子で、そういえば原子爆弾は
  
  カタカナで書ける。なるほど、元素はエレメントか。

  太陽の中とか、宇宙の始まりとかは、あまりにむつかしすぎる話で、こんなことについて書けることは

  ないが。原子の構造というのはなかなか興味深い。

  単純に水素原子でもそうで、これは電子と陽子で出来ている。


  「量子」という言葉も、さんざん聞いているが、これの概念はなかなか入門書を読んでいても

  わからない。

  電磁波に、アルファ線がある。私なども、アルファ線はヘリウムの原子核のことだよ、などと平気でいう。

  さらにベータ線にガンマ線がある。これは間違っていることを書いているようだが、ガンマ線は電磁波である。

  ただ、このレベルの話になると、粒子でもあって、波動でもあるという、量子論の世界。これを理解していない、

  あるいは簡単には出来ないことであるのは、当たり前のようだ。ごめんなさい。


  話はおかしくなってきた。


  道の風景。



  その一。




  その二。



  その三。



  その四。





  その五。道と用水があって、ようやく植物。





  その六。




  その七。




  その八。




  その九。この色はやはりいまでないと。

  
  今日もやっぱりなにか躓いた感じだ。



冷たい雨に変わる。ビニルハウスの中にある植物たち、ほか。

2015-12-16 14:05:58 | 植物・花(冬)
  少し気温が下がってきている。雨である。


  いまは振動はなくなっているようだが、午前9時過ぎからまたガタガタしだしたので、どうしようかと悩んだが。


  ちょうどきのう、このガタガタ振動ゆえ、昼ご飯どきに書いたハガキを出しに行こうと思って、帰って来たとき

  どの道を選ぶか考えて、遠回りの道にしたが、それゆえ最後の1分ほどは弱い雨を体験したが、まー空気のような

  ものだと思う。で角を曲がるときに、

  ちょうど車も来たので、ヒヤッとしたが、向うの方も安全運転で、なおかつ会釈のようなことをされたので、

  あれあのかたは、ちょうどここのいえの真東にある、いえに住んでおられて、・・・。まったく何の関係も

  ないことはない方だったかなと思って。でもそれが本当かどうか、これこそ一瞬なのでわからなかったが、

  ただ軽トラックの後ろにハボタンのようなものを大量に積まれていて、あれこれ見たことあるなと。


  ここのいえの近くで、ビニルハウスはあるが、その中を見ることは、道からも見えるので、特にしかられるとかと

  いった問題はないと思うが。さらに中にあるのはもちろん植物で、随分とたくさんあるなと思っていたものの一つが

  ハボタンで、季節だなと思う。

  でも結構高さがある。背の高いハボタンで、でもまさかキャベツでもない。

  この中を見たついでに、問題はないだろうと、そこに栽培されているハボタンと他の花を撮ったのだが、

  今朝は、特に考えることもなく、いくらかの画像を作っていて、このハボタンの様子も中に入れたが、

  やはりきのうの、軽トラックの荷の記憶があったのかも。その荷台のハボタンが、私が撮ったビニルハウスの

  中のハボタンかどうかはわからないけれど、可能性はあるな。ただ、珍しいものではなく

  ビニルハウスで育てられている植物に、ハボタンがあるというくらいの意味だが。


  他の花のほうがきれいでもあって、でもそれが何かはなかなかわからない。それだけ離れているし

  また大きく写せるものでもないので。


  で、今日もまたほとんどの方が興味のないと思うことを書いてみると、私は1954年生まれで、1945年からは

  9年たっている。この1954年は、午年である。干支に関しては、わからないというか興味もないが、午年だ

  というのは、昔から親に聞かされていて、そうゆうものかのままである。

  もちろん、動物の馬と関係があろうがなかろうが、午年で、いまは、ね、うし、とら、う、たつ、み、うま、ひつじ、

  さる・・・、と頭の中ではいえるが、ときにわからなくなる。


  それで、またまた古臭いことを思い出して、11月の30日だったと思うが、父の妹、二人いた叔母の一人に電話を

  してみた。この叔母だけがいまは生きている。

  固定電話で通じるので、特にお金のことなど思うことはないが、私のほうから連絡するのは、両親の死以外では

  珍しいことで、12月になると雪でも降って大変なことになるから、今のうちにと思ってのことだった。


  でも雪は降らないのに、いまはやはり結構大変である。叔母はまだまだ元気で、でも電話での話しぶりは

  やはりむかしよりは、パワーがなくなったような感じはあった。ただ、息子さんは親孝行な方で、叔母はもう一回

  自分の生まれたこの場所に行きたいという希望を持っているようで、このことを何度か話しているうちに

  繰り返した。人間とは、わからないものだなと思うのは私で。叔母にとっては当然なのだろう。

  この叔母が実は午年だ。昭和5年生まれ。きのう気が付いた。


  これにはもう一つ、要因があって、たしか一昨日姪が来た日の午後、電話がなった。この日は結構朝からきつ

  かったのだが、いろいろな手段を使って、気晴らしをしてどうにか正常、いや耐えられる状態に戻ったような

  気がしたが、もう暗くなるころに、午後の3時過ぎは部屋の中は暗い。蛍光灯がちらついているのに気がついて

  結果としては、その「ちらつき」をなくすことが出来たのだが、面倒なことでもあった。

  この作業中に、電話があって、ようやくどうにかなったというときがあったので、何度かけたのかあとから

  聞いたが、かけてくれたのが母の妹に当たる叔母で、小松にいるので年に一回は来てくれるひと。

  出たことは出たが、何しろ午前中も身体の痛みに耐えていて、午後もこの蛍光灯問題があったので、短い時間で

  切った。話せば長くなるが。


  まだ完全に直りきっていないときだったか、蛍光灯。で、この叔母についてももう年齢もわかっていて、あれ同じ

  午年だねと話したことを思い出したが、二回り違う叔母がいた、ということだけだが。

 
  多すぎる画像。



  その一。年末だ。




  その二。こんなところにも、ここはでもよそ様のカエデ。




  その三。初めに書いた、ビニルハウスの中。こちらは花。




  その四。これがハボタンだと思う。軽トラの荷と同じかどうかはわからないが。こうして生産されて
  いるのですね。




  その五。これは先週の土曜日である。





  その六。




  その七。




  その八。冬野菜は緑。




  その九。




  その十。青い空はいいねー。


  ここがいつ真っ白になるか。


  雨はしとしと。



冬の木々の素顔あれこれ。ほか、胡椒も少々。

2015-12-14 14:03:41 | 植物・花(冬)
  今日はもう覚悟をしていたが、本当にギリギリのところで、いまがあるので、画像だけは用意していて

  後は時間があれば、余裕ということだが、なにか書きたい気がする。


  ここのいえの木々の、あるいはそばの木々の素顔。幹があれば、枝があって、葉があって。

  木々のどこかに、何かを見つけたいと思うのはよくあることだが。




  その一。これはモチノキ。さっぱりしている。硬そうである。でもこの木にも寿命はある。
  冬、雪が積もれば、枝も折れる。




  その二。その一に、幹の表面に何かが、人の顔が多いが、そうゆうものがあるなと、このその二の
  枝の様子を見ていて、思った。




  その三。モチノキというのも、まったく知らなかったが、これは別、違う。この木はかなり大きいが、
  それゆえ枝葉を伸ばす。この木が、不思議とあちこちから、出てくる。




  その四。道に面している。何十回と、道にはみ出た部分は切られている。この木の幹の表面を見ると
  苦悩のようなものも感じられる。




  その五。常緑ではない、枝だけ残っている、若い木があるが、この下に実がある。たぶんエゴノキで
  このエゴノキも、ここのいえにもたくさんあるが、他でも見かけることは多い。





  その六。同じ木があるところを、位置を変えて撮った。冬らしい、あるいは冬らしくないとも形容
  できるが、若い木々の特徴かな。新鮮で、来春を待っている。




  その七。大きな葉を付ける。似ているのに、ホオノキがあるが。これはかなり背は高い。
  幹は細めで、でももう少し近いとその表面に、人間なりの動物の顔が浮かんできそうだ。

  どうもその目的は撮っているときはなく、中途半端である。




  その八。スギは好きですか、と聞きたくなるような、ここのいえのスギの木。この感じだと
  花粉はたっぷり出来そうだが、難儀なものである。





  その九。少し視点を変えて、これはまだ残っている、ケヤキの小さい木の葉。順光。
  このくらいになると立派だな。




  その十。透過光で。

   
  植物とは、話は出来ないが、話かける人はいる。植物が何か言いたそうだ、そう思って耳を傾ける人も

  いる。やったことあるかな。タンポポとか撮っていると、お礼をいいたくなるが、きっと植物は人のため、

  あるいは虫のために生きている。だから別にお礼はいらない。そう言うかな。


  むかしタネを蒔いた。たしかビジョナデシコ。これはなかなか咲きそうになかった。芽が大体出るのが大変で。

  似ている花もあるが。でも最後にはいくらかは咲いた。あまり感激はなかったか。心の中では、なぜ咲かないと

  文句をいっていて、ようやく咲くと、その先はなかった。ずっと咲くかなと思ったが、3、4年はあって。それで

  終わった。



  今日は、姪が来てくれた。天気がいいので来るかも知れない、と思う。ちょうど髯を剃っていて

  それを掃除しようとして、窓から外を見ると、車の先に、いたので、上のほうから声をかけた。

  いま鍵を開ける。

  ネコを見ていたらしい。


  電話で、1週間に一度話をする。でも電話は便利なようで、直接に会うのとは違いが大きい。

  この前に、彼女が東京に出かけたときがあって、そのときも携帯にこちらから電話をかけたが、日々の情報は

  どうしていると聞いた。東京には行っているが、知らないところも多いだろうと聞いてみるとと、さらっと

  「スマホを買った」と。

  そのときだが、それじゃ今度こっちに来るときがあるだろうから、持ってきて見せてというと、うんわかった

  という。


  私は、今日はそれ以外に、いろいろ話をしたが、このスマホについても、もちろん彼女は持ってきてくれて

  見せてくれた。

  まだ慣れていないようだが、でも大切に丁寧にという感じで、こんなのという画面を見せてくれる。

  でも渡してくれたときに、受け取り方が悪かったのか、もう画面は動いた。

  スマホは、10分くらいで、それ以外の話の時間が多かったが、たしかになんだか面白そう。

  ただ小さいので、私には必要はないし、使うことはないだろうと思う。

  もちろん、料金も聞いてだけど。




暖冬そのものに、異変ありという感じ。

2015-12-14 07:10:56 | 植物・花(冬)
  ここには私の都合のいいことしか書いてなくて、それもわずかに変えている場合があるが、

  いろいろなことが起こると、書いていることにも異変の兆候がある。私自身にもそれはわかる。


  きのうの夜、やっぱりひどかった一日を振りかえっていたが、去年の12月の欄、今年の手帳だが、

  雪の文字がもう何度かあって、その記憶が再びよみがえった。

  そうだ、4日くらいから、早くも大雪という状態だった。風邪気味とも書いてある。

  4日が雪なら、その前から寒かったはずだ。で、ハガキなどは11月にもう書き始めている。

  ハガキのことはずっと記憶にあるが。


  今年の12月はと思う。残り2週間とちょっと。雪はチラッとあっただけで、まだ実感はないが

  やはり暖かい。

  きのうは特に、午後から気温が上がっているのだが、これになかなか気が付かなかった。

  灯油ヒータをつけたり消したりしているが、LOWで、15℃とかになっている。

  背中にカイロを貼り付けているが、暖かさのありがたみもよくはわからない。


  コタツのスイッチを入れたのも遅かったが、食事を作っていて、1時間以上はつけたまま。

  これがだめで、熱すぎると分かったとき、すぐにスイッチを切った。

  さらにそれでもまだ暖かく、コタツをはずして、なお布団の中に風を送って。

  その後は、慣れないことをやり続けて、足がジンジンして、足だけ燃えている。

  でも眠った。眠って、またボケたなと思う。

  焦っているのはわかっているが、結局何が優先されるべきか、決断、何回思っているか。




  ツバキが咲いていた。










  これは名のわからない白い菊のような花のいまで、花が菊でこんなタネが出来るのを見たことは、

  あったかなー。(追記:葉を見ると、これは別の花だな、こりゃあかん)。


  ようやく明るくなってきた。