ぶらぶら人生

心の呟き

荒神谷史跡公園 (池の眺め)

2007-07-11 | 旅日記
 公園内の植物を眺めながら、<水辺の小径>を辿ると、「親水デッキ」と名づけられた場所があった。背後に木々が植えられていて、水に親しみながら、足を休めるのに格好な場所である。

 その場所を、<水辺の小径>の尽きるあたりで振り返ると、絵になる光景であった。湖面にデッキや木々の影が揺れ、曇り空も映し出していた。(写真)
 深緑の今、ことさら目立つ若緑色の木は、なんだろう?
 小さな丸い葉をつけた木であった。
 近くに「カツラ」と記された木があり、それと同じかしら(?)と眺めたが、自信はない。カツラだとすれば、花も黄葉も美しいらしい。
 このあたり、四季の散策を存分楽しめる場所である。

 水のある風景は、心を憩わせてくれる。
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荒神谷史跡公園 (古代農耕地)

2007-07-11 | 旅日記
 <古代の小径>を引き返し、雨の心配もなくなったので、<水辺の小径>を歩いてみることにした。
 その途中に、「古代農耕地」があり、青田がよく茂っていた。(写真)
 その田圃わきの道は、<稲穂の小径>と名づけられていた。
 散策地図に、それぞれ名前が書き込まれており、歩く者を楽しませてくれる。

 秋には、赤米、黒米などが収穫されるのだろう。
 荒神谷の「オープンカフェ」では、赤米のお饅頭がコーヒーに添えてあったし、歴史博物館のカフェ「阿礼」では、昼食として赤米・黒米の入ったおにぎりセットをいただいた。
 いずれも味わい深く、おいしかった。
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荒神谷史跡公園 (荒神谷遺跡)

2007-07-11 | 旅日記
 古代ハスを眺めた後、「荒神谷遺跡」を訪れた。
 蓮田に沿って、<古代の小径>を歩き、少し山道を登ると、それはあった。
 青銅器の出土状況の再現された場所である。(写真)

 人間の歴史の原点に当たる古代に、私は今まであまり関心がなかった。特に考古学の範疇には、目を瞑ってきた。あまりに遠く、現実とかけ離れているように思い続けてきたのだ。が、弥生時代の青銅器380点が出土したという現場に立つと、一度に謎めいた世界に引き込まれてゆく感じになった。
 銅剣358本、銅鐸6個、銅矛16は、どんな意図で地下に収められ、発掘に至るまでの長い長い歳月、眠り続けることになったのだろうか?
 その謎を解く一説らしいものが、後に訪れた「島根県立古代出雲歴史博物館」にあった。が、謎が解明し尽くされているのではないだろう。
 少し、歴史の勉強がしてみたくなったから、不思議である。
 知識としてではなく、あくまでも人間を考えるという意味で。
 果たして、そんなことを楽しむ時間を、神様は私に与えてくださるだろうか。

 実は、一泊二日の旅をしただけで、深い深い疲れを覚え、のらりくらりと時間を浪費している私の心身は、一体どうなっているのかと、今日は少々情けない気持ちになっている。それでも一方で、有史以前の人間のありようを学んでみたいと、真摯に考えているのだから、われながら複雑な心境である。
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荒神谷史跡公園 (2000年ハス 4)

2007-07-11 | 旅日記
 昨日の荒神谷には、色とりどりの雨合羽を着た幼子の集団もあった。(写真)
 花よりも、カエルに興味があるらしかった。子供たちの視線の先には、飛び跳ねるカエルがいたのだ。(写真)

 子供ばかりでなく、大人の団体もバスで訪れていた。
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荒神谷史跡公園 (2000年ハス 3)

2007-07-11 | 旅日記
 ぽつぽつ雨が落ちたり、またやんだりを繰り返した。
 でも、見学に支障はなかった。傘をさす人あり、ささない人あり……。(写真)

 子供のとき、見かけた蓮池のハスは、荒神谷のものとは比較にならないほど大きかった。倍も大きな葉が水面を覆い、咲く花の大きさも、もっと大きかったように思う。
 子供の時には、すべてが大きく見えたせいだろうか。
 それとも、現代のハスと古代ハスの違いなのかどうか。

 今ふと、上野の不忍池のハスを思い出した。あれは、子供時代に見たハス同様、茎丈も高く、葉も花もすべて大きい。ということは、古代はスは全般に、小形ということなのだろうか。
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荒神谷史跡公園 (2000年ハス 2)

2007-07-11 | 旅日記
 山に向かって、水田の面積は小さくなってゆく。遠景なので、画面では花が見えにくいけれど、どの水田にも、一面にハスが咲いている。(写真)
 畦道を歩きながら、ゆっくり花を眺めることができる。緑の中に点在する遠い花を眺めたり、また間近に咲く花を楽しんだりが可能である。

 荒神谷史跡公園の見物場所の一つとして、ここまで蓮田を育てるには、大変な苦労があったのではあるまいか。
 見学者は、蓮田の存在を当然の如くに、ただ眺めているのだが……。
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荒神谷史跡公園 (2000年ハス 1)

2007-07-11 | 旅日記

 雨の朝、松江を発って、妹夫婦と出雲に向かった。
 「いくら晴れ女でも、梅雨には勝てないわね」
 私の旅は、いつもお天気に恵まれると、妹は前々から不思議がっていたのだ。が、今回ばかりはだめらしいと、激しく降り続く雨を車窓に眺めながら、妹は言った。
 『有元利夫展』を観に来るなら一泊して、ついでに古代ハスを一緒に見にゆかないかと、誘ってくれたのは妹である。妹たちは、幾度か足を運んでいるのだが、車を持たない私に、便宜を図ってやろうとの心遣いからである。
 「この雨ではだめね。ハスは来年にして、今日は<歴史博物館>にしましょうか」
 と、言う。誘った手前、妹は気が気ではないらしい。
 「出雲に着くまでに止むかもしれない。それから考えたら?」
 
 「やはり晴れ女だ」
 と、荒神谷史跡公園の駐車場につくと、妹が言った。
 空は暗いが、雨は落ちなくなった。
 「まずは、ハスを見に行きましょう」
 私のために、雨靴も用意してくれていたが、足もとが気になるほどではない。折角持ってきたのだからと、妹の夫だけが、長靴に履き替えた。

 「荒神谷オープンカフェ」でもらった簡単なガイドには、『荒神谷2000年ハス』について、次のように書いてあった。

 <2000年ハスは、1951年に千葉県見川遺跡で2000年前の地層から大賀一郎博士が種を発見され開花に成功し命名されたもので、別名「大賀ハス」ともいいます。
 荒神谷史跡公園のハスは、大賀博士が島根県大田市へ送られたものを、1988年に大田市より株分けして譲り受けたものです。
 ハスは早朝に開き、午後には閉じてしまいます。花の開花を3日間繰り返し、4日目には花びらが散り始めます。
 6月中旬から7月下旬まで、神秘な古代の世界へと誘います。>

 気の遠くなるような命の営みである。
 そう言えば、友人の車で、大田市の三瓶山に連れて行ってもたったとき、古代ハスの池があったのを思い出した。訪れたのが秋だったので、ハスのことはきれいさっぱり忘れていたが、今の時期、やはり神秘に満ちた美しい命を咲かせていることだろう。荒神谷のハスは、大田のハスの分家ということらしい。
 益田にも、最近は古代ハスが咲くときいているが、まだ訪れていない。

 <約5千株に5万本の花が、5000㎡の水田一面に咲く>と、ガイドの栞に書いてあった。
 私の訪れた昨日、総数幾本の花が咲いていたのだろう?
 何しろ広い水田なので、その数の確かめようはない。
 花色は、ピンクの濃いものから薄いものまで、一様ではないが、これは開閉を繰り返した日数による変化ではあるまいか。4日目には花びらが散るという。
 咲き始めほど、色が濃いような気がした。おそらく、今日初めて咲いたと思われるハスをカメラに収めた。(写真)
 初々しく、汚れのない美しさである。

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